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アメリカ同時テロに思う事です。『キリスト教信者(関係者)は何してる?』
以前から質問しようと思いながら遅くなってしまいました。 質問の意義からしていささか遅れすぎた感がありますが、皆さんの考えを教えて下さい。 キリスト教では「左(右)の頬をたたかれたら右(左)の頬を出せ」っていう教えですよね? アメリカはキリスト教信者が多いと思うのですが、一年たった今、この国のやっている事は『左右の頬をたたかれたらたたき返せ、又は、とことんやり返せ』っていう事じゃ無いでしょうか? 政治的や、感情的ではなく、よくよく考えると皆さんはこの事をどう思われますか? アメリカの牧師さんや神父さんは傍観している?或いは、まさか、あおっているんじゃない?とは思いますが・・・・。
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>後、残るとすれば本来のキリストの教えとすれば「やはり、戦いや破壊は無いはずでは?」という事です。 @@@@@ この疑問に対するお答えはK-1さんからもあると想いますが、 私なりに。。 本来のキリスト教ってなんなのか、いつまでたっても決められないでいるのが現状ではないでしょうか?神学の論争はつづいていると聴いています。唯一絶対神であるはずなのに、聖書に神々と表現されているとここを見て私も知りましたし。。 やはり、キリスト教は神の偉大さは説いても、人間の生命の尊さは、説いて無いのではないでしょうか? 説いていたとしても、なんで尊いのかとか、どのぐらい尊いのかといったことは、ほとんど説いて無いのではないでしょうか。 @@@@@ >もっとも、この疑問はすべての宗教の究極の目的は『生きとし生けるもの皆幸せになる』というものである。と言ってしまえば氷解するはずなのですが・・・・。 @@@@@ 私のキリスト教観は、とても浅く、偏頗なものかも知れませんが、この人類の幸福の条件を、キリスト教では、「神の御心にかなうなかにある」と、説いてるのではないでしょうか? 例えば、目の前の苦しんでいる人を救おうとするばあい、 神のみこころにかなわんがために人を救うのではないかと。。 そうではなくて、「世界の平和がなければ、自身の真実の幸福もない」というような思想哲学でなければ、結局は観念論に堕してしまうと想います。 また、真実の幸福が死後の世界にあるととらえる宗教では、この世では、平和や他者の命を絶対に傷つけないことよりも、神の御心にかなってあの世で永遠の幸福を手にいれるほうが大事になってしまうのではないでしょうか。 キリスト教であれば、『人間の生命こそ神である』との思想の転換は無理でも、 『神のつくりたもうた人間を殺すことは、神の子を殺すに同じ』と説き実践する宗派が真実のキリスト教である 『生命こそ最高の価値である』との世論を 世界中に広げていくことが平和への道ではないかと思っています。
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- ususama
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一つの意見として参考にして下さい。 キリスト教と言えど様々な宗教派があります。プロテスタント派、カトリック派、グノーシス派などが共存しています。アメリカ以外でもアイルランドの宗教革命など、キリスト教同志の戦争も歴史的に事実があります。 >キリスト教では「左(右)の頬をたたかれたら右(左)の頬を出せ」っていう教えですよね? 必ずしもそうとは限りません。戦争の場合などにはその様な例えは使いません。個人の人間関係ぐらい小規模な範囲に例えとして使うのが普通だと思います。現実的な教えではく理想を説いているのです。 >アメリカはキリスト教信者が多いと思うのですが、一年たった今、この国のやっている事は『左右の頬をたたかれたらたたき返せ、又は、とことんやり返せ』っていう事じゃ無いでしょうか? 宗教的に見ると普遍的になるかも知れません。しかし、テロ事件で被害を受けた人々の痛みを国家規模で考えると、戦争もやむ終えないのではないでしょうか?もしキリストの「頬」が理想的に行われた場合、テロ組織を正当化してしまうのではないでしょうか?アメリカの報復行為を非難できるでしょうか?国家防衛の崩壊ではないでしょうか?戦争は必ずお互いに痛みを伴います。アメリカは自国の痛みを知った上で、テロ撲滅を現実的に考えているとも言えます。それが大半のアメリカ人のキリスト教、教理の正義なのでしょう。 戦争は人の生命を無差別に奪いますが、それもある意味において、「神の導き」の教えなのかも知れません。キリスト教に限らず、宗教は平和主義を訴えますが、平和とは犠牲がなくてはあり得ない理想世界なのです。宗教は極力犠牲側ではなく、理想側から説いた教理が善となっているはずです。経典に書かれている全の教えが現実に行われる理想世界など、現実的に有り得ない世界なのです。でなければ、平和や幸福や救済を度の様に感じとるのでしょうか?理想や感情的な世界ではなく、現実には現実を説く宗教の教えがあっても不思議ではありません。ただ、大々的にそれを訴えることは宗教の美的感覚から外れてしまうので、言いにくいのでしょう。戦争を現実的に肯定してしまうのですから。 >政治的や、感情的ではなく、よくよく考えると皆さんはこの事をどう思われますか? アメリカの牧師さんや神父さんは傍観している?或いは、まさか、あおっているんじゃない?とは思いますが・・・・。 アメリカは世界全国規模で考えると悪役的ですが、何が「正義」かを考えた時、必ず「悪」が必要なのです。キリスト教も全知全能の神から堕天使(悪魔)の存在を考えると、消滅させる訳でもなく、業と生かしているのです。 それがないと、神の必然性はありません。神とは「善悪の表裏一体」と考えるのが現実的に普通だと思います。 つまり、悪の存在なくしては、正義は成り立たないのです。それは、多分全ての宗教に必然な要素なのです。だから、宗教指導者や信者と言えど「善人・悪人」がいても当然ではないでしょうか?牧師や神父も僧侶も神職も一般人も神や仏の使いではなく普通の人間なのです。 「宗教は常に「救済」=「現実的な解決」とは限りません。救済も含むと言う事だろうと思います。全ての教理が「救済」だけであるなら、既にもっと不条理な世界になっています。「エゴ」も全世界の大半が認知すれば、「本質や本物」になります。ですから、宗教は「救済」「現実逃避」「妄想」「癒し」「商売」「金満」の麻薬なのかも知れません。宗教の根本的な目的は、個人の思想観念の破壊です。教理の正義感を持ってして、「教え」の言葉の戦争を現実にしていると思います。個人的に宗教は、「平和」と言う名の戦争愛好者集団だと思えるのです。 「政治的や感情的でなく」とありましたので、「愛がない」返答になってしまいました。お許しを・・・・。
お礼
ususamaさん、ありがとうございました。 私が他の方へのお礼で「アメリカのアジア諸国に対する考え方云々」まで書いちゃったものですから、ちょっと誤解を招いたようですね。 そもそも『宗教とは何なのだろう?キリスト教の教えはどこに行ったの?』と純粋の疑問から生まれた疑問だったのですが、客観的に考えますと様がおっしゃっているように「宗教が究極的に何でも救う」とは私も思ってはおりません。 でも、宗教っていうのは解釈した自分の都合だけで、その開いた教祖の教えを、又考えを変えてまで理解してはならないと思うのです。 あくまでも、教祖キリストが説いた真理は一つのはずだと思うのです。 もちろん、日本の仏教においても各宗派があり一部では、かなり排他的でその教え以外は邪教とまでおっしゃるとんでもない輩も存在しますが・・・・。 でも、そんな事はどうでもいいのです。 テロ組織を認めるとか、アメリカの報復云々の事を書いたのは、質問の意義から考えて私の不徳の致すところでした。 ただ、この質問の私の?は《アメリカのキリスト教関係者が立ち上がらないのは何故だろう?キリスト教の教え(内部の細かい事は私にはわかりません)から考えて何でそう思う人がいないのだろう?》という事だけなのです。 宗教っていうのは人間の頭の範疇を越えて普遍の教えだと私は考えます。 【時代や国や、習慣や利害でコロコロ変わるのは本当の宗教では無い】はず?というのは、gokurakuyamaの考えでした。 宗教における信仰は『願い(祈り)続けないと意味は無い』と私は考えます。
補足
この欄をお借りして皆さんにお礼申し上げます。 ususamaさんお許し下さいね。 宗教の疑問っていうのはある意味では、是非の討論会みたいになりがちな危険があるのですが、皆さんからは冷静なご意見をいただきありがとうございました。 私がこの質問を立ち上げて考えた最終結論は、何とかこの事件がおさまって欲しいし宗教の原点に戻って解決して欲しいなあと言うことでした。 でも、今でも現実に宗教戦争は至る所で起こっているのですから、それは無理な事なのでしょうかねえ。 本当にありがとうございました。
- K-1
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>因みに私の質問の言葉は『聖書』に書かれているんですよね? 「誰かが、あなたの右の頬を打ったなら、左の頬を向けなさい」マタイ5章、ルカ6章 これは、単に非暴力だけではなく、やられても不服従と抵抗の意思を示せという意味もあるんだそうです。 が、こうも言っています。 「剣のない者は、服を売ってそれを買いなさい」ルカ22章 先の「右の頬」は無抵抗、非暴力の理想ではあるが、現実に生きていくためには自衛のために武装せよ。 回りが敵だらけ=非キリスト教徒であるならば、武力行使も仕方ないってこってしょうか。 これを拡大解釈してしまうと「危険を取り除け」「先手必勝」「異教徒抹殺」になっちゃうのではないかと。 ワタシはキリスト教徒ではないし、反キリスト教徒でもないです。念のため。
お礼
k-1さん、再びありがとうございました。 大変よくわかりました。 私の前々からの疑問で、お釈迦さまの説かれた仏教は八万四千という多数の法門があるので、今のように分かれた宗派仏教がおこるのも止む終えないのは解るが、キリスト教には「聖書=バイブル」しかないはずなのに、それでもいくらかの別れがあるのは何故?という思いがありましたが、大部分解決したような気が致します。 後、残るとすれば本来のキリストの教えとすれば「やはり、戦いや破壊は無いはずでは?」という事です。 もっとも、この疑問はすべての宗教の究極の目的は『生きとし生けるもの皆幸せになる』というものである。と言ってしまえば氷解するはずなのですが・・・・。 でも、わかりやすいアドバイスと申しますか、解答を本当にありがとうございました。
- acacia7
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岸田秀さんの「一神教VS多神教」を読んで見るといいかも。 多神教になじんだ、日本人から見た、一神教の人々の行動原理みたいのが分りやすく書いてあると思います。 ひいては、どういう風にテロに応答するのかが想像がつくようになるかも・・
お礼
acacia7さん、ありがとうございました。 >岸田秀さんの「一神教VS多神教」を読んで見るといいかも。 機会があれば読んでみたいと思います。 因みに私の質問の言葉は『聖書』に書かれているんですよね?
- K-1
- ベストアンサー率21% (832/3844)
非常に偏った意見です。念のため。 キリスト教は十字軍や宗教裁判、魔女狩りに始まる虐殺と略奪の歴史を持っています。 異教徒=悪魔を倒すのには武力が一番だからでしょう。 もちろん、キリスト教の中でも武力はいかんといっている宗派もいます。 しかし武力ででも解決しようという勢力のほうが力があるのですね。 プロステタントとカトリックみたいに勢力争いもありますし。 ちなみにキリスト教は一神教といわれていますが、聖書に「神々」という記述があり、 研究家を悩ませているそうです。
お礼
K-Iさん、ありがとうございました。 >武力ででも解決しようという勢力のほうが力があるのですね。 >プロステタントとカトリックみたいに勢力争いもありますし。 確かに宗教が成り立つ課程において、そういう場面もままあるでしょうね? でも、私は思うには欧米人はかならずって言うほど日本人に対して『あなたの宗教は何ですか?』って聞いて来るのに、かたや、自分の宗教に対するビジョンは?ポリシーは? って思ってしまうのですが・・・・・。 武力には武力で対抗するのは、昔からよくありますが・・・・。
- mieclub
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鋭い質問かもしれませんね。 キリスト教は一神教です。イスラム教も一神教でしょう(?)人間の上に神をおきます。根本の思想がそうですから、排他的にならざるをえいないのではないでしょうか? 歴史をたどれば十字軍の遠征、正しい科学者への弾圧、キリスト教は世界宗教ではありますが、限界があります。 日本のキリスト教は、少なくともブッシュ2世に抗議をしていますが、総合的にはキリスト教側も、やはり、武力での解決に賛成しているからこそ、武力解決に決められたのでしょう!またブッシュ大統領本人もクリスチャンなんですから、その、思想の結論ではないでしょうか。 すべての宗教はたぶん平和のためにも生まれたとおもいますが、『人間の生命こそ神である』という根本思想をもたなければ、平和は実現されないでしょう! 「イスラム」って平和って意味ですよね。 ただし、「核兵器をつかう人間は悪魔である」という思想もなければ観念論になり、やはり、平和は実現できないと思います。 質問からはずれた解答になったかもしれませんが、鋭い質問だったので、つい。
お礼
mieclubさん、ありがとうございました。 やはり、一神教という事で「唯一、我が神のみが正しい」という考えなのでしょうか? >人間の上に神をおきます。根本の思想がそうですから、排他的にならざるをえいないのではないでしょうか? 私もそのあたりの考え方が根本にあるのかなとは思っていましたが・・・・。、 >『人間の生命こそ神である』という根本思想をもたなければ、平和は実現されないでしょう! そうですね。 この考えでないと宗教そのものの意義が無くなってしまうと思います。 人間が開いた宗教ならば、人間のこの娑婆世界(仏教的な言い方ですが)で解決できなければ宗教の意味はないと思います。 そうですか、日本のキリスト教はブッシュ政権に抗議しているのですね? 少しは安心しましたが、この件にはアメリカのものごとに対する「自分の都合での考え方」がかいま見えるような気もいたします。 いずれにしても、宗教は政治や国や民族を越えた範疇のはずなので、原点から考えても《何とかならないものかな》と思うgokurakuyamaでした。 ありがとうございました。
お礼
mieclubさん、再びありがとうございます。 私のキリスト教に対する生半可な考え方に、鋭く踏み込んだご意見本当に目からウロコです。 >キリスト教は神の偉大さは説いても、人間の生命の尊さは、説いて無いのではないでしょうか? >説いていたとしても、なんで尊いのかとか、どのぐらい尊いのかといったことは、ほとんど説いて無いのではないでしょうか。 私の持論は多少我執の考えかも知れませんが、人間?(仏陀や覚者というそう言う観念ではなく)の説いた宗教であるならば、仏教で説く末法や、その災いが生じた時に人間の範疇や生きている世界で解決できなければ本当の宗教ではないと思うので、今回の一件につきましてはキリスト教、特に教えられる側の教義《受取り方》はわかりません。 神の御心にかなうか、かなわないかっていう考え方はある意味受け取る側の理解度にもよる訳ですから非常に危険ですよね。 おっしゃる通り、人間の生命ひいては《生きとし生ける生命》とは?をみんなが考えなければ、今、世界にある宗教は全部一部の人々のエゴだけのものになっちゃうのでは無いかなと考えます。 宗教の根本的な目標は何なのか?と考えさせられますよね。 mieclubさんのご意見大変勉強になりました。 ありがとうございました。