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アメリカ本国が、本気で日本と戦争することを考え出したのはいつ頃からですか?
アメリカ本国が、日本と本気で、戦争をすることを想定し出したのは、 いつ頃からでしょうか? 是非、歴史にお詳しい方、お教え願います。
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「本気」ということは具体的、現実的と解釈して、私の雑学では東条内閣の発足(昭和16年10月)で米側は、これで日本は戦争の意思がある、と想定したという資料を見た記憶があります。 東条内閣発足については、木戸幸一内大臣の「強硬論を主張する東條こそ、逆説的に軍部を抑えられる」という意見があり、それが通り、天皇も東条に対して、「朕は米国と戦う事を避ける事を心底から望んでいる。しかし、朕の心を真に理解している者は少ない。このままでは日米開戦は避けられない。今、日米開戦を回避できるのは東條しかいない。」と発言があったとされています。 が、アメリカ側はそういう「逆説」を解釈せず、「軍人が内閣を組織した」と至極直截的に解釈し、日本に戦争意思あり、ととったといいます。 ですから米側は、日本がそういうことなら戦争やむなし、受けて立つ、となったということです。 ただし、「最初の『一発』は日本側にさせる」それが米国としての戦略になった。
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- DieMeute
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11月25日、ホワイトハウスで開かれた会議で。 大統領、ハル国務長官、スチムソン陸軍長官、ノックス海軍長官、マーシャル陸軍参謀総長、スターク海軍作戦部長が出席したこの会議で、ハル・ノートを日本に送る事を決め、この結果、日本はハル・ノートを拒否して戦争に踏み切るだろうとという予測が行われたそうです。 スチムソン陸軍長官が日記にこの日の会議について記しており、そこには・・・ 「大統領は対日関係問題を持ち出し、日本は無警告で戦争を始める悪評がある。早ければ、次の日曜日に攻撃をかけてくるかもしれない。問題は我々が何をなすべきかという事であると述べた。問題は我々が多くの損害を被る事なしに、日本に先に火蓋を切らせるよう持っていくにはどうすればいいか、である」とあるそうです。 11月26日にハル国務長官は日本の野村大使に「ハル・ノート」を手渡しました。 11月27日には太平洋艦隊司令官に開戦の準備命令が出されました。 日本やドイツを想定した戦争準備ならば1940年から始まっていると言えると思います。 1940年9月には選抜徴兵訓練法が制定されたり、州兵が連邦軍に編入され、軍備の増強が急ピッチで行われています。 10月には極東にいるアメリカの民間人の引き上げ勧告も出ていますし、鋼鉄の対日輸出禁止も行われています。 この年には太平洋艦隊主力の本拠地が米本土からハワイに移動しました。 翌年の1941年7月21日の日本軍のベトナム進駐に対しては、7月22日にウェルズ国務長官代理が野村大使に次のように述べたそうです。 「日本の仏印占領は日本がさらに南太平洋地域に侵入する用意をしているあかしであり、これは米国が必要とする資源の入手を難しくし、フィリピンを含む太平洋地域の平和に有害である。ゆえに米国政府は平和的交渉の余地はないと認める」 そして7月25日には米国内の日本資産凍結と日本へのガソリンと石油製品の輸出禁止をし、8月1日には石油の全面輸出禁止をします。 この頃について、ハル国務長官の回想録には「これから後、日本に対する我々の主な目的は国防の準備の為に時間を稼ぐ事だった」とあるそうです。 前々から対日戦争の準備を始めていましたが、戦争を覚悟したというのは11月25日だと思います。
お礼
どうも感謝です。全然知らないことがあり、とても参考になりました。 私は、戦争の原因は、 仏印南駐が決定的要因だと思っておりましたが、 その前に、ベトナム進駐のときに、既に、警告していたんですね。 それでも、なお、南進したということですから、 これは、もう自存の為とはいえても、自衛とは到底言えませんね。 自力救済の法理は、決闘の法理ですから、どちらが、正しいとは もはや言えないわけですよね。いや、国際法上は、どちらも、 正しいと言うべきか・・・? 覚悟を決めたのは11月25日ですね。なるほど。 私も、その辺りだろうと考えます。 9月2日の御前会議から11月25日までの間というか? 暗号も筒抜けだったんでしょうから・・・ 4月から続いていた和平交渉が、すでに、7月21日の仏印進駐で 頓挫していたとは・・・残念な限りです。 どうも有り難うございました・・・
追加で申し訳ありません。 アメリカ本国というのはアメリカ国民という意味とすると、やはりルーズベルトが真珠湾攻撃をうけて「リメンバー・パールハーバー」と国民に訴えたときからでしょう。 アメリカの首脳部がいつから本気になったか、つまりルーズベルトが日本を戦争に誘い込む気持ちになったかとするとまた話が違うと思います。 1936年の2.26事件で軍事費を国家予算の50%以下に抑制しようと努力していた高橋是清蔵相が殺され、軍部をコントロールできるのは陸軍大臣しかいないというので林銑十郎陸軍大臣が内閣を組閣したけれども、軍部を抑制できないことが判明して、アメリカ首脳部は日本との戦争を本格的に意識したはずです。 中国をめぐる利権争いで、アメリカはいずれ日本を叩く必要性を感じていたはずです。 問題はモンロー主義に傾いていた国民をどう説得するかにかかっていました。国力差から考えて日本が戦争を吹っかけてきても簡単にねじ伏せる気持ちでいたと思われます。 真珠湾攻撃が宣戦布告に先駆けて行われたことで、フランクリン・ルーズベルトは「してやったり」と喜んだらしいです。 NHK取材班編 対日仮想戦略「オレンジ作戦」(角川文庫)などあります。
お礼
どうも有り難うございます。 アメリカ本国というのは、国民ではなく 政府首脳部という意味です。すみません m(_ _;)m No6さんにも書きましたが、 アメリカが、戦争やむなしと覚悟を決めた瞬間が いつか・・・?ということでございます。 日本との戦争は、もはや「必至」であると判断・考えたのは、 まさか、真珠湾攻撃で、先制攻撃をくらって後ではないと 思うのですが・・・・そんなバカなアメリカではないと 思うのですが・・・暗号文も解読されていたみたいですし・・・
- tande
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「本気」という意味がどうも理解しずらいのですが。 「戦争の想定」だったら1920年代のカラーコード計画(レインボー計画の前身)で対日戦を想定しています。 これは日本だけでなく、イギリスなどの欧州諸国、アメリカ本土国境に面しているカナダやメキシコ、そして中南米、果てはアメリカ内乱まで想定した計画です。 別にこの計画はおかしいことではなく、いつどこの国が敵に回るかわからないのが世の中であるという常識的な事です。(今、友好国や同盟国でも将来敵国に回らない保障はどこにもありません) だから、恐らくはそれ以前からアメリカは上記のような戦争になった場合の計画はしていたでしょうし、日本もイギリスもメキシコもその他の国も同じような事は考えていたと考えるのが自然でしょうね。 国防(攻めるにしろ守るにしろ)を蔑ろにする国なんて存在するわけないで、どこも常日頃から「本気で戦争するときの事」は考えています。
お礼
どうもありがとうございます。 本気というのがどうも曖昧で皆様には、ご迷惑を お掛けいたしておりますが、要は、日本と一戦交えることは 必至であると覚悟したのはいつ頃かということです。 真珠湾攻撃まで、日本が、アメリカに戦争を仕掛けてくることを 全然予見していなかったとはどう考えても思えないので、 アメリカが、日本との戦争やむなし と覚悟を決めた判断が、それまでにあったと思うのですが・・・ それが、いつなのか?ということでございます。 ハイ・・・・m(__;)m どうも感謝でした!
- k16399638
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感触なのですが、オレンジ計画、という対日戦争プランが存在しまして(各国ごとに、イギリスならレッド計画、とある)、真剣に研究しだしたのは、日本が日露戦争に勝ったあたりでしょう。つまり、太平洋方面でアメリカの利害とぶつかる可能性が、日本がロシア海軍をつぶした時点で芽生えたからです。 本気というか、戦争になったらこうする、という計画で、いたってドライな感覚で、かれらは計画を作成したでしょう。満州だ、ロコウキョウだ、と日本が騒ぎを起こす度に、アメリカ当局はこの計画を引っぱりだして、修正しながら、いざ鎌倉、に備えていたと思います。
お礼
なるほど、どうもです! 確かにオレンジ計画は、どこかのHPで読んだことあります。 そこまで遡りますか?! 確かに、ドライだと思います。 石油を日本へ向けてまだ輸出していた1941年7月までは、 本気ではないと思うのですが・・・どうなんでしょうか? 大変参考になりました。感謝です。
1937年6月の近衛内閣発足からです。反米ムードで勇ましい陸軍に祭り上げられ、盧溝橋事件がその1ヵ月後に勃発しています。 アメリカもそのときの責任を重視し、軍事裁判に召還しました。 近衛内閣のもとで国民精神総動員運動が展開されており、彼らの考えた日中戦争の脚本(外交機密の暗号は解読されていた)はすべてアメリカにばれていたので、最後通牒にあたるハルノートを突きつけられるに至るのです。
お礼
どうも有り難うございました。感謝です。 なるほど。日中戦争からですか・・・ 確かに、ずいぶんと、ひどい経済制裁、貿易制限を してきたみたいですね。けど、それは、中国の利権を 巡る、(例えば、金とか・・)の抗争における制裁であり、 それまでは、戦争する気があったのかどうか・・・? フライングタイガーも、中国義勇軍ですから・・・ 開戦は、まだ本気ではないと思いますんですが・・・ そんな早くからですかぁ・・・
- tanuki4u
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レインボープランを策定したといわれる1939年ではないでしょうか。 本気などという、言葉では定義不能なので、正確に言えば 回答1のように、開戦してというのしか言えません。 また、アメリカの戦力は、対ドイツ2 対日本1と割り振りされていたので、日本に対しては、極端な話 本気じゃないとも言えるかもしれない。
お礼
早々に感謝です。なるほど。 本気という言葉が実に曖昧でした。No1さん、どうも失礼致しました。 レインボープランとは初耳です。どうも大変参考になりました。 有り難うございました!!
- ww555ww
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米軍が、あくまでも本気で旧日本軍との戦争状態に突入したのだと意識したのは、やはり真珠湾での奇襲攻撃からでしょう! それ以前だと、米軍も軍の上層部や国の幹部クラスの人間は? うすうすは、その気配を感じていたのかもわかりませんが? 具体的に現実を見たのは、やはり、日本軍が真珠湾を先制攻撃した時からでしょうね! 山本五十六海軍大将の奇襲攻撃作戦から開戦しました! でも、山本五十六海軍大将はラバウル周辺でゼロ戦のパイロットを激励しに行く途中で同乗していた陸上攻撃機が撃墜されてしまい戦死してしまいました、その後の旧日本海軍は火消し役になってしまい、無残にも・・・。(米軍だけではなくて連合軍が相手ですからね) 一部の情報によると、当時の米軍は山本五十六海軍大将という人物を非常に恐れていて、暗殺出来る機会をひそかに伺っていたのだという説があります、でも、今現在に至っては、それを確かめる手段はありませんけど。 余談ですが、日本軍の同盟軍だったドイツは、日本より先に負けてしまいましたので、当時の日本の物資から考えてみると? 昔の日本人はとても強かったのだと言うことしか想像が出来ません。
お礼
どうも早々に感謝です。有り難うございました。 確かに、真珠湾攻撃では、本気にならざるを得ませんね! 私が知りたいのは、アメリカが、 日本が、戦争をする気だと確信し、 いかにして先制攻撃をさせるかというような戦術的なことまで 考えるようになったのは、いつ頃からなのか?? ということなんです。 スティムソンも、11月の日誌では、いかにして先制攻撃を させるか・・・などというようなことを考えていたそうですし・・・ そのような対日戦略を具体的に政府が考え始めたのは いつ頃なのかな~?ということでございます。 もし、ご存知でしたら、是非、教えてくださいませ。
補足
本気と言う言葉が、曖昧でした。どうも失礼致しました。
お礼
なるほど、そうですね。私も貴殿の考えに近いと思います。 石油を日本へ輸出していた頃までは、本気ではなかったと 考えるのが自然だと思います。 南進して、ついに本気で怒らせちゃった! そして、10月には、それを確認する。 そして、11月のスティムソンの日記です・・・ となると筋が通るんですよねぇ~ 私は、皇族の戦争責任を避けるために、東條を器用した 奏薦権を牛耳っていた内大臣木戸幸一の罪過は、 大きいと思っています。 どうも感謝です!!