まず、『聖書』と呼ばれる本というか聖典は、どういうものなのかという説明です。これは複雑な歴史があり、以下、簡単に(と言って、複雑に感じられるとおもいますが)説明してみます。
「聖書」と呼ばれる本は、キリスト教の聖典ですが、これは、元々一冊の本ではなく、書かれた時代も、書いた人も異なる、複数の本・文書を、後になって一冊の本に編集し、まとめたものです。従って、編集の仕方で、「聖書」に含まれる構成文書の種類や内容が違って来ます。
キリスト教に限らず、宗教の聖典の場合、「正典(カノン、と呼びます)」と呼ばれるものが定められるのが普通です。つまり、これが「正式な聖典」という意味です。
カトリックとプロテスタントでは、正典に違いがあります。従って、『聖書』に含まれる文書の数や構成に違いがあります。東方教会の「聖書」も幾分違っています。それほど極端に違いはありませんが、違っているのは事実です。東方教会は詳しく知りませんので、ここでは、カトリックとプロテスタントの聖書の構成の違いを説明します。
紀元1世紀や2世紀のキリスト教は、原始キリスト教と呼びますが、原始キリスト教で、「聖書」というものを定めようという試みがなされます。つまり、原始キリスト教の最初期には、「聖書」はなかったのです。個々別々の色々な文書はあったのですが、それが、正式に聖典として、一冊の本とまとめられることはなかったのです(また、正典が定められても、「一冊」の本になった訳ではありません。この文書=本と、この文書は正典であるとして、それら全体を、「聖書正典」としたのです。一冊の本に現代ではなっていることが多いので、勘違いします)。
1世紀や2世紀の頃には、色々なキリスト教に関する文書が流布していました。これらから、原始キリスト教の古代教会=古代カトリック教会が、会議などを開いて、何が「正典」かを決定したのです。大体、2世紀頃には、正典は決まり、「正典聖書」が決まります。
この古代教会の「正典聖書」は、現在の「聖書」とは、内容が少し違います。現在の「聖書」は、標準的に書店で見るものは、『新約聖書』27文書、『旧約聖書』39文書の合計66文書から構成されています。(参考1)。
これは、古代教会が定めた「正典」と同じ数です。東方教会も、この正典の数は同じです。しかし、正典を定めるとき、「準正典」とも言える位置で、正典に準じて、公的に認めるべきだとされた文書があります。これを、「聖書外典(アポクリファ)」と呼びます。カトリックでは、「第二正典」と呼んでいるようです。
従って、「聖書」は、「正典+聖書外典」という構成を持っていたことになります。4世紀末に、ラテン語に聖書を翻訳し、編集しようとした聖ヒエロニュムスの努力は、中世を通じて、聖書正典とされた、ラテン語訳『ウルガタ聖書』として完成し、これは、1400年に渡り、聖書の西欧での「正典」の地位を持っていました。
「ウルガタ聖書」には、「聖書外典」が、特に区別なく収められていて、「正典」と「第二正典」の区別は、ここではありません。しかし、歴史的には、正典は66文書で、それに第二正典が加わっていたということがあります。
古代から中世そして現代に至るまで、カトリック教会は、「ウルガタ聖書」を聖書の基本正典としました。
しかし、16世紀に、ルター、カルヴァンらによる宗教改革で、プロテスタント諸派が成立し、またイギリス教会が成立すると、プロテスタント諸派は、カトリックの「聖伝、カトリック教会決定教義」などを否定しましたので、「聖書」として、「ウルガタ」以前の古代教会での「正典聖書」が正しいとしました。こうして、「聖書外典」の部分が外された「聖書」がプロテスタント諸派の聖書の標準となります。
プロテスタント諸派は、「聖書を基準とするキリスト教」を主張しますが、「聖書」自体が、古代カトリック教会が司教会議などで、正典を決定した結果できあがった本です。当然ですが、「聖書」のなかには、どの文書が、「正典」であるなどとは記されていません。また、三位一体教義や、その他色々なキリスト教の教義も、「聖書」だけからは出てきません。古代教会の公会議決定や、教義決定が元になっています。
従って、プロテスタント諸派は、カトリックが「聖庁」を定めて、独自の西方教会としての教えや伝統を築いた部分は捨てるのですが、それ以前の古代カトリック教会(これは、古代教会とほぼ同じことです)の決定したことは、これを継承しています。ニカイア・コンスタンティノープル信条などが、その典型です。
カトリック教会とプロテスタント諸派が、共同で翻訳編集した、『新共同訳聖書』には、「旧約聖書続編」という部分が付いている本と、付いていない本があります。この「旧約聖書続編」は、ほぼ古代の「第二正典」に対応し、「ウルガタ」に含まれていた文書です。
簡単に言えば、カトリックの聖書は、「旧約聖書続編」が含まれた、「新共同訳聖書」で、プロテスタント諸派及びイギリス教会の聖書は、「続編」のない「新共同訳聖書」だということになります。
カトリック教会の聖書 = 「旧約」+「新約」+「旧約アポクリファ・第二正典」
プロテスタント諸派・イギリス教会の聖書 = 「旧約」+「新約」
(追加)なお、混乱するような話ですが、「第二正典」としての「聖書外典」以外に、準正典と認められなかった、キリスト教関係文書が多数あり、これらも、「外典(アポクリファ)」と呼びます。「聖書偽典」とも呼ばれますが、「偽典」とは、あくまで、正典を決めた人たちの教えからして、合わない文書という意味で、「偽」ではありません。
こういう意味の「聖書外典(アポクリファ)」は、旧約聖書、新約聖書共に多数あり、「旧約聖書外典」「新約聖書外典」などと呼びます。
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なお、少し複雑な話ですが、「旧約聖書」は、原典は、アラム語が少し混じった、ヘブライ語で記されています。「新約聖書」は、原典は、コイネーギリシア語という、古典ギリシア語の一つで記されています。
「旧約聖書」とユダヤ教の『ユダヤ聖典』は、起源的には同じものです。元々、ユダヤ教の聖典を、ユダヤ教の伝統を継承する形になっているキリスト教が、自分たちの宗教の聖典として取り入れたもので、元々は同じものだったのです。
しかし、「旧約聖書」イコール「ユダヤ聖典」かというと違っています。
聖ヒエロニュムスのラテン語訳聖書、つまり「ウルガタ聖書」が完成して、これが西欧での聖典としての位置になったのは先に述べましたが、このとき、ユダヤ教の「ユダヤ聖典正典」はまだできていませんでした。できていないのに、何故翻訳ができたのか不思議ですが、これは事情があります。
原始キリスト教や古代教会は、「聖典」として、「ギリシア語新約聖書」と、ギリシア語訳「セプトゥアギンタ旧約聖書」というものを、使っていました。これは、ヘブライ語が読めない人々が、信徒に多数いたからです。当時の地中海世界の共通語は、ギリシア語であったのです(「コイネーギリシア語」というのは、「共通ギリシア語」という意味です)。
「セプトゥアギンタ聖書」は「七十人訳聖書」とも呼ばれ、これは、紀元前3世紀に、アレクサンドリアで、七十数人のユダヤ教神学者が、当時のヘブライ語で書かれたユダヤ教の聖典文書から、ギリシア語に翻訳した聖書です。
聖ヒエロニュムスの「ウルガタ」は、ヘブライ語のユダヤ聖典文書を元に翻訳されていますが、「セプトゥアギンタ」も参考にしています。
キリスト教の古代の「正典(カノン)」は、先に述べたように、2世紀から3世紀頃に制定され、正典の文書や本文が、決まります。
しかし、ユダヤ教の正典は、もっとずっと後になって、「正典(カノン)」の制定が行われます。大体、十一世紀前後に「ユダヤ聖典」の「正典」は確立します。
従って、「ユダヤ教の聖典」と、キリスト教の「旧約聖書」は、元々の起源は同じですが、内容的に違った聖典だと考えねばなりません。
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別の人への質問ですが、イエズス(イエス)は、「新約聖書・福音書」(例えば、「マタイ福音書」)の記すところでは、エルサレム近くの「ベツレヘム(ベートレヘム)」という村の馬小屋で生まれたことになっています。しかし、メシアや救済の偉大な預言者は、ベツレヘムで生まれる、とユダヤの伝承にあり、その伝承に従って、ベツレヘムで生まれた、と福音書記者は書いたのだろうとされます。
実際はどこで生まれたのかというと、イエズスは、「ナザレ人」とか「ナザレのイエズス」と呼ばれるので、ナザレという村で生まれたのだというのが、おそらく妥当です。イエズスの故郷は、ガリラヤ湖畔南のナザレの辺りだということは、「福音書」に記されています。
「ルカ福音書」第一章26節に、「天使ガブリエルが、ガリラヤのナザレという名の村の一人の乙女に遣わされた」と出てきます。ガブリエルは、この乙女つまり聖マリアに、「恵まれた女よ、おめでとう、主があなたと共におられます」と言います。これを、カトリックで「天使祝詞」と言い、ガブリエルの言葉をラテン語に訳し、「Ave, Maria, gratia plena, Dominus tecum」と言い、これが「アベ・マリア」という歌のラテン語での歌詞です。また、これを、「受胎告知」とも言います。
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カトリックとプロテスタント諸派で、聖書の解釈は当然違ってきます。カトリックは二千年の伝統を持ち、神学や教義を持っています。プロテスタント諸派は、五世紀の伝統で、これに古代教会の教えが加わりますが、やはり独自の神学を、それぞれの諸派で持っています。
「聖書」は、基本的に「象徴解釈」という方法で読みます。「文字通りに読んではならない」のです。文字通りに読むと、例えば、神ヤハウェは十戒で、「汝、殺すなかれ」と言っているのに、ペリシテ人を多数殺したイスラエルの英雄を誉めているので、異教徒や異端者は殺すのだ、という理屈が出てきます。中世西欧の異端審問や異端者の処刑は、一つに、聖書の記述を文字通り読んだだめ起こってきています。
また、「まじないをする女は殺せ」と聖書に書いてありますが、文字通りに読んだ結果、カトリックもプロテスタントも、「魔女裁判」を行い、多くの魔女だとされた女性を火で焼き殺したなどがあります。
カトリックは、聖書を知識のない人が勝手に読むと、誤読するので、聖書をどう読むか、どう解釈するか、指示しました。中世では、普通の人が読める形で聖書があると、勝手な解釈や読み方が出てくるので、他にも理由がありますが、聖書を、一般人や知識人が、自国語に翻訳することを禁じました。
16世紀の宗教改革は、まず、カトリックへの反論として、「聖書」を一般の人が読むべきだと主張しました。そこで、ルターは、ドイツ語訳聖書を翻訳して造ります。またイギリス教会でも、17世紀に、「ジェイムズ王・欽定訳聖書」というものが、英語で翻訳され出版されます。
しかし、プロテスタント諸派も、それぞれの神学や解釈に従って、聖書を読み、解釈することを信徒に求めます。「聖書」を勝手に読むと、個人個人で勝手な解釈が実際出てくるからです。
「翻訳」というのは、言葉の解釈ができていないと不可能です。従って、「翻訳された聖書」は、すでに「解釈された聖書」なのです。日本では、「新共同訳聖書」で、カトリックとプロテスタントの共同翻訳がありますが、この翻訳の前は、カトリックの翻訳聖書とプロテスタントの翻訳聖書で別の形のものがありました。
しかし、キリスト教の神学の前提なしで、聖書を読み翻訳することも可能で、この場合は、原文に即して解釈を行うのですが、もしも、聖書を基準にキリスト教を考えるというなら、実は、この各派の神学とは独立した「聖書」を見なければなりません。
>聖書とは
>http://cat-tsurumi.moo.jp/bible.htm
>聖書って66巻だけなの?
>http://www.tcc-nara.org/C-itr/C-itr90.htm
お礼
回答ありがとうございます。とても詳細にわたって書かれていて理解することができました。何から書いてい いのか。。。それぞれの解釈は違っても(聖書)というのは当然のことながらあるとわかりましたが、その聖 書は(旧約)も(新約)もなのでしょうか。それともカトリックでは新約だけなのでしょうか。また、教科書 や参考書やガイドブックのようにそれぞれの出版社によってのアプローチが多少違うように、カトリックとプ ロテスタントでは聖書に記載されているアプローチやニュアンスも違うのでしょうか。>イスラム教は、ユダ ヤ、キリスト教のあとにできたのですね?(4)では2つの文を書いていまして、頬を~の、無償、慈悲、敵 をも愛する等の解釈の一方で、豚に高価なものを与えると噛みついてくるだろうというのがあって、そういう 相手(豚)にも頬を差し出すのかなという疑問があったのですが、他の方の回答でそれは(後者のもの)旧約 の十戒からの記載とわかり、少し疑問がとけた気がします。(どちらも新約だと思っていたので)とても勉強 になりました。よろしければ補足して下さい。ありがとうございました。