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ポルノと言う存在。
こんばんは。 先日もこちらのカテゴリーでお世話になりました者です。 その節は本当にありがとうございました。 今回も、自分のカウンセリングを兼ねた質問を立てさせて頂きます。 お付き合い頂ければ、幸いです。 質問は、 「ポルノと言う、性を扇情的に扱うもの」の存在を「初めて知った時」、どういう風に感じましたか? *当たり前 *違和感 どちらでしょうか? そして、これは男女の違い(本人の性別/被写体の同性or異性)によって、変わるのでしょうか? いえ。。。 多くの子ども達は「身体は大切に」「人の嫌がる事はしない」。。。等と言い聞かされ、またそれを「人としての基本」に据えて育って来ていると思うのです。 でも。。。 ポルノ、と言う存在を「当然」或は「必要悪」等と捉える時、それはその「基本」との違和感、を生じないのでしょうか? また。。。「違和感」を感じた方は、それによって「自分が傷付く」と感じないのでしょうか? ちなみに、私は20代後半の女性で、既婚6年、三児の母でもあります。 夫との関係、性的関係も問題無く、とても幸せを実感しております。^^ そして、(男女によってその程度の差はあれ)「性欲は愛情とイコールでは無い」事、性欲と言うものは「性的禁止」と「性的刺激」によって形成される、と言う事も判ります。 現に私自身、例えば好きな海外サッカーの或る選手等、「いや。。。脱いでも綺麗だろうなあ。。。ニカニカ」等と、思ってもいます(恥!)。 でもでも、翻って「初めて知った時」の記憶を辿り、以後の感じ方を辿ると、私には「違和感」以外、浮かばないのです。 何故、大切にすべき「人の身体」を、そのように扇情的に不特定多数の目に「現実の画像として」晒せるのか、それは、「人としての基本」に反しているのでは無いか?。。。そう思えてなりません。 そう思うのは、「同性としての(不要な?)共感/想像力の為せる事」なのでしょうか?(現に、先述のように私自身「妄想」はしても、それについて違和感はありません。汗) では、男性は男性のポルノ(有りますよね?)に対して、「違和感」は感じますでしょうか? つまり、「感じ方の前提」として、 *自分を被写体に置き換えて、の臨場感、の有無 があるのかしら。。。。とも思います。 このように、私もすれ違う見知らぬ異性から「あらぬ姿」を思い描かれているのかしら? そうだとしたら。。。皆様はどうお感じになるのでしょうか?そして、まだ「性の入り口」に居たご自分は、どうお感じになりましたでしょうか? 纏まりの無い長文で、申し訳ありませんが、 よろしくお願い致します。 尚、お礼が遅くなる、または、順不同になるかも知れませんが、必ず書き込ませて頂きますので、その旨お許しください。
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○ それは 蚊が刺しただけです。 ☆ よほど コミュニケーションが通っていないと 言えない文句です。 ですが わたしは いぢわるぢいさんよろしく mashumaro2さんや miko-desiさんのご見解に 輪をかけて 傾くものです。 もし 上の命題をたがえているとすれば それは 被害者であるyukkinn66さん あなたも 蚊となって刺したということです。 miko-desiさんの新しいご投稿が現われたので 書きこむ気になりました。 性愛関係には 一般の愛としての人間関係から 二人の合意によって 入ります。初めは 一方的な行為であったとしても 同意したという関係に入る場合があるということです。もしさもなければ 無効の行為だったという――蚊が刺しただけだという――事態です。 起きたことは起きたことで その過去を 消して 現状復帰することは 実際には 叶いませんが いやしくも人間が それでも とうとぶべき存在であるとするならば そのいまわしい過去は 瞬時に 消えます。そういうものです。 ご自愛なさって いやなものは嫌 とはっきり 言っていかれるようにという考えを わたしは 持っています。そこに 面従腹背は 含まれます。
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たびたびごめんなさい、No.12で痴漢に触れた件についてです。 今日の夕方、電車の中で痴漢に太ももを撫でられてしまって、今も非常気持ち悪いです凹 これって、悪戯された「そのあと」にジワジワ~っと不快感が押し寄せてくるし、なかなか払しょくできないしで、何歳になっても嫌なものは嫌で気持ち悪い! 3人掛けの真ん中に読書しながら座っていたのですが、ふと目を上げたら目の前の空いた席に脚をさすりながら紳士が座ってきたの。 しきりに片脚をさすっていたので「ああ、この人も脚が悪いのかな、気の毒に」と顔を見たら私と思わずちょっと目が合ったの。 その時は何もなかったのだけど、たまたま私の隣の席(端)が空いたらその男性が脚をさすりながら座りなおして、しきりに片脚をさすってるわけ。 文庫本を読んでいてもどうしても気になって横眼で「痛々しい脚」を見ていたら、な、な、なんと私の太ももまで手を伸ばしてさすりはじめた~! 一瞬何のことかわからず(普通はそんなことしないし、思ってもみないでしょ?)「ぎゃ~~~!」と「無言」で立ち上がって丁度駅に停車する頃だったのでふとその男性を見たらいなくて、ふと見たら私の横に立ってた(怖!)。 先に行かせようと思ってもなかなか降りなくて出口前で迷惑だし降りれなくなるのも嫌だから、禁断の必殺ダッシュで改札口まで駆け降りて、走りながら娘の塾への道中「追いかけてきたらどうしよう?娘も連れて帰るし待ち伏せされたら・・・」とひたすら怖かったです。 こんな40過ぎのオバサンなのにね、はあ。 早速帰宅した夫に「今日ね~」と話したら「悪いのは文句なしに痴漢する奴だが、お前が童顔かどうか関係なく100%お前を【モノ】としてみてるから、そういうときは掴まえて警察につれていかなきゃだめだよ」とか何とか理路整然と説教始めちゃうし、凹。 男って何でもうちょっと女心を慰めるような優しく感傷的な言葉がスラスラ出てこないのかしら。まったく気が効かないなあ~。 それにしても、いざ痴漢にあったら声すら出せなくてその場にかたまっちゃいますよね。 幾ら「ま、いっか」の私(しかもオバサン)でさえ今晩は何か気分が晴れません。 結局、何が言いたかったかといいますと(汗)、今回私は帰宅が早かった夫に打ち明けられたからいいけれど、これを少女期に誰にも話さず悶々と一人心の内に貯めこんでいくようなことが積もり積もったら…と質問者様をふと思ってしまいました。 私も小学生から一人で通学していて女子高生までもっと変態な痴漢な目に散々あってきましたが、その都度女の園の友達に話して何らかの気晴らしをお互いにして気を紛らわせてきました。 でもそれが質問者様にとっては叶わず、痴漢と同性たる男子生徒に囲まれ、この手の話は両親にすら心配かけるから話しづらいし、やはり一人でさぞ辛かっただろうな、と私も今は余計に切ないです。 ポルノへの嫌悪感にもあながち繋がりかねない事の深刻さが潜んでいるのかもしれませんぞ、う~ん。
- arayata333
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私は肉体労働者で、忙しい時はかなり忙しいワーキングプアーです。 ここへの回答をしたい気持ちは強かった者ですが、 日曜も休みではなかったりして回答できませんでした。 次の土日がつづけて休めそうですので、是非回答させてください。 きょうもちょっと時間がなくなってしまいました。 かってを言って済みませんが もう少し私のために^^閉じないでください。 少し前に 「ポルノで心が傷つく人はいますか?」というスレをこの哲学カテにたてた者です。 またそちらの以前の質問 たしか怒りという感情についての質問にはNO1にて回答した者でもある者です。 その節も、 ほんとうは、もっと詳しく対話的にも回答を続けたかったところです。 が、時間がわけありで取れませんでした。 質疑の全部は読んではいます。 私は「エス」という言葉の意味は知りませんが、プライドという言葉や自我という言葉が いかにさまざまな深い意味合いでも使われているかを考えてきていますし、 おそらくそのどれかに「エス」は含まれるかと推理しました。 超自我というのも自我として捕らえるとらえかたもあるかと思います。 ともかく自我とかプライドとかいうあたりが 逆撫でされたというふうに考えると 怒りについては今一深いリアルさが浮かんできますね。 ただ、私の言いたいことは、おそらくそちらの「新たな悩み」というのと直接に符号するものと思われるのです。 鈍鎮痴慢疑という5つの悪の因のようなものがあるという仏説があります。 「鎮(すみません。漢字が違うかもしてませんが)」が怒りです。 しかし仏説にては、これは全部仏の因でもあるのです? 生かし方で変わってしまうという考えです。 ポルノは これで行くと「痴」と関るでしょうか。 「痴」をもし仏界の方向に生かせるならば、 それは変革可能な世界かと思われるということです。 実際の性描写も 裸体画も、そのへんを生かせないならば、ポルノとおなじ流れを生んでしまうという理屈です。 もしかしたら 同じようにそちらの希求するところと符号するかもしれないと思っての回答です。 よろしくお願いいたします。
お礼
arayata333様こんにちは。 また私の質問に気付いてくださり、嬉しいです。 >少し前に 「ポルノで心が傷つく人はいますか?」というスレを はい。実はこの質問は、まさにそのarayata333様のご質問から派生したような物です。汗 その「傷付く人は。。。。」に回答したかったのですが、イマイチ上手い文章が書けず、良い筋を思い付いた時には締め切りになってしまいました。 更に、ライフカテにて 『痴漢冤罪は男の責任だ』と主張する女性の心理は? http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4533503.html と言う質問迄目に入ってしまって。。。。まあ。。今迄後回しにしてきた問題でもありましたので、この機会に一丁やっつけてみるか!と思い、この質問を立てました。^^ でもでも、立てたはいいものの、やはり気持ちのよい課題ではないし、封じ込めていた記憶迄噴出するし、こうして自分の「弱」の部分を露呈するのはかなり忌々しい気持ちでおります。汗 >かってを言って済みませんが もう少し私のために^^閉じないでください。 いいえ。^^ お持ちしておりますので(だいぶ落ち着いて来ましたし。)どうぞよろしくお願いします。
私も的外れな回答をしてしまいました(汗 (No.6さんへの補足をちゃんと読んでませんでした。) 自分の性的な欲望を満たすために 他人を蔑(ないがしろ)にする行為があります。 例えば、痴漢行為。 より悪質なのが、レイプ。 さらに悪質なのが、快楽殺人の類。 「痴漢に遭う女性なんて、世の中に幾らでもいるでしょう」と考え 小さな出来事で済まそうとする態度は大変合理的だと思います。 とはいえ合理性だけで割り切れないこともこの世には沢山ある筈です。 そのような矛盾に悩む姿を、ご質問者さまから感じました。 痴漢は犯罪です。 無修正のポルノ映像やポルノ画像も日本では認められません。 修正済みなら合法です。 さらに着衣なら法律上はOKです。 さらにさたに、漫画週刊誌の巻頭グラビアは、社会的には何ら問題なしとされます。 しかし、上記にあげた例の全ては、程度の差こそあれ 自分の性的な欲望を満たすために 他人を蔑(ないがしろ)にする態度があります。 ご質問者さまはその態度に憤りのようなものを 感じるのではないですか? 漫画週刊誌の巻頭グラビア「それ自身」よりも それに向けられる態度(視線)が問題なわけですよね。 勿論、そこに性的欲望を感じない男性もいるでしょう。 その場合はご質問者さまの悩みが理解できないかも知れない。 でも、それらの画像には、間違いなく 男性の性的欲望を刺激する装置としての意図が内蔵されています。 でも、これは男性側にしても難しい問題なんだと思います。 (男性側、なんて、壁をつくるような書き方ですね。) ご主人さまも「大変だったね」としか 言いようが思いつかなかったと思います。 理解できなかったわけではないと思います。 理解したとしても、対処が思いつかなかったのではないか。 後学のため教えて頂きたいのですが こういうときは何を言われれば理解されたと感じるのでしょう? 痴漢は犯罪です。 週刊誌の巻頭グラビアは犯罪ではありません。 でも、これはある意味、程度の差でしかありません。 犯罪か否かの境界線は、法で仮決めしてあるに過ぎません。 仏教のように、全ての欲は、その根から絶つべし、という アヴァンギャルドな思想もあります。 う~ん、こんなことグタグタ書いていても ご質問者さまの気持ちの理解の到達には至りませんね。 最初に戻って、シンプルにご質問に対する回答を書きます。 >「ポルノと言う、性を扇情的に扱うもの」の存在を >「初めて知った時」、どういう風に感じましたか? 繰り返しになりますが、初めて知ったときは その扇情性を理解できませんでした。 扇情的という概念すら出来ていなかったと思います。 思春期以降に、ポルノに欲望を喚起される自分を発見してピックリした というところです。 > では、男性は男性のポルノ(有りますよね?)に対して、 > 「違和感」は感じますでしょうか? 男性に性的欲望を抱く男性もいるんだ、といった違和感は感じました。 でも直ぐに、性的嗜好の多様性に気づき、違和感がなくなりました。 ご質問者さまは、ご自身が理解されていない どこにも属していない、とお悩みのようですが 私は、他人の理解など出来ない、自分すらよく分からない、と考えるタイプです。 他人の理解は出来ないという前提で、いかに親和性は保てるか?と考えるタイプです。 う~ん、自分がそうだからといって それを言って何かになるのだろうか・・・orz > 「人としての基本」に反しているのでは無いか? 人としての基本とは何か?を考えていくことになるのかしら。 でも、これを考え始めると直ぐに、理性と本能の対立が始まるのですよね。 雄の本能は「狩る」ことだと聞きます。 雌の本能は「守る」ことだとも聞きます。 攻撃と守備が一体化してようやくと共同体が維持できる筈なのですがね。 性的な道徳概念は難しいです。 日本が女系社会を維持していたら、私がご質問者さまのような悩みを 抱えていたのかも知れません。 (最近哲学カテゴリーに寄せられた結婚の必然性という質問を見て http://okwave.jp/qa4543418.html そんなことを思いました。) http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q119012946 http://mamasan.blog.ocn.ne.jp/cogito/2005/12/post_05bb.html http://www.ooba-beekeeping.co.jp/honey_book/ http://www.enpitu.ne.jp/usr1/bin/month?id=14673&pg=200104 http://mohariza06.exblog.jp/tags/%E5%A5%B3%E7%B3%BB%E7%A4%BE%E4%BC%9A/
お礼
再びの回答、感謝申し上げます。 今度は簡潔にさっぱりと。。。。と思いましたのに、またしても長くなり、補足欄に書き込みました。。。汗
補足
また来てくださり、ありがとうございます。 >私も的外れな回答をしてしまいました(汗 皆様そうおっしゃいますけれど、そんなに「甘やかしては行けません」!^^ だって、「情報不足」「後だしジャンケン」は質問者の私の方。 的外れどころか、私の質問文にちゃんと対応してくださっています。 質問後に発生した「私の個人的な異常事態」が良くないだけです。 >しかし、上記にあげた例の全ては、程度の差こそあれ >自分の性的な欲望を満たすために >他人を蔑(ないがしろ)にする態度があります。 そうですね。。。。 でも、女性の側にだって、そのような「男性の人格を蔑ろにする性欲」は有るのです。私の前述の「好きなサッカー選手を眺めてニカニカ。。。」だってそうです。 なのになのに、「具体的行動によって(直接)蔑ろを押し付けられる」のは断然女性が多い。これは私の偏見でしょうか? 例えば、「神隠し」と言う言葉があります。 これは実は、心霊現象等の類ではなく、「幼児性愛の男に性的悪戯を受けた女児の心を癒す為の言葉」との説を何処かで目にした事があります。 つまり、その「悪戯されていた忌まわしい時間」をそっくりそのまま無くしてしまう(神隠ししてしまう)意図が在ったと。 昔から延々と、こんな嫌な思いを女は強いられて来たのか。。。ととてつもなく恨めしい気分です。 「どうお考えでしょうか??男として???」とこうやって暖かく回答を下さるCUE009様に迄食って掛かりたい気分です。(申し訳ありません!汗) >後学のため教えて頂きたいのですが >こういうときは何を言われれば理解されたと感じるのでしょう? 以前、ある質問への回答として、こんな事を書きましたので覗いて頂けますでしょうか?(私は三回回答しております) 男性としていけないことでしょうか? http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4400675.html?ans_count_asc=1 これで全てが解決する、とは言えませんが。。。。 それと、「私も人と人は理解し合えない(部分が大きい)」と考えております。今回の不安定さの中で、乱暴な言い方になってしまい誤解させてしまいましたが、「男性に理解して欲しい」とは思っていないのです。「理解しようとして欲しい」が正しい、です。 その為には、#14様のお礼に貼りました質問、 『痴漢冤罪は男の責任だ』と主張する女性の心理は? http://oshiete1.goo.ne.jp/qa4533503.html このような心理に「陥らざるを得ない」女性を「冷めた視線/特殊だ、とする視点」で眺めず、その思い/状況を出来るだけ「我が身として想像し」、「痴漢と同じ男性として何が出来るか?」を真剣に考える事は出来ないものだろうか。。。。と思ってしまうのです。 これこそ「我が侭」かも知れませんが。。。。 元来「人に頼る事」を大の苦手とし、また、いつも「自分でどうにかすべき」と考える私が「不特定多数の集団に何かを望む」なんて矛盾以外の何物でもありませんね。。。。 >雄の本能は「狩る」ことだと聞きます。 では、中学生の私は「狩られた」のですね。 でも。。。ちょっと視点を変えてみれば、大好きな夫にも「狩られた(狩られ続けている?)」のですよね。 今の私は「幸せな獲物」です。^^ 参考の情報を沢山貼ってくださり、ありがとうございます。 ゆっくり考えてみたいと思います。 まだ少し、拒絶気味、なのです。。。。
No.8です。 私の「同性としてのポルノに対する印象の違い」の回答により御不快になられた箇所がありましたら、私の拙い表現ゆえどうぞお許し下さい。 私達二人を単純比較する以上に何ら他意はないですし、今後もあり得ません。 >でもでも、痴漢に遭う女性なんて、世の中に幾らでもいるでしょう? >こんな小さな出来事が私の「男性の思考/嗜好」に対する理解の成長を止めてしまった 私にも経験あります。越境通学の身でしたので、満員電車で悪戯されたり、リーマン男性から手紙とマスコット人形を貰ったりしました。 でも、その瞬間は気持ち悪くても、「変態だよね」「バッカじゃないの?」「可愛いからしょうがないよ、あはは」と気の合う友達と当時は一蹴して済ませていました。 というか、あの頃は友達と笑い転げていたしょうもない思い出しかなく、「男性の思考/嗜好に対する理解」すら想定しませんでした。 そんなのこの私が知るか!って感じ(笑) 質問者様の場合は、私より遥かに繊細な感受性をお持ちで、かつ、場所が家の近所でトラウマになりやすかったなど、不運な諸要因が積み重なったのでしょうか。 ですが、その場合には男性に対する拒否や不信の念に強く囚われるように私には思われるのです。 むしろ、 >もともと、おそらくバイ、の傾向も軽くある、と自覚しているので構わないのですが。。。。^^ >元来、負けん気が強く、男勝りで女嫌いで男友達ばかりで、「人生のライバルはいつも男友達」 >此処に来て、「結局、私はどちらにも属していない」事実を突きつけられた感じです。 >女嫌いもあり「女ってわけわからん!」といつも思って来ましたし これらの部分が「同性の私」には殆ど理解出来ない箇所なのであり、何故そこまで「女嫌い」を感じたのか、男友達ばかりだったのかが不思議でなりません。 単純に「男勝り」を自他共に認め、しかるべき年頃まで男の子的生き方で心地良かったはずなのに、しかるべき時期に幾度となく「女性である事実」を不本意な形で突きつけられる以前からだったのか、それ以降のことだったのか、一体どちらでしょう。 「同性を嫌う」という心理は同性として「ああはなりたくない」「弱い」「劣っている」などという憤りの感情を、一時的かつ反面教師的な見方にてコントロールすることがほぼ不可能であり、もはや同性である女子生徒が自分の否定的な面を投影させる装置としてしかみなせない状況に陥っていたということでしょうか。 つまりご自分を否定的に捉える際には自然と女子生徒への嫌悪を感じ、相対的に連帯意識を抱くという意味で、男子生徒への仲間入りを自ら望んだとするならば。 男子生徒との「ポルノや性意識」の隔たりや差異の存在に薄々気付きつつも当時は心の奥底で黙殺し、今再びご自身の思考の型によって隔たりや差異を分析・消化なさろうとしていらっしゃるのかな、と勝手ながら推察致しました。 ともあれ、多かれ少なかれ多少の性的嗜好や衝動により一人思い悩んだり、質問者様の意図する「一般化」を試みると「ズレを感じる」等など。 人間なんて個性の塊だから差異があって当たり前に自然なことだと私は思います。 ちなみに…生まれ変わるとしたら来世は男女どちらが好ましいですか? 私は今の顔とルックスで100%同じ条件がいいです。もちろん女♪ わが夫は次の世では私のヒモになりたいんですって。 でもこんな美味しい立場は絶対譲らないわ(笑) 質問者様ご夫婦はさてさて、いかがですか?
お礼
ありがとうございます。^^ またしても長くなっちゃったので、補足欄にて。 なんだか投げやりさが漂う文章がつらつらと。。。申し訳ありません。
補足
再びの回答、ありがとうございます。 >「女性である事実」を不本意な形で突きつけられる以前からだったのか 、それ以降のことだったのか、一体どちらでしょう。 「以前から」です。 これは、多分に「母からの影響」です。母自身が「自分の女性性」の受け止め方を戸惑っている所があり、女性に対する否定感、性に対する否定感を持ち続けている人でした。 そうは言っても無理も無いと私には思えます。 当時では珍しくない事だとは思いますが、親元でなく祖父の家で育ち、その祖父には、既に母の長兄が養子縁組迄していたにも関わらず、突然その兄は遠くの親戚にやられ、母が祖父の世話を引き継いでいた経歴があります。親の愛情が不足していた人です。その母の両親(私の祖父母)は不仲で家庭内別居状態、祖父の出稼ぎ中に祖母は男性を、とっかえひっかえ自宅に引き入れていた、と言う危機状態。「母の辛さも判るが、中学や高校の時期に顔見知りの親戚のおじさんや近所のおじさんが、「母の男」として家に出入りし、それを世間で噂されるのは、本当に辛かった」と母から聴いた事があります。 「親の影の部分」は子どもに引き継がれるのだ、と高校の頃から私自身自覚しております。父親も問題有り、な人ですし(汗)。でも、両親を恨み様が無いのです。 そんな「愛情不足」で育ちながらも、私たち兄弟にたっぷりと愛情を掛けてくれましたし、「愛情のある家庭」を教え込んでくれたのですから。 両親は「愛情不足の連鎖」を断ち切ってくれた。 だから、今度は私が「性認識の歪みの連鎖」を断ち切らねばならない番なのだと思っています。^^ >気の合う友達と当時は一蹴して済ませていました。 うーーーん。。。。小学校高学年って、女子の「仲良しグループ」ってありませんでした? あれは「決定打」でした。 いえ、只勝手にグループ化するのは構わないのです。それを同時に「仲間はずれ」に利用するのが許せなかったのです。そんな訳で、学級会で「クラスのボス」を攻撃するのが私で、中学もそのままの地域でしたから、「グループ主義女子」は相変わらす遠巻き。仲が良い同性は似たような性格で「女の会話」をあまり好まない人たちだったので、恋愛なんて興味無いし、生理や生理痛の話もあまり。。。。源氏物語やら、三島由紀夫やら、クラシック、等が話題の中心だったのです。汗 更に事件後、クラスの男子に迄身体が震える日が数日。 その後は気付いたら、私にとって学校とは「性別の存在しない場所」になっていました。此処にいる男子は、良きライバル以上の何物でもない!と言う感覚です。男子の思考方法、大らかさ、等は相変わらず私の理想でもありましたし。 まあ。。。そうとでも思い込ませないとやって行けなかったのかも知れません。。。 そうやって「性別の無い高校時代」を送り、次に遭遇した「性」が、大学入学と同時の「就職時」でした。 「高偏差値の大学の女は遣い難いんだよなあ。。。店のオーナー家族に受験生が居たりすると特に。。。。」ですって。 やっとこさで職場が決まって、店の寮(狭くて暗くて男女混合!)に入ったら、前住民(三十くらいの男!)の置き土産。。。古びた女性下着が一袋! その利用方法、置いてあった意図、更にはそれを知っていた筈のオーナーと同僚男性の意図、に二年間も「気付かなかった」私の間抜けさ。です。。。とほほ。 「知っていた筈の自分」を無視し続けた反作用は大きかったですね。。。。
- kadowaki
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No.7ですが、前回の全くのピント外れの回答についてはご放念ください。 >*「初見の時」は興味津々! >*「違和感」はその後発生し、膨張した。 ポルノに限らず、何であれ、誰であれ、しかも年齢にも男女の差異にも関係なく、その初見時に起こるのは価値的にニュートラルな驚愕でしかないですよね。 それは対象の意味や価値が不明だから、正確に言えば、対象が示す自分にとっての意味や価値、それと自分との関係がまだ理解できていないからではないでしょうか。 「「違和感」はその後発生し、膨張した」となったのは、やはりその後にご自分のアイデンティティの根幹を揺るがす出来事に遭遇したことが契機となってではないでしょうか。 >「これらの見知らぬ女性の肌を、垂涎して眺めるであろう男性達」と、中学生当時の私の身体を、撫で上げ、通り過ぎ、恐怖と嫌悪と絶望と屈辱で硬直し、やっとの思いで振り向いた私を、物陰から何とも言えない目つきで笑った男、が重なるのだと思います。 私は思うのですが、われわれは成長する過程で二度の性自認の機会を経験しているのではないでしょうか。 最初は両親の身体の差異に気付くことで自分が男であるか女であるかを発見するエディプス期(幼児期)の性自認、二度目は第二次性徴期で経験する、より自覚的、より主体的に行われる性自認です。 思うに、この二度目の性自認に際しては、男女問わず、自分の心身の変化に戸惑ったり、自他を比較対照したり、男性との距離感を意識したりしながら、自己否定や肯定を繰り返しながら、つまりより反省的にゆっくり時間を掛け、もっぱら自らの意思によって性自認が進行していくのではないでしょうか。 yukkinn66さんのケースでは、今まさに最後の性自認が進行しつつある過程で、思いがけずに外部からの力によって無理矢理性自認を強制されたと解することができないでしょうか。 自らの試行錯誤を経ながら、自分の性をなかば宿命によって、なかば自分の意思によって自認していったわけではなく、抗いがたい他者からの強制力によって押しつけられてしまった、と。 通常、この二度目の性自認で自分の生涯の《性》を曲がりなりにも引き受け、これと付き合って生きていくことを決断させられるのではないでしょうか。 ところが、yukkin66さんの場合、たまたま到底自分では納得しがたい、受け入れがたい形での性自認を押しつけられたことによって、三人のお子さんをお産みになったにもかかわらず、「結局、私は(男と女の)どちらにも属していない」という思いをずっと引きずってこられたのではないでしょうか。 もしも、痴漢との出遭いがもっと早かったら、あるいはもっと遅かったら、その出来事に対してももう少し違った受け止め方をしていた可能性があったのではないでしょうか。 そう、これが成人後のことだったら、「痴漢に遭う女性なんて、世の中に幾らでもいる」などと。 以上のような仮説に基づきますと、「見知らぬ女性の肌を、垂涎して眺めるであろう男性達」や、あられもない衣装で男たちに媚びを売ったり、扇情的なポーズで被写体を演じたり、平然と裸体を晒したりする女性に対して、どうしよもない嫌悪感や「違和感」を覚えたとしても、つまり到底理解しがたいと思っても何の不思議もないような気がします。 思うに、ポルノに見入る(魅入られる)男性たちと彼らの視線を浴びる女性たちとは、たとえ男女双方がそうと自覚しないにせよ、間違いなく一種の《馴れ合い》の関係で結ばれているのではないでしょうか。 こういう男女の隠微な《馴れ合い》の関係を、たとえ「どうせ男と女なんてこんなもんだろうよ」と消極的に受け入れるにせよ、その前提条件となるのは、自らの意思で性自認を完了させておくことに他ならないと思います。 なお、女性にとっての性自認は同時に男性の《性》を承認することにもなるはずです。 ポルノにせよ、性の商品化にせよ、フェミニストの公式見解によれば、男性が女性の人間性(意思や人格等)を無視し、単なる欲望対象(モノ)扱いをしているということになりますが、逆の視点から眺めると、女性の性的魅力といっても、実はそこには何ら実体もない、本当は虚妄としての欲情を喚起する仕掛、装置、マジックでしかない《女体》にまんまとたぶらかされているだけと説明できなくはないわけです。 そして、yukkinn66さんの場合、こういう男女間の性的《馴れ合い》関係を受容する土壌が準備されないまま現在に至っているが故に、多くの女性のようには「男性の思考/嗜好」を容認したり、その逆手を取ったりするという発想が難しいのではないでしょうか。 もちろん、以上については、あくまでも私の素人談義の域を出ませんので、それこそ私の恣意的な妄想程度に受け止めていただければ幸いです。
お礼
書き込みの順番が逆になってしまいました。 大体、こんな時間に書き込むなんて。。。。寝なさい!!って所です。汗 丁寧に説明してくださる事に本当に本当に感謝しているのです。 ありがとうございます。 >女性の性的魅力といっても、実はそこには何ら実体もない、本当は虚妄としての欲情を喚起する仕掛、装置、マジックでしかない《女体》にまんまとたぶらかされているだけ とても新鮮に読みました。 以前、別のカテゴリーで、夫の性癖がロリコンであろうと何だろうと、最終的に夫の性器が目指す物が妻のヴァギナである限り、それは「問題にはならない」とお書きになられているのを拝見しました。 それと同じ意味合いと受け止めております。 でも、これを超えて性癖が発動(ん?変かな?笑)する場合がありますよね、私のケースのように。 これはやはり、「男性性の延長線上」なのでしょうか? これは、男性性として「強い性衝動を有する性」として、「想定範囲内」なのでしょうか?(んーーー言葉が上手く選べません) 反対に、女性性としても「想定/受容範囲内」とすべきなのでしょうか? んーーーでも「犯罪」なのですよね。。。。難しい。。。
> 「ポルノと言う、性を扇情的に扱うもの」の存在を「初めて知った時」、 > どういう風に感じましたか? 存在を「知った」というのはちょっと違うかしら。 小学校に入った頃までは おじさんたちが女性の裸を見て喜んでいることは知っていたけど それがどうして喜ばしいのか分からなかったし そういうことを何とも思わなかったの。 可愛いと思う女性タレントや、女の子の友達はいたけど まだそれは性的な欲望ではありませんでした。 小学校5年生ぐらいだったかしら 以前同じクラスだった女の子を見て、突然ドキン!としたの。 今までの「可愛いな」という印象とは違って とにかく、すごくやるせない、苦しい感じがしたの。 要するに、自分が初めて異性に性的欲望を感じた瞬間だったわけですね。 それ以来、それまで眼中になかった筈の ポルノ雑誌の表紙なんかが本屋で目に入ったときも 彼女を見かけたときと同じような やるせない苦しい感じがするようになりました。 あれは、自分でもよく分かりませんよ。 きっと、野生とか、本能とか、そういうものの目覚めですよ。 このとき、初めてポルノの扇情性を感じたんです。 そして、そういうものは「見てはいけない」と言われていたから よけい見たくて、我慢できなくて、苦しい感じしました。 そこに「道徳に反する」即ち「背徳的なこと」の喜びがあると知ったのも それ以降、いわゆる反抗期の真っ只中でのことだと思います。 とにかくコントロールできない性欲が芽生え コントロールできない自らの性器に唖然としだしました。 多くの男性がそういう経験を持つと信じます。 そこに「人としての自分」と「雄としての自分」の間の葛藤が芽生えます。 理性と本能の葛藤といった方が分かりやすいかしら。 理性が本能を嫌悪する男性もいるでしょうし 本能が理性を嫌悪する男性もいるでしょう。 でも多くの男性はその間で社会的なことなども加味して 何とかバランスを取るのでしょう。 > 私もすれ違う見知らぬ異性から「あらぬ姿」を思い描かれているのかしら? 先に「あらぬ姿」を思い描くのではありません。 性的な魅力を感じて、初めて「あらぬ姿」を想像したくなります。 性的な魅力を感じない異性の「あらぬ姿」は (言い方は大変よくないですが)嫌悪感さえ感じてしまいます。 酷いことだと思いますが、でもどうしようもない。 酷いと思うからこそ、私は「男女差別」など各種差別に ひどく敏感になってしまいました。 でも、ジェンダーによる偏見を減らそうとするほどに セックスによる違いを強く感じる今日この頃です。 No.7さんが >「考え間違い」と思わないどころか、 > ある意味、女性からすれば当然だと思いますが、 > それにしても男性のポルノへの興味・関心の実態から > ずいぶん離れた地点で問題設定をなさっているように感じました。 と仰っていますが、私も全くもって同感です。 男性ポルノとか女性ポルノは関係ないのです。 何に「欲望」を感じるか?だけだと思うのです。 「欲望」を感じなれば「眼中に入らない」ということだと思います。 そして、人としての基本云々を語る以前に 他人の欲望とは「怖い」ものだと思うのです。 怖いと感じたとき、拒否感が生まれるのは これまた本能だと思います。 美しい裸体には、性的興奮を覚えません。 そして、性的興奮を覚えなくなると(卑猥を感じ取る力を失うと) 多分、雄としての役割を果たせなくなるのです。
お礼
CUE009様、回答をありがとうございます! 長くなってしまったので、補足欄に書き込みました。 よろしくお願いします。
補足
CUE009様こんにちは。 先日読書カテにて「ミステリーの楽しみ方」を丁寧にご教授下さった方ですよね? その節は本当にありがとうございました! そして、また回答を頂けた事、感謝申し上げます。 >小学校に入った頃までは >おじさんたちが女性の裸を見て喜んでいることは知っていたけど そうなのですね。。。。私はそれすら知らなかったように記憶しております。 様々な理由と地理的条件で、私の育った家は親戚付き合いが皆無、に等しい状態でしたし、近所付き合いも「互いの家に上がり込む仲」の相手はおりませんでした。加えて超ど田舎の農村地帯、でしたし、私自身も友だちと遊ぶ時は外。家の中は厳禁!だった為、そのような雑誌等を目にする機会が無かったのだ、と思います。 ですから、私の「猥褻文書初見!」は、ポルノと言う物の存在を初めて知った時、でもあったように思います。 そして、その初見時、既に私は、「そのような物で自分の肉体が反応する」事を知ったように記憶しております。 既に知らず知らずのうちに自分の肉体が求めていた物を、具体的には無知の状態で、いきなりその求める物を目の前に突き出された感じだった、と記憶を辿って感じております。 でも、だからと言って、同級生等に性的な欲望等は感じませんでした。 まだ、そのような行為が存在する実感は沸かないまま、それに反応し感情(?)を掻き立てられる自分が居ました。 両親は仲の良い夫婦でしたが、そのような「性的な空気」は子どもに覚られないよう、注意を払ってくれていました。(あ。。。でもよく子どもの前でもキスはしていました。。。軽いものを。それについては、普通の夫婦のする事、と思っていました。^^) 両親とセックス、は結び付かず、自分と実在の誰かのセックス、は尚更想像出来ず。。。でも、自分の身体はそれを求めている事だけは判る。変な状態でした。 >とにかくコントロールできない性欲が芽生え >コントロールできない自らの性器に唖然としだしました。 >多くの男性がそういう経験を持つと信じます。 私は女性ですが、その感覚は実感で判ります。 それこそ、小学校等学年から中学校の私は、明らかにそのような状態であった、と感じられます。(これって、「女性には稀」な事なのでしょうか。。。。?汗) >そして、人としての基本云々を語る以前に >他人の欲望とは「怖い」ものだと思うのです。 はい。 「自分の欲望」ですら、自分を傷付ける事はありますものね。 私は、「まず、自分の欲望と自分との適切な距離」を測ろうとしていました。そして、その試行錯誤の直中(まだ「他人の欲望の存在」に思考が辿り着く前に)、「例の事件」に遭ってしまったのだと思います。 これでは「全てがしっちゃかめっちゃか」になってしまってもおかしくないかも知れませんね。。。。
- bagnacauda
- ベストアンサー率18% (228/1247)
No.4です♪ >私は我が子達にポルノの扱い方をどう話せば良いのか?、または親が会話に出すべき事では無いのか?、皆目見当がつきません。まだ後10年の猶予はあるのですが。。。。 娘が中学生2年生の時に、彼女の机の上に積み上げている本の中に、所謂「官能小説」を見つけて、「へぇ~~!」と驚いたことを思い出しました。 コイツ、随分と文学的だな…と。(笑) 考えてみれば、中学から高校の頃の自分の頭の中って、セックスとか挿入とか、ヤルなんて言葉ばかりだったんですから、女の子だって同じなんだろうな…と感じました。 まあ、僕もイロイロ問題はありますが、特に破綻していませんので、彼女だって大丈夫だろ…と考えていますし、今のところ大きな問題はありません。(笑) 会話にセックスの話は出ましたね。 女の子の場合は中学生の頃に興味が外側に発散され、高校生になると内にこもるというか…。(笑) あと、「パパ!浮気してたんだって?どうだったか、私の将来の参考のために、ちゃんと教えなさい!」と、しつこかったのも中学生の頃でした。(冷汗) 最近は、そんな野暮なことは言いません♪ まあ、様々な刺激的なセックスをするたびに、我が娘のことを思い出していたら萎えてしまうように、娘達は娘達なりに、かってに成長するんだと思いますよ。 今は、ネットなどで‘そのものズバリ’なんていくらでも目に入りますしね。 僕が子供達に身をもって示せるのは、 ●人生って、日々の些細な日常って楽しい ●嘘も誠意も、冗談も大真面目も、その人間の器量次第で善にもなれば悪にもなる ということだけ♪
お礼
再びの回答、ありがおとうございます。 いつもの事ながら元気が出ます。^^ >娘が中学生2年生の時に、彼女の机の上に積み上げている本の中に、所謂「官能小説」を見つけて、 そう言えば、中学の時、友人達と面白がって18禁の小説を読みましたっけ。汗 確か「殺戮に至る病」って言うものでした。推理物でエロエロで、全体の構成も凝っていました。面白がって読んだは良いけど、その後しばらく吐き気に悩まされたおバカさんです。笑 >考えてみれば、中学から高校の頃の自分の頭の中って、セックスとか挿入とか、ヤルなんて言葉ばかりだったんですから、女の子だって同じなんだろうな…と感じました。 図星です。恥 でも、私の場合、「頭がいっぱい」は小学校高学年から中学でしたね。 高校は意識的に排除していたかも知れません。(#6の方の補足参照)音楽と学校行事と読書に勉強で頭がいっぱい、でした。^^ >まあ、僕もイロイロ問題はありますが、特に破綻していませんので、彼女だって大丈夫だろ…と考えていますし、今のところ大きな問題はありません。(笑) そうですね、bagnacauda家のお嬢様方なら大丈夫そうですね。 愛情たっぷりで注意深いお父様がちゃんと見てくださっていますし、きっとそれがお嬢様方も実感出来ていらっしゃると感じられます。^^ 私の父はイマイチ鈍感で。。。。「人生の楽しみ方」は主に母から教わりました。それでも何だか掴み所無く、憎めない可愛い(?)父親なのです。^^ その「事件」はデパートの書店で、母が用事を片付けて来るのを父と二人で待っている時でした。御陰でその後、父は母に色々とちくちく言われていました。そうは言っても、書棚の間で、の事でしたし、私の顔色が変わった事に「どうした?」と聴きはしたものの、肝心の私が何も言わなかったので何も出来る筈が無かったのです。父も嫌な思いをしたのでしょうね。。。悪い事をしました。
>古代から「女性の裸体画」が、芸術の一分野で存在している事から、女性の裸体は「男女問わず」美しさを感じられるもの、だと言う気がします。 エドゥアール・マネという画家をご存知かと思います。 発表当時スキャンダラスであると大変物議を醸し出した『草上の昼食』の二年後に発表した『オランピア』は、ティツィアーノの描いた『ウルビーノのヴィーナス』からインスピレーションを得て意識して製作したと伝えられています。 http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Edouard_Manet_038.jpg http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%94%BB%E5%83%8F:Tizian_102.jpg ルネサンス時代より伝統的な美のモチーフとして好まれてきた神話上の女神ではなく、あえて当時の高級娼婦をモデルとして描いたために、”我こそは芸術を理解する”と自負があったであろうサロンに出入りする人々からでさえも大変に非難された作品でした。 1865年発表当時「ポルノ」の類とみなされたであろうこの作品は、従来のヴィーナス像に「当時の現代的なパリの退廃感、快楽的・享楽的価値観」を明るい色調や平坦なコンポジションといった新鮮な画法を用いて加味することにより、古典的な絵画からその後の近代絵画へ連なる橋渡し役を担った上に、当時の画家達に製作意欲の鼓舞をもたらしたとも言えます。 今日においてこのような名画と称される裸婦絵画でさえ、発表当時は上述のような大変酷い扱いを受けました。 ですが現代に生きる私達は男女を問わず「よこしまでない眼」で芸術鑑賞することができるのです。 だとすると、質問者様のおっしゃる「ポルノ」に対するこだわりや嫌悪の感情というものは「モチーフそのもの」に対する印象以上に、現代が孕む諸事情や世論にも左右され、更にはオールド・ファッションでレトロなサブ・カルチャーの一種であった、と将来はご主人と共に懐かしみ一笑するに過ぎない、という可能性も否めません。 一般的には、昨今の急速なネット環境の発達に伴う情報の細分化と検索の安易な傾向に伴い、「ポルノ」におけるフェチ度の特殊化、専門化という点に関して言えば、間違いなく男性より女性の方が嫌悪を感じる部分が多いことが予想されるのではないでしょうかね。 幼少より私立女子一貫校で育ち、巷に氾濫する女性の裸婦に比較的「鈍感、おおらか」な私のポルノに対する印象はかなり質問者様とは異なります。 若干の海外滞在経験を含め、自らのひとりよがりな価値観で「美」「芸術」と認識するものはポルノを含む含まないにかかわらず積極的に許容し、「その他」は故意に無視します。 ですが無視すべきその他の存在までは否定したり嫌悪する気は何らなく、また、肝心の自意識過剰な価値観でさえ多くの「現代のバイアス」に縛られているものなのでしょう。 最後に、 >現に私自身、例えば好きな海外サッカーの或る選手等、「いや。。。脱いでも綺麗だろうなあ。。。ニカニカ」等と、思ってもいます 仮に好きなサッカー選手が卑猥かつ低俗なポルノに出演していた場合、質問者様は「違和感」「ニカニカ」どちらを感じると想像出来ますか?
お礼
こんにちは、mashumaro2様。^^ 回答をありがとうございます。 >オールド・ファッションでレトロなサブ・カルチャーの一種であった、と将来はご主人と共に懐かしみ一笑するに過ぎない、 是非是非、そのような将来にしたいものです。 昨夜、#7様の回答にて切っ掛けを得、今朝は腫れぼったい目で起きました。汗 夫に対し、もっと言葉にして当時の自分と今の自分の心を表現する事がそのような未来に近づく手っ取り早い方法かも知れませんね。 >自らのひとりよがりな価値観で「美」「芸術」と認識するものはポルノを含む含まないにかかわらず積極的に許容し、「その他」は故意に無視します。 この「故意に無視」が印象的でした。 同性の立場からの「具体的擦り抜け方法」に感謝申し上げます!^^ >仮に好きなサッカー選手が卑猥かつ低俗なポルノに出演していた場合、質問者様は「違和感」「ニカニカ」どちらを感じると想像出来ますか? 「気にならない時」であれば、好奇心でニカニカ。。。かも知れません。 「気になる時」であれば、夫の着衣の身体も嫌悪感の対象になるくらいですから、絶対無理、でしょうね。。。。やれやれ。。。。厄介な妻です。
- kadowaki
- ベストアンサー率41% (854/2034)
こんばんは。 こういう質問には他の誰よりも早く飛びつきたがるはずなのですが、今回は飛びついてはみたものの、書いては消してを繰り返しつつも、なかなか回答操作をするまでには至りませんでした。 で、回答を断念しかけていたところ、「補足」・「お礼」がなされているのを興味深く拝見し、今までのもどかしさが多少は払拭されたように思われました。 でも、まだ「もしかして回答なさった男性陣も、実はyukkinn66さんのポルノへの興味・関心との間に微妙なズレのような違和感?を、多少の差こそあれ、どなたも感じたのではないかな」という疑いを抱いております。 私の覚えた違和感というのは、yukkinn66さんのポルノへの興味・関心のあり方は女性ならではの普遍的なものなのか、それともyukkinn66さん独自の固有性を帯びているのか、いずれにせよ、男性のポルノへの興味・関心との間にずいぶんとズレがあるのではないか、という戸惑いに近い気がします。 >私は何か、この「扇情的な存在」に「考え間違い」をしているのではないか?そう思えて、今回の質問に至りました。 「考え間違い」と思わないどころか、ある意味、女性からすれば当然だと思いますが、それにしても男性のポルノへの興味・関心の実態からずいぶん離れた地点で問題設定をなさっているように感じました。 >古代から「女性の裸体画」が、芸術の一分野で存在している事から、女性の裸体は「男女問わず」美しさを感じられるもの、だと言う気がします。 現在の私なら、「女性の裸体」・「女性の裸体画」・「女性のポルノ」に対し、ほとんど反射的にそれぞれを別次元のものとして区別しますが、思春期に入った田舎育ちの少年には、片想いの彼女に見咎められないように細心の注意を払って覗いた図書館の画集中の裸体画が十分ポルノに匹敵する性的刺激を与えてくれたのを想い出します。 要するに、「裸体画」が芸術かポルノかにしても、男性の置かれている性的条件によって規定されるしかないということです。 同じ意味で、本物の画家にとっては、どんなにセクシーなモデルの女性であろうと、それは画家の脳裏に宿る理想の肉体のイメージを具体化するための恰好のモチーフ以上には作用しえないはずです。 ちなみに、明治時代には官憲が裸体画の下半身を布で覆うという、所謂「腰巻事件」が実際に起こっております(乳房には今ほど性的な価値は認められていなかったか?)。 まだまだ平気で混浴が行われていた時代のことです。 >では、ポルノ、としての男性の裸体が嫌悪の対象になるのは何故なのでしょうか? う~ん、今は廃刊となった、かの有名な男性ポルノ雑誌『○○族』のバックナンバー数十冊を所蔵していますが、私を含めた平均的男性の反応となると、「嫌悪」というより、物珍しさ以上の興味・関心はないといったところでしょうね。 そう、同性愛者を除けば、おそらくyukkinn66さんが拍子抜けするくらいに興味を示さないはずです。 >例えば、自身の彼女/妻/姉妹等がそのような目で見られる、と言う事への「思慮/思いやり」が男性に在るならば、現実に商業的に存在するポルノは縮小の傾向になる筈、と言うのは私の思い違いと理解不足でしょうか? ここには、失礼ながら、多くの女性に共通するポルノ観が窺えるような気がします。 平均的な男性なら、身内の女性が性的対象視されることを許し難いと思いつつ、一方で平気でアカの他人の女性を性的欲望対象と見なしたり、これにひそかに欲情したりせずにはいられないはずです。 こういう論理的矛盾?を堂々と冒しうるのも、男性の性欲や欲情動機と言ったところで、所詮は歴史的・文化的なマインドコントロールによる妄想に他ならないからと私は考えます。 なお、社会にポルノが溢れれば溢れるほど、その欲情装置としての価値も低下する、つまりポルノも性的刺激としては機能しなくなってくるのでしょうね。 逆に、「ポルノ」を減らしたにしても、代わりに他の欲情装置が擡頭してくると予想されます。 >私は、「被写体に自分を重ねる」では無く、「被写体を垂涎して見る(だろう)男性の目に映る自分」に重ねている、だから「激しい拒否と嫌悪」を感じるように思います。 「被写体」は、良くも悪くも、それを《見る》男性の性的・美的想念を投影する鏡の役割を果たしますが、現実存在としての女性の場合、その人格と意思の力によって、男性の欲望の投影を跳ね返すことができるのだと思います。 なお、女性から《見られる》とき、男性は女性に欲情、これはしばしば夫側レスの要因となっているはずと私は考えています。 こういうときには、妻がアイマスクを着用すれば、容易に夫の性的欲望対象に早変わりするはずです。 まだまだ意を尽くせないもどかしさを感じますが、あまりにも駄文が冗長になりすぎましたので、この辺で尻切れとんぼのまま終わらせていただきます。
お礼
kadowaki様、来て頂き感謝致します。 昨日#6hypnotize様の補足欄に書き込んだ後、皆様の回答を何度も読み返しました。特に「性の実態」とそれに対する「社会的なカモフラージュ」と言った「性の落差」に関してとても深い思考をなさるkadowaki様のご回答は、読み落としが無いように、と何度も何度も読みました。 >「被写体」は、良くも悪くも、それを《見る》男性の性的・美的想念を投影する鏡の役割を果たしますが、 >現実存在としての女性の場合、その人格と意思の力によって、男性の欲望の投影を跳ね返すことができる そうなのです。とても判り易く表現して頂き、感激です。 「仮想の存在」と「現実の女性」の違い、をどう区別しているか?についての、私のこれ迄の「漠然とした理解」を、具体化出来ました。 そして、それは同時に、中学生当時の私はその「人格と意思の力によって、男性の欲望の投影を跳ね返す」事が出来なかったのだ、と言う事が判りました。それが、私の落ち度であれ、あの男性の落ち度であれ、あの時の私は、あの男性にとって「物」であったのだ、いいえ「物」ですら人には大切にされ、価値がある。私は「物以下」だったのだ、と判りました。 そう理解し、私はわんわん泣きました。これは夕方の事。 やがてひとまず泣き止め、子ども達の世話をし、いつも通り寝かし付け、夫が帰宅し、ホッとくつろぐ夫に凭れていたら、またドッと哀しくなってまた大泣きしました。。。汗 「泣く」のは嫌いです。「涙は女の最終兵器」とか言われますから。 なかなか泣かない私があまり泣くので夫は困っていました。^^ でも、確か、この中学の時の出来事で泣いた事って、昨日が初めてだった気がします。 そう。。。あの時の私を「物以下」に貶めたのは「何」なのでしょうね。。。 >「裸体画」が芸術かポルノかにしても、男性の置かれている性的条件によって規定されるしかない その通りですね。これは「実感」です。^^ 同一の対象をどう見なすのか?は、性的条件が決める。 では、同一の対象をどう扱うのか?は何が決めるのでしょう? あの時の私に足りなかった「跳ね返す要素」は何なのでしょうか? お心遣いは感謝申し上げますが、事実に関して容赦は無用です。 お願いします。
- hypnotize
- ベストアンサー率33% (56/165)
#2です。 1.「性的な意味でなく」おおー!という事は無いのか? よく分からないのですが、yukkinn66さんにとって、ポルノ≒ヌードなんですかね? 私の中ではポルノ≠ヌードです。 私の中では、 ポルノ=性行為が対象、やっちゃっている写真、やっている所を想像させる写真 ヌード=裸体を純粋に美として表現する写真~やっていなくても性的魅力を感じさせる(セクシー)写真 という感じです。 で、上述私のいうところのヌードに関しては男性のグラビアをみて「お~!」と思うこともありますし、セクシーだと感じる場合もあります。 でもポルノはダメです。 例えばハンドボールの宮崎選手のグラビア見ましたが、セクシーだと思いました。きっと自分が女だったら抱かれてみたいんだろうなぁ、という感じです。 一瞬自分が女の視線で見ているのかも知れません。そういう意識はありませんが。 ヌードに関しては、むしろ女性のヌードより男性のヌードの方が良く思えるモノが多いです。女性は「脱げばイイってもんじゃないだろ」みたいに思えるモノが多いのに対して、男性のは洗練されている写真が多いと思います。⇒変ですかね??? ポルノについては男性のものは全てNGですね。それ抜きに見たり感じたりすることが出来ないです。 でも女性のポルノでも、自分の中で下品に感じるものがあって、そういうのはNGです。何を基準に下品と感じるのかは自分でもよく分かりませんが、見た時に下品と思うモノがあるのです。 男性のポルノは全て下品に感じるので、その点では違います。女性のポルノだとイイと思うモノが沢山あります。 2.「その後は罪悪感が無くなった」ということなのか? 最初は、オトナが見るモノを見てしまったというか、自分だけ見てしまったというか、そんな感じだったのかも知れませんね。 その後は、興味も津々だし、実は他の人も見ているみたいだし、徐々に罪悪感は無くなっていったのかも知れません。 でも自分がそういうのを見ている所を親兄弟には見られたく無いですよね。それは罪悪感があるって事なんですかね・・・? 3.そのような「想像」があれば、ポルノは数を減らして行くのではないか?自身の彼女等がそのような目で見られる、と言う事への「思慮/思いやり」があれば、商業ポルノは縮小の傾向になるか? これはポルノの問題ではないです。分かっていてもヤメられないのです。人間には欲がありますから。性欲、金銭欲、名誉欲、食欲・・・。やめられないのが必ずしも悪とも思いません。(ポルノが悪とも思いません。) 無くそうと思えば完全共産主義にでもするしかありません。しかし人間には欲があるので完全共産主義には絶対に到達せず、完全共産主義=欲を無くすので、すなわち人間では無くなってしまいます。(この辺りは思想論なので異論もあると思いますが。) 貧しい国の人を助けましょう。分かっています。でも私財を全部なげうって寄付しません。いや私財の0.1%も寄付していません。 人間みな平等に扱いましょう。分かっています。気をつけています。でもどこかである時、誰かを見下している自分に気付きます。 食べ過ぎに注意しましょう。運動しましょう。分かっています。でもメタボ検診に引っかかります。 飲み過ぎに注意しましょう。分かっています。でも翌朝は二日酔いのこともしばしばです。 たぶん、下に行くほど実行しやすいはずですが、一番下でさえ、出来ません。それに対して罪悪感を感じる場合もありますし、感じない事もあります。 それと同じレベルの事だと思うのです。 ・・・変ですか??? yukkinn66さんがポルノをみて、罪悪感を感じたり、感じなかったりするのは、それらとはまた違うのでしょうか? 長文失礼。
補足
回答下さった皆様、本当に感謝申し上げます。 皆様の回答を読み、考え、返信を考えるにつれ、やはりこの質問は、一般化を試みようとしても無理なのでは無いか?、そう思えて来ました。 現に、一般化して考えようとしても、私自身がどうしても引き戻され立ち戻り、「同じ地点」に立ち尽くしているのが実感出来ました。 その「地点」について、こちらに書かせて頂きたいと思います。 よろしくお願い致します。 先に#1の方の補足欄に書きましたように、私の感覚には「二種類」あります。これははっきりと分かれます。そして、共存はしません。 その時々の何らかの具合によって、どちらかの感覚が選択されます。 その強弱はありますし、最近ではある程度のコントロールと矯正も可能になって来ておりますが、まだまだ不可解で自動的、抵抗不可能な場合が多いです。 はっきり言って、そう言った「成熟した男性性の思考/嗜好」に対して、私自身「子ども」のまま拒否している部分が大きいと思っています。 #4様に申し上げましたように、「純粋培養された」ところもあります。 自ら書きました質問文を翻すようですが、 *「初見の時」は興味津々! *「違和感」はその後発生し、膨張した。 これが「事実」です。そして、その違和感を無視出来ない状態迄膨張させた幾つかの事件もあります。 >ポルノ=性行為が対象、やっちゃっている写真、やっている所を想像させる写真 >ヌード=裸体を純粋に美として表現する写真~やっていなくても性的魅力を感じさせる(セクシー)写真 と説明頂き感謝します。 はい.混同しています。 例えば、ヤングジャンプ等の巻頭のグラビア。あれは「ヌード」でしょうか? それから、プレイボーイの中身はどちらでしょうか? (私自身週刊誌には縁も興味も無いので、街中でちらっと垣間みる、程度なので、実際の写真をじっくり見た事も少ないのですが。。。これじゃあ、話になりませんね。。。) あれら「裸に近い写真」も、「扇情的」としてしまいたい、自分がいます。 おそらく。。。おそらく、です。 「これらの見知らぬ女性の肌を、垂涎して眺めるであろう男性達」と、中学生当時の私の身体を、撫で上げ、通り過ぎ、恐怖と嫌悪と絶望と屈辱で硬直し、やっとの思いで振り向いた私を、物陰から何とも言えない目つきで笑った男、が重なるのだと思います。 でもでも、痴漢に遭う女性なんて、世の中に幾らでもいるでしょう? こんな小さな出来事が私の「男性の思考/嗜好」に対する理解の成長を止めてしまった、なんてあり得ない。何か、私の「考え違い」なのだ、と今迄考えて来ました。 でも、今回こうしてこの課題に逃げられなうように仕向けてみて、どうしてもこの「地点」に引き戻される自分に気が付きました。。。。 意外に「引っかかって」いるのかも知れませんね。。。。 この後にもあるのですが。。。。二つ程引っかかる事件が。汗 これらの「小さな事件」について、今迄にも何度も考えて来ました。 そして、思い返す度に「男にはきっと理解してもらえないのだ」と諦めたくなる自分が居るのです。 これらの事件は夫も知っています。「大変だったね」とも言ってくれました。それでも「理解してもらえた」とは思えない自分が居ます。時に大好きな大好きな夫にすら、激しい憎しみを抱く私が居ます。 元来、負けん気が強く、男勝りで女嫌いで男友達ばかりで、「人生のライバルはいつも男友達」で生きて来た私が、「男には理解出来ないだろう」と思ってしまう事は、なかなかキツいです。 女嫌いもあり「女ってわけわからん!」といつも思って来ましたし、いつも男の中にとけ込めるように努力して来ました。それが、此処に来て、「結局、私はどちらにも属していない」事実を突きつけられた感じです。 まあ。。。群れたくないので構わないのですが。。。。 女は嫌い。男にも嫌悪感と憎しみ。。。自分の生まれた性別よりも、この世に「男女の違い」が存在する事、そのものに憎しみすら憶えます。 それでも、自分の命よりも大切な小さな我が子達を見るにつけ、彼らを生み出す事が出来た、その「性別の存在」に感謝したい、とも思うのです。。。。 と、言う訳で、ふらふら、どころかメチャクチャな質問者である事が、ここに露呈しました。汗 お礼は遅くなっても必ずさせて頂きますので、突然締め切っても「自己防衛の策」とご理解下さい。まだ頑張れるか、試みてはみますが。。。。 何かご意見、感想等ありましたら、よろしくお願い申し上げます。
お礼
こんばんは、bragelone様。 また来てくださり光栄です。 >もし 上の命題をたがえているとすれば それは 被害者であるyukkinn66さん あなたも 蚊となって刺したということです。 これは、私も何らかの加害者である、と言う事でしょうか? >初めは 一方的な行為であったとしても 同意したという関係に入る場合があるということです 私が嫌悪と恐怖で「同意を拒否した」と言う事でしょうか? そして、その後に続いたかもしれない「性愛関係への道』を閉ざした。 だから、私も「蚊になって刺した」。。。そう言う事でしょうか? うーーーん。。。何だか大らかな気持ちになれる言葉ですね。^^ (ん?私の解釈、合っていますでしょうか?汗) >いやしくも人間が それでも とうとぶべき存在であるとするならば これはあの犯人の男も「尊ぶべき存在」と言う事でよろしいでしょうか? (勝手に解釈して勝手に喜んでいますけれど、大丈夫かしら。。。) >そのいまわしい過去は 瞬時に 消えます。そういうものです。 はい。^^(私の解釈が合っているならば。) 添削お願い致します!