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反体制。世代間対立は義務教育の違いで発生する?
若い世代の人たちは新しいことの実現を主張し要求する、これに対して上の世代が 「勝手に若者の思想を一方的に押し付けるな」「新しい思想を人に求めるな」とかひどいと「ファシズムだ」と上の世代から反発する傾向があるとネットで言われていて理由を考えていた。 よく考えたら意見を押し付けるなって反対される意見って大体が義務教育で教えている内容か学習指導要領であった。 すなわち国や政治家は学校で新しい価値観を子供たちに正しいと教え古いものは間違っていると教え る、古い考えは間違っているのでやめましょうと教える、傾向があるのではないだろうか。 同性愛肯定、男女平等、Lgbt肯定、景観の授業、反差別、ワークライクバランスこのあたりは学校教育だよね。最近では無電柱化の授業が。 これはつまり世代間の違いや若い世代が親や祖父母世代に反論する動機が学校教育にあったりしないでしょうか。「学校の先生の言うことが正しい。大人も先生に従え」たぶんですが今の年寄世代も上の世代に反論した若者だったかと。若い世代が反体制に傾きやすいのは学校があるからでは。だから独善じゃなくて学校問題だと。 ここに気づかず若者が学校的正論ではなくて個人の意見を主張されていると勘違いされる理由として 昔の学生運動のイメージが国民に強烈すぎたのではないかと だから学校は体制側とかこれまでの国民感情に沿った教育をしているという間違ったイメージが今も根強いのではないかと。 だから国が主導する小学校や中学校から新しい価値観が広められている(学校から現代社会に切り込む新しい人材)とか学校が反体制になっているまで想像もしていないのではないかと。 要するに反体制をみて「あ、学校っぽいな」って感じ無いのは偏見がある。 と思いましたがいかがですか。 新しいことを作るのが政治家の仕事だから政治家や学校が市民社会と異なる反・体制思想になるのは自然なんだが。 今の公教育の内容を大人に教えると「そんなことを今どきの学校は教えてるの?」と驚かれることがあります。 そんなことも調べずに子どもを学校に通わせてたの?ってこっちが驚くが。 ただ純粋に学校で反体制に染まるだけでなく親や大人に反発したいが為に学校で教えられた内容や教科書を社会で持ち出す人もいるのではないかと。昔の人は自力で反体制をしたけど現代は学校で教えられて反体制をしている。 政治家は多様性を子供たちに要求するのに新しい革新も子供たちに要求するからこうなるんでは?
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- HAL2(@HALTWO)
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>若い世代の人たちは新しいことの実現を主張し要求する <古い事物環境を新たな事物環境に塗り替えるのは改革なのですが、若い人ほど反抗期を過ぎて間もないので善悪を良く知らず「改革は改善なので格好良いじゃん(^_^)/」と思っているだけです(^^;)。 >これに対して……上の世代から反発する傾向 <「長年苦労してやっと今の環境に慣れてきたのに梯子を外されてしまうような改革は改悪じゃん(怒)」と思っているだけです(^^;)。 >政治家は学校で新しい価値観を子供たちに正しいと教え古いものは間違っていると教える <それが彼らの Raison D'être です。 古い事、決められた事を守らせるだけなら政治家は要らず、役人が居れば良いだけの事ですから……。 >たぶんですが今の年寄世代も上の世代に反論した若者だったかと <いえいえ、多分なんて言わなくて良いですよ、反抗期なんだからその通りです。 私も斜に構えてそれらしい皮肉を言ってみるのが格好良いと思っていた時期がありました(^^;)。 >だから学校は体制側とか……間違ったイメージが今も根強いのではないかと。 <うん「教育機関や Media は間違った事を言えない筈なので、間違った事は言わない筈」と盲信させられています(^^;)。 >要するに反体制をみて「あ、学校っぽいな」って感じ無いのは偏見がある。 と思いましたがいかがですか。 <教育界も Media 界も、それに誘導された日本社会も、太平洋戦争敗戦処理時 (対 USSR 戦の大陸引揚時でも米国以外の連合国を含む第二次世界大戦の敗戦時でもなく、あくまでも米国主導の進駐軍占領期) に大きく変わって生まれ変わりましたが、それで目指した根源的方向が同じですので教育界も Media も反体制を (是と論破できるほど考えられる人は少ないので) 単に格好良いと思っているのでしょう(^^;)。 >ただ純粋に学校で反体制に染まるだけでなく親や大人に反発したいが為に学校で教えられた内容や教科書を社会で持ち出す人もいるのではないかと。 <反抗期なんだからその通りですって(^^;)。 >昔の人は自力で反体制をしたけど…… <はい、大の大人が論理的な理想の信念を持って反体制に投じましたが、学生や社会人なりたての若者は世間知らずなので論理的理想なんて構築できず、駄々を捏ねるだけのような反抗心や「格好良いんじゃね?」の流行で行動したりします。 >政治家は多様性を子供たちに要求するのに新しい革新も子供たちに要求するからこうなるんでは? <改善に繋がる変革を考えられないようであれば停滞が衰退をもたらしますので、改悪かも知れない改革であっても考える力を持たせるべく環境を整えるのが教育でしょう。 改悪ならば採用しなければ良いだけの事で、改善か改悪かを判断させる力を持たせるにはそもそも判断する材料となる改革案を考えさせなければならず、思考停止や逃避思考に陥らぬようにしているとも言えます……良く言い過ぎたな(^^;)、本音は教育界が良いとはちっとも思っていないのですが(笑)。
- staratras
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興味深い考え方ですが、じつはこれは最近に限ったことではなく、昔からそうでした。明治維新後に新しい近代的な教育を受けた若者は「江戸時代に教育を受けた世代」を批判しています。 その草分け的なものが、22歳の徳富蘇峰(猪一郎)が明治18年(1885年)初夏に熊本で著した「第十九世紀日本の青年及其教育」で、これは明治20年(1887年)4月に「新日本之青年」と改題して東京で出版されました。 この「新日本之青年」の初めの方には「我が明治の青年は、却って天保の老翁よりも先進と言わざる可からず。故に明治の青年は天保の老人より導かるるものにあらずして、天保の老人を導くものなり。豈唯彼の老人のみならんや、我が明治の社会も亦た其の指麾(しき)中に存するものなり。」などとあります。 また終わりの方には「諸君が尤も大敵たる可きものは諸君が恒に敬愛する所の彼の老人輩にあり。(彼の老人にして今日文明の空気を呼吸するものは、是れ再生したるもの也。精神的よりすれば即ち青年なり。)」とも書かれています。 これは「蓋し維新の大改革の大波瀾は、実に我が青年と老人との距離をして数千万里の外に隔絶せしめた」からですが、社会の変革の速度が加速している現代には「大改革の大波乱」が至るところで起きています。