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音楽は下らない幻想であるか?
どうやら科学の成果でよい音楽を聞くと脳によい効果が得られるようです。そして音楽というのは素晴らしいものだと一般的に認識されているようです。 よい音楽は人によりそれぞれでしょうが、感動するのも然り、まあ心地いい気分になるようなものだと思います。 しかし、まったく僕には音楽というものが非常に疑わしい。 古典でも現代音楽でも音楽自体を疑ってます。 なぜかというと音楽というのは、音を楽しむことを前提としている。 どんな音楽であれ音楽であり、心地よいひと時が流れていく。楽しかったが、終わってみるとあの空虚感。 今までの時間はいったい…、と思うわけです。 そして、音楽が素晴らしいなんていうのは幻想で、みんな夢気分に酔っていて現在の自分に対して責任を放棄している無責任な状態じゃないか、と思うのです。 つまりその場の気分や雰囲気作りで終わっている、ということです。 もちろんそういった効果はそんなに悪いことではない。 勇気を鼓舞したり慰めなど、慰めの効果は科学的ですが勇気を鼓舞するというのは幻想のような気がします。 現在的な各個人が抱えている問題を放棄している、これは脳にいいからなどという科学的な効果や理屈などでは片付けられないと思うのですが皆さんの意見も聞きたいものです。 音楽は空虚な幻想であるか?
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2度目です。 そんなに音楽について講釈たれることの出来るほどには 多くのものを聴いてきた訳ではないですが。 >本質であると思われる音楽っていったいなんだろう?という疑問がついて回るんですよ。... あなたの言う「本質であると思われる音楽」というのは、 人種性別年齢経験一切関係なくあらゆる人間に原初の衝動を与える、 なおかつその影響を日々の生活の中にまで及ぼすような、 ある種の究極ともいえる音楽を想定しているように思われますがいかがでしょう? このようなものが現時点で実在するかについては、答えはNoでしょう。 そんなものがあれば必ずその存在は我々の耳に届きます。 つまり、「普遍的な究極の音楽があるか」という意味で言うならば、 あなたの問う「音楽は幻想であるか」の答えはYesです。 将来的にそういう音楽が現れるかについては分かりません。 現在ではクラシックが近いでしょうが。 しかしながら、 >それぞれの価値観ということで割り切らせる ことをよしとしないあなたには反感を買うかもしれませんが、 個人個人にとっては絶対的な、代わりのないような音楽というのはありえると思っています。 全ての人間についての「絶対的な音楽」を包括するような音楽があるかということが問題です。 音楽というのは評価の軸はひとつではありません。 ある人はメロディを、ある人はリズムを重視し、 明るい曲が好きな人もいれば暗い曲が好きな人もいます。 歌詞以外に興味のない人もいればインストしか聴かない人もいるでしょう。 これら様々な、場合によっては相反する要素をすべて含むような音楽など作りようがありません。 上で挙げた歌詞重視とインスト重視などは絶対に両立しえないことは明らかでしょう。 以上の理由から、あなたのいう「超音楽的音楽」は存在し得ないと僕は考えます。 不思議なのは、 なぜあなたが自分にとって「最高の音楽」を見出そうとするのではなく、 個人、時代を超越するような「普遍性」を求めようとしているかです。 少なくとも僕にとっては音楽というのは完全に個人的な行為、孤独なものです。 音は聴いた自分の頭の中にしか鳴らず、それゆえに「超音楽的音楽」でなくても僕の中での絶対性は揺らぎません。 比喩的に言うなら人生のサウンドトラック的なものです。 それによってロマンティシズムに浸り内向してしまったこともあれば、 音楽の発する熱に当てられて実際の行動に変化が生じたこともあります。 そういう意味で生活レベルにまで充実感が及んでいるとは言えると思います。 「自分の内の最高の音楽」と「超音楽的音楽」との違いは その対象が全人類であるかどうかだけです。 ちょっと頭でっかちなんですよね。 考えすぎててせっかく音楽から受けた印象を自らスポイルしている気がします。 スクリーモの激情に生命的充実感を感じる、結構じゃないですか。
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- come2
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こんにちは 質問がちょっと論理立てられてないかなと感じました *********** 科学的に音楽は脳に影響を与える (良い音楽は良い効果を、悪い音楽は悪い効果) しかしながら、良い音楽を聴いて、素晴らしいと感じることは幻想であり 夢気分に酔っていて現在の自分に対して責任を放棄している無責任な状態じゃないか であると考える。 *********** という主旨ですよね? 一生懸命考えようとしているけど、一つ一つの言葉の定義があやふやで そのあやふやなまま壮大なテーマを扱おうとしているので ところどころほころびが見え隠れする 気になるところ 「音楽というのは、音を楽しむことを前提としている。」 音と楽しむと書いて「音楽」となるのは当然日本の話です しかしながら、この「楽」は楽しむの「楽」ではなく、「楽器」の「楽」 そして「楽」は古代弦楽器の象形文字です なので「音楽」というのは、「音のなる楽器」という意味の方が適切です ただしそれでは無味乾燥だし、結果として「音を楽しむ」と理解して 問題になるわけでもないので、そういわれています さらにMusicの語源となるとMuse(ミューズ)といわれる 文芸・音楽・舞踊・哲学・天文などをつかさどる女神です 音を楽しむという概念は、日本語にも西洋の言葉にもありません。 また実際問題として音楽の発展は、多くは娯楽目的よりも 軍事的な鼓舞、宗教行事における演出効果で発展していると思います。 となると >古典でも現代音楽でも音楽自体を疑ってます。 >なぜかというと音楽というのは、音を楽しむことを前提としている。 この前提条件が崩れます。再構築をお願いします これを通り越して先に進むと「幻想」という言葉を使われてますが 辞書によると「現実にないことを思い描くこと。また、その思い。」 です。 そういう意味で、音楽が気分や雰囲気を演出しいるのが「幻想」かと言われれば その通りです。 しかし「幻想」という言葉には「あの空虚感。今までの時間はいったい…」 という概念は含まれていません。 なので、音楽が幻想ですか?と言われるとその通りだと思います (くだらないという形容詞は論理展開に必要ない程度を 意味する言葉なので無視します) ただしおっしゃられるような空虚感は含まれません それは、脳に影響を与えた後の個々人の感じ方の範疇です 軍艦マーチを聴いて「俺たちは勝てるんじゃないか?」と幻想を与え、気持ちが高揚し、戦闘ムードになるならば、確かに音楽は幻想です(この場合、空虚感は含まれません) バッハの音楽をパイプオルガン付きの教会で演奏された場合 荘厳な幻想を人々に与えることができます。 神が天から降臨したかのような幻想を与えることができます(これも空虚感の意味は含まれません) しかしながら、軍艦マーチ、バッハの演奏を聴いて、空虚な感想を持つ人も いるかもしれません。しかしそれは音楽そのものではなく 事象としては、その音楽が脳に届いた後のその個々人の解釈だと思います。 例えばバッハの音楽聴いても、キリスト教の人は、荘厳に感じるかもしれませんが ヒンデュー教の人にとっては眠いだけかもしれない お寺の木魚のリズムを聞いて、厳粛になる感覚の人もいれば、笑っちゃう感覚の民族も いるかもしれない なので、音楽が幻想か?と言われたら、その通りだけど この「幻想」という言葉に「空虚」というニュアンスはない もし質問者さんが、すべての音楽に空虚を感じるのであれば それはそうなんだろうと思いますが一般的には、そうではない ということになろうかと思います。
お礼
正直言って僕は音楽の知識がほとんどありません、質問も漠然と思ったことです、だから質問もあんまり完璧な質問になっていないようです。 しかし、これはとても気になることですのでもう少し突っ込みたいと思います。 音楽が楽しむことを前提としているが概念になければいったい音楽とはなんなのでしょう? 僕は勝手にそう取っていたので音楽は装飾であり、何か無駄な事のように勝手に思ってました。 無駄なことというのは悲しい気分や楽しい気分などその場だけの雰囲気を作ることによって夢気分に泳ぎそれが自己欺瞞の手段になってるのではないか、という感じです、酩酊の感じと似ているのかもしれません。 それと個々人の感じ方について、音楽を聴いた後僕の場合は確かにいいなと思ったりもするんですが生活に直接結びつくようなほどの活力というか元気がこないというか、聞いた後気分がスカスカのままなんですよ。 一般的に人気があったり認知されている一応音楽はききました。 全ての音楽を聞いたわけではないんですし、本当にそうだという確信はありません、しかし本当にこう生活に活力がみなぎるというようなことがないんですね、これはゲームやマンガなど娯楽全般にもいえると思うんですね。 音楽はいい気分になる、感動する、ゲームやマンガは面白いけど本当に味気ない日常で消費されたエネルギーみたいなものが回復されない、楽しいし面白かったけどあれは何なの?とかなり思ってしまうんですよ。 今までやってたことはただの自己欺瞞行為だったんじゃないかと疑ってしまうのです。それなら空虚なものじゃないかってそう思うんです。 僕みたいに娯楽や音楽を聴いて気分がスカスカの人はどのくらいいるのかもとても気になっているのです。 ここでは娯楽に話を広げると話がややこしいものになってしまうので音楽について、音楽とはつまりいったいなんなのでしょう?
>どんな音楽であれ音楽であり、心地よいひと時が流れていく。楽しかったが、終わってみるとあの空虚感。 今までの時間はいったい…、と思うわけです ソレは聴いているときが本来の姿で、終ったあとが幻想なんじゃない ですか?そうじゃないって言い切れます? 夢心地ということはそのときが心身ともに充実している本来のアナタの 姿であって空虚に思える瞬間が逆に本来の自分ととても遠い世界に 行っているのでは?音楽を聴いている短い時間だけが自分に戻る 時間じゃないっていう根拠はどこにあります? あなたが現実と思っている個人の問題そのものが幻想じゃないっていう 根拠はどこにもないし、アナタが疑わしいと思っていることが 確かな現実であるという確証もないんですよ。 あなたの存在そのものが空虚な幻想でない証拠を突き止めてからこの 問題を片付けてはいかが? 哲学カテでお待ちしています。
お礼
>あなたの存在そのものが空虚な幻想でない証拠を突き止めてからこの 問題を片付けてはいかが? 思わず笑ってしまいました、アドバイスは有難いですが場違いなのはそちらの回答です。 今音楽のカテで音楽は空虚なものであるかという質問をしているのですよ?僕の存在そのものが空虚な幻想でない証拠なんて今はどうでもいいことじゃないですか。 僕の質問がどうでもいいのなら回答しなければいいだけの話ですよ。
- hinanopia
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この質問は・・・ 「音楽を聴く」 という事について、音楽が途切れた時に、空しい感じがする という考えのもとに成り立っているようですが。 確かに音楽を聴いているだけでは、音が途切れた時に現実に引き戻されるので、空しいというのはわかります。 しかし、音楽を実行している(演奏している)人は、 その技術を追求しているわけで、幻想ではなく、生活の一部という事です。また、作者の表現方法の一つですし。 そして、日々、追及されつづけている作品を聴いているわけですから、 何人かの人が感動したり、共感したりするのは、自然だと思います。 もちろんメロディーや、音の好き嫌いはありますから、 共感できないものは、嘘っぽく感じたり、場にそぐわないと感じる事もありますけど。 それは音楽に限らず、共感できないものには、勇気も感動も感じませんよね。 音楽に特化して虚しさを感じるのであれば、 まず、身近な楽器で(ご自分の声でもいいです)音楽を実行してみませんか? そこには「創造する」「挑戦する」という現実がありますから、 幻想という空しく、あいまいな世界はなくなると思いますけど? ちなみに、私も「音楽療法」的な話は、実はあんまりピンときません。 あれって、結果論ですよね。 音楽って、根本的には「信号」や「伝達手段」だと思います。 いちばん身近な音は「声」ですから、なくてはならないものです。 記号から文字になり、文字が集合して小説になる、 音から音の集まり(フレーズ)になり、フレーズが集合して音楽になる。 そういうものだと思いませんか?
お礼
あなたの言っていることはとてもわかります。 創造する、挑戦する、これは人生の本質であると僕は思っています。 >しかし、音楽を実行している(演奏している)人は、その技術を追求しているわけで、幻想では…(略)…たり、共感したりするのは、自然だと思います。 何に共感するのかということですよね、音楽を聞くとその場だけの雰囲気や慰めで終わってしまうのかそれとも生活と直結するような元気を与えうるのかというようなことだと思います。 本質をついているとしたら引っかかってもいいはずなんですが、たいてい流れていくだけじゃないんでしょうか。 何を言いたいのかというのは技術以上に重要なことでしょう、技術だけならばただの装飾になってしまいます。 音楽に特化して虚しさを感じるのであれば、ま…(略)…想という空しく、あいまいな世界はなくなると思いますけど? 特に音楽に特化してむなしさを感じるということではないのですね、今回の質問は素晴らしいと思われている音楽についてであって他にも空虚に感じているものはたくさんあります。 基本的に挑戦するということと見たり聞いたりするということは多分けっこう違うと思います。 挑戦しているときは作り手の皆さん充実していると思います、しかし、できた音楽を聞いてみるとなんでもなく流れてしまうのです。 いいと思い聞いていると飽きてきますよね、そうすると全く夢をみていただけのような気がしてしまうのです。
- wanekoz
- ベストアンサー率14% (199/1373)
「心地よいひと時が流れていく。楽しかったが、終わってみるとあの空虚感。」 それは娯楽全般の共通点なので音楽についての 問題ではありません。 楽しかった時間帯はあなたの人生に含まれないのですか? 総合してあきらかにプラスなのだから否定的に 考えるのはおかしなことです。 それは音楽ではなくあなたの精神構造の問題です。
お礼
僕の精神構造が問題というのはそうかもしれませんが、全くわからない話でもないと思うのですが。 楽しかった時間もそうでない時間も勿論人生に含まれます。 それと今あくまで音楽について考えているんです、娯楽につなげて娯楽を考えるのは本意ではないのですね。 >総合してあきらかにプラスなのだから否定的に考えるのはおかしなことです。 何が明らかにプラスなんでしょう、音楽を聴いて味気ない日常に戻ればまだ気分がスカスカの人は多いんじゃないでしょうか?実際僕はこれです。 別に雰囲気を作るのは悪いことではないと思います、酒を飲んで酔うのと似ています。 しかしそれなら楽しい、これは自己欺瞞の手段であるといえませんか?娯楽全般そうだと思います。 本当に解決しなければならない各個人の問題を無責任にも放っている状態に思えません?
- minollinn
- ベストアンサー率38% (631/1630)
おっしゃることも一理あると思います。 ただし、他人に依存して自分を何とかしたい・・という観点のような気がします。 <どうやら科学の成果でよい音楽を聞くと脳によい効果が得られるようです。そして音楽というのは素晴らしいものだと一般的に認識されているようです。 よい音楽は人によりそれぞれでしょうが、感動するのも然り、まあ心地いい気分になるようなものだと思います。 当然ですが、おっしゃる通り、いい状態は音楽の終了と共に終わります。 問題はその後ではないでしょうか。 終わったあとに、Aさんは「心がすっきりした。明日もがんばろ~」 Bさんは「感動した、安らいだ、よかった・Cさんは「音楽には国境がない、世界平和は音楽だ~」、Dさんは「何とも思わなかった、時間の無駄だった」とか、いろいろ考えて思うのではないでしょうか。 つまり、音楽は、人に何かを思わせるための物であり、音楽が慰めたりしてくれているのではないのではないか、ということです。 一般的には、安らぐ感じの後は安らいだ考えが、格闘技などを見た後は興奮して挑発的になる・・とか。 音楽が幻想であるとかではなく、音楽じたいの問題ではなく、個人の感性の問題ではないでしょうか。
お礼
>個人の感性の問題ではないでしょうか。 これは正しいし、何に対しても言えることだと思います。 しかし、何に対しても今更このような当たり前の事実をいっても仕方がないと思うのです。 日本的な回答といいますか、当たり前の事実を述べるということは正しいように見えて問題の解決にはつながらないと思うのです。 >音楽は、人に何かを思わせるための物であり… ではいったい何を思わせるものだというのでしょう? これは音楽とは何かということにも直接つながることだと思います、ぜひ聞きたいです。
- sakura5678
- ベストアンサー率38% (120/314)
「自分自身」とは、その人が「考えていること」。だといいます。 音楽は空虚な幻想。。。と考えてしまうのは、 「貴方自身」そのもののような気がします。
お礼
僕が空虚な幻想であるとかそういう問題ではないのですよ。 音楽は下らない幻想であるかという問いです、音楽について質問したつもりなのですがどうも伝達が悪いようです。質問の回答になっていません。
- akamanbo
- ベストアンサー率17% (462/2680)
人の知覚はもとより脳の中で起きている化学的、電気的な反応なんでしょうから、音も味も抱えている問題とやらも、全て幻想ではありませんか。 それなら、こういった質問を考えて時間を潰すのもまた、空虚なことです。答えが出ようが出まいが、誰の何も解決しません。 しかし、あなたはこういう理屈を考えることが好きだからやってるわけで、それが役に立つとか立たないとかは問題ではないでしょう。 誰でも、自分が好きなこと、心地いいこと、関心をもっていることは大事で、そうでないことは「無駄なんじゃないか」、と言ってみたりするわけです。
お礼
>人の知覚はもとより脳の中で起きている化学的、電気的な反応なんでしょうから、音も味も抱えている問題とやらも、全て幻想ではありませんか。 確かに全て幻想とも現実ともいえるでしょうね。 ただ質問は音楽について僕が実際に体験したあとに感じた空虚さから音を楽しむことが前提の素晴らしいといわれている音楽自体を「現在」疑ってるのであって全て幻想か現実かなんて僕にとってはどうでもいいことだ。 あなたの回答は僕の質問に対しての回答になっていない、それに質問がばからしくて答えるのがばからしいのであれば回答しなければいいだけの話でしょう。 大体答えが出ようが出まいが誰の何も解決しないというのも根拠のない話です、一見無駄と思えることにこそ本質がある場合だってあるのです。
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お礼
なるほど納得、と思いました。そして僕の感覚にはけっこうな「ズレ」があるようです。「ズレ」は様々、誰にでもあると思いますが今回のは特殊なようです。 >不思議なのは、なぜあなたが自分にとって「最高の音楽」を見出そうとするのではなく、個人、時代を超越するような「普遍性」を求めようとしているかです。 これは絵画、彫刻など他の芸術世界で普遍性が見て取れるものを見たような気がして音楽にもあっていいんじゃないの?と思っているからです。エジプト芸術のツタンカーメンとかピカソ、縄文土器などいやらしくゾッとするまでに美しい。 ツタンカーメンなど4千年も前のものが現代人からみても異様な美しさがあります。 ただ美しいだけでも、醜いだけでも何か違うんですよね、醜悪美これは矛盾ですよね。その点スクリーモは近いような気がしたがどうなのかという思いです。 音楽には音楽の効果というのもありますし、音楽と彫刻、絵画を比べるのも変な話かもしれません…。