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ベルリンオリンピックの日本選手団
ベルリンオリンピックのニュース映像をみていたら日本選手団が行進のときに軍帽をかぶっていました。 すでに満州国は成立していましたが対外的には満州事変は自衛戦争であり、領土的野心を持つものではないと宣伝していたはずです。昭和11年はまだ日中戦争もはじまっておらず海外マスコミに向けて軍国化をアピールすることはマイナスにしかならないように思うのですが何の意図でスポーツ大会に軍国コスチュームが採用されたのでしょう。
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>ただファッション的に晴れの舞台にパリッとそろえたブレザーに頭だけ略帽というのはどうだったんでしょうか? 今日の服装というものは、昔に比べてドンドン簡略化しています。 戦前のサラリーマン(ホワイトカラー)の通勤の服装は、帽子(フェルトのソフトハット)と三つ揃いの背広ということになっていました。 そして改まったときは、最低モーニングコート(昼間)ということでした。 現在モーニングを着るのは結婚式の両家の父親くらいなものでしょう。ソフト帽をかぶる人はほとんどゼロですね。 戦前のゴルファーは三つ揃いの背広でズボンはニッカボッカスタイルでやっていました。帽子はハンチングをかぶっていました。 質問者さんのおっしゃる「パリッとしたブレザー」ですが、現在の感覚では確かにブレザーはパリッとした部類に入るでしょう。 しかし当時はブレザーというのは略式もいいところのものですね。完全なスポーツ着です。 まあ、ファッションというのは見慣れていると、なんとも感じないものですが、見慣れていないとおかしく感じるものです。 戦前のゴルファーの背広とニッカボッカスタイルも今の人が見れば、おかしく見えるかも知れません。 明治初年の頃の紋付袴に革の靴というのも、現代人が見れば吹き出しますが、当時はそれでサマになっていたわけです。 私は背広に戦闘帽風の帽子をかぶっている人を、多く見ましたので、それほど奇異に思いません。 選手の足元はズック靴ですし、紺のブレザーにグレイのズボンとグレイの戦闘帽風のキャップ・・・カラーコーディネイトもできているようなので、当時としてはヘンというわけでもなかったと思います。
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- tanuki4u
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ファッション的にいかがなものか? ○現代でも、民族衣装で入場行進をする国は多い。 その民族衣装(その民族にとってのかっこいい衣装)に対して、他国がつべこべいう筋合いはない。 ○1936年頃のかっこいい 軍服姿のヒトラーはかっこいい(少なくとも、ドイツ国民は圧倒的な支持を与えていました)軍服姿のムッソリーニはかっこいい(少なくとも、イタリア国民は圧倒的な支持を与えていました)軍服姿のスターリンはかっこいい(ソ連の国民が圧倒的に支持していたかは不明)軍服姿の蒋介石はかっこいい。 現代の日本人からは、ファシストは例外的で、他国から嫌われていたように思われてしまいますが、当時の世界的には(ヨーロッパ+αですが)ファシストは多数派で勝ち組です。 ファシスト群像 (中公新書) 長谷川 公昭 (著) 参照
お礼
回答ありがとうございます。ただ当時の日本の立場を考えたら対外的には好戦国ではないとアピールしたほうが国際世論を味方にできたはずなのに、と思ってこの質問をいたしました。
選手団がかぶっていたのは軍帽というよりは、軍隊の略帽(通称戦闘帽)によく似たものだと思います。 下のURLでは二段目左端のものによく似た奴です。 http://members10.tsukaeru.net/tokukobi/gunbou1.htm 海軍の例では、下のURLのN-193~123のような奴です。 http://www.nakatashoten.com/japan-kai/contents.html ベルリンオリンピックの入場行進は紺色のブレザーに、グレイのスラックス、グレイのキャップ(戦闘帽によく似た奴)ということでした。 本物の軍帽ということではありません。 このような戦闘帽によく似た帽子は、大工場の従業員もよくかぶっていました。昭和30年代まではそれぞれの工場で、独自の色やデザインの戦闘帽タイプの帽子を制服屋に発注していました。 日常でも、背広、ジャンパー、作業着姿の上に、この帽子をかぶって外出していました。 今でも農家の小父さんがかぶっているのを見かけることがあります(横に○○農協と刺繍がありましたので、農協が配ったものでしょうな)。 私はミリタリールックとは無関係のように思います。 日本のオリンピック関係者が、選手にこの戦闘帽のような帽子をかぶらせ、敢闘よろしく好成績を挙げることを期待していたかどうかまでは知りません。 ただ、このようなタイプの帽子は、便利な帽子で兵隊さんに限らず、そこかしこでかぶられていました。 戦後でも工場のパリパリの左翼労働組合闘士が、平気で戦闘帽タイプの帽子をかぶっていましたので、まあ感じとしては、ゴルフのときにかぶるハットやキャップと、そう大きな違いはないんじゃないでしょうか。
お礼
回答ありがとうございます。確かに私の小さいときも略帽かぶって工場いってるおっちゃん達が結構いたような気がします。ただファッション的に晴れの舞台にパリッとそろえたブレザーに頭だけ略帽というのはどうだったんでしょうか?
- tanuki4u
- ベストアンサー率33% (2764/8360)
ひと言で言えば ミリタリーファッションがはやりでかっこよかったからです。 軍国化していることを海外に示すことは、進んでいる国であることを示すことだからです。 軍隊こそ、一番の国民の中でのエリート集団だったからです。 当時の七五三の男の子の服装は、陸軍大将だったり海軍大将の服装です。
お礼
うーん、今でも途上国の政治家が軍服で国際会議に出席しますから一理はあると思いますが、あのファッションが海外、特に西洋人にかっこいいと思われたんでしょうか。上下は普通のブレザーに帽子だけ軍帽(略帽)と言うのはファッション的にいかがなものかと・・・
補足
回答ありがとうございます。お礼と補足が反対になってしまいました(汗)
- tenten019
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ベルリンオリンピックは、ナチスのプロパガンダではないかと言われた大会です。 その頃のドイツは、ヒットラーがぐんぐんと台等し、ヨーロッパの中でも勢力を挙げている時代です。 ヨーロッパにぴりぴりとした緊張感が漂い、第2次世界大戦に時が着々と突き進み始めます。 オリンピックが1936年、日中戦争が1937年、大戦が1939年、日・独・伊三国同盟が1940年です。 このように、この時代は平和や共存、マスコミに対する意識なんてものはありません。 世界情勢は不安定で、自国を軍事的にアピールしなければならないわけです。 国としては、オリンピックは恰好のアピールの場であったのでは? 日本は日中戦争があったから軍国化したわけではなく、軍国主義国であったから、戦争をしたわけです。 敗戦国である事を知っているから、そのような考えが浮かぶのでしょうが、 当時の日本はそんな殊勝な気持ちではないです。^^ 大会での軍帽は知りませんでしたが、その時代背景のためではないでしょうか? と解釈しますがいかがでしょうか・・・。
お礼
回答ありがとうございます。ただいかに軍国日本といえども必要以上に好戦国であることをアピールすることが国益上有効であったと思えません。国内ならまだしも満州国や2.26事件で日本に疑いを持っていた海外マスコミの面前で軍国をアピールすることが得策なようには思えません。当時の為政者はそのことに気づかなかったのか?という質問内容です。
お礼
なるほど、つまりユニホームに好戦国であることをアピールする意図はなかったのですね。ファッション史から勉強すると面白いかも。