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赤穂から江戸までの手紙

NHKで赤穂浪士をやっていた録画を見ました。大石内蔵助が赤穂から江戸へしきりに手紙を送っていたそうですが、当時、赤穂から江戸までの手紙は何日位かかったのでしょうか?

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  • oska2
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回答No.2

>大石内蔵助が赤穂から江戸へしきりに手紙を送っていたそうです まぁ、藩の一大事ですからね。 電話・電子メールが存在しない時代ですから、最新情報を得るのに度々江戸屋敷に手紙を送った事でしよう。 >当時、赤穂から江戸までの手紙は何日位かかったのでしょうか? 記録では、4日です。 江戸の早飛脚では、江戸・大坂間は3日だったのです。 大坂から赤穂までは、1日です。 「ホンマか?」という声が聞こえそうですね。 「ホンマや!」 東海道には、「57か所の公認飛脚引継所(中継所)」が存在しました。 江戸から大坂まで、リレー形式で手紙を運びます。 手紙を受け取った飛脚は、次の中継所まで約10キロを走ります。 この繰り返し。 一人平均、時速8キロで走っている事になりますね。 ※当時の旅行者は、早い人で時速約4キロ=1里でした。 青山学院陸上部選手よりも、早かった! 何人もの飛脚がリレー形式で手紙を運びますから、案外早かったのです。^^;

tahhzan
質問者

お礼

>早飛脚では、江戸・大坂間は3日だったのです。 本当ですか?いやはや、驚きました。1日、約200km弱。駅伝とはいえ、驚異的なスピードですね。それも、重量物ではないにしても、荷物を担ぎながら… 恐らく、その飛脚は、また、帰りの郵便物を受け取って同じ道を走って帰るんでしょうね。昔の人は背は低かったでしょうが、体力は今と比べ物にならない位あったんでしょうね。驚きました。ありがとうございました。

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その他の回答 (1)

回答No.1

通常、江戸から京阪までは、馬を使う通常便で30日、飛脚を使う速達便で6~7日と言われています。 赤穂の場合、京阪からさらに2~3日と考えれば、早飛脚で8~10日という所でしょうか。

tahhzan
質問者

お礼

飛脚ということは、人の足ですよね…それを考えれば、8日でも早いと言えば早いですね。単純計算でも、1日70〜80km。なるほど。勉強になりました。ありがとうございました。

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