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日本における仏教でその宗派を自力と他力にわけるなら

先日、仏教の宗派の僧が集まった番組を見ました。 ある宗派は、「自力(じりき)」。また、ある宗派「他力(たりき)」というのです。 助けというか、救いというかの求め方だと思いますが、 どの宗派が自力で、どの宗派が他力で、どの宗派がその他(もしあるのなら)なのか 詳しい方教えて下さい。 またその意味なども加えて頂けると助かります。

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  • titelist1
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回答No.6

仏教の教えを二つに分類すると聖道門と浄土門になります。聖道門は自分の中に埋蔵している法に目覚めるように努力して悟りを得ようとする教えです。浄土門は法の象徴である阿弥陀仏の誓いを信じることで悟りを得ようとする教えです。前者は自力でやろうとするのでかっこよく見えますが、自分で法に目覚めることができなかったら意味がありません。そこで、阿弥陀仏の誓いである法を信心で得ようとする方法を他力と呼ぶのです。結果は法を信じることで同じ境地に達するのです。 聖道門は法相宗、華厳宗、天台宗、真言宗、律宗、臨済宗、黄檗宗、曹洞宗、日蓮宗などがあります。浄土門は浄土宗。浄土真宗、時宗などがあります。

tax_sos
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

tax_sos
質問者

補足

回答ありがとうございます。 すみません。 ここでいう「法」とは何を指すのでしょうか? 因果律のことでしょうか。

その他の回答 (6)

  • titelist1
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回答No.7

No.6です。 法とは妙法のことです。正しい教えのことです。お経の名前にもついている。法華経の法。 人には法を理解する能力がそなわっているのです。困っている人を見たら助けようとすることなどです。

tax_sos
質問者

お礼

回答ありがとうございます。

回答No.5

自力は、自力成仏のことで 「自分の力で、仏に成る(悟りを開く)」という本来の仏教(釈迦の教え)です。 聖道門という呼び方もあります。 【南都系】華厳宗、法相宗、律宗 【密教系】真言宗、天台宗 【禅宗系】曹洞宗、臨済宗、黄檗宗 他力とは、他力本願のことで 「人間は自分の力ではどうやっても煩悩を無くすることが出来ないから、 (阿弥陀)仏の力によって、仏にしてもらいましょう」という教えです。 阿弥陀仏が仏に成るときに「わが名を称えた者を浄土(仏国)に往生させます」という 誓い(本願)を立てられた事に由来します。 浄土門という呼び方もあります。 【浄土系】浄土宗、浄土真宗、融通念仏宗、時宗 よく分からないのが 【法華系】日蓮宗、日蓮正宗、日蓮本宗、顕本法華宗、本門法華宗、など 「南無妙法蓮華経」という題目を唱えることが、釈迦の正しい教えとしています。 聖道門には含まれていないですし、浄土門とも違います。 釈迦牟尼仏を本仏にしている宗派と、日蓮上人を本仏としている宗派があって 私には、自力なんだか、他力なんだか分からないです。

tax_sos
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 とても詳しく回答して頂きました。 でも、良くわからない物もあるのですね。 仏教とはもちろんお釈迦様が開祖なわけですが、日本に入ってきてから 開祖が変わってきているように感じます。それが宗派ですね。 キリスト教でいうところのペテロとか聖書の元になっているマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの言葉(福音書)のような存在でしょうかね。 各宗派の僧に聞くと仏を頂点として宗派は違えど同じ山を登って(修行)しているというような 問答をされます。昔から心に安堵はするのですが、なんだか誤魔化されているような感じで その安堵の時間は短く感じていました。 で、結局各宗派の僧がいうのは日本における仏教の開祖というか、つまり、宗派を開いた人の話が ほとんどです。世の常の習いとか。 そんなことを考えるとお釈迦様やイエス様と会ったり、会話したりできないのだから、 やむなしなのかもしれませんが、せめて開祖の言葉を伝えて欲しい物ですね。

回答No.4

 自力宗  自力修行を旨とする宗派。天台宗・真言宗・禅宗の類。自力門。  他力門  他力によって極楽往生を求める宗門。浄土宗・浄土真宗など浄土門の各宗派。  ・・・・・と、辞書にありました。

tax_sos
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 どちらの辞書なのか不明ですが、よろしければ開示してください。 また、回答には日蓮宗が内容ですがその点はどうでしょうか? もはや、仏教の呈を成していないと思いますが、創価学会はどうなんでしょうか。 ご本尊様ってことだから、他力なのかもしれません。

回答No.3

 これからの宗教は既存の宗派には捉われないことが必要かと思います。学ぶ上での参考としては重要だと思いますが。  私の浅薄な思いは、「自力」は自分の求め心、「他力」は仏の“われ”を思ってくれる慈悲の心、というものです。  宗教は、一方通行的なものではないので、他力と雖(いえど)もまた自力と雖も、そこには相手の“思い(ちから)”が働いているんです。  「自力」には自分の垢を自分で取り除こうと努力すること(修行)〔理的な行為〕によって、仏の慈悲心に触れようと云う、あるいはこの世の真理なるものに迫ろうとする姿勢です。  「他力」はそうした修行は無理だけど、仏の慈悲心は情的に感じられるので、その感情に没入しようと云う姿勢の事です。  どちらにも仏の「意」は働いています。

tax_sos
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 ところで、質問の宗派による自力・他力の違いは、 どの宗派がどちらなんですか?

回答No.2

浄土宗、浄土真宗が他力本願です。 人間の力などしれている、しかも煩悩で汚れきっている。 自分の力で悟ることなど、とうてい不可能であるので 阿弥陀仏に完全に身を任せようという教えです。 では、他の宗派は自力本願かというと、自力本願は仏教用語ではなく 俗語なんです。 ですから、仏教では自力本願という観念はないということです http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%96%E5%8A%9B%E6%9C%AC%E9%A1%98

tax_sos
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 >浄土宗、浄土真宗が他力本願です。 はい。これは番組をみて記憶に残っていましたので 今でもはっきり言えます。 ところで、自力はどの宗派なのでしょうか? 修行して自らを強める?ことによって自ら救われようとするものと思っています。 本願は参考URLにも書かれているとおり、人間の欲ですから、 質問にも自力・他力としか書いていません。 また、番組でも感じていましたが、浄土宗、浄土真宗以外は改めて自分たちの宗派は「自力」である という認識はないように感じました。 浄土宗、浄土真宗が他力と言うから、あえて言うなら自力という感じにもとれました。 それで、浄土宗、浄土真宗意外は自力という認識でよろしいのでしょうか?

  • kurinal
  • ベストアンサー率10% (128/1195)
回答No.1

いっすね。

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