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なぜ人が死ぬことを「成仏する」というのですか?
仏教のことは詳しくないので教えて下さい。 人が死ぬことを「成仏する」と言いますが 仏教には「人が死ぬと仏になる」という教義があるのでしょうか? (ありませんよね?) なぜ人が死ぬことを「成仏する」と言うのでしょうか?
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とある大学法学部2年の者ですので、仏教の専門家ではありません。 日本人の思想形成に関する宗教の役割を知りたくて趣味で勉強しているだけですので、間違っていたらすみません。 まず、正確には「死=成仏」ではありません。 死ぬと成仏するというのは浄土宗系の信仰に由来した考え方です。 ゴータマ=シッダールタ(お釈迦様)はインド哲学に元来存在していた「輪廻転生」の考えを元に、その無限の輪から出るためには煩悩を滅却することが必要だとの結論に至りました(=悟り)。煩悩を滅却することを「涅槃」と言い、この輪廻転生から脱することを「解脱(げだつ)」と言います。ちなみに、仏陀(=如来)とは、この悟りを得た人々をいいます。 しかし、一般人が悟りの境地に達するのはとても難しいことです。 そこで、一般の人も救われるべきだと考えた人々が大乗仏教を作ります。これを歴史用語で「仏教の根本分裂」と言います。お釈迦様の死後数百年を経た後のことです。お釈迦様の仏教は個人を救済する仏教ですが、大乗仏教は大衆を救済する仏教です。大乗仏教は自分で現世中に悟りを開かなくても仏陀にすがって助かろうというものです。 この大乗仏教も様々な宗派に分裂します。その中の浄土宗系の考え方は以下のようなものです。 仏陀とは悟りを開いた人々のことですから複数います。そのなかに阿弥陀如来という仏陀(=如来)がいます。彼は、私を信じるならば私の支配する仏国土(=浄土)に生まれ変わる(=往生する)ことができると言いました。この阿弥陀如来の支配する浄土を別名「極楽浄土」と言います。常人には悟りを開くことができなくても、往生した後にならば誰でも悟りの境地に達して解脱し、仏陀になることができるのです。こうして死者は「成仏」するわけです。 つまり 死と同時に往生 ⇒ 修行 ⇒ 成仏 となります。 ちなみに、浄土宗系はもともと極楽浄土で四十九日間修行をすることによって仏陀になることができるとされていましたが、浄土真宗では修行ををしなくても死と同時に成仏すると考えます。自分では何の努力をしなくても阿弥陀如来の力で誰でも仏陀になれる(=本願を達することができる)ことから、これを「他力本願」といいます。 この考えによりますと、ほぼ「死=成仏」と考えられるかもしれません。
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- puranaria13
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No.8 の者です。 訂正いたします。すみません。 【誤】煩悩を滅却することを「涅槃」と言い、 【正】煩悩が滅却された状態を「涅槃」と言い、
お礼
わざわざ訂正くださりありがとうございます!
No.5です。 >ご紹介いただいたサイトを読んだ限りでは >「人が死ぬこと=成仏」ではないように思われますが >そういった解釈で構わないでしょうか? はい、 ウィキペディアの「成仏」の説明を読む限りでは、 そういう解釈になると思います。 もし「輪廻」の考え方を採用するとすれば・・・ 死んでも仏に成るかわからないですよね? 動物に生まれ変わるかもしれないし、また人間界に生まれ変わるかもしれない。 というのはインド土着の考え方が入ってるんでしょうか?? そもそものお釈迦様の考え方なら、『スッタニパータ』とか『ダンマパダ』などを読めばいいんだと思いますが、犀の角のところで挫折(笑) http://www.google.co.jp/search?sourceid=navclient&aq=t&hl=ja&ie=UTF-8&rlz=1T4GZHZ_jaJP229JP230&q=%e7%8a%80%e3%81%ae%e8%a7%92%e3%81%ae%e3%82%88%e3%81%86%e3%81%ab%e3%81%9f%e3%81%a0%e7%8b%ac%e3%82%8a%e6%ad%a9%e3%82%81 私もよく理解していませんが、 とにかく、釈迦の言葉から、阿弥陀如来の来迎図までには、大幅な違いがあるかと思います。 http://www.narahaku.go.jp/exhib/2007toku/shinbutsu/shinbutsu-07.htm 現代日本で日常的な意味で「成仏してください」と死者に対して願い拝むのは、「冥福を祈る」のとイコールなのではないでしょうか。 「どうか地上で迷わないで、あの世に行ってください」みたいな意味の場合もあるでしょう。 仏教や教義としてどうかは知りませんが、心情的には。
お礼
丁寧な回答をありがとうございます! 輪廻の考え方では 地獄道・飢餓道・畜生道・修羅道・人間道・天道に生まれ変わる。 天道に上りつめたものは必ず地獄道へ落ちるんでしたっけ。 ということはやっぱり「死ぬこと=成仏する」というのは 日本の(特に浄土宗)のオリジナルな考え方ということですね。 日本の仏教は明治までは神仏習合でしたから 神道の影響があるのかもしれないですね。 とても勉強になりました。感謝しております!
- IXTYS
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こんにちは。 #5の方が書いておられるように、インドで生まれた仏教は中国を経て日本に伝わる過程で様々に変化しています。 日本の仏教教義を研究する方々は、米国のキリスト教の神学校に留学します。 そこで比較宗教学を学びます。 仏教が大乗、小乗のふたつに分れ、どのように変遷して行ったのかを系統立てて学べるのです。 それほどに仏教は各地の土着の宗教の影響をもろに受け、変貌しているのです。 例えば火を神聖化するゾロアスター教、きつねを神の化身と考えるマニ教、景教(キリスト教)の教理を取り込んでいます。 日本の仏教は遣唐使が持ち帰って来た密教の儀式と教理が、土着の自然崇拝と合体したものです。 死者の魂は死後の世界でさ迷っている。 この霊を、家族が手厚く供養することで49日後、仏となって極楽浄土に行けるとの教えです。 これにさらに死者の霊は荒ぶる魂(あらたま)であるが、33年間家族が寺社で手厚く供養すると鎮められ、祖先霊(にぎたま)に合体する。 これは土着の自然崇拝の教えから来た考え方に由来しています。 この教えもあり、お寺は49日の法要後も33年間は祈祷、法要を義務づけているのです。 これにさらに輪廻転生の教えが加わります。 一体我々の魂はどうなるのか、誰にもわかりません。 でも分からない方がお寺には都合が良いとも言えるのです。 その方が檀家からの寄進を受けられる機会が多くなるからです。 しかし、密教を生み出した中国では、この一派は邪教として10世紀に国外追放となり、最早存在していません。 その後生まれた禅宗は、古来からあった道教を根底に作られたものです。 ですから中国のお寺では、布袋様が祭られています。 (関西に住む華僑が檀家となっている宇治黄檗山万福寺も本尊は布袋様です。)
お礼
ありがとうございます。 >日本の仏教教義を研究する方々は、米国のキリスト教の神学校に留学します。 びっくりですね! 確かにキリスト教と仏教はよく似ているなあ、と常日頃思っていましたが。 「日本の仏教教義を研究する方々」とは、仏教の学校に行かれる方のことと理解してよろしいのでしょうか? それとも特定の研究者のことでしょうか? 仏教の変遷においての説明は大変興味深く読ませていただきました。 で、諸外国の仏教においては 人が死ぬこと=成仏するという概念はないのでしょうか?
インドで生まれて日本に伝来するまで仏教はいろいろと変化を遂げ、 日本の仏教は日本独特なものと聞きますので、そのへんは分けて考えたほうがいいのかもしれませんね。 どこ仏教なのか。 タイとかチベットとかスリランカとか色々ありますでしょう。 ウィキペディアの情報は 正確とは限らず、充分かどうかも不確か(自分が知っている情報で無い限りは判断つかず)ですが、一応覗いてみました。 大乗仏教の考え方なんでしょうかね。プラス日本古来の考え方。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E4%BB%8F
お礼
ありがとうございます。 確かに諸外国の仏教と日本の仏教は違うでしょう。 今までいただいた回答を読ませていただきますと どうも日本の仏教では 「人が死ぬこと=成仏」ととらえているようですが 諸外国の仏教ではどうなのでしょう? ご紹介いただいたサイトを読んだ限りでは 「人が死ぬこと=成仏」ではないように思われますが そういった解釈で構わないでしょうか?
- nene-k
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宗教の教義ではありませんが、一般常識として、香典の袋には、 49日前は「御霊前」 49日後は「御仏前」 と書きます。 これは、49日を過ぎたら仏に成るという考えから来たもので、一般的な仏教の葬儀ではそうしますよ。 ただし、浄土真宗は、霊の時期がないという考えなので、亡くなった直後でも「御仏前」と書きます。
お礼
ありがとうございます。 浄土宗以外の宗派においても「人が死ぬと仏になる」という 概念があるのですね。
私は「知らぬが仏」という言い方と関係があるのではないかと思います。つまり何だかわからないままに生まれてきてやはり何だかわからないが死んでいくという人生の不思議さというか人間の不思議さというか、一種の不可知論的考え方を反映しているように思います。
お礼
ありがとうございます。 kaitara1様の言うことも一理あるかと思います。
- cyototu
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成仏は明らかに佛教語ですが、よく考えてみると佛と言う字に訓読みのホトケという言葉が当てられていることについて、質問者さんは不思議だとは思いませんか? 訓読みとは日本が外国と接触する以前から在った日本語ですよね。と言うことは、佛教が日本に伝来する以前から、日本にはホトケと呼ばれる概念が存在していたと言うことですね。この言葉は元々日本独自の神道の概念です。この辺りを柳田國男は『先祖の話』と言う本の中でかなり詳しく論じています。例えば、大佛次郎という有名な作家がいますが、なぜこの佛をサラギと読むのかも、実はホトケと関係しています。 柳田國男によると、日本人は浄土宗どころか、佛教が入ってくる遥か以前から死んだ人をホトケと呼んでいたようです。それが後に中国から伝わって来た佛に重なり、その後敗戦によるアメリカ政府の圧力で本字の佛から嘘字の仏に強引に書き換えられてしまいましたが、本来は成佛と書きます。日本人はどの宗派に関わりなく、人が死んだとき日本人が本来持っていた感覚を素直に表す成仏と言うこの神道的言葉を使うのに何の抵抗ないのです。 私たちが普段何も考えず仏教の儀式だと考えている多くのことが、実は日本独特の神道の儀式から来た物だと言うことを『先祖の話』は教えてくれます。お盆も、お墓の卒塔婆も、人が亡くなった後の何回忌も、四月八日のお釈迦様の花祭りも、仏壇の位牌も、皆神道が元だったのですよ。でも、そのいろいろな事実を実証的に検証せず、仏教に盂蘭盆会があるから、お盆は仏教の行事だなどと巷の仏者達が言っておりますが、質問者さんも、柳田國男のこの本を読んでからご自分でどちらの説が正しいかを判断してみたらどうでしょうか。自分もその一人である日本人て何なのだろうと考える上で大変面白く、参考になる本です。
お礼
回答ありがとうございます。 以前に「祖霊信仰の起源」のタイトルで質問をしたとき cyototu様より回答をいただきました。 その際にも柳田さんの本の紹介をいただきまして すぐに図書館に借りにいきまして、今読んでいるところです。 正直言って文体が古いためかなかなかすんなりと頭に入ってきませんが (旧かなづかいは問題ないのですが、言い回しなどがわかりにくく思います。) 楽しんでいます。読み終えるのに時間がかかりそうですが・・・。
- goold-man
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>ありませんよね? 宗派(浄土*宗)により、人が死んだら「仏に成る」思想「成仏」はあります。
お礼
さっそくの回答をありがとうございます。 ということは人が死ぬことを「成仏する」というのは 浄土宗からくる言葉だということですね。
お礼
丁寧でわかりやすい回答をありがとうございます。 本来の仏教における成仏と、浄土宗における成仏の意味など よくわかりました。 浄土宗は中国より伝わったものだと思いますが 中国における浄土宗でも「他力本願」「死=成仏」というような考え方はあるのでしょうか。