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赤穂浪士の吉良邸襲撃の成功の要因は?
赤穂浪士47名が吉良邸に討ち入って、吉良殺害を成し遂げました。 吉良家は死者16人、負傷者23人に対して赤穂浪士は数人の負傷ですみました。 この圧倒的な差の要因は何でしょうか? 赤穂浪士は甲冑を着て戦っていたのでしょうか? あるいは吉良家には戦える武士が少なかったのでしょうか? よろしくお願いします。
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物理的に検証しますと、 1.浪士側は鎖帷子を着込み防御武装していた。 この防御武装では刀では斬れず打撲傷を与える位です。 一方吉良側は寝込みを襲われ寝間着のママの防戦でした。 2.浪士側は暖かい食事、酒で暖をとり十分な準備をしていました。 吉良側は寝起きから寒い寒気に曝され、しかも裸足が多かったといいます。 ある実験では雪中裸足でいると、感覚が麻痺し適格な判断能力や運動能力を欠くようになるという結果が出ています。 3.浪士側は吉良側の長屋の雨戸をくさびで開けられぬようにし、屋外で多数の人数が居るように見せかけのかけ声を交わし、弓を雨戸に射て飛び道具があるように擬装して吉良側の戦意をくじく工夫をした。 吉良側は雨戸が開かず、戸外に出る事ができず、(当時の長屋の雨戸は一カ所でも動かないと開けられない構造でした) 多数の敵がいると錯覚した。 4.浪士側は敵1人に対し2~3人が組になって戦うことにしていた。 このように準備が万全な浪士側に対し統制のある抵抗はできなかった事が吉良側の敗因でした。
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- mukobiaoi
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漫画家であり時代考証家でもあった亡くなられた杉浦日向子さんの本で、『ゑひもせず』というのがありますが、この本に「吉良供養」という作品があります。虐殺としての赤穂浪士討ち入りの状況が実にリアルにわかる漫画です。 この本を読まれたら、謎は氷解されると思います。
- v7e88
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元々、幕府はあだ討ちをさせようとしていた様ですから、成功してあたりまえです。
- eroero1919
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赤穂浪士は討ち入りに際して入念な計画を練っていました。まず、邸内の様子を知ることに全力を注ぎました。そして、家臣の住む長屋の扉などにかすがいを打ち付けて出られないようにしました。 出てきた吉良家の家臣には、ひとりの相手に3人でかかるようにしていました。赤穂浪士の中には高田馬場の決闘を経験した堀部安兵衛がいました。彼の「実戦経験のノウハウ」が大いに役立ったようです。 また吉良家の少なくない人が「寝たフリ」をしたようです。表で刃傷沙汰が起きているのは気付いたようですが、ヘタに表に出たら斬り殺されるかもしれません。誰でも殺されるのは怖いですからね。このあたりは文字通り「決死の覚悟」ができている浪士との温度差でしょうね。 また一説には江戸っ子は赤穂浪士の吉良邸襲撃に気付いていたという説があります。というのも、当時の江戸というのは各地域に木戸があって、夜中は閉められて出入りができないようになっています。赤穂浪士は火消し見回りを装って江戸市中を移動しましたが、彼らが武装しているのは誰の目にも明らかです。しかし彼らはどこでも咎められることなく吉良邸に着いています。各地の同心に報告が入ってないとは非常に考えづらいのです。 討ち入りの際に隣家の土屋主悦が提灯を掲げて浪士を応援した話は有名です。つまり、当時の人々は赤穂浪士に「早く討ち入れ、やっちまえ」と期待していたのではないかと思われます。実際問題、四十七士に対しては全国の各藩から「預かりたい」という声が殺到したので幕府も彼らに名誉ある死である切腹を命ぜざるを得なかったのです。本来であれば将軍のお膝元である江戸市中で合戦まがいの騒擾行為を行ったので処刑されるところなのですが。
- at9_am
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純粋に局地戦と見た場合、周囲に味方がなく、退却する場所もなく、防備を固めていたわけでもない状態で奇襲攻撃を受けたということです。 攻撃をかける側は当然、甲冑というか鎖帷子ですが防具を身につけています(もっとも、映画のような派手でそろいの衣装ではなかったでしょうが)。対する吉良側は討ち入り当初は防具を着けていませんし、討ち入りから引き上げまで数時間の時間がありますが終盤であっても身につけた人がほとんどいないことからすると、身につけるべき防具もあまりなかったようです。 これを虐殺と呼ぶのはどうかと思いますが、被害の差の要因はそういったところにあるようです。局地戦は特にそうですが、開戦時に勝負は 8 割方決まっているのです。 もっとも、吉良側にしてみれば、松の廊下で斬りかかられるわ、喧嘩両成敗で懲罰を受けるわ、挙げ句に家に踏み込まれて殺されるわ、でひどい災難です。 実際、彼自身は落ち度らしい落ち度も見当たりません。浅野内匠頭自身、饗応役は2度目ですから、色々なしきたり(饗応のための準備)について、細かいところを別にすれば知らないはずもありませんし、賄賂に至っては正式に指南料を取れるので俗説も良いところでしょう。大体、賄賂を払わされたからといって恨みに思ったり、ましてや斬りつける人はいません。
- jamiru
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夜襲の上に奇襲。さらには冬場でこちらは冬場の完全装備で防寒及び転倒対策の上に身体を温めている。 実戦では3:1を訓練しての各個撃破。 戦の定石とはいえ一方的な虐殺ですね。 言われるような展開と、冬場の設定で冬装備をしている側と、していない側ではさらに戦力に分が出ます。 これを聞いた将軍綱吉は詳細を知って激怒し、この卑劣な野蛮人どもを即刻打ち首獄門として首を晒せ!のような事を言ったそうな。 生類憐みの令に見られるように一種の清潔さを求めた綱吉にとっては、仇討ちに一定の理解を示してもこれは武士として汚すぎる。と受け取られたのではないでしょうか。 綱吉自身が大衆や家臣の人気が無かったのが残念でしたね。 綱吉批判の格好の材料になってしまった。のではないでしょうか。
- Ganbatteruyo
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目的をはっきり持った、洗脳された、テロが装備を完璧にし、攻撃計画を持ち奇襲したのでは寝入っているただのガードマンでは防ぎようがありません。 両方とも「戦う準備が出来ている」戦場とはわけが違うと言うことなのですね。 忠臣蔵と言う名前で日本人民衆を洗脳して「義士」と言う奇麗事に惑わされてきた事が大きな問題でもあると言う事です。 今のテロたちが彼らのやっていることは正しいことをしていると真剣に思っている人が中近東にいるのと同じ事だったわけです。 どうですか? 忠臣蔵や奇麗事を知らない人がこの討ち入りの事実だけを聞いたら本当に「正しいすばらしい事をした」と思う日本人がいると思いますか? 洗脳された先入観が今までの日本人の「判断」を曲げていたと言う事なのですね。 「赤穂義士による討ち入り」を「赤穂浪人によるテロ奇襲」と変えても良い位、完璧なテロと40年前に言ったら私はどうなっていたと思いますか? 更に私が46人の暴走族の仲間を完全装備させ私が殺したい人間を、殺されるかもしれないと心配してガードマンを雇っていても、同じ時間帯に奇襲したら誰が「奇麗事で」私を弁護してくれると思いますか? そして、私が奇襲攻撃は必ずといっていいほど成功するでしょう。 そして更に悪いことに幕府自体がテロとは判断できない状況にいたと判断してもいいくらいに「磔」にして処罰をしなかったのは日本史の汚点とも言えることだと私は考えています。 おまけです。 私はアメリカで今武道を教えていますが、多くのアメリカでの「武道家」も日本からの奇麗事とBushidoと言う観念に惑わされて正しく判断できないでいるのも事実です。 それだけ、忠臣蔵の「お話」が浸透しているのです。 昭和人がまったくおかしい事だとは思わなかったことと同じことをこちらでもしているのですね。 47 Akoh Rohshi=Bushidoの表れ、と「洗脳」されているのが実態です。 参考になりましたでしょうか。 分かりにくいところがありましたら締め切る前にまた書いてくださいね。
- nemosan
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>赤穂浪士は甲冑を着て戦っていたのでしょうか? 浪士側は刀の通らない鎖帷子を着込み、 人数も吉良側武士1人に対し浪士3人で戦ったらしいです。 http://p21.4cast.co.jp/cookinfo/megaten/oa/20071209/20071209_2.jhtml?1=1
- nene-k
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幕府公認が一番大きいかも・・・ 大石も、討ち入り直前に「老中もご存知・・・」という手紙を知り合いに出してますし、幕府も、わざわざ吉良邸を大都会から田舎に引っ越させてもいます。 たくさんの見物人もいたようだし、もはや、吉良さんには、防ぎようがなかったんではないでしょうか。
- outerlimit
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ほとんど無防備の相手に 相手を上回る完全武装の部隊が奇襲をかけたのですから いわば虐殺です 既成概念を捨てて、少し調べれば判ることです 赤穂側の装備と吉良側の犠牲者の装備を比べてください 襲撃(奇襲)する側と防御する側の所要兵力の違いは 戦術の初歩の常識です 奇麗事で祭上げられていますが 実態は 9.11のテロのようなものです