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歴史から学ぶものは無い?
手塚治虫のガラスの地球を救えという本を読んでいたら、気になる記述がありました。 治虫氏は、黒人は差別されていた長い歴史があるから、ある種の達観した境地にあり、人種差別をしないのではないかと思っていました。 ところが、実際には手塚さんは黄色人種であるということで黒人から差別を受けました。 私もこれを読むまでは、手塚さんと同じように差別されたことのある人は、差別をしない悟りの境地にあると思っていました。 今現在、ジェノサイドを経験したユダヤ人が、今度はパレスチナ人を弾圧しています。 人間は歴史から学ぶことはできないのでしょうか? また、愚かな過ちを繰り返すのでしょうか? 歴史から学ぶことあるとすればどんなことでしょう?
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「人間」という括りで言うと、人間が歴史から学んだことはたくさんあります。むしろ、歴史に学んだことの方が圧倒的に多いんじゃないですか。基本的人権の尊重然り、民主主義然り、その他法治主義、法の下の平等、三権分立などなど歴史から学んで身に付けたものはキリがないくらいあると思います。 人種差別にしたって、実際には未だに残っているにせよ、どこの国でも大抵法律的には禁じられていますよね。日本だって、法の下の平等が憲法で謳われています。 たぶん、奴隷制度が何の疑いもなく受け入れられていた時代には、誰にとっても差別なんて何の問題もなかったと思います。それに引き換え今は大多数の国、大多数の人間にとっては、まがりなりにも「人種差別はいけないことだ」という共通価値観が出来上がっているのではないでしょうか。時間はかかっていますが、着実に歴史から学んでいる証拠と思います。 思うに、歴史に学んで比較的容易に身につくものと、それこそ何百年、何千年もかかるものがあるんじゃないかと思います。 「民主主義」なんて、今でこそ当たり前の考え方ですけど、人間は何千年もかかってこの当たり前の考え方に到達したんですよね。 悲しいかな人の一生はわずか80年程度しかないので、その学習成果を目にすることはできないかもしれませんが、いまでも人間は色んな分野で歴史に学び、その成果をあげようと努力していると思います。 失敗こそしましたけど、旧ソ連の社会主義だって弁証法史観にもとづいて新たな社会の建設を目指していたんでしょうし。その失敗を踏まえて、中国は新たな国づくりにチャレンジしている最中ですよね。 人間はいつも歴史に学んでいます。だからこそ、正しく歴史を後世に伝えなければならないのだと考えます。
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- t-yoshizawa
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歴史から何かを学び取るってのは、可能です。ていうか、私はすごく学びました。 歴史が繰り返されてしまうのは、 (1)その人は歴史を学ばなかった (2)自分が歴史を繰り返してしまうとは思わなかった。 (3)人間のサガ。 (4)運命(笑)。 このどれかであり、たいてい(2)なのかなあ、と私の感触では思います。 私は「独裁者」についていろいろ調べていますが、基本的に独裁者という人は「国家にとってベストだと思うことをひたすらやり遂げる」人です。 すごく一途で生真面目。そのせいで、やり過ぎてしまうんでしょうね。 イタリアの独裁者、ムッソリーニはこんなことを言っています。 「わたしの場合には、自分を神だと思いこみたがるような気分は抱いたことがありません」 ムッソリーニは、歴史に非常な博識を誇った人物でしたが、彼ですらこんなふうにおごっています。 学ぶ姿勢は大事ですね。
お礼
ありがとうございます。 私は、ムッソリーニについて、ほとんど知りません。 しかし、博識であることが行動に直結しなければ、それは必ずしも歴史から学んでいるとはいえそうもないですね。 独裁者の言動と言うものは、一つの人間の真実、あるいは本質を言い当てているからこそ、気をつけないと完全に独裁者に飲み込まれてしまいます。 どの時代にも注意深く、独裁者の言動の裏に潜むものを感じ取れる人が多ければ多いほど、過ちの歴史を繰り返しおかす可能性が減るように感じます。
- kenzyanoisi
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歴史からまなぶものはたくさんあるとおもいます。 たとえば日本人は第二次世界大戦から平和の重要性をまなびました。 しかし歴史と人種差別とはあまりかんけいないようにおもいます。 歴史のなかではたしかに人種さべつがおこなわれてそれが戦争のもとにもなりました。 しかし差別というものは歴史からまなぶものでしょうか。 あいてをみとめて許容さえできればどこでもできるものではないですか? 学があろうがなかろうが知識があろうがなかろうが差別をするひとは差別をするししないひとはしないとおもいますがいかがでしょうか? はだの色がどうとか言語がどうとか賢者だの愚者だのということから差別がはじまるとおもうのですが。
お礼
ありがとうございます。 最近の日本人の行動や言動を見ていると、中国や韓国、そして、北朝鮮とそこの住む人たちに対してかなりの差別や偏見あるいは敵意に満ちた感情が感じられます。 これは、裏を返せば、かつて彼らが日本に対して抱いて感情と同様の負の感情の現われだと思います。 差別は頭の中でしないと考えただけでは抑制できないと思います。 実際、差別の現場に直面したとき、無意識に行動にとってしまうのではないでしょうか? 差別しない人は、私はいないと思います。 多かれ、少なかれ、程度の差はあれ、どの人間にも普通に備わっている感情だと思います。
- cse_ri2
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歴史から学ぶ人もいますし、学ばない人もいます。 質問者の方は、手塚さんが黒人から差別されたという事例 をあげていますが、そういう人は学ばなかった人たちの集まり なのでしょう。 残念ながら、世の中には賢者と愚者がいます。 そして愚者の行動が主流となることもあるのです。 今は世界秩序の面から見れば、混乱期にあると思います。 賢者が歴史の表舞台に立つには、もう少し時間がかかりそうです。 #そして残念なことに、それまでの間はパレスチナでも #悲劇は続くでしょうし、アメリカでも人種差別者の横行 #が続くでしょう。
お礼
ありがとうございます。 人間の心の中には、賢者な部分と愚者な部分を両方持ちえていると思います。 私は差別する側が愚者だとは思いません。 どの人間にも過ちを犯すことはあり、 いつ自分が差別する側にまわるか分からない可能性を秘めていると思います。 世界は、完全に白黒はっきりできないところに問題の根深さがあると思います。
歴史からは多くの事が学べると思います。 人種差別問題は、教育万能の考えでは解決できないでしょう。それは、ゴミ問題などの社会問題の歴史が明らかにしています。 地球温暖化に関して、二酸化炭素排出の問題があります。この問題では、排出権取引という経済学的アプローチが導入され、解決に向け努力されています。 拾った空き缶をある装置に入れると、お金(10円?)がもらえる仕組みがありますが、これも同じような経済学的アプローチです。 人種差別問題では、人々が差別を行わない方が、何か得をする仕組みというのがあればいいのではないでしょうか。 歴史は人類の実践の軌跡でもあります。BadCompanyさん、これからも大いに歴史から学んでください。
お礼
ありがとうございます。 歴史は繰り返すけども、らせんを描きながら進むとも聞いたことがあります。 繰り返しているように見えても、過去とは微妙に異なる軌跡を描く、そうやって未来への希望も託せられるのなら多いに学んでいるといえますね。
- rekishika
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Bad Company さんのような美しい心を持った方は多分家庭教育や周りの環境が優れていたと思います。 いじめられた子が、生存本能からいじめる側に回ることはよく見かけます。又異質なものに警戒を抱き排除しようとする集団はどこにでも存在します。差別を受けた側が更に差別する側に回ることは民族間でよく起こります。 何れも動物として持っている生存するための本能のような気がします。特に一神教である、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教間は信仰心が強い人ほど他宗教に寛大になれず争いは深刻なものとなります。 人間が歴史から学ぶべきことは、過去の現象だけではなく人間が動物として持っている本質的な部分を理解した上で、家庭を含めた社会教育に救いを求めるしか ないような気がします。 BadCompanyさんは名前と異なりGoodCompanyですね!
お礼
ありがとうございます。 日本では差別用語を使わないようにしたり、 障害者を社会から隔離したりして、世間から隠す癖があります。 もっと、オープンにその存在を認められる社会が来るといいですね。 ちなみにBadCompanyは、私の好きなバンドの名前です。ボーカルのポール・ロジャースが好きなんですよ。
歴史からいろいろな事を学んでいるんだと思います。 ただ、その活かし方が違っている、と言うか・・・。 “あの時、これで失敗したから、もうよそう”じゃなくて “今度はもう少しうまくやろう”ってなっちゃうのかな? 学んだ結果、身に付いたのが悪知恵ばかり、というような気がします。 ま、それを“進歩”と言ってしまえばそれまでなんですが・・・。
お礼
ありがとうございます。 悪知恵でも、進化し続ければ、いつの日か戦争がなくなればありかなと思います。 しかし、太平洋戦争で学んだ人たちが少なくなると、たちまち国の方針がころっと変わるのは、やはり学んでいないというか、進歩が無い気が? 世代間で学んだことは継承されないのかもしれない気がしてきました。
「人間」とひとくくりにするとそうなるかもしれません。 80%に人がしっかり、教訓とそいていても、数%の人が全く学ばず行動してしまうと結果は学ばないのと同じです。 残念なことに、その数%の人が国を動かしている場合もあります。 北○鮮をみればわかると思います。
お礼
ありがとうございます。 国家という体裁をとっている限り、リーダーの責任は重いですね。 教訓としてとらえられる人材の登用方法が、重要になりそうですね。 IT産業のように変化の大きい時代に、過去の実績だけにとらわれて採用している会社は早晩、身動きが取れなくなると思います。 世襲制の様に、血縁やコネだけで採用している公務員は、堕落して当たり前です。
- naomi2002
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「学ばないわけではないけれど、学ぶのと同じくらい忘れる」というのが真実ではないでしょうか。 結果的には、「学ばない」のと同じことです。 アメリカはベトナム戦争から何かを学んだのでしょうが、今はすっかり忘れてしまっているようです。 奴隷制度が人類の歴史の中で、どんなに長く続いたか、 政治家や役人の不正腐敗がいかになくなっていないか、 タバコが良くないという明らかな事実が認められるのにどれほどの年月がかかったか 戦争がいかになくならないか、 こうしたことは、人類がいかに学ばない動物であるかを示していると思います。 ご質問の中であげられた差別のことですが、むしろ、 差別された者は、他者を差別する、 いじめられた者は、他者をいじめる、 というのが真相ではないでしょうか。 スポーツの世界でも、先輩にシゴカレた者ほど、後輩をシゴクという話もあります。
お礼
ありがとうございます。 人身売買は、イギリスなどで今だに活発ですね。 差別の連鎖は、虐待の連鎖のようにトラウマなんでしょうね。 しかし、アメリカを見ていると、つくづく相手を理解する気持ちの欠けた国だと思います。 なぜ多民族国家のアメリカでも、異文化理解が十分でないのだろうか。
- trozky
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歴史を学ぶことは現在と過去との対話の連続です。 ぶっちゃけていえばバックミラーだけ見ながら車を運転 するようなものですね。そのバックミラーが歴史です。
お礼
なるほど。面白いたとえ有難うございました。
お礼
ありがとうございます。 そういえば失敗学というのがありますね。 人間が繰り返し起こすミスや過ちも、丹念に検証していけば役に立つ日が来るのかもしれません。 私も失敗を隠したくなりますし、いい所だけを見せようとごまかします。 そういう人間の心理を踏まえて、歴史が作られていくならば未来も捨てたものではないですね。