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派遣切りについて

年末年始に大きな話題になった派遣切りについて、今更ながら思うのですが、派遣切りにあった方が解雇した会社や国に対して文句を言っていたのですが、自分にはそれがおかしな気がしてなりません。 そもそも派遣社員というのは会社側からすれば何かあったとき解雇しやすいから採用しているというのが本音であり、逆に派遣社員にとっても、求人があれば簡単にその会社に入れるし、その職場が合わなければ簡単に別の会社に移れるという、持ちつ持たれつの関係であると思います。また、それは十分世間一般的に理解されているものだと思います。 もちろん、契約期間内の解雇や住むところを追い出されるという事に対しては契約期間分の補償を要求するために文句を言うべきだとは思うのですが、解雇されたことに対して文句を言うのはどうなのかなと思ってしまいます。 正直、大きな声で文句を言っている方は派遣社員という立場が持つリスクを考えず派遣社員になり、将来に対して安易な考えを持っていて、突然大変な状況になったから文句を言うという無責任な人と思ってしまいます。 どうしようもない事情で派遣社員になり、結果として今大変な状況になっている方も大勢いる事は理解していますし、その方々には大変失礼な意見だというの分かっているのですが、皆さんは今回の派遣切りについてどのような意見を持っているのでしょうか? 長い上に取り留めの無い文章になってしまいましたが、お願いします。

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回答No.3

No.1です。もう少し続きを書きます。 自己責任論を持ち出すならば、それは相対評価と絶対評価をすべきところを混同してはなりません。いい大学に入ったとか、正社員の職にありついたとかは、それは競争選抜試験の分野であり、相対評価の分野です。一方、ナゼ派遣・単純労働者の途を選んだのか又は選ばざるを得なかったのか、ナゼ困窮しているのかは個別具体的な事例検討が必要で、それは絶対評価の分野です。この相対評価と絶対評価を混同したままでは、論理的に妥当な結論に達しません。個々の詳細な事例検討もなく一般論として、自己責任と断ずることは誰にもできません。 さらに、現行制度を検証しますに、 ●派遣元⇔派遣先の労働者派遣契約について いろいろと努力義務があるものの、解約自由です。しかしながら、一方的に解約してきたならば、派遣先は就業機会を確保する措置をとることが要請されています(派遣先が講ずべき措置に関する指針H11.11.17労告138)。また派遣元の労組は、派遣先に対して団体交渉の当事者適格は必ずしも排除されません(滋賀県労委H17.4.1、中労委H10.3.25)。さらに、職業安定法44条違反の就労実態があったのならば、そもそも派遣先が法的当事者になりえます(大阪高判H20.4.25)。 ●派遣元⇔労働者の解雇又は更新拒絶について ・解雇について 解雇要件は、実は正社員も派遣労働者もバイトもパートも同一です(労労働契約法17条・16条、労基法20条)。ですから、解雇無効を主張しえます。また、労働契約法・労基法は強行法規ですから、たとえ解雇許諾特約付の労働契約だったとしてもその部分は無効で、特約は排除されます。 ・更新拒絶(雇止め)について 労働契約更新を反復継続してきた場合の更新拒絶は不当になり得ます(最判S49.7.22)。 ・住まいについて 使用貸借契約と賃貸借契約の境目の解釈問題でしょうから、話し合いの余地は十分にあったでしょう。しかしながら、話し合いの余地も無くいきなり追い出されたのは同情に値します。ちなみに、賃貸借契約だとしたら借地借家法27条により6ヶ月の猶予が必要です。 このようにですね、、No.1とあわせまして、彼らのいいぶんには十分に理由はあるのです。

hondafit
質問者

お礼

回答有難うございます。 こんなに詳しく回答していただけるとは、嬉しい限りです。 労働の義務と権利・・・ そうですね。確かにそこをしっかり考えておかないと、労働者の生活を守れないですもんね。 当たり前ですが法律でも色々と守られているわけで、そこを理解した上で考えないと、正確な判断ができないですね。 勉強になりました。

その他の回答 (4)

  • aibaaska
  • ベストアンサー率42% (74/174)
回答No.5

私も派遣社員です。事務職です。 確かにリスクは承知していますが、不景気になる以前から 田舎だと求人自体が少ないですし、 転職がとても難しいのが現状です。。。(〃_ _)σ∥ 単なる言い訳にしか聞こえないかもしれませんが、 仕事がしたくても見つけられない 派遣社員もいることを忘れてほしくないです。 現在1ヶ月更新で働いていますが、 正社員の人がこんな不景気なのに仕事をやりたがらなくて 毎日呆れています… 私が正社員だった頃の自分の態度を 見直す機会が出来ましたが。

hondafit
質問者

お礼

回答有難うございます。 そうなんですよねー。地域によって求人の数も差があるはずなので、 一概に批判はできないと分かっているのですが・・・。 なんか、大きな声で誰が悪い、自分達は可哀想と言う方を見ると、なんかこう・・・ でも、確かに今の自分の仕事に対する姿勢を見直す機会になっていると思います。

  • coco1701
  • ベストアンサー率51% (5323/10244)
回答No.4

・以下個人的な感想ですが  派遣は、メリット・デメリットがありますが  (それを了解して、もしくは否応なく了解させられての二通りありますが)  今回の不況により、デメリットが大きくクローズアップされただけと思います  (今までも、問題はあったが、今回ほどクローズアップはされていない)  今回の問題化により、派遣の状態が、現在よりより良い状態になるのなら、今回の状況も問題を顕在化した意味では、それなりの利点はあるでしょう  (上記の言い方は、当事者の方には失礼な言い方だとは思いますが)  (この様な事が起きないと、政府(議員も)は手を打つ事は無いのだから:現状を変えようとしないのが、少しでも良い方向に変わるのならそれなりの意味はあったと思います)

hondafit
質問者

お礼

回答有難うございます。 デメリットが大きくクローズアップされているというのは、その通りだと思います。 確かに今後より良い方向に行くとよいですね。

noname#147912
noname#147912
回答No.2

個人的のな浅はかな経験や思い込みで書かせてもらいます。 何十年前にもなりますが、社会主義やら共産主義やら流行った時代がありましたよね、よくよくその思想を考えてみると必ずしも右翼が悪い、左翼が悪いとは言えないですね。実際今の世界では、純粋な社会主義国家もいなければ、純粋な資本主義国家もいないです。みんなその中間でもがき苦しんでいるのです。 簡単にいうと、会社と派遣社員は、法人と個人の違いです。法人は飢えや病気もありませんし、個人は三日飯を食わないときついです。病気も します。しかし法律上では法人と個人も平等です。おっしゃるとおり、転職の自由もあれば解雇の自由もある、間違いありません。しかし、飯を食わないと死ぬ個人にとってはそれでいいのでしょうか。 だから、弱者の労働者を守るために、一時期共産主義がどうちゃらこうちゃらと騒いでいました。誰が悪い、何主義が良いとは言いづらいところですが、何事も責任が伴います。自由かつ末端が苦しむ資本主義、平等かつ自由のない社会主義、難しいところですね。 今回の金融危機をきっかけに、世界が新しい方向に向かうといいですね。

hondafit
質問者

お礼

回答有難うございます。 確かに、法人と個人は違いますよね。 それと裕福になるための資本主義、弱い人を守るための 共産主義、難しいところです。 そういうところも考えて、派遣切りについて考えたいと思います。

回答No.1

まずですね、、意見があったから意見表明をすることが当たり前であって、文句があってもひたすら黙っていることのほうが異状なのです。 彼らは国家による自由つまり社会権を求めています。それは政治運動そのものなのです。近年、政治運動を放棄してきた日本国民にとっては彼らの姿は異様に映るのかもしれませんが、自由主義国・民主主義国にとって、意見があっても意見表明しないことのほうが異様なのです。それじゃあ将軍様の国と何ら変わらないということになってしまいます。 また、労働者のホームレス化がどうして起きるのか、社会対策・労働政策・憲法の視点から考えると以下のような考察になります。 それは労働経済までをも規制緩和・自由化していくと、必ずや労働弱者が出現するということです。 労働問題・ホームレス問題に関しまして、どうしても勤労の義務・自己責任論を持ち出したい人がいるらしいのですが、その短絡的発想は誤りです。なぜならば、勤労の義務を謳った憲法27条1項は同じ条文でいうところの勤労の権利が担保されていなければ果たしようがないからです。そして勤労の権利というのは社会権的側面があります。つまり、国家による自由です。労働経済までをも野放図に自由化すると、労働条件の無限の低下と職場環境の際限のない悪化をもたらすことになります。なぜならば、使用者側はなにも"その"労働者じゃなくてもいいわけであって、低条件を示して待っているだけで足り、一方、労働者側は生きるためには何かしらの方法で労働力を提供し、食い繋いでいかなければなりません。労働者側は待てないのです。困窮した労働者はたとえ不利な労働条件であったとしても飛びつかざるをえないからです。その労使間の非対等性を国家として放置することはできません。そこに各種労働法、職業安定・雇用対策各法の存在意義があります。国家作用により勤労の権利というものを担保していく必要があるのです。これがいわゆる勤労の権利、『国家による自由』すなわち社会権です。 労働者派遣法というのは、職業安定法44条をムリヤリ解釈変更して規制緩和させたものです。さらに労働者派遣法の数度の規制緩和により、単純労働者までをもその対象にしました。これが大きな問題です。単純労働者をこの超雇用不安定システムの中に放り込むと、、もう誰にも救えません。 ちなみに、欧州では労働者派遣は厳しく制限されており、限定的な場面でのみ許されるにとどまります。なぜならば、労働者派遣は奴隷制と同義だと考えられているからです。奴隷とは、なにも身体的拘束に限りません。彼らの考えでは、権利がない=奴隷と概念しているのです。労働弱者を生み、無権利者を生み出す労働者派遣というシステムは奴隷制の再来といっても過言ではない、と彼らは考え労働者派遣を規制しています。 勤労の義務とは単に精神的規定であるだけであって、勤労の義務は勤労の権利が担保されていなければ果たしようがないということを今一度強調しておきたいと思います。

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