1)「曲を聴いていて分かるものですか?」
・・・これは分かりますね。例えば童謡のように、メロディーなしで歌うことがある曲を思い浮かべれば分かると思います。同様のような非常にシンプルな曲は、伴奏がなくても大体のメロディーラインからどんな「調性」か分かりますし、伴奏をつけるとしてもどんな音を使えばいいか予想できますね?
2)「伴奏がヘ長調のものとイ短調のものでメロは同じってことはありえますか」
・・・詳しいことや正確なことは説明できる自信がありませんが、ハモリや伴奏の付け具合で、同じメロディーでも、ヘ長調の伴奏やイ短調の伴奏のどちらでも付けることは可能だと思います。但しこれにしても、「曲全体が何長調なのか何短調」なのかが影響するのではないでしょうか。
3)「同じ曲でも読む人によってドレミが違っちゃうってことですかね」
・・・「読む人によって変わる」のではなくて、「音階の理論上のとらえ方の違い」です。
「移動ド」と「固定ド」と言うのは、「絶対音」と「相対音」と考えてもいいかもしれません。例えば♭がひとつ付く長調を「ヘ長調」と言いますが、これは楽譜で見ると「ファソラ、(フラットのつく)シ、ドレミファ」ですね。これを楽譜通りに「ファソラシ~」と読むことを「固定ド」と呼び、たとえ「ファ」やそれ以外の音から始まっても、「ドレミファソラシド」の音の並びと全く同じと考えて、常に「ドレミファソラシド」と読み替えるのが「移動ド」の考え方です。
つまり、「実際の音に関係なく」常に「ド」から読み始めるのが「移動ド」であり、「音の元々の名前と常に同じ名前」で読むのが「固定ド」と言うわけです(専門家の方、これで正しいですよね?逆になってませんよね?)。
4)「和音」に重きを置く理由は何ですか?
・・・これは音楽に和音がなかったら、「曲に深みが出ないから」ではないでしょうか。専門的に言うともっと違う答えようがあるかもしれませんが、私には自信がありません。
日常生活に例えるとしたら、自分ひとりで勝手に行動(音楽でいえば、「メロディーだけ唄う」)したって周りから浮いて、いわゆる「KY」状態になるでしょう?周りの環境と折り合いをつけて強調する(「和音を作る」)ことによって社会がうまくいく訳でしょう?それと同じことだと思います。例えがこじつけの様な気もしますけど・・・。正確な理由を説明できなくてすみません。
5)《小節内の音をまとめて和音にした場合》・・・何のために「まとめる」んですか?
・・・質問者様が分かりやすいようにと思って、「伴奏の音を、例えばまとめて和音にしたら・・・」と言う話をしたまでで、必ず和音でなければならないと言ったわけではありません。
6)「和音」を使わないで「伴奏」はできませんか?
・・・できないことはありません。その証拠に、バッハの曲や有名な「パッヘルベルのカノン」では、メロディーの伴奏をするのに元のメロディーを重ねますでしょ?童謡の「蛙の歌が聞こえてくるよ~」だって、メロディーの伴奏をメロディーでするでしょ?そういう意味では和音を使わずに伴奏することは理論上はできます。しかし、それだけでは音楽が進歩しません。先ほども申しましたように、和音があるから音楽に厚みや深みが生じるのです。
和音がいらないんだったら、極論すれば、オーケストラだって必要無くなるでしょ?だから「和音」は絶対に「音楽にも日常生活にも」大事なんです。
以上です。専門的なことを言って分かりづらかったと思いますが、どうやら今迄のQ&Aを拝見していると、質問者様はもう少し楽典の勉強をなさった方がいいですね。
お礼
>例えば童謡のように、メロディーなしで 普段僕らが歌ってるとこがメロディーじゃないんですか? >つまり、「実際の音に関係なく」~ 例えばある曲を「移動ド」で読んだAさんがその音階だけをそのままBさんに伝えBさんがその音階に忠実に演奏したら違う曲になってしまうんですね? これって移調か移旋になっちゃうってことですか? >「曲に深みが出ないから」ではないでしょうか 分かります、でもそれって飾りじゃないんですか? 分類するってことは根本的な違いがあると思うんですが、、、 何のために分けるのかな?という疑問があります >正確な理由を説明できなくてすみません。 いえ、とても分かりやすいです、難しい話が多いので助かります ご回答、ありがとうございました