元の「松の廊下」事件に戻ると, 江戸城内において刀を抜くことが既に処罰の対象となります. 刃傷沙汰に及んじゃったら当然処罰されます. 結果的に, この時点で「浅野長矩の蟄居」はほぼ確定です.
問題は「浅野長矩に対する切腹の申しつけ&浅野家取りつぶし」ですが, 確かにこれは重い処罰になっています. 江戸城内における刃傷沙汰はほかにも数件起きていますが, 誰も死亡していない場合は基本的に「蟄居」のレベルでとどまっており, 「死亡者数 0 で切腹になった」のはこの 1件だけです. その点では「重い処罰である」ということができます.
ただし, これが「ある意味で最悪のタイミングであった」こともまた事実. ちょうど朝廷の使者が帰るところであり, その報告によっては「征夷大将軍の地位のはく奪」ということも想定されていました. そのため幕府としては「自分の管轄で起きた事件に対してきちんと対処できる」ことを示す必要があったわけです. その結果として他の同種の事件に比べても重い罰則が与えられたという解釈ができます.
なお, 江戸城内の刃傷沙汰において「被害者に罰が与えられた」例はなかったはず.
ちなみに吉良義央に対して「お前も (名前だけとはいえ) 武士なんだから, 切りかかられたら刀で返せ」ということを言う人もいました. が, 既に書いたように「刀を抜いた」時点で処罰の対象なのでねぇ....
で元の話に戻ると, つまるところ外形的には「幕府の重職に対して 47人もの人間が夜討をかけて殺した」だけです.
あとついでに言うと「仇討ち」というのは「自分 1人の力でやる」のが原則です. 親族はさておいて, その他のものが表立って支援することは禁じられています.
お礼
最後の文章の引用は大変参考になりました。