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「右の頬を打たれた」場合の対処方法
キリスト教の言葉で「右の頬を打たれたら左の頬も差し出せ」というのがあります。以前このサイトでこの言葉に関する質問と、これが積極的な無抵抗主義を言い表したものである(らしい)旨の回答を読んだことがあります。その後解釈に苦しむシチュエーションに遭遇しました。 例えば、自分の家庭に暴漢が押し入り、娘(長女)がレイプされたとします。件の言葉に従って「差し出す」選択を取るとした場合、次女も(積極的に)差し出す、ということになるのでしょうか。 キリスト教の教義を貶める意図はありません。信者からこのような質問をされた神父さんや牧師さんは、何て回答するのだろうかと興味を持ったのです。
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- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3286)
>例えば、自分の家庭に暴漢が押し入り、娘(長女)が >レイプされたとします。件の言葉に従って「差し出す」 >選択を取るとした場合、次女も(積極的に)差し出す、 >ということになるのでしょうか。 一個人としての見解です。 キリスト教では、姦淫の罪を重く見ています。 キリスト教は原則として離婚には反対の立場ですが、 唯一の例外が、相手が姦淫の罪を犯した(つまり不倫した) ケースです。 また、娘は自分とは別の人格ですので、親が積極的に 娘に罪を犯させるような行動は取れないと思います。 >キリスト教の言葉で「右の頬を打たれたら左の頬も差し出せ」 >というのがあります。以前このサイトでこの言葉に関する質問と、 >これが積極的な無抵抗主義を言い表したものである >(らしい)旨の回答を読んだことがあります。 私も、上記の解釈に賛成の立場です。 また、この言葉は現代でも死んでいません。 むしろ「非暴力主義」として、現代に力強く甦っています。 ガンジーやキング牧師の運動が代表的ですね。 ダライ・ラマ14世のチベット独立運動や、スーチー女史 のミャンマー民主化運動も入れてもよいかと思います。 ただ最近では、むしろ「やられたらやり返せ」といった 報復主義の方が幅を利かせているかと思いますが。
- chihoko
- ベストアンサー率13% (14/106)
●このセリフは 当時は斬新だったんでしょう。 しかし いまでは陳腐なだけです。 キリストの言葉だから全てにあてはまると考えるのは あまりにも 安易です。 このことばが あてはまることもありますよ くらいに受け取るのがいいでしょう。 さて 神父さんなら という問ですが。 わたしが 神父なら こう助言します。 「どろぼうさん どうぞ わたしのアヌスもおつかいください。」 また 犯される前には ぜひこのセリフを 「ゴムは お嫌いですか?」
- jun95
- ベストアンサー率26% (519/1946)
親鸞上人は、まさにそのことで悩んでいました。そのとき、夢のなかで、自分が女性となって、犯される体験をしました。これは、ここで提示されている問題とは異なります。 現実の事件としては、ある企業犯罪に絡んで、その経営者のお嬢さんがいたずらされ、それをビデオに収めたもので脅迫する事件がありました。 これは、まさに犯罪です。キリスト教では、女を犯すことは重い罪です。犯罪に対しては、戦うのです。犯罪でなく、耐えられることなら、耐えるのであって、犯罪まで許したもとは私は考えません。
- ebinamori
- ベストアンサー率21% (96/439)
まず始めに私はキリスト教に関する知識をほとんど持ち合わせていません。 (塩狩峠くらいは読んだ) 何で差し出さなくちゃいけないんですか。その「右の頬を打たれたら左の頬も差し出せ」というのは 自分自身に関することなのではないのですか? 差し出すどうのこうのよりたとえ娘だろうとも独立した意志を持つ人間なのですからそんな権利ないんじゃないのではないですか。 (現実的なことを聞きたいということではないと思うのですが) それに「右の頬を打たれたら左の頬も差し出せ」は相手を救う(気付かせる)ためにそれを行うのですよね。と言うことはそれが間違っていると気が付かせればいいのではないですか。(この場合警察に届けるのがいいじゃないですか)←当たり前 自分に対する侮辱に対して怒るのを我慢するというのは分からなくないですが 他人に対する侮辱に対して怒るのは別に問題ないのではないですか。
- _hiroya_
- ベストアンサー率5% (2/34)
そういう場合は、俺をレイプしてくれっていうんだよ(笑。 長女は「君の」ほほじゃないし、次女も「君の」ほほじゃない。 娘は「君の」じゃないんだよ。 差し出すんなら、自分を差し出せばいい。 右のほおをはたかれたら、ラリアートするのが、俺のイエスです。