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日本でよく使われる神や仏の教えや言葉は有りますか。
ふと疑問に思ったのですが、日本には海外のような宗教的な教えから出た言葉があまり無いように思ったのですが、何故でしょうか。 例えばキリスト教の「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」とか、ハムラビ法典の「目には目を、歯には歯を」のような、一般的に良く知られた言葉は思い当たりません。 原因の一つは、僕のそうですが、日本人は宗教心が無いに等しいからではないでしょうか。 そんな中、若しそんな言葉があれば教えてください。 (注)「仏の顔も三度まで」のような、普通のことわざでは有りません。
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おはようございます。 宗教なんてドわい嫌いハッキリ言って必要無し 宗教者は働きもせず教えを説いて財を成している 乞食と同類ん~以下か? 右の頬~・目には~ 暴力的なことばっかじゃん、そんなんだから宗教間戦争紛争起きるんじゃんねー。そんな教えなどくそくらえだんべぇ。 日本人でえがったねぇ、産まれたら神社・結婚はキリストさん・亡くなったらお坊さん、 宗教心が無い?良い事じゃないですか、全ての宗教を敬ってるんですよ、故にそこにさえ争いは起きないもんねー(≧▽≦)。 例 オートバイで事故ったぁー、あーあもうこれオシャカになっちゃった。 お釈迦になる
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- kamejrou
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こんばんは5mm2さん 仏教の教えや言葉? 「 法螺ふき」 私のことを法螺吹きと 言う人がおります 話を盛る あるいは 大袈裟に言う まんざら 当たっていないわけでもありませんが 確か法螺の 元々の意味は仏陀の 尊い教えであった? それを世の中に広めるために 法螺貝を吹いて 人々を集めたのだそうです 嘘か本当かわかりませんが もしそれが事実であれば 私は仏様の使いということになる そうは見えない? 実は私もそう思いますアハハハ
お礼
kamejrouさん、こんにちは。 相変わらず寒いですね。 天気も悪く洗濯物が乾かないので、今日は室内干し用のパイプを買ってきて組み立てました。 今エアコンで暖房兼乾燥を行ってます。 「 法螺ふき」と言えば、カメさんではなくて、山伏を思い出します(笑)。 山伏は連絡や獣除けに使ってたらしいですが、やはり仏の道に必要なものなでしょうね。 「話を盛る あるいは 大袈裟に言う」以外に、法螺貝の思ったより大きな音で良く鳴るという事から「話を盛り上げ、予想外の効果を上げる」と言う意味も有るようです。 日本3大法螺吹きと言えば、ユニクロの柳井さん、ソフトバンクの孫さん、楽天の三木谷さんの名が上がります。 アンカテでは間違いなく、カメさんが大法螺吹きです(笑)。 ありがとうございました。
- Ultra-Hetare
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>>「あるべきように(明恵)」 >>初めて聞きましたが、良い言葉ですね。 デカルトですか。 わざとだとは思いますが、 自然がよいという、 「日本教」開祖の言葉ですよ。 >>「そのかごを水につけよ(蓮如)」 >>聞いたこと無いですね。「まるでザルだな」はよく言いますが(笑)。 なんだか、よくご理解されて言うように見受けられますね。 (かご=ザルなど知らなければ、結びつきませんよ) 他のことに関しても、すっとぼけておられるように見えます。 ので、 あえてことわざ(的なもの含む)を書き記したいと思います。 イワシの頭も信心から。 正直の頭に神宿る 為せば成る為さねばならぬ、ならぬは人の為さぬなりけり 魚心あれば水心あり 以心伝心 きりがないですかね・・ おまけ、 つくりかへるちから(芥川龍之介・・多分オリジナル) 夏炉冬扇(松尾芭蕉・・参考文献あり) お後が宜しいようで。
お礼
こんにちは。 誤解があるようなので少し弁明を。 「あるべきように(明恵)」 最初に読んだ時にビートルズの「let it be」と同じかと思いましたが、調べてみると、 「人は「あるがままに」生きるのではなく、今、どのように生きるべきなのか(あるべきようは)を常に自らに問いかけ、その答えを生きようとすべきなのだと説いた。」あったので、デカルトと同じ考えだなと思いました。 「そのかごを水につけよ(蓮如)」 由来は調べて分かりましたが、「そのかごを水につけよ」が今ではどのように使われてるのかさっぱりわからず、由来の元となった頭の悪い男の記憶が、今でいう「まるでザルだな」と言うことくらいしか思い浮かばなかったからです。 ついでに。「心頭を滅却すれば火もまた涼し(快川)」 「ヤクザの親分の言葉かと思ってました」と書いたのは、芝居などで石川五右衛門が言ったのは知ってたので調べてみると、元々はずっと古く、快川が言ったのも五右衛門と同じくその場でこの言葉を思い出して言ったのだと思います、 他に、ヤクザの親分もも死に際に入ったような記憶がよぎって、そういう回答を。 今回の質問は、日本の宗教が庶民への教えとして残した言葉があるかを問うたもので、それ以外のものは対象がとなります。 「以心伝心」は禅宗の教えから来てるのですね。 それ以外はどうも違うようで。 ありがとうございました。
- eroero4649
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宗教というのは必要な3つの条件、いうなれば「三種の神器」があります。「宗教とはなんぞや」という定義のときにこの三種の神器が揃っているかで定義されるのです。 それが「儀式」「教祖」「経典」です。 宗教というのはどれもそれが揃っています。質問者さんがいう「教えや言葉」がこの「経典」にあたりますね。どんな宗教にも必ず教祖様の教えを書いた経典が存在します。 ところが日本発祥である神道は、「教祖」もいなければ「経典」もありません。「天照大御神は、一生懸命働きなさいといいました」なんてのはどこにもないのです。神道にあるのは「儀式」だけ。だから神道というものは宗教とはいえないのです。 ですので海外からは日本人の宗教観は精霊信仰、アニミズムと呼ばれるようなものであると受け取られているようですね。 ハンムラビ法典が教科書に載っている意味は、あれは人類史で(今確認されている限りは)初めて「ルールを文章にして明確化した」からです。 それまで裁判というのは裁判官の個人の判断で行われていたんですね。野球でいうとどこまでがストライクなのかの判断は個人にゆだねられていたのです。だから当然人によってストライクゾーンが全然違う。それを、ハンムラビ法典で「ここからここまでがストライクゾーンとする」と明確にされたのです。それで、人々はみな「法の下の平等」というやつを手に入れたんですね。 「目には目を歯には歯を」って言葉は日本人のほとんどが勘違いしているのですが、あれは要するに「100万円の損害を与えたら100万円の賠償をしなさい」って意味なのです。 そしてユダヤ教(一神教)の登場が画期的だったのは、彼らは「契約」を何よりも重んじた点にあります。映画インディージョーンズの大一作「レイダース失われたアーク」のアークは「聖櫃」と訳されますね。その聖櫃は何が入っていたのかというと、神様との契約が書かれた板でした。 ユダヤ人は、神様と契約をしたのです。そして「お互いに契約を守ろう」と誓ったのです。聖書の中で神様が時々人類を火責めにしたり水責めをするのは、我々人類が神様との契約を守らないことにお怒りのためなのです。その点においては、神様と人類の関係は対等なんですね。 旧約聖書や新約聖書の「約」とは「契約」の約なのです。旧約聖書は古い契約。新約聖書の意味は「神様との契約書が更新されました」ということなのです。 で、ユダヤ人は宗教も契約に基づいたので、何より契約書を重んじたんですね。契約書に書いてあったら、相手が異民族でもなんでもそれを守ったのです。だから商人として信用されるようになったのです。 ユダヤ人が世界の経済と金融を牛耳れるようになったのは、とにもかくにも契約はきちんと守る民族だったからです。 日本人はほら、そこは「まあ何かあったら話し合って解決しましょう」と曖昧にしちゃうじゃないですか。それは日本人同士だったらいいけれど、異民族だとそんなのは通じなくてトラブルになりますよね。いい例があの阪神のランディ・バースさんです。当時の契約書にはシーズン中の帰国に関しては何も条項がなかった。だからアメリカ人のバースさんは「契約で何も縛られていないから帰国してもOK」と解釈して息子さんの看病のために帰国しました。でも当時の日本人はそれが誰も理解できなかったじゃないですか。それで阪神の担当者の方が自殺にまで追い込まれましたよね。 だからそこらへんを日本人的にまとめるなら「いちいち言わせるな。空気を読んで感じろ」ということになるのではないでしょうか・笑。
お礼
エロエロさん、こんにちは。 宗教の「三種の神器」は知りませんでしたが、納得ですね。 神道は儀式だけのようですが、神様は色々ありますね。 八百万の神も元は精霊信仰で、後々色々出てきたのでしょうかね。 学問の神様、菅原道真とか。 エロエロの神様は誰でしたっけ(笑)。 ハンムラビ法典も聖書の十戒も、契約とか戒めとか一種の規則ですね。 それさえ守れば、人種に関係無くみな平等となれば素晴らしいですが、それが人種や人によって違いが出てくるからそう、簡単にはいかないという事でしょうか。 スペインに行くと、イスラムとカトリックが共存に近い関係であったような遺跡も残ってますが、永久には難しいようです。 「目には目を、、」はそんな意味が有ったのは知りませんでしたが、人はどんな言葉もその時々で、自分の都合の良いように使いますね(笑)。 映画の「アーク・聖櫃」は何だろうと思いましたね。 日本では、「免許皆伝虎の巻き」をめぐる争いの物語は有りますね。 日本は何でも「いい加減・良い塩梅」を良しとしてるところは有りますが、最近はそれがなれ合いで良くない出来事が目立ちますね。 もう少し信仰心が有っても良いかなと思います。 ありがとうございました。
- chiychiy
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こんにちは ご存じのように、日本は神道です。 仏教は入ってきたものであるという意識を持っている人は 少なからずいると思います。 それでも、いまだに初詣は老若男女問わず。 神社を中心にお寺様もお参りがあります。 神道は教えに変わるものがないそうですから、そういう意味から言えば 日本には根付かなかったのかもしれません。 https://jinjajin.jp/modules/contents/index.php?content_id=18 宗教ではないですが 武士道はは今でもビジネスの世界では活用されています。 「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「忠義」 https://toyokeizai.net/articles/-/96623?page=2 https://www.nippon.com/ja/japan-topics/g00665/ ご質問の趣旨と違っていてすみません。 日本人って献身的で誠実な人が多いですよね?
お礼
こんにちは。 神は昔から馴染深いものですが、今一良く分かってないところが有りますね。 幼い頃から身近にあったのに、神話や天皇や自然の神様などがごっちゃになって、何となく敬ってるような感じです。 他の宗教のような経典が無いというのは最近知ったのですが、それが一番特異なとこですね。 宗教では無くて、神道と言う道なんですね。 茶道や華道や武道そういうのかも知れませんが、武士道はもっと厳しそうですね。 葉隠れは少しかじったことが有りますが、意外と精神的なものが大きいですね。 武士は禅宗の人が多かったのではないかと思いますが、そんなことも関係してるのでしょうか。 我が家も三代前までは禅宗だったのですが、祖母の強い要望で庶民の浄土真宗に変えたそうです。 「義」「勇」「仁」「礼」「誠」「名誉」「忠義」は里見八犬伝を思い出させますね。 こちらは「仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌」ですから、よく似てます。 中でも武士道が重要視している「義・勇・礼」は日本人の一番大切にしてるところでしょうね。 「義を見てせざるは勇なきなり」は、男としては無視できない言葉です。 chiychiyさんの目がどかで光ってそうで(笑)。 ありがとうございました。
- tsukumowan-ogi
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・唯我独尊 今では「唯我独尊」は悪い意味で使うのが普通になっています。ですが本来は「人間誰でも、自分にとって最も尊いのは自分自身である」との教えだったとも聞きます。なかなか、解釈が難しいです。 ・諸行無常 世の中は常に移り変わる。人も常に移り変わる。新しい出会いが有っても「さよならだけが人生」なのも本当の事で…。だから時々、飲めない酒を飲みたくなったりするんですよね。 ・川の如く 遠い昔、孔子様が「逝く時はかくの如くか昼夜をおかず」と、川の流れを見ながら嘆いたそうです。 今でこそ[方丈記]やら美空ひばりの歌やらで少しは救われるイメージも付くようになりましたが…でも孔子様でさえそうなんですから我々凡俗なんて、時間にふりまわされて、悔いばかり多い毎日を過ごしてしまっても仕方ない所ですよね。 …え? そんなのお前だけだって?(汗 それにしても、「初めにロゴス(言葉)有り」で始まり、だから何でも言葉にしなければ気が済まないキリスト教文化と、仏教や神道に形作られた日本の文化とは、やはり言語に対するイメージが少し違うんだな、と思いました。
お礼
こんにちは。 ・唯我独尊 昔の釈迦の映画を思い出しますが、特に良い意味とも悪い意味とも思わないですね。 見んさはどう使ってるのでしょうね。 自分に自信を持つのは悪い事では無いですね。 ・諸行無常 「平家物語」で有名ですね。 これも、姉弟の近親相姦を扱った昔の映画「無常」を思い出します。 「いろはにほへと」もこんな意味では無かったでしょうか。 「花に嵐の例えも有るよ、よならだけが人生だ」、「酒は涙かため息か」ですね。 ・川の如く これは知りませんでしたが、仏教より孔子の教えの方が身近な感じもしますね。 「光陰矢のごとく」と同じような意味でしょうか。 それより、過ぎて行った過去のことを寂しく思う気持ちが強いのでしょうか。 美空ひばりの「川の流れのように」はいつ聞いても涙が出そうになります。 ひばりの人生と、その時のむなしさが伝わってきます。 人はそんな気持ちは一度は味わうべきですね。 時すでにおそしと言うことも有りますが。 よくは分かりませんが、宗教の洋の違いはありますね。 西洋は諭す部分が多く、日本は悟りの部分が多いような。 ありがとうございました。
- 戦艦みかさ(@mikasa1905)
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5mm2さんこんにちは。 日本は多神教がベースだから、一神教のようなわかりやすい強い言葉は無いんでしょうね。解釈を間違えやすい「情けは人のためならず」のことわざなんかは、島国村社会の日本人の気質をよく表してるんじゃないでしょうか。 宗教の言葉に関して、以前「欽ちゃんの仮装大賞」で、教師のグループが厚切りジェイソンのモノマネをやったんですが、「目からウロコなんて落ちるわけないだろ!WHY JAPANESE PEOPLE!?」なんてやってて、目からウロコは新約聖書の逸話が元だよ!WHY JAPANESE TEACHER!?って心の中でツッコミました。
お礼
三笠さん、こんにちは。 そうですね。日本は八百万の神で、自然界の至るものに神を感じ、敬う心が有りますね。 それが庶民かの心から自発的に出たものなんでしょう、その辺も凄いですね。 「情けは人のためならず」は、まわりまわって自分の為にも、、ってことでしたか。 人情裏長屋的な光景が目に浮かびますね。 まあどこの国にもあるのでしょうが、日本は一民族的なところがそれを強くしてるのでしょうね。 <目からウロコは新約聖書の逸話が元> 本当ですか、正に目から鱗ですね。 海外の宗教のことまで、よくご存じで。 話は変わりますが(笑)、魚を釣って口から針を外した時に、魚がゆっくり目を閉じたら、もう魚釣りは出来ないと誰かが言ってました。 魚は瞼が無いのでそんなことは有りえませんが、それも神様がそうしたのかも知れませんね。 ありがとうございました。
- sutorama
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一蓮托生 三人寄れば文殊の知恵 釈迦に説法 知らぬが仏 袖振り合うも多生の縁 以心伝心 嘘も方便 果報は寝て待て ぐらいですかね・・・・
お礼
こんにちは。 一蓮托生 「よい行いをした人は死後も極楽浄土で同じ蓮の上に生まれ変わることができる」という仏教の考えから生まれ、、と。 三人寄れば文殊の知恵 文殊という智慧の菩薩から来てるのですね。 釈迦に説法 知らぬが仏 由来は「江戸いろはかるた」とか 袖振り合うも多生の縁 これは、仏教の輪廻転生の考えから切れるようですね。 以心伝心 禅宗の考え方ですね。 嘘も方便。 仏教の五戒から来てるのですね。では迷うことなく使いましょう。 果報は寝て待て。 焦らずに待てですか。果報がもともと仏教用語なんですね。 沢山ありますね。 ありがとうございました。
- 芙蓉の華(@purimuro-zu)
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すぐに思いついたのは 「四苦八苦」です。 よく使う言葉だと思いますが 仏教上は人生のすべての苦しみをあらわしている言葉です。 四苦八苦の仏語としての意味は、 四苦 ●生苦(生まれることに対する苦しみ) ●老苦(老化に対する苦しみ。体力や気力の衰えに対する不安) ●病苦(病気の痛みや苦しみに悩む事) ●死苦(死ぬ事への恐怖、その先がわからないことへの不安) という「人力では思い通りにできない苦しみ」を表しています。 八苦は ●求不得苦(ぐふとくく:お金や地位、名誉など求めるものを手に入れられない苦しみ) ●怨憎会苦(おんぞうえく:憎しみや恨みを抱いてしまう人と出会うことに対する苦しみ) ●愛別離苦(あいべつりく:どんな愛する人ともいつかは必ず別れなければならない苦しみ) ●五陰盛苦(ごおんじょうく:心身を思うようにコントロールできない事に対する苦しみ) ※五陰(ごおん)とは、身体と心のさまざまな動きを意味します という、「生きているからこそ起こりうる苦しみ」を表しています。 この二つが合わさることで「あらゆる苦しみ」を意味しているのです。 四苦八苦という言葉には、「苦しみと向き合いうことで、自身の価値観を変える思考こそ、悟りを得るために必要だ」というお釈迦様の教えが込められているといえるでしょう。 私は 四苦の内 三つは経験しており 八苦に至っては全て経験済みです。 簡単に「四苦八苦しちゃったわ」とは言えないですね。
お礼
ローズさん、こんばんは。 今日は大変良いことを教えていただきました。 「四苦八苦」は確かに良く聞くし使うことも少なく無いですが、こういう意味だったとは知りませんでした。 知ってみれば、よく理解できるし実感もできますが、ではどうするとなると「どうしていいことやら」となりますね。 タダ、大昔からそんな苦しみをお釈迦さまや皆がしてきたかと思うと、少し気が楽になります。 具体的な苦痛はその時代や人によって違うのですから、対処の仕方も違ってきますね。 最初の四苦と違い、後の四苦は成長するから生まれる物のようで、逃げずに立ち向かうしかないような気がします。 そして、クロスワードパルスのように、一つずつ解いて行く楽しみも有りそうです。 僕の今一番の苦しみは体の不調ですが、医者に薬をもらって一粒吞んだら嘘のように治ってしまいました。 長生きするものですね(笑)。 ありがとうございました。
- iw3r09770987097
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そりゃ日本人にとっては身近すぎるものばかりだからでしょう。 結局「右の頬を殴られたら左の頬を差し出せ」みたいなのは、日本の文化になかったものだから目立って記憶に残っただけで、キリスト教圏の人からすれば、それこそ印象に残らない教えの一つですよ?
お礼
こんばんは。 <そりゃ日本人にとっては身近すぎるものばかりだからでしょう。> そうですね。今回教えて頂いて、あれもそう、これもそうと身近な言葉が多くありました。 比べると、日本の方がソフトで、押しつけがましさを感じませんね。 それでも、日本人の心に残り、庶民が自分なりに解釈し上手く使いこなしてるという感じがしました。 良い意味で、特殊な民族なんでしょうね。 ありがとうございました。
- そら(@sora_iro1881)
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5mm2さん、こんばんは!(*´▽`) 弘法大師 空海 のありがたいお言葉を。 『人を思いやる気持ちと 人に利益をもらたす行動をすることが 全ての根本である』 額付きでどうぞ~(笑) https://www.iichi.com/mobile/listing/item/2084493
お礼
sora_iroさん、こんにちは。 弘法大使(空海)のありがたいお言葉を、弟子の「空色」さんから頂き、感激至極です(笑)。 『人を思いやる気持ちと 人に利益をもらたす行動をすることが 全ての根本である』 なるほどそうだなと思いますが、それがなかなか出来ないんですね。 出来ないからこその教えかも知れませんが、本当にそうなのかも悩むところです。 「全ての根本」と言うのも色々解釈できますが、今でいえば「安全第一」や「儲けより信頼」もこれに通じそうですね。 言い換えれば、愛の先行投資かもしれません。 ありがとうございました。
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お礼
トラさん、こんにちは。 お久しぶりですね。お仕事は順調ですか。 器用で頑張り屋さんのトラさんには、宗教は不要ですかね。 僕も、困ったときの神頼み程度ですが、日本人は海外程神に頼らない傾向は有りそうですね。 確かに宗教がらみの諍いは根が深く、なかなか解決しませんね。 実際、特定の宗教を非難するほど、怖いことは有りません。 日本の神仏は、どっか優しさが感じられますね。 多少のことは許してくれそうな。 気をつけないといけないのは、儲かる話と、寄付を求める人間ですね。どこか胡散臭いです。 宗教も良いところは有るのですが、嵌ると怖いとか、何か鬱陶しいところも有るので、必要なければなくても良いでしょうね。 奈良の大仏は、仏教に八幡様が協力して建てたと聞きました。 やはり、日本に一番古くからある神様が一番優しそうな感じがします。 そう早く、お釈迦様にならないよう気をつけて下さい(笑)。 ありがとうございました。