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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:ビッグファイブで自力・他力の志向を予測できるか?)

ビッグファイブで自力・他力の志向を予測できるか?

このQ&Aのポイント
  • ビッグファイブとは、性格の五大因子である外向性、協調性、良識性、知的好奇心、情緒安定性を指します。
  • 自力救済とは、自分自身で情動や思考、嗜好をコントロールすることを志向するものであり、他力救済はその逆です。
  • ビッグファイブの測定からは、自力・他力の志向が予測できる可能性があります。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.2

「(自力救済/他力)のいずれを志向する傾向が強いのかを、個人の性格などから推定できるか」   個人の性格から推定するのはおそらく難しいと思います。   自力救済/他力を自分の中で選ぶことが可能なケースはレアだろうと思います。 多くのケースでは、育った環境や指導者などがどう影響を与えたのかで、自力救済志向、他力本願の思考を身につけると思います。 そうした他人の影響が強いから、思想家や宗教家、あるいは指導者の存在が注目されます。 もちろん、周囲の環境、生育経過、指導者や宗教家、思想家がどう影響を与えそうな環境状況をつくっても、本人が独自に自力救済/他力本願の思想を形成することはあると思いますが、それはごく少数例で、全体の傾向には影響を与えない程度の人数でしょう。   他力本願を思想にまで持っていくのは、かなり難しいことです。よほどの思考力を持っていないとできません。しかし、自力が足りない、自分を律することが出来ないと自覚できる人はとても多いので、そういう状態で良いのだと他力思想を説き、そのような個人を安心させるということは、周囲の人や文化、宗教家が出来ることです。 そのような文化で育ち、指導者や宗教家に巡り会っても、日常生活では誰でも自力の必要性や重要性を実感しますので、個別具体的な行為レベルでは自力の重要性を重んじ大切にしつつ、結果に関して悩み惑い恐れることを他力で願うというバランスをとることになります。 実際にそうした生活をするのは、難しく、宗教や指導者などの力を日常的に感じないと他力は、ほとんどの人でうまく出来ません。   個人の性格で他力を選び維持するのはとても困難です。 自力救済を志向し続けるのは比較的簡単ですが、おそらく成人で継続出来るのは多くて数十パーセント程度でしょう。 例えば、性格テストで次の項目の得点が低いケースのタイプ説明は次の通りです。 知的好奇心(低得点) 考えるのが苦手な人です。好奇心がかなり乏しく、身近な情報で満足する傾向があります。新しいことや自分の知らないことを知ったり、体験することには関心がほとんどありません。やっかいな問題はできるだけ避けるようにしています。 良識性(低得点) 根気がなく、何事も中途半端でやめる怠惰な人です。物事を軽率に決めたり、いい加減にやってしまいます。お金やものを浪費する傾向が強いようです。周囲の人には怠惰で、無貞任、気まぐれで、不注意な性格と思われています。 情緒安定性(低得点) 神経質で、情緒的に不安定な人です。悩む必要のないことまでひどく心配して、気に病む神経質なところが目立ちます。うまくいっている人を見ると、嫉妬やねたみの気持ちで頭の中がいっぱいになります。 こういう3項目で低得点だと、(自力努力の大切さを説かれても)「私には自力救済は無理だナー」と思えてしまいます。(どなたかが、菩薩や神の無限の救済を誰にでも保障してくれている、と説いてくれるのを聞けば)「私も救われるんだ」と安心し、中には『開き直って生きる』という方向に進むこともできます。 ただ、実際にはそうしたことが出来るのはごく少数です。 【良識性・情緒安定性・知的好奇心】の3項目で低得点であれば、他力思考を我がものに出来そうな感じがするのは、誤解です。 肉親や家族、近所あるいは仲間集団、職場の仲間の生活姿勢の影響を強く受けるので、そうした周囲の環境とは異なるのであれば、《自分だけが他力思考を身につけ、そうした発言する》ことは、【良識性・情緒安定性・知的好奇心】の3項目で低得点の人にはとても出来ることではありません。   周囲の思考や行動のスタイルと異なる[人生についての思考傾向]を持つのは困難です。 多くの人は自力救済でも他力でもない、混合型の思考で生きています。   これが自力救済/他力のようなものではなくて、酒や味付けの好み、読書や趣味などのような事柄ならば、あるいは仕事や勉強、訓練などに取り組む姿勢、学究的なこと/対人交渉的なことへの関心や向き不向きであれば、性格の診断から何かの傾向を引き出すことは可能だと思います。   なお、酒や味付けの好み、読書や趣味などのような事柄ならば、あるいは仕事や勉強、訓練などに取り組む姿勢、学究的なこと/対人交渉的なことへの関心でも、地域や民族、時代で変化するように、環境の影響はとても大きいのです。

paraspor
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 環境の影響が大きく、予測は困難だというご回答があるだろうことは予想していました。 村上宣寛「性格のパワー」によると、政治的態度とビッグファイブに関係が見られるとのことなので、自力・他力もある程度予測できるのでは、と考えたのですが。 例えば、問題をごく単純化して、 「自分で自分の感情をコントロールできると思う」 という質問に対してどう答えるか、とビッグファイブとの相関性を調べる、ということは意味があるでしょうか? しかし、ご説明をよく読むと、良識性の低さと他力本願は相性がよさそうな気がしますね…

その他の回答 (2)

回答No.3

> しかし、ご説明をよく読むと、良識性の低さと他力本願は相性がよさそうな気がしますね… >> 回答に次のように書きました 《(どなたかが、菩薩や神の無限の救済を誰にでも保障してくれている、と説いてくれるのを聞けば)「私も救われるんだ」と安心し、中には『開き直って生きる』という方向に進むこともできます。 ただ、実際にはそうしたことが出来るのはごく少数です。 【良識性・情緒安定性・知的好奇心】の3項目で低得点であれば、他力思考を我がものに出来そうな感じがするのは、誤解です。 肉親や家族、近所あるいは仲間集団、職場の仲間の生活姿勢の影響を強く受けるので、そうした周囲の環境とは異なるのであれば、《自分だけが他力思考を身につけ、そうした発言する》ことは、【良識性・情緒安定性・知的好奇心】の3項目で低得点の人にはとても出来ることではありません。》     > 例えば、問題をごく単純化して、「自分で自分の感情をコントロールできると思う」という質問に対してどう答えるか、とビッグファイブとの相関性を調べる、ということは意味があるでしょうか? >> 「自分で自分の感情をコントロールできると思う」という質問に対して本人がどう答えるかと、「あの人は自分で自分の感情をコントロールできると思う」という質問に対して知人がどう答えるかとは、別です。本人が、社会的に良いと認められていないことや心理的に異常な内容を認めないように用心していたり、逆に良い子ぶっていると思われないように注意深く回答するタイプであれば、質問者の意図を推し量って、その時々で「自分で自分の感情をコントロールできると思う」という質問に対し回答を変更するでしょう。もちろん、相手や状況を一切勘案せずに、どんな質問にも建前で回答するタイプ、どんな質問にもそのときの気分や思いで率直に回答するタイプなどもあります。 知性が平均的レベルにある成人が平常の覚醒状態で回答するなら、「自分で自分の感情をコントロールできると思う」という質問に対して「普段は自分の感情をだいたいコントロールできるけれど、その場の雰囲気や自分の状況によっては感情的になって冷静ではいられなくなることもある」というような回答をしようとするでしょう。「自分の感情をコントロールできる=yes/no」を強要されれば、外向性、協調性、良識性、情緒安定性が高い傾向の人は、yesを選択するかもしれません。しかし、外向性、協調性、良識性、情緒安定性が低い傾向の人でも、相当数の人がyesを選択するでしょう。 「自分の感情をコントロールできる=no」と回答するのは、よほど自分の状況に自分で困難さを感じている人に集中すると思います。 他人からみて「情緒的反応が強く、喜怒哀楽がすぐに表に出て来る人」でも、本人がそれに困惑を特に感じていなければ、「感情をコントロールできない!」とは思わないでしょう。    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 「自分で自分の感情をコントロールできると思う」という質問に対してどう答えるか、とビッグファイブとの相関性を調べる、ということにどのような意味を持たせたいのかがわかりませんが、相関を調べるのであれば、調べるのが良いと思います。   男、女、小学高学年、中学生、高校生、大学生、対人関係の多い仕事に重視している人、アトリエなどで個人で仕事をする人、乳幼児の子育てをしている人、年収600万円以上の世帯、非正規雇用/長期失業者、初老の人など、いくつかのプロフィールもデータに取り込んで、「自分で自分の感情をコントロールできると思う=YES/NO」とビッグファイブのテストのF頻度、Att建前、外向性(E)、協調性(A)、良識性(C)、情緒安定性(N)、知的好奇心(O)の各得点と因子分析をしてみて、何かのコメントが出来るか調べるというのも、一つの研究になるかもしれません。

  • ri-zyu
  • ベストアンサー率30% (184/611)
回答No.1

自力救済を志向の人が知的好奇心強いのはあると思います 他力とは神の思し召しなのですから、本来は行動はコントロールしなければいけない事だと思います、 もし私が明日、末期がんだと判り余命3ヶ月だと告げられたとします、神に全てをお任せしているのですから 感情のままに行動したのでは(例えば自棄自暴)、神に身を委ねた事にはならないのではないでしょうか。

paraspor
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >自力救済を志向の人が知的好奇心強いのはあると思います なるほど、私はあまり実感していなかったのですが、興味深いです。 後半は、ちょっと本来の質問とは論点が違うので、コメントを控えさせていただきます。

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