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日本の童謡民謡はなぜ短調なのか
大体5音音階の、マイナーペンタトニックだと思うのですが、なぜ、メジャー系音階ではないのでしょうか? なにか、飽き飽きしてこないでしょうか? 「付の砂漠」だの「母さんの歌」だの「ひなまつり」だの「さくらさくら」だの、短調はもうたくさんだ!と言う感覚にならなかったのかなーと思います。 というか、そういう音階で作るものだと言う図式ができていたのかもしれないですが、ではなぜ、発祥からして、短調様式が支配的だったのでしょうか?
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こんにちは。 童謡や民謡にはあまり詳しくないのですが 童謡は長調の曲 たくさんあると思います。…おもちゃのチャチャチャ ぞうさん いぬのおまわりさん 汽車汽車しゅっぽっぽみたいな のんきな曲とか。民謡などもクラシックでいう短調とは 本質的に違って(旋法自体が違いますよね) 決して『短調』から受ける印象と同一ではなく 明るい印象や威勢の良いという印象の曲もたくさんあると思いますが。又童謡・民謡に対して非常に深い思い入れのある方々もたくさんいらっしゃると思います。ただ質問者様がおっしゃりたい意味もなんとなくわかりますけど。いわゆる日本独自の童謡民謡が 西洋文化においての類似したものと比較すると『ダサい』という印象は比較的多くの人が持つかもしれませんね。 私も国歌(は民謡童謡とは違いますが)を公(オリンピックなどの)の場で聴くと 日本国民ですから感動はしますが その後アメリカの国歌が流れたりすると やっぱり『かっこいいなぁ…日本の国歌はなんで こういう曲じゃないんだろなぁ』と 昔は良く思いましたもん。だんだん歳食って?くると こういう日本文化的な楽曲も 日本の歴史上必然的なものだったのかな…と それなりに受け入れる素地(ただ 老けただけかな(笑))もできたかな…と質問を拝見して 複雑な気分になりましたけど。…にしても 質問者様は本当に難しい疑問に立ち向かう 革命的ファイターだな…と感心致します。保守的な私は少し見習った方が良いかも…と反省しました^^; 最後に一つ。ヨーロッパでバロック音楽期の頃(オペラやオラトリオが盛んになった頃)日本は江戸幕府が成立し鎖国の時代に入り 島国の中をチョンマゲ姿で侍が往来していた事を想像すると 仕方ないよねぇ…としみじみ思うのです。バッハの頃は日本は暴れん坊将軍ですもん(笑)
- sanori
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こんにちは。 >>>なにか、飽き飽きしてこないでしょうか? >>>ではなぜ、発祥からして、短調様式が支配的だったのでしょうか? 難しいですね。 推測になってしまいますが、日本の楽器(琴、尺八など)の音に、短調の音階がなじむからだと思います。 そして、短調なのに明るく聞こえる曲は結構ありますね。 類似の質問を何度か見ていますので、下記をご参照ください。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa798422.html http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2305286.html 下記は私が回答したQ&Aです。 たぶんこれも、ご質問と関係があると思うので、ご参考に。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4261521.html 以上、ご参考になりましたら。
お礼
その節はお世話様でした♪ リンク読ませてもらいました。核心に近づいているが、その本当の答えまでたどり着くには後はお前のイマジネーションしかないよ、って言う段階な気がします。日本人がどうしてマイナーキーを選んだのか?いまだ持ってなぞですね。 私は、琴尺八にマイナーキーが合うというのは、結局なれなんじゃないかと思うのです。以前印象派(フランス近代)音楽を邦楽器でやるというCDを聞いたときに、長調音楽でもぜんぜん違和感なくみやびだな~と感じたものです。 結局、最後の核心に迫るための想像として、結局日本的マゾヒズムが長調を避けたという歴史があったのではないだろうか?という気がしています。
お礼
そうですね。童謡は結構あります。しかし、西洋童謡に比べ、圧倒的に短調割合が多くないでしょうか。しかも、純日本的素材を扱った?の場合ことごとく短調です。ひなまつりや桜はもう、どうしても短調以外にない!という絶対的拒絶感さえあります。 それに、ダサさ。勢いというかつめがないのですよね。童謡にしても、無効のはおお、結論でてるんだ!っていう印象あります。 私も、国家問題は実は「曲」の問題なんじゃないかと提唱したいんですが、ぜんぜんそういう議論になっていかないのは、この日本的ダサさと言うことに対して感受性を発揮する人が極端に少ないと言うことなんじゃとさえ思っています。 私は、一種のトリックスターですかね(笑)あらゆる常識に「否!」を唱えております。 文化文明の面で、本当に西欧から隔絶していたということは、なんとも日本的地勢が生んだ結果と言えば言えるでしょうが、是非を問われるところでですね。