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科学者を奪われた戦後ドイツ、その影響は?

 第二次大戦敗戦後のドイツでは米ソ(英仏も?)によるドイツ人科学者の争奪があり、多くの科学者が外国へ流出したそうですが、それによるドイツの科学力、技術力、ひいては工業力国力への影響はどれくらいのものだったんでしょうか? 現在でもドイツといえば工業力技術力の国ですし、長い目で見れば大した影響がなかったようにも思えますが、根こそぎ連れ去られたような記述も見たことがあるので、マイナスの影響が全くなかったとは考えにくいです。このあたりの事情はどうなっているのかと疑問に思いました。

みんなの回答

  • w-icp
  • ベストアンサー率39% (203/516)
回答No.3

V2ロケットの開発で有名なフォンブラウン博士がドイツに残っていたなら、世界初の人工衛星も月着陸もドイツだったかもしれないですね。 アメリカのNASAの創設もアポロ計画もサターンロケット開発も、博士の頭脳無しでは、とてもなしえなかったのではないかと思われます。

hortensia
質問者

お礼

ありがとうございます。お礼が遅れてごめんなさい。 やはりフォンブラウン氏の影響は大きいのでしょうね。

  • cyototu
  • ベストアンサー率28% (393/1368)
回答No.2

影響が在ったか無かったかと聞かれれば、在ったに決まっています。問題は、それが重要な影響をしたかどうかでしょう。その答えは、統計的にはっきりしております。結論としては、大した影響が無かったということです。その実証的な証拠は、ドイツにあるマックス・プランク研究所の成果に在ります。この研究所はノーベル賞受賞者の数をそれに注いだ予算の額で割った値が、世界で最も高い値を持った研究所です。 何故このように効率よく、程度の高い成果を出し得たかにはもちろん理由があります。この研究所は一つの巨大な研究所が一カ所に在るのではなくて、ドイツの各地にその名の付いた研究所が互いにルーズに繋がりながらも、独立を保ちながら散らばっています。新しいアイデアは、どんなにそれが偉大なものであっても、それが出てきたときは赤子のように未熟です。ですらそれを批判しようと思えば、並の研究者にでも簡単にできます。そこで、そのアイデアを無事に育て上げるためには、暫くそのアイデアを周りの研究集団から孤立させて、否定的な批判から守ってあげる必要があります。ところが、研究者を一つの巨大な施設に集めてしまうと、未熟な状態のアイデアの欠点を互いにあげつらって、潰しにかかってしまいます。そのことを上手に避けて、アイデアが一人前に成長するまで、各研究所の研究者達が孤立していられる状況を意識的に作り出したのが、マックス・プランク研究所の特有な組織だったのです。ですから、戦後のドイツは最も効率よくノーベル賞学者を輩出しています。 その反対の例は、例えばアメリカのGM(ゼネラルモーター)の中央研究所です。GMは金に物を言わせて、世界中から一流の学者達を一堂に集めて研究所を造ったのですが、互いのアイデアの潰し合いで、つぎ込んだお金の割には、傑出した成果が出ていません。似たような例は、筑波の研究都市や、もっとひどいのは、京都、大阪、奈良の三県にまたがる「けいはんな学研都市」です。如何にも中央集権が好きな文部省のお役人達の肝いりで巨大な研究都市を造り、研究者を一堂に集めてしまったので、つぎ込んだ金の割には大した成果が上がっておりません。今ではけいはんな学研都市の中心に位置する「けいはんなプラザ」は殆ど廃業に追い込まれております。 研究施設を巨大にしてしまうと、互いに批判を怖がるようになり、結局皆がやっている流行りの研究しかしなくなってしまいます。流行りの仕事とは、皆がすでにこれは面白いと認めているから流行るので、そんな仕事はすでに皆が知っており、改良は出来ても、決して新しい世界を見せてくれるものでは在りません。新しい世界を見せてくれるような成果は、誰もやらず、皆が気が付かなかった仕事の中からのみ出てくるのは、自明なことですね。ところが誰もやっていない仕事をするのは、リスクが大きく、勇気がいるのです。中央集権型の組織ではお役人と同じで、皆リスクを避けようして、勇気のある方が居辛くなってしまいます。ドイツ人はそのことを見抜いたという証拠が、マックス・プランク研究所の存在です。

hortensia
質問者

お礼

ありがとうございます。お礼が遅れてごめんなさい。 ノーベル賞受賞はとても分かりやすい成果ですね。 単純に科学者の質・数だけではない視点はとても勉強になりました。

noname#160321
noname#160321
回答No.1

核兵器と航空宇宙はごっそり抜かれて研究や技術開発も禁じられていましたし(日本の航空関係も大差無い)、冷戦に突入したのでソ連からは帰国もできませんでしたし、米国は居心地が良かったのであまり帰って来ませんでしたがその他の部門は別に一部の研究者に支えられていた訳ではないのですぐ復興しちゃいましたね。 まあ医薬品などは米国の方が有利になりましたがその差は大した事無かったです。外国に出た研究者、技術者もすぐ戻ってきたし、現在ほど学歴が高い人たちが中心であったわけでは無かったので、裾野はしっかり残ったままでした。

hortensia
質問者

お礼

ありがとうございます。お礼が遅れてごめんなさい。 確かに航空機工業、医学関係はかなり影響があったような印象を受けますね。

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