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キリスト教の弊害
自分はクリスチャンホームに生まれ親に勝手に小学校を中退させられました。それはHS(ホームスクーリング)といってこの世の悪影響から僕を隔離して(進化論を中学校で教えるなど)家で親が教師として聖書を創世記から徹底的に教え込むという、教育法でアメリカでは20年くらい前から盛んで優秀な教育法として認識されています。 それを僕の親は日本において取り入れてしまったのです。 結果僕は人付き合いが苦手で(小学校通ってたときは友達はそこそこいた)彼女もいません(小学校の時は彼女とまではいかないがお互い思いを寄せる人がいた) 勉強面では確かにこの教育法は優秀で僕は高三の八月時点で高卒認定試験を一発で取得できました。 まあHSは自宅学習ですが義務教育は中学まではあるはずです。 実はこれは精神的虐待ではなかったのか、と最近思い戸惑っています。 自分の育った環境からアイデンティティーの確立が同世代の男女より難しいですがアイデンティティーというのはそもそも他者の関わりの中で確かにされると思いますので僕はこの点HSをした事が残念だし、 親が同世代から僕を遠ざけた事に反発を覚えざるを得ません。 自分は18ですがもうこの世の普通の同世代とはかなり価値観が異なっています(そもそもキリスト教価値観がしみついている) 一神教にみられるとおり僕自身も他者に対して排他的な態度をとってしまいます。 みんなが高校時代仲間と協力して文化祭をやったり楽しい思い出があるのに自分は代わりに「パウロの手紙を原文(ギリシャ語)」 を読ませられ暗唱させられて暗い青春でした。 死ねば全て終わりますが「自殺は罪」ですし「最後の審判」が怖くて そんな事できません。 しかし僕がここに書いた事はかなり主観的で感情的な文章になっているかもしれません。 どうか第三者の視点から適切なアドバイスをよろしくお願いします。 by 青春を奪われた、打倒キリスト教に燃える青年
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ANo.2です。 >>が生きる目的を失った今なぜ自分は働かなくては(あるいは勉強しなくては)ならないのか、と自問するときに「その場しのぎ的にとりあえず働くあるいは学校にいく」ということになってしまいそう なぜ生きるか?っていうと、近代では、藤村操も悩んだテーマだし、古くは、妻と子と親と自分の国を捨てて29才で城を出て修行するなんて人非人なことをやった釈迦族の王子、シッタルダも同じですよね。 この答は、「輪廻転生」を信じないと出てきません。人生1回限りでは、普通に考えたら、「どんな犯罪を(殺人さえも)犯しても、死ぬまで発覚しなければOK。どんな方法でもいいから、膨大な金と権力を入手し、享楽的に生きるのが一番」なんて生き方がベストなんてことになりかねません。 ですが、キリスト教は、輪廻転生を否定しています。なので、キリスト教を捨てないと、答えは得られないわけですね。 そして、輪廻転生を信じるなら、あの世、あるいは霊界を認めることになり、そして価値観の逆転となります。 簡単に言えば、「この世は、魂の向上のための学校として存在している」ってことだそうです。なので、大学にいって勉強することも、会社で人々の為になる仕事をするのも、そのための手段です。 もちろん、誰にも適用される大目標として「魂の向上」があるとしても、個人レベルでは、「芸能界でトップスターになる」「大企業を作って社長になる」など、誰もが、自分なりの人生の目標を作って生まれてくるそうです。 質問者さんも、なんらかの人生計画を立てて、この世に生を受けたものだと思いますよ。がんばってください。
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- kokoro-fa
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呪縛からの解放とはなんだろうと常々考えています。私の子どもはあるカルトにはまりましたが、自分の力で帰ってきました。ただ自分のやってきたことを、どういう立場で整理してよいかわからないのです。助け船を出したところで、拒否されるのがわかっています。なぜならば、子どもはカルト特有の排他的性格をもち合わせてしまったのです。 信ずるものが、おかしいと思っても、呪縛からの解放がないかぎり、心の中に自由はもどってこないと思います。あなたの場合いは自分の頭の中で呪縛がまだ残る中で、なんとか糸口をみつけだそうとされておられるのですね。私のこどももそうあってほしいのですが。 あなたは数ある扉の中から復讐という扉を叩こうとしているような気がします。復讐も排他的なものですね。 親子関係で、とてもつらい経験をされているようなので、大変だとはおもいますが、自分の中にある理性を信じてください。 キリスト教は科学技術の進歩の中で、宗教改革をへる中で進化論を認めざるをえなかった。エンゲルスに代表される唯物論の発達について学ぶことをお勧めします。唯物論を信じるということではなくて、キリスト教に代表される観念論と唯物論の哲学上の根本問題の認識を客観化することにより、人間として、人類の一員としてきちんとした価値観をもつことが、あなたのこれからの人生にとって大切なことのように思えたからです。唯物論の入門書程度のものでよいかと思います。
お礼
ご回答を感謝します。 返事が遅くなり申し訳ありません。 エンゲルスの唯物論ですか・・・昔マルクスにははまった事があります。彼は無神論ですよね。 僕も無神論になれたら、それが一番良いと考えています。 ですが僕は「神を憎んでいる」のですが「憎む」という事は「相手の存在を認めてしまっている」という事になります。 この厳格な原理主義のキリスト教的教えはここまでも自分の中に浸透しているのだ、と愕然とした頃もありました。 ですがお薦め頂いた「唯物論」の入門書を少し読んでみます。 自分が無神論に納得できるとは思えませんが、 少しでも自分の中にあるキリスト教の呪縛から解き放たれるきっかけを掴みたいからです。 そうです。この世に生きている間に僕は自分の今までの考え方、キリスト教の呪縛から解かれるために精一杯の努力はします。 がそれでもどうにもならなかったなら、 やはり自分が所属していた原理主義的な教派に復讐したいと思っております。 勿論復讐の方法はいろいろあります。物理的なもの、教義的に間違った解釈をする工作員になるなど・・・ ですが物理的な復讐は法律に抵触する事が多いのでここはじっと 工作員になって教会の内部から崩して分裂させるつもりです。 まさしくイエスが説いた「パン種の例話」を逆手にとって復讐してやりたい、と思います。 しかしまずは「唯物論入門書」などと読み漁り自分を変えていきたいと思います。
- ucok
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#3欄にいただいた補足を拝見しました。 とりあえず、あなたが特殊でないという私の考えは、今も変わりません。親の強要で18歳までの人生を振り回された人はごまんといるし、むしろ、そのほうが多いくらいでしょうし、現に私も、18歳まで親の都合で引っ越しを何度も強いられたために、同窓生とはほぼ無煙、小中の卒業式を経験できず、自分が写っている卒業アルバムをもらえませんでした。私のような人は世の中には大勢いますが、自分の周りには一人もいなかったので、結構、人生が面倒でしたね。それでも、その後に青春をつかみましたし、今は楽しく生きていますよ。 さて、前置きが長くなりましたが、それとは別に、私には自殺願望があります。今はだいぶなくなりましたが、小さい頃から、なにかというと、死にたくなっていたのです。かつては「このせいで死にたいのだろう。あのせいで死なざるを得ない」と考えたものですが、ある年齢に来て、「これは単に、死にたいと思っているだけで、死ぬ必要は、おそらくないし、やりすごしていれば、死にたい思いは消えるのだな」と気づいたのです。それからは、死にたいと思っても、とりあえず「これは一時の迷いだ」と自分に言い聞かせ、日常生活に戻るようにしています。もちろん、一時の迷いだなんて、その場では本気では信じられないし、頭でしか理解できません。しかし、とりあえず前に進んで歩いていると、いつの間にか死にたいという思いは消えます。日常を生きてみることで、生きる楽しみを取り戻しているのです。 あなたは、「生きる目的を失った今」、前向きに生きようとするのは逆効果ではないかと言っている。しかし、生きてみないことには、新たな目的は見つかりませんし、生きてみないことには、新たな信仰も、新たな友人も、新たな青春も得られません。 「こういう者が入試でたまたま運良く大学にあるいは会社に入社してはその大学を衰退させる原因になる」って? 悪いけど、あなたにそれほどの影響力はありませんよ。世の中に出て、他者からの影響を、取捨選択しつつでいいから吸収なさいませ。
お礼
再度のご回答ありがとうございます。 僕と似た境遇を通ってこられたのですね。 とりあえず「生きる目的」を発見するために 生きてみようと思います。 新たな青春と新たな信仰を得るためには前へ進むしかないのでしょうね。 さて、頭で分かったことをどこまで履行できるか分かりませんが 一歩一歩前進して生きたいと思います。 それでも生きる目的が見つからなかったら・・・そのときは 「神と自分の教派と親に復讐する」ことを生きる目的にして 壮絶な最期を遂げるつもりです。 ご回答ありがとうございました
- raphael7
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親から逃げてみてはいかがでしょうか? 私の知り合いに、親が統一教会の信者で、それが嫌で大学は地方の学校にした人がいました。 お金も仕送り無しで、奨学金や、深夜労働などをして工面して、とても感心していました。 学校はいい口実になります。 国内が面倒ならば、海外にすればいいと思いますよ。 科学的視点から自殺について。 自殺はその時の感情や身体的痛みが、肉体を脱した後も、そのまま魂に残り、自分ではどうしようも出来ない状態となります。 今、あなたは宗教によって悲しみを覚えていますね。 悲しみを覚えることは、身体に過剰量の電気が帯電している事を示します。 これが行き過ぎると、うつや統合失調症になります。 あなたをここまで苦しめる宗教なら、思い切ってやめてしまう事がいい療養になると思います。 場所の移住、考えてみてください。
補足
回答をありがとうございます。 遠い学校に行けば確かに地理的には親元を離れざるを得なくなるかもしれません。 が自分の場合「生きる目的」がみつからないままでは、 勉強にも手がつけられない性質の人間なのです。 今まで「神の栄光をあらわすために」と思い勉強に励んできました。 成績が芳しくないと親も僕も断食祈祷(といっても水はとる)をして まさしく勉強と宗教あるいは生きる目的が密接に結びついて 勉学してきました。 が今の僕は生きる目的を失った、虫の抜け殻のような人間です。 大学にいくのだったらまず生きる目的を先に発見したいと思います。 科学的視点からの自殺問題のアプローチありがとうございます。 自分は文系ですのであまり科学については知らないですが 科学ではそこまではっきりわかっているのですね。 >あなたをここまで苦しめる宗教なら、思い切ってやめてしまう事がいい療養になると思います。 場所の移住、考えてみてください。> ありがとうございます。 実は教会には今年に入ってからいってません。 少し精神状態が良くなってきています。
簡単! グノーシス派に転向しましょう!
補足
グノーシス派ですか? 僕はむしろキリスト教全体(特に原理主義だが)憎いので キリスト教とは縁を切ろうと思っております。 むしろ新興宗教でいい宗教がないでしょうか?
- ucok
- ベストアンサー率37% (4288/11421)
まず、事実を整理しましょう。 「ホームスクーリング」とは、学校に通わずに、自宅で学習すること全般を指す言葉であり、キリスト教とは関係ありません。 また、日本ではホームスクーリングが行われていないと思われがちですが、多くの親、または子供自身がホームスクーリングを選択しています。ちなみに、これは違法でも何でもありません。「義務教育」とは「保護者が子供に対して、教育を施す義務を負っている」ことを意味しているのであり、その教育は必ずしも通学によるものである必要はありません。 ホームスクーリングを選択した家庭の多くは、集団生活にも、ある程度は馴染ませるようにと、何らかの集団に子供を入れている場合が少なくありません。ただし、あなたの場合は、宗教上の理由で、集団生活をあまり経験しなかったということですね。ちなみに、キリスト教徒の大半は、進化論や通学を肯定しています。あなたが所属する宗派が、そうではなかったということです。 さて、こうした教育のせいで、あなたは青春を奪われたとお考えなのですね。しかし、あなたと同じような環境で育った人でなくとも、人付き合いが苦手で、彼女がいなくて、アイデンティティが確立できずに悩んでいて、親や教育を責めている18歳は、ものすごく多いです。そういう人のほうが当たり前といっても過言ではありません。 それから、あなたは保護者の意向で、一般の世の中から隔絶を強いられたようですが、世の中には、保護者がどんなに世の中に出そうとしても、自分から家に閉じこもってしまう「引きこもり」という状態の若者が大勢います。かと思うと、青春していても、文化祭はさぼる高校生はいくらでもいるし、学校生活だって、盛り上がるものばかりではありません。 というわけで、あなたのようなご性格や精神状態や立場の若者は、決して特殊でも不健康でも何でもないので、卑屈にならずに、さっさと親に反抗し、外の世界に飛び出して、見聞を広げて、その、キリスト教はすべて害だというつまらない考えを一掃して、青春してください。若いんだから、いつまでも引きずらないこと。とりあえず、バイトか旅か進学、なんてのはどうですか?
補足
なるほど義務教育とは必ずしも通学させる形をとるのは限らない、ということですね。 ありがとうございます。 どうも自分の親は「キリスト教原理主義」でして 進化論否定・同性愛否定をしますしこの世と迎合する、という事を心から憎んでおり僕にもその方針でHSさせたそうです。 テレビも途中までは禁止されていましたし「君が代」もだめ。 この世の影響から完全に僕を隔離したかったようです、。 が僕は親の所有物ではないし、最近「親のこういう姿勢はどうなのだろう」と目が開かれてきたとこですが、 今までの教育が偏っていたために同世代と波長が合わずに 人間関係にはかなり苦労しています。 聖書にはもろに「この世と調子を合わせてはいけません」というパウロの言葉がありますがこれはまさしく僕に「KY人間になれ」といっているようなものです。 あまりにも彼らと僕の間を隔てる暗黒の谷は深くとても 自力では渡れません。 もちろん学校にいっていてアイデンティティーを確立できない人の存在も知っています。 が僕が義憤を感じているのは「アイデンティティーが確立できなかった事」そのものより「その確立する機会を親に一方的に奪われてしまった」というこの忘れ難い事実について、です。 バイトや進学も自分に勤まればやってみたいと思います。 が生きる目的を失った今なぜ自分は働かなくては(あるいは勉強しなくては)ならないのか、と自問するときに「その場しのぎ的にとりあえず働くあるいは学校にいく」ということになってしまいそうであり、 こういう者が入試でたまたま運良く大学にあるいは会社に入社しては その大学を衰退させる原因になると思います。 生きる目的を失った、と言いましたが キリスト教特に原理主義に復讐してやりたい気持ちはあります。 これを生きる糧とすればいいでしょうか?
- lv4u
- ベストアンサー率27% (1862/6715)
>>死ねば全て終わりますが「自殺は罪」ですし「最後の審判」が怖くて そんな事できません。 これは論理が矛盾していますね。「全て終わり」なら「最後の審判」も無いことになってしまいます。そして、「最後の審判」があるなら、その時まで、貴方の魂(に相当するもの?)は、どこかに存在していないといけません。まあ、この部分がキリスト教の弱いところというか誤りの点です。その結果、輪廻転生も否定することになっていますね。聖書にはそれを肯定しているような記述もあるのですが。 >>どうか第三者の視点から適切なアドバイスをよろしくお願いします。 キリスト教は、最初は良かったにしても、支配者の道具として長年使われてきています。質問者さんは、その教義のおかしな点に気づかれていると思います。もう、キリスト教のくびきから解放されて、心を自由に羽ばたかせたほうがいいと思います。 書店や図書館にて、老師・荘子系の書籍を読まれてみればいいと思いますよ。心を軽くして、とりあえず恋人を作りましょう! >>by 青春を奪われた、打倒キリスト教に燃える青年 これは自分の心の中の「キリスト教」を打倒するってことですよね?世間的なキリスト教はもう死に体同然でしょう。イエス・キリストは、もう堕落した教会を訪れてはいないのでは?自分の中じゃあないキリスト教を打倒しようとするのは、時間の無駄だと思います。
補足
回答ありがとうございます。 死ねば全てが終わる、というのはこの世において 「自分の惨めな境遇精神人格から逃れられる」というつもりでした。 明らかに言葉足らずでした。すみません。 老子荘子の本ですか。 わかりました、。 読んでみます。
- kgrjy
- ベストアンサー率54% (1359/2481)
小学校中退させられそれからどうやって、都立高校生なの? 補足をお願いします。
補足
それはそう書いたほうが勉強を教えてもらえるかな?と。 嘘も方便というやつです。 ちなみに今年はずっと教会にはいってないので 「隣人に対して偽証してはならない」という十戒の第九戒は 破っておりますww
補足
>簡単に言えば、「この世は、魂の向上のための学校として存在している」ってことだそうです> 「魂の向上」を大目標として自分は「勉強して大学にいく」「バイトをする」などの個人レベルの目標を持てればいい、というわけですね。 「目標をもつ」というよりは「目標に気づく」という表現が正確かもしれませんね、誰でも最初から目標をもって生まれてくるのならば。 自分もその目標に何とかして気づけるように、まず前進して 毎日生きたいと思います。 ご回答ありがとうございました