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「諦め」というのは心理学的にはどんな感情なのでしょうか?
「諦め」というのは、心理学的にはどんな感情なのでしょうか。どんなメカニズムで「諦め」が発生するのか知りたいです。また、全てのことを諦めないというのは無理だと思いますが、「すぐには諦めない自分」「諦めにくくなる自分」になる方法がありましたら、教えてください。
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「諦め」そのものは決して悪いこととは言い切れないと思います。 取捨選択能力の高い人が、自分の行動や目的、存在意義に価値を見いだせるのだと思いますし、自分の進む道を良い方向に導いて行けるのだと思います。 目標に定めたものが自分の能力を超えるものであったり、手に入らないものだと見極めること自体は無価値だとは思いません。 唯まっしぐらに進むだけではなく、時折立ち止まって自分が歩いている道はこのままで良いのか軌道を修正したり、本来の目的と大きく外れていないか確認することも必要だと思います。 問題は、目標それ自体が本当に自分に必要なものなのか?手に入れる事が可能なのか?自分は今それを手に入れるだけの能力を獲得できる可能性があるのか検討することだと思います。 検討した結果、自分にとって利益(幸福感、充足感)をもたらすことだと認識できたら、今の自分には何が不足しているのか、どう対策を練ればいいのか計画や実行に移すことが重要だと思います。 また「諦め」に至る心理状態はこのようなパターンがあるのではないかと思います。 1.喪失感に囚われている場合 手に入れたい目標や結果を得ようと必死に努力を続けたが、空回りして無惨な結果に終わった場合。 2.無気力な状態にある場合 嫌なことやショックなことが続くなどしてネガティブな状態にあるときに、気力が出ないないので何事にも消極的になっている場合。 トラウマ体験のように根本的に自分を否定する要素に囚われていて、抜けきれず何事にも回避的な状態にあるとき。 3.現時点では不可能と判断している場合 今の自分に備わっている能力や周囲の状況から判断して、直ぐ手に入れる必要がない、もしくは時期尚早と判断した場合。 準備期間であると判断していたり、待機するときと判断した場合。保留状態。 4.執着する価値が見い出せない場合 自分の能力だけではどうしようもなく、囚われていてもこの先何も良い結果をもたらさないと判断した場合。 2の場合だと心の持ち様や立て直しに時間を費やすことは想像に難くないですし、病的な場合は専門家や家族の力を借りる必要があると思います。 しかしどの場合も諦めない心を育てるには、自分自身を客観視できる能力、現状を把握する能力が必要だと思います。 正直なところたまたま同じカテの別質問で初めて知った言葉なのですが、「メタ認知能力」という言葉があります。(^_^;) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A1%E3%82%BF%E8%AA%8D%E7%9F%A5 現在進行中の自分の思考や行動そのものを対象化して認識することにより、自分自身の認知行動を把握することができる能力を言う。 自分の認知行動を正しく知る上で必要な心理的能力。 ――と説明があります。 またコラムを読んだだけですが、和田秀樹さんの著作『図解 勉強できる子のママがしていること―12才までの家庭教育マニュアル』を読んでみてはいかがでしょうか。 次の文章はこの本 からの引用になりますが、 http://www.amazon.co.jp/gp/product/4569648312 人間の思考や推論は、自分の立場や感情に驚くほど左右されてしまいます。たとえば、気分が沈んでうつ的になると、悲観的な推論しかできなくなってしまうのです。あるいは、自分に都合良く物事を考えてしまうことは良くあります。 こうした弊害をなくすために、自分を客観的に見つめ、推論を寄り正しい問題解決に近づける能力が必要になります。これを「メタ認知能力」といいます。 このメタ認知能力を高め、知識が豊富で、推論ができ、その推論が自分の立場や感情に左右されていないかどうかまで客観的にチェックできる人が、正しい問題解決法を見つけられる「頭のよい人」といえます。 ただし、「頭のよい人」の条件として、もう一つ重要なポイントがあります。それは、「わからないことは、自分よりよく知っている人に聞いてしまえる」ということです。 全てを自分一人で考える必要はないのです。 ――ここでいう「頭のよい人」とは〈 問題解決能力のある人 〉のことを指しているのですが、ご質問にある「すぐには諦めない自分」「諦めにくくなる自分」になる方法とは、〈 問題解決能力のある人=メタ認知能力の高い人 〉になることに他ならないのだと思います。 問題解決の方向性が誤っていれば、いくらチャレンジしても結果は付いてきません。 人は努力が実にならなければ、誰でも諦めの方向に進むものでしょう。 でも、能力不足なだけではなくて、方法が間違っている場合もあります。 能力が不足しているのか、情報が不足しているのか、計画に無理はなかったのか、独り相撲だったのか、そのような観点から総合的に物事を処理できる能力が高まれば、おのずと失敗は減り、成功体験が増えるのではないかと思います。 問題解決が出来たということが即ち成功体験です。 唯の偶然ではなく、自分の問題解決能力で成功体験の喜びをつかみ取ることが出来れば、諦めない心の強さを得ることが出来るのだと思います。
その他の回答 (5)
No.5です。 補足ですが「諦め」に至る心理状態のうち、3と4に関しては充分な検討が為されているのであれば、それは単に諦めではなくて「決断」であり、次へのステップのための道しるべとなると思います。 諦めは次へのステップに繋げていけるのならば、「立派な決断である」と共に「次なる解決策を生み出すための踏み台」と捉えることが出来ると思います。 状況を正しく判断するためには、諦めも必要な場合があると思います。
逆にあきらめたら、肩の荷がなくなり、ストレスが消え心が癒されます。仕事は目標を決め手するから、ストレスになります。だから家庭では気を抜いて心を癒す事が必要です。人の心の中は自我意識、脳と無我意識、大自然の心の相反するふたつの心があります。現代の人は自我、自己だけと思っています。自我は脳の思考してる時でストレスです、無我は脳の休んでる時で情緒、癒しです。だから脳を休ませて心を癒す事が必要です。
- bananasand
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まず、諦めの前提として、広い意味で「問題」とか「課題」が存在します。 この問題とは、理想と現実の乖離のことで、このギャップが埋まらないとか広がりつつある等が、いわゆる悩みとなります。 そして、諦めというのは、理想を放棄して、このギャップを消滅させその悩みから自らを解放させる作用があります。 したがって、諦めにくくするには、理想を見つめ続け、これを 捨てないことです。
- ruehas
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こんにちは。 動物にとって「諦める」というのは、これは「無報酬刺激に対する回避行動」に当たります。これが働きませんと、動物はその場で一切の行動選択ができなくなってしまいます。従いまして、諦めるというのは我々動物が別な行動を選択するために発生する「拒否反応」ということになります。 我々人間は単に「価値の高さ」だけではなく、「可能性」も考慮して判断を下します。このようなものは未来の結果を予測した「理性行動(計画行動)」に当たります。 諦めるというのは「我慢をする」のとは異なり、「未来に報酬の得られる可能性のない」ことが認識されなければなりません。これにより初めて、我々は諦める、即ち無報酬に対する適切な行動を選択したということになると思います。 「情動反応」としましては、 利益・不利益、どちらにも判定が下せない場合、通常、我々の脳内には「不安状態」が発生し「行動抑制」が掛かります。ですから、不安状態ですと具体的な行動は選択できないわけですね。ですが、何の利益・動因も発生しない場合は「嫌悪刺激(つまらない、不愉快)」と判定され、回避行動が選択されることになります。 「無理をして不利益を発生させるよりは諦めた方が良い」 我々人間が「相対的価値」に基づいて判断を下すのは、このようなものは「問題解決のための能動的回避行動」に当たります、そしてこの場合、脳内には「代替報酬」に対する「動機付け」が発生していなければなりません。 では、諦めにくくするためには、「代替報酬にする動機付け」を作らないようにすれば良いわけです。 「可能性が低いのだからやらない方がいい」 「あっちの方が楽だからやめておこう」 なるべくこのような都合の良い理由付けを行わないようにすることだと思います。そして、逆に執着心を高めるためには、その価値・利益をなるべく高く評価して動機を強めれば良いわけですね。あるいは、軟弱、恥ずかしいなど、諦めることに賞罰を設けてしまうというのもひとつの方法です。 ですが、只今述べましたように、我々人間にとって「諦める」というのは未来の結果を予測して行う理性行動であります。では、諦める諦めないという言葉は取り敢えず別に置いておきまして、やはり我々がそこで行わなければならないのは、それは「与えられた状況に基づいて最も適切な行動を選択する」ということですよね。ならば、果たして「強い意志」というのは正しい結果を選択するためにあります。諦めることが正しい判断であるならば、すっぱりと諦めましょう。 因みに、「諦める」あるいは「諦められない」というのは、これは情動反応でありますから、我々の大脳皮質ではどうやってもコントロールすることはできないです。このため、理性行動ではどうしても情動に打ち勝つだけの強い意志が必要となります。これは誰にとっても同じことですよね。
あきらめというのはどうしようもないことを受け入れるという意味もありますが、普通は自分の考えているようなことを実現できることを断念するということだと思います。後者の場合は、あれこれ試行錯誤することをやめてしまうということですが、いわゆる柔軟な心を持つことが一番あきらめにくい人の特徴ではないかと思います。極端な場合ただ待つという場合もあると思います。良い方法が見つからない場合静かに待つというのはなかなか難しいことですが、一番確実な方法である場合が多いと思います。何もしないで待っているのは周囲の人からはあきらめない人という印象で見られるはずです。これは夢を追って実際にはそのための努力をまったく九しないということとは一見似ていますが、全く別のことだと思います。面白いことに、このように静かに待つというのは冒頭のあきらめのもう一つの意味(前者)に一致することです。