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言わなくても察しろの意義

私が何を考えているのか察しろ。この意義とは何でしょうか。 兄弟でさえ人はそれぞれ違い、話してさえ通じない事はあるというのに。 以心伝心? 不快だから今は話したくない? 空気を読め的な考えが下にあるのでしょうか?

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  • reki4649
  • ベストアンサー率21% (116/539)
回答No.2

想像力を働かせろ、相手の気持ちになって考えろ。 でしょうかね。 まず相手を理解して相手の気持ちにならないと話しをしてさえ理解し合えませんから。

noname#97419
質問者

お礼

ありがとうございます。 お互い相手の事を考えてこそのコミュニケーションですね。 一方、デリカシーを言うなら、人はそれぞれ考えていることも違うことにも目を向けるべきな気がします。 しかし、これを実際に言い出したら不毛かもしれません。 理解するには話さない事が却って良いこともあるんでしょうか。

その他の回答 (5)

  • hosiboshi
  • ベストアンサー率9% (15/158)
回答No.6

気持ちをわかれ、汲んでくれと言うことですね。 個人的な願いであり、人間はたくさんの人がいて、すべての人の思いを察するのでは身動きが取れなくなってしまうのが普通です。 すべて汲まなくてはならない場面もありますが…… 個人的に深い部分まで汲める人もいますし、汲めない人もいますし、 敢えて汲まない人もいます。 汲めなくとも、理解ができている状態なら、合格点かと。 理解さえできていれば、後に結果に現れてきます。 それ以前に自分自身だったり、様々な問題があるのが人と人だと思います。

noname#97419
質問者

お礼

ありがとうございます。 たくさんの人がいるからなかなか難しいこともあるんですよね。 着信拒否にされたりして。 汲めるようになればそれが一番良いです。

  • hakobulu
  • ベストアンサー率46% (1655/3578)
回答No.5

意義がある場合もあれば、無い場合もあるでしょう。 つまり、具体的事例無しにこれを論ずるのは意味が無いと思いますが・・・。 >兄弟でさえ人はそれぞれ違い、話してさえ通じない事はあるというのに。 :とおっしゃるのはその通りでしょうが、 「それぞれ違う他人でさえ、話さなくとも通じる場合はあるというのに」 という事例も多いはずです。 >以心伝心? >不快だから今は話したくない? >空気を読め的な考えが下にあるのでしょうか? :全て不要だとおっしゃっているわけではないでしょうから、その意味でも具体例が無いとどちらとも言えないように思われます。  

noname#97419
質問者

お礼

ありがとうございます。 ケンカした、不快になった、様々な場面が予想されますが、特に指定はありません。 >「それぞれ違う他人でさえ、話さなくとも通じる場合はあるというのに」 >という事例も多いはずです。 そうなのですが、話したほうが確実な気がしまして。その方が気付き易いかと。

  • Wendy02
  • ベストアンサー率57% (3570/6232)
回答No.4

こんにちは。 「言わなくても察する」は、「腹を読む」とか「大人の対応」とか言います。 しかし、それは、ある種の「甘え」の中(共依存関係)に存在するものだと思うのです。言語を越えた依存関係というのは、お互いの利害関係が一致しているからこそであって、利害関係が反目しあう中には存在しません。また、資本家と労働者など、支配と非支配関係には、言語的な指示以外に存在するものは、ある意味、パワーハラスメントによる支配にしか過ぎないと思うのです。非支配側には、何も利益になるものは存在しないし、あったとしても、支配者による、単なる不当ないやがらせを避けるためにしかありません。 「以心伝心」「拈華微笑」というのは、禅から来た言葉ではあるけれども、それは、師弟関係にはあっても、そこには対等なものがあって成立するもので、支配関係には存在しません。概ね、一対一の関係にしか存在しません。 「私が何を考えているのか察しろ」という言葉は、それは命令であり、同時に、支配関係が存在していると考えます。そこには、目下のものが、威力を以て支配されるというものがあると考えます。 周りに対して「察する」ことを要求することが、いわゆる「大人の解決法」であったとしても、それは、しょせん力に頼るものでしかないのではないでしょうか。その対極をなすものが、マニュアル化であり、明文化だと思います。 「大人の解決法」は、合法的なものよりも、非合法なものに色合いが強く、自分で直接泥を被らないとか、手を汚さない方法にしか過ぎないのではないではないでしょうか。 どのような方法であれ、言葉によらないで、他人を支配するというのは、ファッショにしか過ぎないようにも思うのです。後の仕返しを恐れて、行動を控えるというのは、少なくとも、民主主義的発想ではありません。言葉にして伝える、という行為こそが人類の反映に寄与してきたものだと思えるのです。 良いことであれ、悪いことであれ、きちんと語られないままに、水面下で了解され処理されてしまうことは、外部のものを締め出し、結果的には、その行為自体がブラックボックス化していき、一部のものに利用されやすくなると思うのです。

noname#97419
質問者

お礼

ありがとうございます。 良くない面もありそうですね。 「デリカシー」を執拗に要求する自分はどうなんだ?と言いたくなる場面も中にはあります。 分かれ、と言っても分からないものは分からないし。

  • mmky
  • ベストアンサー率28% (681/2420)
回答No.3

[言わなくても察しろの意義] 世界中で使われている会話テクニックの一つですね。 昔、アメリカにいたころ、ある公的な会議のメンバーの1人だったんですが、ある日、ある取り決めを話し合う会議の席上、1人のメンバーが突如、「独禁法違反だ!」と言ったのです。その言葉が発せられるやいなや全員が黙して立ち上がって帰り始めたんですね。日本人は私1人だったんですが、会議のメンバーの1人から早く出ろと眼で合図されたので、わけがわからなかったのですが退席しました。後で話を聞くと、あの席にとどまり話し合いを行うと独禁法違反の疑いがかけられるという法律的な意味があったのですね。つまり誰とも事前同意などしていないという意味で言葉を発してはいけないということを皆知っていたわけですね。私は日本人ですから法律の細かい運用法など知りませんから、眼の合図で助けられたわけです。実際に公的会議は全てレコーダに記録されていますから言葉を発すると記録が残るわけですね。「独禁法違反だ!」は記録に残ったがそれ以降は誰も言葉を発せず解散したので、再度調整して仕切り直しとなったわけです。 このように、法律上や他を守るために[言わなくても察しろ]ということは世界中で頻繁に使われているわけです。確かにコミュニケーションが意思の伝達には大切なことですが大人の社会では会話の中で不用意な発言が知らなかった故に命取りになることもたくさんあるわけです。 個人個人はいろんなことを経験しながら知識を得ていくわけですから、その中での知恵の一つと捉えてもいいものでしょうね。

noname#97419
質問者

お礼

ありがとうございます。 至る所で使われるテクニックのようですね。 そういえば、香港映画を見ていたとき、「みなまで言わすな」という台詞が出てきたのを思い出しました。 これは日本とニュアンスが同じなのかな、あっちの人も言うのかなって思いました。

回答No.1

人は感情動物で泣いたり、怒ったり、独りで考え事したり、恋をしたり、忙しいので静かにしている時は話しかけない方が良い感じで、さも困って居る様なら声をかけるなど。

noname#97419
質問者

お礼

ありがとうございます。 そっとしておいたほうが良い時はありますね。

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