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キリスト教についての質問

キリスト教にはいくつかの種類がありますが、(1)簡潔に具体的に言うと何が違うのでしょう?カトリッ ク、プロテスタン等(2)イタリアのローマ法皇はどういった方なのでしょう。誰かの子孫なのでしょうか? (3)もともとはイスラム教とあと1つと同じ?だったと聞きましたが、本当ですか?どうしてそうなったの ですか?(4)右の頬をぶたれたら左の頬を差し出せとありますが、また豚などににそういう高価なものを( 物質にかぎらず)与えると盗まれる?(文がわかりません)のようなものもありますが、これはどういう文章 ですか?(5)偶像を崇めるなとありますが、これはどういう文章ですか?どれか1つでも構いません。よろ しくお願いします。

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回答No.8

  >(1)簡潔に具体的に言うと何が違うのでしょう? キリスト教は、大きく二つにまず分かれます。「西方教会」と「東方教会」です。東方教会には、ロシア正教、ギリシア正教、ブルガリア正教など、「正教」と名の付く分派があります。 東方教会と西方教会の違いは、両者はどちらも、「聖書」を聖典とし、「ニカイア・コンスタンティノープル信条」という、キリスト教の基本教義信条を信奉していることが共通点です(この教義を否定する宗派は、キリスト教とは認められないという立場が、多数意見です。古代では、アリウス派、ネストリウス派、現代では、エホバの証人、モルモン教会は、彼らはキリスト教と自称していますが、古代教会継承の使徒信条からは異端乃至、非キリスト教です)。 異なる点は、東方教会は、3世紀から6世紀頃までに定められた公会議等での決定を、基本信条とし、キリスト教のオーソドックスな古い形の教義を信奉している(だから、「正教会」と呼びます)のに対し、西方教会は、ローマ司教・カトリックが、「ペトロの首座権」というものを主張し、ローマ教会こそが、キリスト教の中心教会で、その「普遍正統性」を継承する教会であると主張し、東方諸教会に対し、卓越性を主張したことです。 このことから、東方と西方の分離が起こりました。(他にも、細かい典礼・教義などの違いがありますが、根本的には、カトリックが「普遍性」を主張し、東方教会は、「古代キリスト教の伝統継承正統性」を主張したのが違いです。時代と共に、東方教会独特の教義や聖伝、典礼も成立しました)。 東方教会は、その後、首都座総大司教が、それぞれ首位者となる、ギリシア、ロシア、ブルガリア、セルビアなど、多数の「正教」教会に分かれますが、これらは、おおむね、教義的に、大きな違いはありません。 西方教会は、ローマ首都座総大司教が、「ペトロの首座権」を主張し、キリストの普遍正統的後継者であると主張し(「ペトロの首座権・首位権」とは、ローマ司教が、使徒ペトロを通じてのキリストの正統後継者であることです。カトリックの初代教皇は、ローマで殉教したとされる、キリストの第一の弟子、使徒ペトロということになっています)、「パパ(父)」と称号して、東方教会も含め、「全キリスト教」の正統首座者であると主張しました。この「パパ(聖父)」を、普通、「教皇」と訳します。 教皇を首座に置き、各地に、大司教座管轄管区、その下に司教座管轄管区などの教会組織をヒエラルキーの形でカトリック教会は定めます。カトリック教会では、教えは、「聖書、古代教義、カトリック聖伝、カトリック教会及び教皇の教義決定」の四つを起源として定められます。 しかし、これに対し、社会的経済的政治的理由も関係するのですが、16世紀に、カトリックのこの方針に反論する者が社会的に大きな力を持ち、ルター、カルヴァンを代表とする彼らは、教えは、「聖書、古代教義・公会議決定=ニカイア・コンスタンティノープル信条等」に従うと主張し、「カトリック聖伝、カトリック教会・教皇の教義決定」は無効であると主張し、カトリック教会は、これらの人々を異端として破門します。これらの人々は、「プロテスタント諸派」と呼ばれる、キリスト教会を築きます。 また、イングランドのヘンリー八世は、離婚問題をめぐり、ローマ教皇と対立し、カトリック教会とは別個の「イギリス教会」を宣言します。イギリス教会は、プロテスタント諸派と、カトリック教会のあいだの「中間の道(via media)」を進むと主張し、今日まで、イギリス教会は、「聖公会」として、存続しています。 原始キリスト教→ 古代教会 →東方教会→ 諸東方正教会(ギリシア、ロシア、ブルガリアなど) 原始キリスト教→ 古代教会 →西方教会→ 中世カトリック教会 西方教会→中世カトリック教会 →継承 カトリック教会                     →分離 イギリス教会(聖公会)                     →分離 プロテスタント諸派 >(2)イタリアのローマ法皇はどういった方なのでしょう。 初代ローマ教皇(「法皇」とは言いません)は、キリストの十二使徒の筆頭とされ、ローマで殉教したとされる聖ペトロですが、これは歴史的裏付けが薄弱です。それを引き継いで、ローマ司教管区を統括した「ローマ司教座」の司教が、現在のローマ教皇の起源です。 古代教会が東方教会と西方教会に分離したとき、ローマ司教は、ローマ首都座総大司教の資格で、コンスタンティノープル首都座総大司教と、司教の格において対等であった(コンスタンティノープルの方が、東ローマ帝国を背景にしている点、格上だとも言えます)のですが、ローマ司教は、「ペトロの首座権」を主張し、全キリスト教会の長は、ローマ司教だと主張します。そして「普遍教会(カトリック)」の首長は、ローマ司教であるとして、「聖父(パパ)」の称号を名乗り、ここに、西方教会と東方教会の決定的分離が起こり、ローマ司教は、「パパ」として、西方教会に君臨します。 すでに述べたように、「この聖父(パパ)-英語で、Holy Father と訳します」の称号を、「教皇」と訳しているのです。従って、初期の古代教皇は、伝説の人物が多いですが、基本的には、当時は、ローマ司教でした。ローマ司教もそうですが、司教、司祭と、カトリックの聖職者は「結婚しません」。 従って、ローマ司教の後継者は、ローマ司教管区のなかの優秀な人物、あるいは、他の西方教会のなかの優秀な人物を、亡くなったローマ司教が、遺言で指名していたり、また、西方教会の司教たちが集まって、合議で、誰を次のローマ司教にするか、決定しました。 ローマ司教座の西方教会統括機関として、「聖庁」と呼ばれるものが置かれると、やがて、枢機卿という「聖庁」の大臣に当たる役職ができます。枢機卿は、司教、司祭、助司祭などから選ばれます。この枢機卿会議で、教皇が死亡した場合、選挙で、次の教皇を選ぶという手順が中世以降確立してゆき、この教皇選出会議は、コンクラーベと呼ばれます。 教皇の座は世襲制ではなく、有能な人物が、司教会によって、後には枢機卿会議によって選出されたのですが、コンクラーベの制度が確立する中世後期あたりまでは、特定の家系の者が教皇になったり、かなりいい加減な形で、教皇の擁立などがなされました。中世に、「対立教皇」が多いのは、統一的に教皇を決める手順が確立していなかったため、色々な勢力が、自分たちに都合のよい教皇を立てたので、複数の教皇が存在することになり、後に、勝利した教皇が、「正統教皇」、敗北した教皇が「対立教皇」とされたものです。 ローマ教皇は、ペトロの後継者であり、キリストの教えを広めるため、キリストが制定した十二使徒の首座聖ペトロの後継者であることより、キリスト教会の最高指導者、最高司祭を任じます。また、二十世紀にラテラノ条約で、ヴァティカン市国が成立して後は、ヴァティカン市国の元首です。 >(3)もともとはイスラム教とあと1つと同じ?だったと聞きましたが、本当ですか?どうしてそうなったのですか? キリスト教は、起源的には、「ユダヤ教の異端」とも言えます。ユダヤ教の神ヤハウェが、キリスト教の神でもあるからです。従って、キリスト教は、ユダヤ教の分派で、後に、独自の宗教になったとも言えます。 他方、イスラム教は、ムハンマドが始めたアラブ族の民族宗教だったのですが、ムハンマドは、ユダヤ教やキリスト教についての知識を持っており、自分に啓示を与え、新しい教えを説けと述べているのは、ユダヤ教、またキリスト教の天使であるガブリエル(ジャブリール)であるとし、当然、彼の唱える唯一神とは、ユダヤ教のヤハウェ、キリスト教の神と同じ神となります。 「アッラー」とは、アラビア語で、「神」という意味で、「神アッラー」とは、ユダヤ人の前に、ヤハウェとして現れた神と同じ神であると、イスラム教では、主張します。しかし、ユダヤ教は、そういうことは認めません。従って、ユダヤ教徒とイスラム教徒は仲が悪いのです。 キリスト教が、ユダヤ教の分派と見なせることは、ユダヤ教、キリスト教双方で合意がありますが、イスラム教については、ムハンマドが、勝手に、ユダヤ教やイスラム教の神話や記録、伝統、教えを援用して、自己の宗教を主張しているのであり、歴史的に連続関係や近縁関係は、「ユダヤ教、キリスト教の側からは」ありません。しかし、「イスラム教の側からは」、神アッラー(イスラム教側からは、ヤハウェと同じ神)が啓示を与えてできた宗教が、ユダヤ教、キリスト教だとなります。 >(4)右の頬をぶたれたら左の頬を差し出せとありますが それは、キリスト教『新約聖書・福音書』にある、イエズスの言葉です。「マタイ福音書」の「山上の垂訓」などを読めば、どういう意味か分かります。「無償の愛」「敵をも愛する愛」を語っています。「豚に」云々は、素直な人は、教えに従うが、そうでない人は、教えを受け入れず、救われない、というような意味です。「私イエスの教えを、よく聞きなさい」という意味でしょう。聞く耳を持たない者には、救いの教えの言葉も、豚に真珠と同じで、無駄だということです。 >(5)偶像を崇めるなとありますが、これはどういう文章ですか? ユダヤ教では、神ヤハウェは「形のない神」です。というか、形はあったのでしょうが、「ヤハウェの神像」というものが、ユダヤ教には伝統的にありません。また、ヤハウェは唯一絶対神で、自分以外に神はいないと主張します(唯一神なら当然のことです)。 形ある神の像は、ヤハウェではないのです。従って、形ある神の像は、ヤハウェ以外の偽の神の像であり、これを「偶像」と言います。「偶像を拝む」のは、ヤハウェ以外の神を拝むことになるので、これはユダヤ教では、神に背く行為で、ユダヤの律法で禁じられています。(「モーセの十戒」や、旧約聖書の「レビ記」などに記されています)。 キリスト教もやはり、「偶像崇拝禁止」を教義に含みます。しかし、「聖人・聖女」の像は、「崇敬」のため祈ってもよいことになります。また、イエズスは、人間となった神なので、イエズスは人間の形を持っており、これを崇拝するのは、偶像崇拝にはなりません。三位一体教義で、イエズスであるキリストは、まさに神ヤハウェと同じ存在だからです。 イスラム教は、三位一体など認めません。イエズスは、ムハンマドに先行する「偉大な預言者」の一人ではあっても、「神の息子、神自身」などではないと主張します。従って、イスラム教では、徹底的に偶像崇拝を禁止し、人間の姿や、動物などの姿が、礼拝所にあると、神に礼拝していると、それらの像にも礼拝にしているように見える可能性があるので、礼拝所から、一切の人間や動物などの像を排除しました。 イスラム教の礼拝所(モスク)は、アラベスク模様(植物模様)や幾何学模様で飾られていますが、人などの姿が描かれないのは、偶像崇拝の危険性があるからです。  

noname#116869
質問者

お礼

回答ありがとうございます。とても詳細にわたって書かれていて理解することができました。何から書いてい いのか。。。それぞれの解釈は違っても(聖書)というのは当然のことながらあるとわかりましたが、その聖 書は(旧約)も(新約)もなのでしょうか。それともカトリックでは新約だけなのでしょうか。また、教科書 や参考書やガイドブックのようにそれぞれの出版社によってのアプローチが多少違うように、カトリックとプ ロテスタントでは聖書に記載されているアプローチやニュアンスも違うのでしょうか。>イスラム教は、ユダ ヤ、キリスト教のあとにできたのですね?(4)では2つの文を書いていまして、頬を~の、無償、慈悲、敵 をも愛する等の解釈の一方で、豚に高価なものを与えると噛みついてくるだろうというのがあって、そういう 相手(豚)にも頬を差し出すのかなという疑問があったのですが、他の方の回答でそれは(後者のもの)旧約 の十戒からの記載とわかり、少し疑問がとけた気がします。(どちらも新約だと思っていたので)とても勉強 になりました。よろしければ補足して下さい。ありがとうございました。

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その他の回答 (11)

  • NonNon5
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回答No.1

質問の内容があまりよくわかりませんが・・ >ただ、キリスト教にはいくつかの種類がありますが、簡潔に具体的に言うと何が違うのでしょう?カトリック、プロテスタン等 こういったことは、ヨーロッパの歴史と深くかかわっていることですので、高校の世界史の教科書をちょっと調べれば、わかりやすくまとめてあると思います。

noname#116869
質問者

お礼

>プロテスタン、プロテスタントですね。思想的なことをさしています。こういう詳細は教科書にはのってい ないと思うのですが。(3)(4)(5)に関してものっていますか?歴史的なこともそうですが、同時に聖 書の解釈についての質問です。ありがとうございます。

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