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日本が第2次大戦を戦わないですんだ道はないのだろうか

歴史上、満州事変にはじまり、日中戦争から太平洋戦争にいたる道程で、これを平和に過ごすという方法はまったくなかったのでしょうか?不可能だったでしょうか?もし可能だったとしたら、日中戦争まではしょうがないがそれを講和できたとか、満州事変まではしょうがないが似中戦争には突入しないとか、対中戦争はしょうがないが、対英米戦はしなくてすんだろうとか、いろいろと可能性はあると思うのですがどうなのでしょうか? 理想的にはスイスなど永世中立のようなことはできなかったものでしょうか?

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回答No.14

植民地になるか富国強兵かの2者選択しかなかったと思います。 日本人は、有色人種です。当時、世界は、白人が全世界を植民地にして、まさに、搾取していました。日本は、日本自身が植民地化することを防ぐため、明治以降、必死に富国強兵を目指しました。そして、同じ目標をもつ同盟国を作りたかったのですが、全世界が植民地であったため、無理でした。  ロシアは、極東を支配するという意味のウラジオストックという軍港を作り、朝鮮をその支配権に組み入れつつありました。このため、日本は、日露戦争を行いました。日本は、日清戦争の勝利で得た、朝鮮の独立によって、日本にとって、朝鮮がロシアの防波堤になることを期待しましたが、朝鮮がロシアの植民地になっていく姿を見て、朝鮮がロシア軍の補給基地として日本戦略の拠点になることを恐れ、その前に、日本の独立維持を掛けた戦いを挑んだのです。このことは、日本兵の全員が意識していたと思われ、「さっさと逃げるは、ロシアの兵、死ぬまで尽くすは日本の兵」と歌われました。  その後、朝鮮を独立させることから、朝鮮を日本にすることで、朝鮮人の生活レベルを日本人と同じレベルとし、日本と朝鮮の国力を合わせて、植民地化を防ぐ道に方向変換します。このため、朝鮮に小学校を5000校も作り、小学を義務教育とし、保健所を作り、戸籍を作りました。このため、日本の国家予算の多くの部分が朝鮮人のために使われ、日本人は貧乏のまま、がむしゃらに働いたのです。  そして、これと同じことが満州でも行われます。ドイツと同盟を結んだ経緯は分かりませんが、これをきっかけに、満州での利権がほしかった米国と敵対していきます。  そして、ハルノートとなり、石油が一滴も輸入できなくなった段階で、米国、英国、オランダと戦いを始めます。日本の戦争目的は新しい世界秩序の構築です。そして、占領地に原住民による軍隊を作り、独立政府を作りました。その結果、日本の敗退後、再度植民地にするために再占領のために上陸してきた連合国軍と原住民の軍隊による新たな戦争が始まり、その結果、東アジアに独立国が生まれて行きます。  そして、日本の戦争目的である新しい世界秩序、植民地のない世界が誕生したのです。連合国は、その恨みを、東京裁判で日本の指導者にぶつけました。そして、今の日本になったのです。新しい世界秩序によって可能になった自由貿易による経済大国化は戦前の尊い犠牲と戦後の頑張りによるものです。また、東京裁判のせいで骨抜きになった今の三流政治、教育の崩壊は、今後、我々が克服しなければならない敗戦による宿題と思っています。  欧米の有色人種に対するひどい政策を考えると、欧米人が自由は命を掛けて得るものだと考えるのと同じく、今の植民地のない自由な世界は、日本人が命をかけて作り出したものだと考えることも出来るかと思います。それほど、大きな歴史を変えた戦いを日本人は行ったと思っています。

garcon2000
質問者

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そう思います。 大変わかりやすく解説していただきありがとうございます。 富国強兵が理性的な道だったと感じます。

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  • jayoosan
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回答No.7

日露戦争後小村寿太郎(壽太郎)がポーツマス日本全権として動きだした頃からなにか方向性が変わったような気がします。 英米は日本の東アジアにおける海軍力を低く見てはいませんでしたし、また各国はアジアにおける利権や欲があることを(あって当然であることを)考えると、日本とうまく絡んでいきたかったと思います。(これを一部の人は、アメリカは100年前も親日であり、[アジアに力をもつ]日本に常にラブコールしていたと表現することがあります)。 その路線を間違えなければ、日本は第二次世界大戦も連合国側だったかもしれません。 しかし小村は日露戦争の後始末において、ポーツマスを仲介したアメリカのいいなりになっている印象を持たれるのを恐れたのか、政府が決定していたアメリカのハリマンとの満洲での鉄道共同経営を強固に反対・拒否しそれを押し切り、英米と連携や協調ではなく。ロシアと不思議な絡み方をしていってしまいます。 このへんの時代の当時の日本の判断については 日本人が知ってはならない歴史 続・日本人が知ってはならない歴史 若狭 和朋 に史実を押さえながらおもしろく書かれています。 なお、スイスなど永世中立といいますが、「永世中立」とは中立を宣言するだけではなく、「他国の干渉を受けずに中立でいられる」国でなくてはなりません。 他国や大国に簡単に侵攻されたり経済面でもある国に依存する場合は、中立ではいられなくなるからです。 このためスイスでは徴兵制があります。 (もっとも現在は東西冷戦もなくなり、徴兵制も考え直す動きもありますが)

garcon2000
質問者

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スイスの、武装独立は有名なところですね。徴兵も他国に比べて厳しいし国民に膾炙してます。 おっしゃるように、日露講和後の小村の姿勢というものも大きく疑問です。アメリカに非常な警戒を張っていたようです。もちろん、日本の独立を最大限に考えてのことでしょうが、将来的に英米連合と号するかどうかその点があいまいでしょう。

noname#94392
noname#94392
回答No.6

満州国建国時には、中国人は一時歓迎しましたし、満州皇帝溥儀もひょっとしたらやれるかもとおもったようです。  帝国主義の時代の世界はそこまでは認知の範囲内でしたから、そこで善政にはげめば問題はなかったのだろうとおもわれます。  善政を敷けなかったのは、失敗を失敗として発表できない(ノモンハンなど)、国の経済を無視した軍備力、天皇制でありながら(昭和天皇が戦争拡大を望んでいなかった)統帥権をかざして民主主義を否定して国政を軍部が壟断した、アメリカとは格段の国力の差があるにもかかわらず神風と大和魂を信じていた。  こんな政治が続いたら今日の自由な日本はありえなかったでしょう。残念ながら戦争して負けて、頭でっかちな軍部を清算できてよかったと考えます。スイスの永世中立を思い浮かぶ頭脳があれば、少なくとも満州建国でとまっていたはずです。

garcon2000
質問者

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外交力が軍部の腐敗と能力不足によって台無しにされたという面も多いようですね。なぜ軍部はそれほどまでにして政権にこだわったのか、非常な理想が大きかったのかあるいは私利私欲だったのか、いずれにしても下種なやつらだったということでしょう。

  • MrBan
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回答No.5

他の方も書かれているように、 ・スイスは独力で戦争する意志をもった武装中立国です。   第二次大戦でも、(両陣営に属さなかっただけで)中立の宣言とともに非常事態も宣言し、   40万人以上を動員(女性兵含む)する防衛体制を敷いていますが、これが理想とする「平和」ですか。  (「戦争をしない」ではなく)「他所に組しない」のが中立です。   ※ちなみに、むやみにやると「こうもり」として双スカンを食らいます。政治/軍事力などが必要です。  平たく言えば「一億玉砕」覚悟の狭い島(日本本土)で決戦したくないのと同じように、  「国民皆兵」のスイス山岳地に攻め込むのも嫌と思わせる国是です。 ・現実は「力を示して初めて対等に相手にしてもらえる」世界ですから、  事なかれを貫いて折れ続ければ戦争をしないことはできたかもしれませんが、  それが平和で幸せにつながったかには疑問があると思います。  (万人の幸せなど世にありえないので「日本人の…」を前提にしています) 実際、持たざる国としてかなり窮していたからこそ、ああなったわけですし、 結局いずれどこかでぶつかっていたか、破綻していたか… ・北にソ連(極東に拠点が欲しい膨張主義) ・太平洋にアメリカ(洋に海軍国は共存できない) まぁ、それがモット有利な戦争(軍事外の外交等も含む)ならよかったかもしれませんが…。。

garcon2000
質問者

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動員できることと戦争しないこと、させないことは、もちろんさせない力があるほうがよろしいに決まっています。武装中立の鑑です。 おっしゃるように「持たざる国」が大国に面と向かっていたわけですから、厳しい歴史でしたね。

  • okormazd
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回答No.4

まったく、平和的に可能だったと思います。 その当時、たとえば、「満州は日本の生命線」でした。 現在、日本は満州がなければ存在できないのでしょうか。 ABCD包囲網などと寝ぼけたことをいう向きもありますが、中国、仏印、その他南アジア、太平洋ににわかに進出する日本に対し、その地域に権益を持つものが対抗するのは当然ではないですか。何もないのに日本を封じ込めようとしたわけではないでしょう。仏印や中国から手を引いたからといって、日本が立ち行かなかったことはありません。戦後から現在の状況がその証明です。それまで日本がしてきた延長線でしか考えられなかった帰結でしょう。当時の軍隊も政治体制も無責任の体制です。美しい言葉で着飾ったとしても、事実はむちゃくちゃです。そういう体制では日米戦を回避できる可能性はなかったかもしれません。しかし、それは何よりも、日本に原因があるのです。ABCDにはめられたなどいうのは、それを回避する外交能力がなかったことを露呈しているに過ぎません。その無責任体制が今の日本にも引き継がれているようで懸念しています。一部自虐史観とか聞きますが、そういうかたがたは他虐史観ですか。それで国際的にうまくやっていけますか。力でやっつければいいとはなりませんか。

garcon2000
質問者

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戦後から現在を考えれば、十分自足可能だったのでしょうか?戦後はそれこそ連合国占領国の保護下に置かれ、貧しいながらも生きながらえていたのですが、海上輸送資源さえ確保できればです。それが果たして戦わずして、破れずして可能だったのかどうもよくわかりません。もちろん外交能力には問題があったのでしょう。

  • 3times
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回答No.3

歴史に絶対はないですから、もちろん戦争回避の道もあったはずです。ですがその場合、どこか都合のいいところで止めるというオプションはなかったと思います。 アメリカかロシアの植民地にでもなって、民族の誇りも魂も無い飼い犬としての平和か、世界中から嫌われる野良犬としての独立か、二者択一だったのではないでしょうか。 日本は満州事変によって対中関係が悪化し、国際的にも孤立をし、結果的に盧溝橋事件によって対中全面戦争に突入するはめになりました。 対中戦に勝利せんがために、彼の国に多大な支援している米英の補給ルートを遮断せねばならなくなり、そのためにインドシナに進駐し、それによって米国が態度を硬化させて、結果的に米英戦突入となりました。 全てはつながっているのです。 全ては対中戦に勝利するために始めた戦争なのです。 その対中戦の発端となった満州事変にしたって、世界恐慌による深刻な経済状況を打破する目的から始まったものだし、永世中立なんて望むべくもなかったでしょう。

garcon2000
質問者

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アメリカもそうですが、ロシアソ連の力もいつも脅威でした。しかも、アジアには盟主的同盟国がない。こう考えると、回避する道というのは非常に難しいものだった気がします。

  • jacta
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回答No.2

根本的には、諸外国の仕掛けた罠を早めに見破ることができていれば、それなりの対応ができたのではないかと思います。 現在でも諸外国による工作が頻繁に行われているにもかかわらず、スパイ防止法すらない状況であり、過去の教訓がまったくいかされていません。 もう一つは、文民統制の限界にもっと早く気づいていれば、少なくとも上海事変を早期に終結できた可能性があります。上海事変では、軍部が早期終結を懇願したにも関わらず、文民政権である近衛内閣がどんどん戦争を推し進めた結果、戦争が泥沼化していきました。 > 理想的にはスイスなど永世中立のようなことはできなかったものでしょうか? スイスが永世中立なのは、自国が勝手に宣言したからではなく、近隣諸国がそう決めたからです。日本ではあり得ません。 仮に永世中立国になったとしても、それはどことも軍事同盟を結ばないという意味であって、どことも戦争をしないという意味ではありません。 永世中立国が他国の侵略を受けた場合、自国の戦力だけで防衛しなければならないため、強力な軍備が必要になります(スイスもそうです)。

garcon2000
質問者

お礼

仕掛けがありましたね。大いなる西欧のわながいつもあった。日本はいつも甘いです。明治の一時期だけしっかりしていたようですが。文民統制もいい面ばかりではないです。軍がプロの意見を前面に出さねばならないことも多い。スイスは、備えあればと言うところで軍備は盛んですね。

noname#131426
noname#131426
回答No.1

スイスは中立と入っていますが、冷戦時代などは西側陣営にも東側陣営にも武器を売ってました。 我関せずの態勢ですが、自国に強力な軍隊があっての話です。 また、その昔は外貨を稼ぐために傭兵として出稼ぎに行ってましたしね。 無血の中立じゃないんです。 歴史にたらればは無意味です。 さて、あなたの土地の周りにいる誰かが庭をぶんどろうとしたとき、家長たるあなたならどうします? 国の話ですから、警察や法律は関係ありません。 庭に出て、木刀でも持って張り番でもしませんか? あなたの家の回りをウロウロされて、食料などの買い物にも行けませんし、配達もしてくれません。 日本は近代化の最中という所でしたから、子供たちがいて勉強や身体を作るために食料や燃料が多く必要と言うことにでもしておきましょうか。 じっとしていても食料も燃料も日々減っていきます。 しかしながら、連合側は売ってくれません。 あなたならどうしますか? 嫁さん娘を差し出してお願いしますか?私の命だけでも助けてくださいと。 それが家(国)の長ですかね。 私なら、暴れます。 勝てないかも知れないけれど、対等な者として言い分を聞かせるぐらいには持って行けるでしょう。 当時の日本もそう考えていました。 日本軍が対等に戦うための燃料は2年分しかなかったからです。 それで早期決戦を求めて、講和に持ち込みたかったけれど、もくろみは外れちゃった。と。 昔の傭兵の言葉ですが 戦争は悲惨だ。 護るものが無いと言うことはもっと悲惨だ。 あなたには命を賭してまで護るものが無いようですね。

garcon2000
質問者

お礼

交戦の準備も怠らなかったからこそ、スイスは独立していられたんだと言うことはよく知られていますよね。そのスイスの歴史も、もちろん近代以前は戦争の歴史だったわけです。 日本の近代もおっしゃるような状況が大体当てはまるように感じています。外交が下手だったと言うことになるかもしれませんね。もし、兵糧攻めに合っているのだったら、意を決して打って出る以外ないでしょう。

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