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音楽は下らない幻想であるか?
どうやら科学の成果でよい音楽を聞くと脳によい効果が得られるようです。そして音楽というのは素晴らしいものだと一般的に認識されているようです。 よい音楽は人によりそれぞれでしょうが、感動するのも然り、まあ心地いい気分になるようなものだと思います。 しかし、まったく僕には音楽というものが非常に疑わしい。 古典でも現代音楽でも音楽自体を疑ってます。 なぜかというと音楽というのは、音を楽しむことを前提としている。 どんな音楽であれ音楽であり、心地よいひと時が流れていく。楽しかったが、終わってみるとあの空虚感。 今までの時間はいったい…、と思うわけです。 そして、音楽が素晴らしいなんていうのは幻想で、みんな夢気分に酔っていて現在の自分に対して責任を放棄している無責任な状態じゃないか、と思うのです。 つまりその場の気分や雰囲気作りで終わっている、ということです。 もちろんそういった効果はそんなに悪いことではない。 勇気を鼓舞したり慰めなど、慰めの効果は科学的ですが勇気を鼓舞するというのは幻想のような気がします。 現在的な各個人が抱えている問題を放棄している、これは脳にいいからなどという科学的な効果や理屈などでは片付けられないと思うのですが皆さんの意見も聞きたいものです。 音楽は空虚な幻想であるか?
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2度目です。 そんなに音楽について講釈たれることの出来るほどには 多くのものを聴いてきた訳ではないですが。 >本質であると思われる音楽っていったいなんだろう?という疑問がついて回るんですよ。... あなたの言う「本質であると思われる音楽」というのは、 人種性別年齢経験一切関係なくあらゆる人間に原初の衝動を与える、 なおかつその影響を日々の生活の中にまで及ぼすような、 ある種の究極ともいえる音楽を想定しているように思われますがいかがでしょう? このようなものが現時点で実在するかについては、答えはNoでしょう。 そんなものがあれば必ずその存在は我々の耳に届きます。 つまり、「普遍的な究極の音楽があるか」という意味で言うならば、 あなたの問う「音楽は幻想であるか」の答えはYesです。 将来的にそういう音楽が現れるかについては分かりません。 現在ではクラシックが近いでしょうが。 しかしながら、 >それぞれの価値観ということで割り切らせる ことをよしとしないあなたには反感を買うかもしれませんが、 個人個人にとっては絶対的な、代わりのないような音楽というのはありえると思っています。 全ての人間についての「絶対的な音楽」を包括するような音楽があるかということが問題です。 音楽というのは評価の軸はひとつではありません。 ある人はメロディを、ある人はリズムを重視し、 明るい曲が好きな人もいれば暗い曲が好きな人もいます。 歌詞以外に興味のない人もいればインストしか聴かない人もいるでしょう。 これら様々な、場合によっては相反する要素をすべて含むような音楽など作りようがありません。 上で挙げた歌詞重視とインスト重視などは絶対に両立しえないことは明らかでしょう。 以上の理由から、あなたのいう「超音楽的音楽」は存在し得ないと僕は考えます。 不思議なのは、 なぜあなたが自分にとって「最高の音楽」を見出そうとするのではなく、 個人、時代を超越するような「普遍性」を求めようとしているかです。 少なくとも僕にとっては音楽というのは完全に個人的な行為、孤独なものです。 音は聴いた自分の頭の中にしか鳴らず、それゆえに「超音楽的音楽」でなくても僕の中での絶対性は揺らぎません。 比喩的に言うなら人生のサウンドトラック的なものです。 それによってロマンティシズムに浸り内向してしまったこともあれば、 音楽の発する熱に当てられて実際の行動に変化が生じたこともあります。 そういう意味で生活レベルにまで充実感が及んでいるとは言えると思います。 「自分の内の最高の音楽」と「超音楽的音楽」との違いは その対象が全人類であるかどうかだけです。 ちょっと頭でっかちなんですよね。 考えすぎててせっかく音楽から受けた印象を自らスポイルしている気がします。 スクリーモの激情に生命的充実感を感じる、結構じゃないですか。
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- simirin
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こんにちは! すくなくとも私には音楽は虚無な幻想ではありません。 それは、癒しです。また、明日への力。 フルートを奏でたり、歌を歌ったり・・・。 楽しいですよ~。その後の虚無感はまったくないです。 しっかり現実を忙しく生きているからか、その合間の音楽はよし!明日も頑張ろう!と、思わせてくれます。 若いころはいわゆる机上の学問で、頭の中で考えてばかりでしたが、今は全く現実に則した生活ができるようになり、それに伴ってか自分の素直な心の声を聞くことができ、音楽に関する限り、あ~、よかった!でおわります。虚しさは0です。
お礼
>フルートを奏でたり、歌を歌ったり・・・。 音楽を聞くというのと違って歌ったり演奏したりするというのは現実的な生活に則しているかもしれませんね。
音楽にいじめられた経験は御座いませんか?。 具体的に言いますと (1)幼い頃無理にピアノなどを習わされていた。 (2)音楽家(奏者、作曲家等々)志望であったが挫折した。 (3)兄弟や友人などに優秀な音楽家がおり常々嫉妬していた。 (4)音楽に限らず創造的な職業志望であったが挫折した。 (5)近隣のピアノの音に始終苦しまされていた。etc. (6)リトルリーグ時代に三振すると監督からサンシンのバチのカドで殴られた。(^^;) 音楽に限ってこの空虚を感じているとすれば上記コンプレックスの類がこのご質問を貴方に書かせている可能性があるかもしれません、ないか。 私は例に漏れず羨望するものに対して多少なれど嫉妬します。 それが大きくなると完全否定の体制をとります、こうなると客観視など出来なくなります。 2.3浮かぶ物があります。 それは音楽ではありませんが、無意味であり社会悪であるとすら感じています。 ちょっと自分に距離を置けばそれが嫉妬やコンプレックスにより増幅されている事に気付くのですが実生活上全く障害とはなりませんので放っておいてますけれど。 ・・・ああ、何つぶやいてるんだろう、失礼しました。 音楽以外、「時」繋がりで同類の例えば映画やドラマ、オペラ等はどのように捉えておりますか?興味がありますね。
お礼
音楽にいじめられた経験はないです。 オペラは実際に見にいったことはなくてあんまり興味がありませんが、見てみようとは思っています。場に緊張感があるかもしれませんからね。 映画やドラマは真剣に見るというよりは、ついダラダラ見るといったような、そんな感じになりがちですね。集中してみるときはみるんですが。面白いものや楽しいものもあるんですが、衝撃的なものが印象にはあんまりないです。 音楽もこれはいいかも、と思えても抵抗なく流れていってしまうんですね。 それもいいかもしれないのですが、何か欠けてる気がするんですよね。
- nitoro2
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その通り!!!! 音楽は、いや、芸術は空虚な幻想です。 そして! 幻想だからこそ芸術の存在意義がある!! 西洋音楽(クラシックね)の殆どはキリスト教をテーマにしています。 スカスカの毎日が嫌なんだったら宗教に入ったら? 宗教と音楽は気っても切りはずせない関係です。 「宗教だって幻想だ」ってもしも思うのならば、マジで洗脳されてしまえば良いんです。そうすれば幻想とは思わない。 マジで洗脳されれば音楽が幻想とは思わなくなるよ。 >「現在的な各個人が抱えている問題を放棄している」 その通り!! だからこそ音楽は素晴らしいんだよ? 音楽は、幻想を体感さしてくれる。 それは素晴らしいことだ。 ただ、音楽は科学的に脳に良い。とか言う意見は眉唾物だと思っている。 そのもっともなことが、どっかの大学教授が研究している、モーツアルトとベートーベンを聴き比べどちらがよりa波を多く出すか、とか言う胡散臭い実験だ。 あほすぎるぜ!!
お礼
なんかやっぱり色んな意見があるんですね、それと宗教に洗脳はされたくはないですね。 空虚な幻想だから素晴らしいのか、それとも下らないものなのかというところが自分にとって非常に重要なところであります。
- SYntax1987
- ベストアンサー率0% (0/2)
>なぜかというと音楽というのは、音を楽しむことを前提としている。 前提としていません。「楽屋」を楽しむ部屋だと言っているようなものです。よってあとの文も誤解しています。 >そして、音楽が素晴らしいなんていうのは幻想で、みんな夢気分に酔っていて現在の自分に対して責任を放棄している無責任な状態じゃないか、と思うのです。 >つまりその場の気分や雰囲気作りで終わっている、ということです。 「音楽は自慰行為で、みんなトランス状態になってしまっているから自分の責任を放棄しているんです><」と解釈しました。 >勇気を鼓舞したり慰めなど、慰めの効果は科学的ですが勇気を鼓舞するというのは幻想のような気がします。 慰めの効果が科学的?勇気を鼓舞するというのは幻想?全くもってわかりません。 >音楽は空虚な幻想であるか? おそらくあなたはかつての新即物主義のような、実生活に根差すことのない音楽は何ら価値のないものであると主張するのでしょう。 音は波動である。 音楽は波動と波動の有機結合をもって成す科学であり、実学とは無縁である。 すなわち作曲家は波動を取り扱う科学者であり、且つ研究者であり、日々は芸術家の皮を被って生きているのである。 と言えばよいのでしょうか(笑) まあ、こんなくだらない質問を書くのだから、そういう筋の人なのでしょうが。
お礼
音楽は科学ですか、それもそうかもしれませんね。
- 安房 与太郎(@bilda)
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音楽原論 ~ 哲学としての音楽について ~ 文字が読めない人にとって《源氏物語》は、とても退屈なはずです。 近代文学が朗読から黙読に、化学や数学が叙述よりも方程式が主流と なったように、前衛音楽では聴覚から楽譜に軸足が移行しつつあります。 ♪ 一人になって、わが心をのぞきこむ、自省の経過が再現される。 http://www.wimmercello.com/bachs1ms.html バッハ《無伴奏チェロ組曲第1番ト長調 BWV1007 1717-1723 Kheten》 なにかしら人生は厳粛に生きるべきだ、という主張が伝わってくる。 http://www.omifacsimiles.com/brochures/bee5.html ベートーヴェン《交響曲第5番ハ短調Op.67“運命”18081222 初演》 方程式のような趣向をこらし“退屈な聴衆”を挑発するバレェ音楽。 http://www.renesenn.de/gifnoten/bolero1.gif ラヴェル《ボレロ 19281122 Paris,l'Ope'ra》 ♪♪ ── 西欧の音楽は、ピタゴラスの古代数学の流れをくむため、感情の 表現よりも、和声法や楽理論を尊重しています。二十世紀はじめのフラ ンスで、十九世紀のロマン派芸術に対する反省と批判が流行しています。 音楽に対する感情移入は、いうに云われぬ日本固有のセンスがあり、 あまりに感傷的で通俗的で陳腐ですが、中国や韓国では過度に享楽的で、 西欧人からすると、どちらも鼻もちならないようです。 http://oshiete1.goo.ne.jp/qa2308296.html 回答日時:06/07/31 06:31 回答番号:No.6
お礼
西欧の音楽は理論を重視しているのですか、日本には日本のセンスがある。世界的な話になると難しくなってきますね、そういう話もあったのですね。
- akamanbo
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>音楽は空虚な幻想であるか? 客観的に見れば、聞いて楽しくなるということに発する現実の影響力がある以上、幻想とは言いようがないですね? ヒトの感受性には個体差が大きい(特徴的なら○○症候群とか名がつく)ので、質問者さんが幻想に思えて仕方が無いというのは別に不思議ではありませんが。 >音楽っていったいなんだろう? 大多数の人間にとって「聞くと気分がよくなるもの」ですが、どうして人類がそのような脳の構造を持つのかは、まだ解明されてないんじゃないですかねえ。 ひょっとして「幻想かどうか」なんて答えがきまりきったことではなく、生理的理由を知りたいんじゃないですか?
お礼
>生理的理由を知りたいんじゃないですか? これはまったくそのとおりです、描くこと歌う(叫ぶ?)こと踊ること創造することは本能的なことだと思うんです。 音楽は創ることでもありますが、できあがった音楽には根源的な人間すべてに共通するような生命的な充実感が現れてないような気がして。 科学的に知りたいとかそういうわけでもなく、単に生きるということに敏感な音楽に出会ってないだけかもしれません、。 だから単なる装飾に見えて白々しく思えてならないのかもしれません。 現代社会は観念だらけのストレス社会で皆さん疲れきっています。 ロマンティスムで安らぐのもいいですがそれではどうにもならない何かが欠けているような感じがする。 もっとも僕が掴み取らなければいけないものは意味とかではなく本当に芯から充実する生命感なんです。 これは僕だけの話ではないような気がします、人間すべてに共通することのような気がします。 そういうのを体現できる、そんな時代性を乗り越えてしまった超音楽的音楽があったら素晴らしいことだと思います。 これこそまさに幻想なのかもしれません…、全く勝手に冷めてしまいました。
- come2
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No7 >正直言って僕は音楽の知識がほとんどありません はい、読めばわかります(笑) お歳を存じ上げませんが、若いのかなと思いますが 若いときって、なにやら他の人が当たり前に思っていることが 当たり前に思えなくて、無償に空虚な想いにかられることがあります 私は10代の頃、オリンピックに周りが熱狂しているのを見て 空しくなった思い出があります。100mを速く走ることに何の意味があるのか? それをみてなんで感動する必要があるのか?単純に速く走る競技は 突き詰めると一体ナンなのか?どこまで速く走れば気が済むのか? みたいなことを、家族にぶつけたことがあります まあそんな程度のもんなんだろうと質問を読ませていただきました >音楽が楽しむことを前提としているが >概念になければいったい音楽とはなんなのでしょう? 先にも書かせていただきまいたが、そもそもの音楽としての発展は 遠いところの連絡手段から、発展して軍隊の景気づけと宗教儀式として 発展したと思いますよ 楽しむという感覚はずっと後になってからだと思います つまり軍隊に勢いをつけるため、例えば 「太鼓を打ち鳴らす、ドラを叩きながら行進する 攻撃突入の合図に、ラッパを吹く」この音楽に楽しむ目的なんかないですよ これらの音楽により、軍隊が勢いづくってことでしょうね。 もう一つは宗教的な儀式の際の音楽ですね 私もそんなに詳しくはないので音楽史なんかを勉強すると良いのではないでしょうか。 >無駄なことというのは悲しい気分や楽しい気分などその場だけの雰囲気を作ることによ>って夢気分に泳ぎそれが自己欺瞞の手段になってるのではないか、という感じです、酩>酊の感じと似ているのかもしれません。 はい、あなたがそうなることは、自分でそう書いているのだから、そうなんでしょう ただしそれは音楽そのものではなく、あなたの脳が受け取った後の、解釈の問題です >音楽を聴いた後僕の場合は確かにいいなと思ったりもするんですが >生活に直接結びつくようなほどの活力というか元気がこないというか、 >聞いた後気分がスカスカのままなんですよ。 具体的にどんな音楽聴いてるんですか? 私もつまらない小説読んだ後は、気分スカスカだし、くそゲーやった後は 気分がスカスカになり、空虚になりますよ 音楽だって、晴れやかな気分になる曲もあれば、騒音にしか思えない音楽も あるでしょうね >僕みたいに娯楽や音楽を聴いて気分がスカスカの人はどのくらいいるのかも >とても気になっているのです。 たぶんあんまりいないです >音楽とはつまりいったいなんなのでしょう? 自分のスカスカの原因を音楽に求めているから、話が混乱するのであって おそらくあなたにスカスカをもたらしているのは、音楽そのものではなく あなたをとりまく生活習慣とか、生きていく上での目標とか そういうところにあるかと思いますよ がんばって生きてください
お礼
>具体的にどんな音楽聴いてるんですか?私もつまらない小説読んだ後は、気分スカスカだし、くそゲーやった後は気分がスカスカになり、空虚になりますよ 僕はロマンティスムではなく根源的な生きるということに敏感であるもの、人間が芯から充実するような音楽はないものだろうかと、そういうのを探してました。まだ全然数は聞いてないほうですが…。 今まで聞いた中でそれに一番近い気がしたものはスクリーモといわれる現代音楽です。 日本ではまだあんまり有名ではありません、エモーショナル+スクリームで叙情的なメロディーに乗せて歌を暴れながら叫ぶ(歌う)のです。 これが一番自由な感じがしましたが、やっぱり音楽というものは音楽なのでしょうか。 人間すべてに共通するような根源的な生命感を打ち出した音楽、時代性を超えてしまうような音楽のほうこそ幻想という気がしてきました。
- ghiaccio
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>楽しかったが、終わってみるとあの空虚感。 >今までの時間はいったい…、と思うわけです。 これこそが「音楽がすばらしいというのは幻想である」と判断した根拠でしょうか? もしそうなら同様の理由であなたは自身の人生をも くだらないものであると見なさなければならないのですが。 どうせいつか死ぬのですから。 それまで生きた時間は一体...と思いませんか? 音楽というのは時間の芸術、 現実の時間から特定の時間だけを切り取ってその間に鳴らす音を提示するものです。 それが鳴っている時間以外に喪われるのは至極当然のことであり、 喪われることこそが音楽を音楽たらしめている要素です。 終わった後に空虚感があるのは当たり前ですし、 それがないのはそもそもの音楽自体に充実したものがないということで、空虚感が無ければ音楽はそれこそ無価値です。 (ここで充実しているか否か、はあくまで個人の中で判断されることです。) あなたは音楽のすばらしさは幻想だといいますが、 価値観というものが個々人の脳内にしかない以上、 あらゆるものの価値は幻想です。 あなたは終わった後がむなしいという理由で音楽に価値がないという幻想を抱いている。 僕は終わった後の空虚感も含めて音楽に価値がある、という幻想を抱いている。 よくある価値観の違い、それ以上でもそれ以下でもありません。 あと、 >個人の問題を無責任にも放っている状態 これがよく分からないのですが。 個人の問題を他人に丸投げするわけでもないのにどこが無責任なのか。 せいぜい一時的に棚上げっていう程度でしょう。 そもそも各個人が現在の自分に対して背負うべき責任というものがよくわからない。 なんの説明もなく使われてますが自明ではないですよね?
お礼
>なんの説明もなく使われてますが自明ではないですよね? 自明ではないですね。 >あなたは終わった後がむなしいという理由で音楽に価値がないという幻想を抱いている。僕は終わった後の空虚感も含めて音楽に価値がある、という幻想を抱いている。 僕がとても気になっていることは音楽を聞いている間だけに充実感があるということ、だから生活レベルにまで充実感が及んでいないような気がする、じゃあ夢で泳いでいただけで空虚なんじゃないだろうかと思っています。 あなたのいう音楽は空虚感があるからこそ素晴らしいというのもとてもわかります、でもいろんな意見を聞いたり考えていると単純ですが本質であると思われる音楽っていったいなんだろう?という疑問がついて回るんですよ。ここで人それぞれの価値観ということで割り切らせようとすると自分から逃げているようでもうだめなんですよ、自分なりにはっきりさせたいのであなたのいう音楽というのももう少し詳しく聞かせていただけないですかね?
まだわからないかなぁ・・・ 音楽って何かって問われたらその人の関わり方で変わるってさぁ・・・。 言語として捉えることが出来る人もいれば、単なる音の羅列と取る人もいる 飯の種と考える人もいれば、著作権を持っていれば財産と考える人もいる。 言語のように捉えている人には会話のように聴こえるだろうし 楽譜は小説のように読めるでしょ。実際楽譜読める人は記号見て 音出してるんだし言語みたいなモンでしょ。 アナタだって誰かの言葉を聴いて気分を左右されたりとかあるはずだよ。 政治家のオッサンがくっちゃべって民衆を煽ってるのと何か違うの? 同じ音を発してるんだから声と楽器と声楽での音の違いはそんなにも まるっきり違うってうのかな? 政治家のオッサンの言葉のほうが空虚な幻想に感じる人もいるし 大学の講義で数学の数式解説聞いてアホらしいと思うやつだっているし 人によってちがうんじゃない?喋るだけでお金儲けしてんだから 楽器演奏してお金もらうのとなにがちがうのよ? 問題を解決を放棄ってw意見が合わない人でも同じ音楽が好きとか あるんだから 話し合うよりよっぽど分かり合えることもあるじゃん 音楽聴いてもさぁ。 単にアナタが空虚に感じたのはあなたがそういう捕らえ方をしてるからだ ってことを考えてもらう為にあのように答えたまでで、 そこまで考えが行かないのであればアナタは何を聞いても誰かの 回答を考えてみようという 心構えをしていないと取られても文句が言えないよ。批判じゃなくて アドバイスだよ。 まあタイトルからして地雷っぽいから回答したんだけどな。 疑っていったら何でもかんでも無意味に感じることはゴロゴロ転がって るの。アナタはそれが音楽だったってことでしょ。 まさかいい歳をして音楽って何?って一個で語りつくせるとか思って ないよね?歳はわかんないけどキーボードをちゃんと扱える年齢 ってことだけど。 無駄な意味なんて考えるからツマンナくて空虚に感じるんじゃないの 正直音楽に失礼だよ。
お礼
>無駄な意味なんて考えるからツマンナくて空虚に感じるんじゃないの 正直音楽に失礼だよ。 音楽に失礼とかないと思うんですけど。 あなたの言ってることはアドバイスとして受け取らせていただきます、ありがとうございました。
>まったく僕には音楽というものが非常に疑わしい。 >今音楽のカテで音楽は空虚なものであるかという質問をしているの ですよ?僕の存在そのものが空虚な幻想でない証拠なんて今はどうで もいいことじゃないですか。 アナタの価値観に基づいて質問をしている時点でアナタへの問いかけは どうでもいいという逃げは通用しないのでは? アナタとアナタが関わった音楽が発端になって疑問が沸いたんでしょ? 音楽は楽しむことを前提にしているとアナタは勝手に決めているし 自分はどうでもいいと放棄した時点で各個人の問題を放棄していると 音楽を断罪するに値しなくなりますよ。 アナタも何かを基準にそう感じたことを相対的に考えて答えを導き 出したかも知れないですし、質問の根っこが腐っているように 感じますね。 自分の発言に責任を負いたくないなら質問はやめといたほうがいい ですよ。 それに質問に答えるなって失礼ですね。もうちょっと礼儀を勉強しといた ほうがよさそうです。 そうそうアナタの質問の私の答えは「わかりません」か「どうとでも いえる」にしときますね。
お礼
>アナタの価値観に基づいて質問をしている時点でアナタへの問いかけはどうでもいいという逃げは通用しないのでは? 逃げというのはおかしいと思います、僕自体の存在ががどうとかそういう次元の質問ではないのですよ。これはこれだということがわからないのでしょうか? >アナタとアナタが関わった音楽が発端になって疑問が沸いたんでしょ?音楽は楽しむことを前提にしているとアナタは勝手に決めているし 自分はどうでもいいと放棄した時点で各個人の問題を放棄していると 音楽を断罪するに値しなくなりますよ。 ここもそうなんですが自分の存在の話じゃないです、音楽は空虚な幻想であるかという質問です。 それと確かに音楽は楽しむことが前提というのは勝手に決め付けていましたね、ここは少しおかしいですね。 >アナタも何かを基準にそう感じたことを相対的に考えて答えを導き出したかも知れないですし、質問の根っこが腐っているように感じますね。自分の発言に責任を負いたくないなら質問はやめといたほうがいい ですよ。 自分の発言に責任をおいたくないなら質問をやめるということの方がよほど腐ってると思うのですが。それに答えが出てないから他の人の意見も聞こうとしてるんじゃないですか。 僕は批判されるのが嫌でていちいちびびってられません、まぁこの手の質問は批判されるのが覚悟の上ではありますけどね。 >それに質問に答えるなって失礼ですね。もうちょっと礼儀を勉強しといたほうがよさそうです。 答えるなとは言ってませんよ、くだらないと思うなら答えなければいいといったんです。 >そうそうアナタの質問の私の答えは「わかりません」か「どうとでも いえる」にしときますね。 最初からそういえばよかったですね。
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お礼
なるほど納得、と思いました。そして僕の感覚にはけっこうな「ズレ」があるようです。「ズレ」は様々、誰にでもあると思いますが今回のは特殊なようです。 >不思議なのは、なぜあなたが自分にとって「最高の音楽」を見出そうとするのではなく、個人、時代を超越するような「普遍性」を求めようとしているかです。 これは絵画、彫刻など他の芸術世界で普遍性が見て取れるものを見たような気がして音楽にもあっていいんじゃないの?と思っているからです。エジプト芸術のツタンカーメンとかピカソ、縄文土器などいやらしくゾッとするまでに美しい。 ツタンカーメンなど4千年も前のものが現代人からみても異様な美しさがあります。 ただ美しいだけでも、醜いだけでも何か違うんですよね、醜悪美これは矛盾ですよね。その点スクリーモは近いような気がしたがどうなのかという思いです。 音楽には音楽の効果というのもありますし、音楽と彫刻、絵画を比べるのも変な話かもしれません…。