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経済歴史的
中国東北侵略 満州事変から日中全面戦争、しな事変そしてアジア太平洋戦争、大東亜戦争 経済的からその事態の原因では何か?
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- sdfwer23
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戦争の原因は、人種や宗教や経済や政治や困窮や価値観の違いにはありません これらは原因ではなく「戦争するための口実」です
- HANANOKEIJ
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「アジア太平洋戦争」「15年戦争」など検索すると、かなりくわしい説明が手に入ります。 http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/nihonshi/ NHK高校講座日本史の授業を見てください。 http://www.nhk.or.jp/kokokoza/tv/sekaishi/ NHK高校講座世界史の授業も見てください。 「日清戦争」「日露戦争」「第一次世界大戦」「辛亥革命」と続く中国大陸への侵略、依存が伏線としてあるかもしれません。 大きなテーマなので、図書館で資料をさがしたり、文献や書籍を読んでみて下さい。映像、ビデオでも日中戦争を舞台にしたものは、たくさんあります。「スパイ・ゾルゲ」などです。
- Auskunft
- ベストアンサー率53% (35/66)
史上の出来事のゆえんを経済事情に求める見方を唯物史観といいますが、日本の中国進出に経済的理由を求めるのは難しいと思います。 日本の勢力拡大は、その経済規模をはるかに超えていたといわれています。 欧米諸国は、たとえばイギリスが綿花をインドから買い、自国で製品にしたように、植民地の産物や購買力を求めて勢力を拡大しました。しかし日本は、植民地に地下資源や労働力があっても、それを使う工場がありませんでした。たとえば満州国は無計画に建てられたので、建国後に経済政策がなされましたが、ソ連流の計画経済で軍需産業を栄えさせようとした直後に日中戦争に突入、結局は、穀物と若干の粗鉄と石炭を日本に輸出するレベルに終わりました。日本の工業製品を買い取る購買力ももちろんありません。 そのため日中戦争までの拡大は、内部の権力闘争や国防的理由の産物といえます。 あえて経済的な理由を求めるならば、金融恐慌、昭和恐慌と続く不況で右傾化していたともいえますが、二次的なものです。また、日本の拡大は、財閥のロビイストが政府に働きかけて世論を戦争に持っていく、という性質のものではありません。 対米戦前夜では、世界恐慌のあおりを大きく受けます。 この昭和恐慌の際、蔵相の高橋是清は、景気刺激のため軍需産業を強化しました。このことは軍部の強大化につながったともいわれますが、これも法制面の欠陥など、別の理由が大きいでしょう。 日本はいち早く恐慌を脱し、輸出が伸びますが、むしろその輸出超が各国を刺激し、各通貨圏内におけるブロック経済を促進、世界経済は停滞し、ドイツ、イタリアが拡大に走る一因となります。 一方で、対米戦は経済問題からです。 日本は天然繊維をアメリカに輸出していたところ、そのアメリカで化学繊維が発明されたことなどによって、競争力が低下していました。 これがアメリカに強気な経済制裁措置をとらせました。これで外国から工作機械や石油が入手できなくなった日本の自活が不可能になり、戦争の直接の原因になったともいわれています。 戦時中の日本はアジアの勢力圏内で孤立した経済活動を営みます。 しかし、財閥も戦時経済に邁進し、経済は戦局に支配される形です。その後ハードウェアが破壊され、経済規模は1930年代の半ばほどに縮小しました。