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クリスチャンホームについて

こんにちは。まず自分はクリスチャンで無いことを明言しておきます(誤解を招かないように) クリスチャンホーム出身の子というのは小さい頃から教会に連れられて聖書の話を聞かされたりするわけですよね? そしてその彼らが思春期や青年期に差し掛かると同世代の子達と明らかに異なった価値観を持つようになりますよね? そしてその仲間との価値観のギャップに悩まされたりするわけです。 これってちょっとひどい話じゃないでしょうか? 親の信じる神を子供に押しつけているようで子供が不憫でならないんです。出身の方でこの事実をどう受け止めておられるか知りたいです。

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  • sawai197
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回答No.3

No2です。丁寧なお礼もとい補足(笑)ありがとうございました。申し訳ありませんが、1つ言いたいことを書き損ねていたので、もう一度失礼させていただきます。 創価学会員の子どもはクリスマスを祝えない、イスラム教徒の子どもは豚肉が食べられない、キリスト教徒の子どもは神社に初詣に行けない、でも「クリスマスを祝うこと」「豚肉を食すること」「初詣に行くこと」は「正しいこと」なのでしょうか。違いますね、「多数派」なだけです。 「少数派」の彼らは「多数派」の「文化・様式・価値観」に合わせなければいけないのですか? 「少数派」の人々が「文化を否定されるのが可哀想」なので「多数派に合わせるべき」なのですか?  順番が逆でしょう。「多数派」の人々が「少数派」を「認める」べきなのです。「合わせる」ではなく「認める」です。 「豚肉を食べない子もいる」「クリスマスを祝わない子もいる」「初詣に行かない子もいる」これからの社会はそういう社会です。様々な文化・様式・価値観を統合していくのではなく、共存していくべき社会です。 というか、ぶっちゃけ「統合」は無理です。 勿論、私の言っていることは「綺麗事」で、現実は少数派が差別される社会だということは判ります。だからといって初めから「どうせ差別されるんだから」と、「少数派の価値観」を「悪」とするのはいかがなのものでしょう。それこそ「価値観の押し付け」ではないでしょうか。(=自分たちの価値観こそが「正しい」) さて、話は変わりますが、質問者さんは「宗教」一般ではなく「キリスト教」を「排他的で非常識な宗教」と思われているようですね。で、あるからそのような危険思想を子どもに押し付けるのが間違いだと。 だとしたら私にはもう言うことはありません。私はクリスチャンではありませんし「質問者はキリスト教を誤解している! キリスト教はこんなに素晴らしい宗教だ!」なんて言うつもりはありませんから。 ただ、個人的には >「この神こそ正しい」あるいは「イエスこそ道である」と教えそれ以外の考え方を排除します。 これは極めて一般的な「宗教」のあり方で、とくにキリスト教に特異的なものとは思いませんが。

jigokunoku
質問者

お礼

わざわざ2度も回答して頂きありがとうございます。 一神教では「他の偶像や価値観を排除する」傾向があります。キリスト教だけではなくイスラムもそうです。ですが私がキリスト教だけを危険視したのは友人にクリスチャンホームがいて色々と厳しい戒律の羽交い締めにされていることを知ったからです。 少数派というのは「異端」扱いされやすいのは事実でそれはsawai197さんもご存じのようです。多数派に何故迎合するべきなのか。 それはその方が精神が楽であるからです。そして仲間はずれにならないからです。勿論自分で主体的に少数派に属するのは悪いことではありません。(クリスチャン1世)しかしクリスチャン2世はそうではありません。すでに少数派への線路が敷かれているのです。これは子供が異端扱いされるのを強制しているようです。 ですから幼児期などは多数派の価値観に従わせた方が子供のためだと思いました。

その他の回答 (5)

  • kigurumi
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回答No.6

こんにちわぁ。 回答に対する返事を読んでいて思ったので、書かせていただきます。 ユダヤ文学の作品の中に こんな文句が書かれています。 『かつてあったことはこれからもあり、かつて起こったことはこれからも起こる。 太陽の下、新しいものは何ひとつない。 「見よ、これこそ新しい」と言ってみてもそれもまた、永遠の昔からありこの時代の前にもあった。』 今回の質問の真意は、「親の価値観を子供に押し付けたため、子供は少数派になり、異端扱いされ、多数者の中で生きづらくなっている。 子供に宗教の自由をさせていることにならない。」 ってことですよね。 まず、キリスト教の教義の中に、「義のため迫害されるものは幸いである。天の国はその人たちのものである」というものがあります。 これがキリスト教が各地で迫害された信者を力づけた強力な呪文だったと思います。 (あ、ちなみに私無神論者です。外国ではそう言うと、人間じゃない みたいな顔されます。) 少数派で迫害されると、代償として天国に行ける ってイメージなわけですから、「もっとやって」とマゾ的な心理になるわけです。 「右の頬を打たれたら、左の頬を出せ」 これもマゾ的だと思います。 さて、正解は、、、、、 「義のために迫害されるものは幸い」じゃない。 聖書の翻訳ミス。 「右の頬を打たれたら」も暴力を受容しろって意味じゃあない。 キリスト教の教義には、いくつも翻訳ミスによる間違いがあるんですね。 さて、その間違いだらけの誤訳の聖書を信じる人たちは、間違えた理解をして、それを真理として生きているわけです。 「信じるものは救われる」 確かに。 騙されているのに知らずに、間違えたレシピを「いつかマフィンができる」と信じてコネコネして一生を終えるわけで、ある意味騙されていることを知らないことは、幸福でもあるわけです。 キリスト教は最初少数派だったのですが、「義のために迫害されると天国にいける」ってことで、がんばちゃったわけですが、少数派が多数派側にコロっとなれた理由は、ユダヤ人をスケープゴートにするのに成功したから。 この技発動しなかったら、今キリスト教なんて無かったでしょ。 <ユダヤ人は神イエスを殺した下手人である> そうすることによって、バラバラな対象に向けられた人々の憎悪を、ユダヤ人一点に絞り込め、バラバラでケンカしていた人々の共通の敵がユダヤ人になったため、仲良くなったわけです。 集団の心理って怖いですよね。 でも集団ってそうなんです。 ケンカしている人々が、共通の敵を得ると、親友のようになってしまう。 で、多数者側にキリスト教はなっていくわけですが、それでも、キリスト教は今とは比べ物にならないほどの、多数の派閥があり、またケンカした。 ある派閥は、他の派閥の理解を許せず、「これがイエスの教え」と聖書を作ったんです。 4つの福音書だけが、イエスのことを正しく伝えている として、他の福音書を真実だとする人々を偽物を支持するもの として迫害していった。 4つ以外の福音書 特にグノーシス派の支持するものは燃やせ って支持した。 これでキリスト教を1つだけにしたかと思いきや、また分裂。 少数派が多数派になり、多数派から異端が出て分離し、、、、、と、みよ これぞ新しい神の契約と言ったところで、それはかつてあり(無い無い。誤訳ミスで新しいと勘違いしただけだから)、そういう間違いはかつてあり、これからもあり なんら新しいものなど無い。 と昔の賢者は言った通りに繰り返すわけです。 「ちょっと待て、ってことは、友人の親は間違えたものを子供に正しいと教えているのか?」 はい そうです。 親ばかりか、キリスト教も信者に間違いを真理だと刷り込んでいます。 レシピ間違えているので、マフィンできません。 「これはもう 親子の問題だけじゃなく、キリスト教全体が信者に対してひどいことをしているってことにならないか?」 ええ でも ほら「信じるものだけ救われる」ってありますから。 未だにマフィンできた人は1人もいませんが、「自分こそ作ってやる 神の奇跡が自分に起こり、第一号になってやる」って思っているんじゃないか と。 というわけで、集団でいけば、キリスト教信者は1%だっけ?それくらいしか日本にはいませんが、諸外国では間違いさん達が多数派を占めており、彼らにより、かつてあったことはこれからもある というわけで、イラクをスケープゴートにして人殺しをして、神の国の実現をしようともくろんでいるわけです。 そのキリスト教の侵略にたいして、先祖の土地を守っているのがアルカイダとかそういう集団。 まあ 要するに誤訳づくしの聖書を信じて人殺しをして土地を乗っ取ろうってしているわけです。 それを支持しているのがキリスト教信者。 ブッシュがいくら強引でもキリスト教信者の強力なバックアップ無しにはこの大量虐殺・略奪は成功しなかった。 「でも、イエスだって他の領土を侵略して皆殺しにして、土地を奪ったじゃないか。」 はい、でもどうやらそれ事実じゃないようです。 だから旧約の話も史実じゃないようです。 (というか ユダヤ教では聖書っていったら これしかない。) で、どうしてそんな話が史実として残っているか? 文学だからかな? で、自業自得って言葉があるじゃないですか。 ご友人がどこまで信じているか 程度がわからないのですが、ご友人は家庭という環境と学校という環境とあり、自分に親しいグループは学校の友達じゃなく、家族ですよね。 じゃあ 家族にいい顔しておいたほうが、家庭で生き易いじゃないですか。 「友人と家族とどっちとるんだ」ってそりゃ もう決まってます。 学校の友達は数時間の付き合いだし、学校を卒業すれば疎遠にもなるが、家族は縁切れませんから。 それにまさか 親が子供に毒飲ませるなんて思わないでしょ? 「おかあさん それ食べ物じゃない ゴキ殺しのダンゴ!」ってお母さんに教えないと、子供にいいものだと思って与えたりする馬鹿親もいる。 例え悪いなぁ・・・ 他の例え思いつかないので、、、すいません。 まっ そんなわけで、2千年たっても間違いレシピでマフィン作ろうするわけですが、そうやって生きても一生、そんなことしなくても一生。 どちらも土に還るんですね。 でも彼らは天国に行けると信じている? ええ、オウムだってそう信じて入信したわけですし、天国目指して集団自殺する宗教もあります。 自己愛って誰でもあると思うんですね。 宗教って究極の自己愛かなぁ って思うことがあります。 そうなると愛の対象は他者ではなく、実は自分に向けられているわけで、少数派だろうとなんだろうと、強烈な自己愛ゆえに 自分を自慰することをやめることができないまでなる。 自己愛で自慰する行為を公共の場でやられると、異様な光景に目を背けたくなりますが、なんせ自分が快楽なら他人などどうでもいいわけですから、「さあ あなたも一緒に自慰しましょう」って教会にさそうわけです。 1人勧誘したら、自分の考えはやっぱり正しかったのだと一時的な快楽を得るが、幻なのでまた渇く。 渇きを満たすため賛同者を求めてあえぐ。 自分を信じていないから、他人に賛同を求め、勧誘を続けるわけでしょ。 他人に賛同してもらわないと落ち着けない。 自分の認識を信じることが不可能だから。 何故なら自分が一番自分を信用ならないと知っているから。 だから子供も利用する。 賛同してもらわないと、落ち着けないから。 つまり、自分を信じていないものなので永久に救わないってわけです。 そういう、、、なんだっけ??? ああ 思い出したメサイアコンプレックスに信者は陥るわけで、絶対に満足できず、もっと もっと もっと もっと と無限の快楽を得ようとして、勧誘を続けるわけです。 何人勧誘しても、まだ飢えて、もっと もっと もっと もっと とあえぐ。 穴が空いてるから絶対に満たされない。 で、キリスト教が異端としたグノーシス派の教師モノイモスはこう言っている。 『神とか創造主とか、それに類似するものを探し求めるのはやめなさい。 「神よ 肉体よ 我が心よ」と求めるのは誰であるのか知りなさい。 喜びや悲しみの根源を知りなさい。 それを知ったとき・・・』 みたいなことを言っている。 レシピを偽レシピだと排除しちゃいうと、永久に見当違いなところを探し飢えることになるわけです。 まあ、ご友人 もうちょっと知恵がつけば、そのうちまやかしを暴け その時 安らぎを得られるかも。 ああ、 そうだ 遠藤周作さん。 彼 なんとかその西洋の衣装を着ようと奮闘して、和服に改造して着て、やっと着れるようになった と自分を長年誤魔化していたことを認め、認めた時 道が開き、晩年仏教に帰依したらしいです。 晩年かぁ。 彼が親からだったと思いますが、キリスト教の影響を受けていなければ、もっと早く穏やかな心になれたかもしれない。 でも、そうなると 作品を生み出せなかったわけで。 彼の作品 苦労してなんとか 西洋の衣装を着て安らを得ようと奮闘している様子が伺えます。 自分をなんとか納得させようとした彼の履歴(作品)を見て、うーーーん と言葉を失います。 ご友人もこれから奮闘続けて、必要の無いあえぎ 苦しみを 体験していくと思います。 アーメン。 あ、そうだ アーメンって アメンでアモンってのが元の言葉じゃないかなって思います。 アモンってエジプトの神。 キリスト教だと悪魔になっています。 つまり 何か言った後 同意 として使うアメンは、アメン神に同意するって意味なわけで、キリスト教では悪魔ですから悪魔崇拝ってことになっちゃう。 神の名 みだりにとなえると 悪魔崇拝になっちゃうんですね。 でも アメンってエジプトじゃ 悪魔じゃなくて神ですからね。 キリスト教は各地に布教するため 土着の神を悪魔にしたてあげたんですが、、、、カルマですねぇ。

jigokunoku
質問者

お礼

色々と長く丁寧にご説明頂きありがとうございます。 キリスト教は確かに外国だと多数派ですね。 そうすると今度は「クリスチャンホームでなくちゃ」となってしまうわけですか・・・。 なるほど、はっとしました。 そうそう聖書にはやはり翻訳する時にミスがありますよね。 ですがそれはささいなミスでしょうね。 キリスト教の本質を大きく損なうようなものではないようです。

  • taco8ch
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回答No.5

俺が小学校のガキんちょろの頃の話、クラスメート幾人かが口論してるんですわ。 中に割って入って両者の話しをよく聞いてみると、どうもその中の一人が、 「人間は猿から進化したのではない」ってキレ気味に主張して、 他の子たちからボコボコにされてたわけね。 彼らに何が起こっているかはお察しのとおりです。 ――まあ、「人間は猿から進化した」って表現もかなり的ハズレなんだけど、 そこはそれ、小学生ですから。勘弁してください。―― 俺は、随分あとになって、ああ彼はそういうことかと理解するのだけど、 当時、純粋無垢で天使のような小学生だった俺はその突飛な主張に驚きつつも、 正直「うわあ、こいつ、ばっかだなあ」と思ったのも事実です。あは。 俺は昼休みに、その子を誘って学校付属の図書館に行き、 「まんが世界の偉人伝」的な本を借り、ダーウィンのページを繰って見せた。 (まんがってところが小学生チックで身の丈に合ってるよね) ――まあ、ダーウィンも突付けばいろいろ問題ありかもしれませんが、 そこはそれ、小学生ですから。重ねて勘弁してください。―― とにかく、その子はその日、昼休みの暗い暗い木造図書館で、 自分がこれまで見てきたこと、聞いてきたこととはまったく違う考え方が世界にはあること、 そしてともすればそれが他者の常識であり、支配的であることを衝撃を持って知ったようでした。 そして俺はその子とその日、親友になった……つもりだった。 つもりだったのですが、次の週、彼、登校拒否になっちゃいました(笑) いや、たぶん先の喧嘩が原因でしょうけど、 もしかしたら、今は、はあ?俺かも?とも思うわけです。 マジでしばらくは出て来ませんでしたね。卒業はできたみたいだけど。 それからは、疎遠というわけではありませんが、 結局、普通のクラスメートで終わりました。 こと宗教に関して言えば、こんなもんですわ。なかなか難しいよね。 裏返してその時の俺の「善意」を考えてみると、 自分たちの価値観をクリスチャンの彼に教え込もうという姑息な意図も無きにしも非ずです。 俺は、こいつの考え方を変えるぞ、こいつの価値観を否定して、崩壊させて、 新しい価値観を植えつけてやるぞ。 君の生き方は間違っている、でも俺は正しい。 だからさあ、新しいこっちの世界においでなさい。 俺が知っていることを、無知な君に教えてあげる。だってさ・・・ だってそうしないと、俺が正しくなくなるじゃん。 「俺が、道であり、真理であり、命」なんだもん。 卒業してからの彼が、今どうしているのかは知るよしもありません。 もしかしたら今でも原理主義者かもしれませんし、 案外、立派な偶像崇拝者に劇的転身を遂げたかもしれません。 まあ、そこはそれ。彼の人生です。 >人も同じように創造主を知らなければまともに動けないのです。 #4の回答の引用です。 クリスチャンホームで純粋培養されることの怖さはこれなんだと思うのです。 生身の人間を計算機に比喩するもっともらしい説教を 少しも立ち止まることもなくすんなり受け入れちゃうんだよなあ。 だけど、こんにちも続くクリスチャンの手による世界史の数々の悲劇が、 このささいな片隅の言葉から始まっていることは、まだまだ認知が少ないように思うんだ。 百歩譲って、神の息を吹き込まれた人間を、電子計算機に喩えたとしてもだよ、 ちょいまち、その取説にはミスプリがあるんじゃねえのかって考えないんだよなあ。 そのうち、「創造主を知らなければ人間じゃないのです」って言われそうで、 プラ箱の中のバナナもろくに取れない俺なんかはびくびくだよお。ウキー。

jigokunoku
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 小学生時代の同級生さんでしたか? その方の現在が気になりますね。もしもそれで人生が狂わせられていたら創造論を信じた為の悲劇です。 やはり少数派は苦労しますよね。 日本においては多数派の無神論などの流れを汲んだほうが無難に立ち回れますし良いと思います。

  • smgoo_001
  • ベストアンサー率12% (6/49)
回答No.4

私は、私が生まれ来るずっと前から私のことを思ってくれる神(イエス・キリスト)と共にいます。 私の両親は立派なクリスチャンでした、人から見てではなく神から見てです、人から傍観されれば、かわいそうな人だと見えたかもしれません。 しかし、両親が亡くなり、思春期の混乱の中で犯罪も犯さず、自殺もせずやってこられたのは子供の時に見ていた両親の生き様があったからです。 もう母の年齢をとうに超えました、もうすぐ父の年齢になります、しかし今も両親を尊敬しています。 親が遺してくれた最高でたった1つの遺産は「神を知る知識」を残してくれたことです。 人と違った価値観を持って自分は幸せと思っています、この大変な時代になぜか苦労もなく生活ができるのも神が私と共におられるからです。 価値観のギャップの悩みの中で練られて、人格が創られて行くわけで今は辛くても、これは後に幸せなことなのです。 少し見方を変えてみてください、例えばパソコンに例えますと、パソコンは作り主が居るわけですOSもソフト入っています、しかし取説なしでそのパソコンを操作するとどうなるでしょう、設計した人の思惑とは全く違いまともに動作しないと思います、動作してもすべての機能を使えないでしょう。 人も同じように創造主を知らなければまともに動けないのです。 神は言います、「主を恐れることは知識の初めである」と      (主とは神すなわちイエス・キリストです)

jigokunoku
質問者

お礼

うーん、なるほど。分かりやすい例話と共にありがとうございます。。 あなたは恐らくクリスチャンですね。ですから神をそこまで信頼できるのですが私のような無神論者には到底まねできません。 神に選ばれた者はさぞ幸いだと思います。が子供が神に選ばれた、という100%の証拠はないのに聖書の話を教え込むのはどうかと思います。

  • sawai197
  • ベストアンサー率39% (164/415)
回答No.2

つまり、クリスチャンのAさんとBさんが結婚して子どもが産まれたら、AさんとBさんは子どもの為に信仰を捨てなくてはならないということでしょうか? 日本の家に生まれた多くの子どもは、七五三や初詣に神社に「連れて行かれ」ます。これは神道の押し付けになりますか? 私の親は無神論者で、私も無神論者ですが、質問者さんの論理でいえば、これだって親からの宗教の「押し付け」ではありませんか?(勿論私は親から無神論を「押し付けられた」とは思っていませんが) 子どもが親の影響を「完全に」受けないで育つことは不可能です。しかし、子どもをとりまく世界は親だけではないのです。思春期や青年期にさしかかれば、質問者さんのおっしゃる通り、いろいろ思うところがあって「自分で」考えるようになるでしょう。 ・私の知っているクリスチャンの5人のうち4人は、親は他の宗教の信者(もしくは無神論者)です。 ・熱心な創価学会員を両親にもつ友人は、トルコ人と結婚してイスラム教徒になりました。 大事なのは、親が子の「選択」を認めることで、これは親の宗教とは関係ないでしょう。例えば無神論の親が、キリスト教を信仰したいという子どもを止めるとしたら、やはりそれも「押し付け」なのです。(あきらかに反社会的なカルトだったら話は別ですが) 繰り返します。「親の信仰」は子どもをとりまく環境の「ひとつ」であってすべてではありません。農家の家に生まれた子は、農家の常識しか知らない。サラリーマンの家に生まれた子は、サラリーマンの常識しか知らない。その程度のことです。 勿論、中には子どもの精神の自由を認めない困ったちゃんの親もいるでしょう 先ほどの例で言うなら「農家以外の仕事は認めん! 農家以外の仕事はクズだ!」みたいな。しかし、この場合「悪い」のは「農家の環境」や「農家そのもの」ではなく、「かたくなな親の価値観」です。そして勿論すべての農家の方がこんなアホな考えをもっているわけではありません。 「農家」をすべて「キリスト教」に置き換えてみてください。

jigokunoku
質問者

補足

丁寧な例えとご回答を心より感謝申し上げます。 そうです、まさにそうなんです。 >子どもが親の影響を「完全に」受けないで育つことは不可能です。> 考えてみればそうですね。親には影響を与える権利があるのかもしれません。 >大事なのは、親が子の「選択」を認めることで、これは親の宗教とは関係ないでしょう。> ですよね。子供が有る程度の年齢に差し掛かったら選択の自由を与えるべきなのですがここで一神教というかキリスト教には大きな問題があります。キリスト教では「この神こそ正しい」あるいは「イエスこそ道である」と教えそれ以外の考え方を排除します。 農家の方でも「農業命」という方はいらっしゃるでしょうがそれは親の問題です。しかしこの宗教に限っては原典である聖書にそのような他の価値観を認めない傾向が強いのです。 つまり親がかなりの確率で頑固親父などになりやすいのです。 また別な価値観を持つ事に「罪悪感」を感じるように普通のクリスチャンホーム出身の子はなるようになります。 選択の自由は与えるものの半強制的と言っても過言ではないのが このキリスト教の問題点です。

回答No.1

虐待でもしていないかぎり、子供をどう教育しようと親権者の 自由です。他人がとやかくいう問題や話ではありません。 百歩譲って仮に、佐藤さんの家の母親が子供を教会に連れて 行っている、あの子の将来が心配だとして、佐藤さんの養育や 教育に口出しして、それをとめる権利のあるのは誰ですか。 あるいはどこの委員会ですか。 そんなことができるのは共産主義国家だけです。 よい社会とは思えません。 つまり、あなたには関係のないことです。

jigokunoku
質問者

補足

ご回答ありがとうございます。 確かに子供の教育権は親に属するのかもしれません。 が「キリスト教」というのはあまりにも西洋的な現代日本の価値観とかとは異なった異質の宗教です。 そして何故私がキリスト教にこだわるかというとその教えが他の価値観を排除する傾向が強いためです。「この世と調子を合わせるな」「二人の主人には仕えられない」などのみことばがあるそうです。 そうするとやはり学校などでもKY人間として扱われやすくなります。 なにせこの世と調子を合わせるな、と積極的に命令されているのですから。 それも含めて親の権利なのでしょうがにしても子供はあまりにも 不憫です。親の権利だとはいえ子供にとって有益な価値観を押しつけてあげて欲しいものです。