- ベストアンサー
赤穂浪士ってもともと何人?
47士で有名な赤穂浪士は、もともと何人だったのでしょうか?藩とりつぶしになったとき何人が「浪人」になって、それが47人に絞られたのか知りたいです。ご存じの方、歴史に詳しい方いらっしゃいましたら、是非教えていただけますか?
- みんなの回答 (2)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
前にテレビでやってたはず…と思って検索したら出てきました↓URLの第33回のところ。 それによると… 赤穂浅野家分限帳(元禄13年2月)によれば家臣の数308人、そのうち120人あまりが内蔵助と血判状を交わしたそうです。(江赤家秘録による) 分限帳がどの程度までの家臣を含むのか等、については分かりませんでした。
その他の回答 (1)
- rczd
- ベストアンサー率29% (33/113)
回答No.1
赤穂藩は取り潰されたとき、5万石でした。 詳しい資料・史料が手元にありませんので、推測します。 近世(江戸時代)の軍役は1万石あたり250人拠出しなければなりませんでした…と聞いたことがあります。 計算すると、少なくとも、 250人/万石×5万石=1250人 は、いたと思います。 これに加え、戦闘員1人につき、零点幾人分カゴ持ちや荷物持ちがいます。士分だけに限れば、1250に近いかもしれません。 47?/1250=3.8% です。 事実に基づいていません。素人の推測です。
質問者
お礼
ありがとうございます。 1万石あたり250人なんですね。初めて知りました。参考にさせていただきます。
お礼
そうだったんですね!「その時、歴史が動いた」は、よく見ているのですが、この回は見逃していました。ありがとうございます。参考になりました。