- 締切済み
他力宗(真宗)と自力宗(禅宗)の相違
本質的には同じような気がするのですが・・・どうなんでしょうか。
- みんなの回答 (4)
- 専門家の回答
みんなの回答
- kadowaki
- ベストアンサー率41% (854/2034)
>本質的には同じような気がするのですが・・・どうなんでしょうか。 ハイ、本当はどなたも経験済みのことだと思いますよ。 ただ、自分の経験だからといって、そのほとんどは当人の理解の彼方にあるのだと思います。 ランボー少年が《Je EST un autre.》(我は他者なり。)とデカルトに噛みついた所以です。 われわれは、自分の力を精一杯発揮しようとしたとき、実は自分の非力さを一等強く自覚させられるのではないでしょうか。 同じように、自分が善を行おうとすればするほど、自分が悪人たることを自覚せざるをえませんよね。 ですから、他力本願は反省力が弱いなどということはありえません。
- easy_all
- ベストアンサー率60% (17/28)
賛同します。どちらも、釈尊の教えを、その時代に説いた仏法だと思います。 善人なをもて往生をとぐ、いはんや悪人をや。しかるに世の人つねに言わく、悪人なを往生す、如何にいはんや善人をやと。 (「歎異抄」岩波文庫1992,45頁) 善人でさえ、往生できる。だから悪人が往生するのは、当然なのだ。 だが、世間は言う。悪人でも往生できるのだから、善人もできる。と。 世間の言う事は、正しそうに見えるが、他力本願の趣旨とは異なる。 なぜなら、自力で善をなす人は、ひたすら他力を頼む心を欠き、阿弥陀如来の本願とは異なるからだ。 だが自力の心をひるがえし、他力を頼めば、真実報土の往生をとげられる。 煩悩具足の我々は、どうしても生死の定めを離れられない。これを阿弥陀如来は、あはれみたまい、願を起こされた。 その本意は、悪人成仏のためなのだ。 これは、『自力を尽くした果てに、自らの内にある悪を嘆く人を、阿弥陀如来は救って下さる』と読めます。 仏に逢うては仏を殺し、祖に逢うては祖を殺し、羅漢に逢うては羅漢を殺し、父母に逢うては父母を殺し・・・始めて解脱を得、物とかかわらず、透脱自在なり。 (「臨済録」岩波文庫2001、97頁) 仏にも、祖師にも、羅漢にも、父母にも惑わされるな。逢った者をすぐ殺せ。 自らの心にある、仏性を信じるのだ。(38頁)そうして自らと、一切の清浄を悟った時、それは空であり、それは仏である。(55頁) 般若心経の『色即是空』とは、この事で、 「自らを信じ尽くした果てに、阿弥陀如来と一つになる」と読めます。 浄土真宗も、禅宗も、その時代に釈尊の仏法を、僧が説いたもので、 『篤く三宝を敬え。三宝とは、仏・法・僧なり』と聖徳太子が仰ったのは、これだと思います
お礼
御回答有り難うございます お礼が遅れて申し訳ありません参考になりました。
生活および思索を 自己の能力および努力で はからいをも容れて おこなうのは 当然であり いづれの宗も 誰においても 同じでしょう。 しかも その人間の経験的な能力行為で らちが開かないところ つまり 経験世界を超えたところには やはり誰もが 絶対を想定します。想定の限りでは 相対世界を超えたこのなぞの何ものかのほうが 人間を凌駕するとなります。 ▲ (正法眼蔵 第一 現成公案) ~~~~~~~~~~~~ 自己をはこびて万法を修証するを迷とす。 万法すすみて自己を修証するはさとりなり。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ これは 単純に 《絶対他力》を意味していないでしょうか。 相対世界と絶対との対比で 前者は 誰もが どの宗派も 自力でおこなうところは 自力で臨みますし 後者の絶対の領域に対しては いわゆる他力であるでしょう。もっとも この絶対のことを 無神論として 無と見なす場合には 《他力》ということも言わないはづです。言わないだけです。
お礼
御回答有り難うございます お礼が遅れて申し訳ありません参考になりました。
- mmky
- ベストアンサー率28% (681/2420)
[自力と他力本質的には同じような気がするのですが・・・どうなんでしょうか。] 自力と他力は「無我」でつながっているということですね。方法論として「無我」にいたる道筋が異なるということです。自身で心の塵を払って真我(無我)にいたる門を自力門(宗)と呼び、仏にすがって塵の中から真我(無我)を取り出すのが他力門(宗)ですね。釈迦仏教は自力門(宗)が主体ですね。これは自力門(宗)が反省行を伴うからですね。 一方、他力門(宗)は仏教というよりはキリスト教に近いものですね。反省行が弱い点が注意を要するということでしょう。そのためいにしえのお方も「一切の計らいごとを捨て」といっているのですが教学的に誰しもが理解することが無理な部分あるということですね。
お礼
御回答有り難うございました。
お礼
御回答有り難うございます お礼が遅れて申し訳ありません参考になりました。