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空也上人は本当に病人にお茶を飲ませたのか?
京都・高山寺には日本最古と伝わる茶畑があります。 高山寺の開基である明恵上人は栄西禅師よりお茶をもらい、 高山寺で栽培したのだそうです。 明恵が後鳥羽上皇から栂尾の地を与えられたのは1206年のことです。 けれども、京都・六波羅蜜寺では空也上人が951年の疫病流行の際に 病人に梅干の入ったお茶(皇服茶)を呑ませたと伝わっています。 日本で始めてお茶を栽培したのは僧永忠で800年頃のことだそうですが どれだけ根付いたかわからないし 空也の時代は遣唐使も廃止になっているので中国から輸入というのも 考えにくいと思います。 また、あったとしても相当な貴重品でおいそれと飲めるようなものじゃなかったのでは? と思うのですが、951年当時、お茶はあったのでしょうか。 空也は本当に病人にお茶を飲ませたのでしょうか?
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- cipher_roy
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回答No.1
仏門の僧以外にも日常に広まる(と言っても平安時代は上流貴族のみですが) ようになったのは確かに13世紀に明恵がかなり大規模な茶畑を作って 以降ですが、遣唐使で留学した経験のある開祖を持つ寺などは薬湯用と して『寺内の自家菜園規模』としては永忠より少し遅れて唐から戻った 最澄や空海も栽培/製法を学び、種を持ち帰り、栽培した記録が延暦寺や 金剛峰寺には残っています。 ですので、普段から振舞い放題ではなくても疫病の際に最後の手段の 秘伝の薬湯として空也が庶民に与えたというのはそんなに無理な事では ないと思います。貴重品とはいえ、目の前で苦しむ民百姓を僧侶として 放っておけないと思えば、充分に現実と考えて良いと思います。
お礼
回答ありがとうございます♪ 空海や最澄がお茶の種を持ち帰ったという記録はたしかにあるようですね。 奈良の仏隆寺にも空海が唐より持ち帰ったお茶の種をまいたという 話が伝わっており、仏隆寺は大和茶発祥の地とされているようです。 しかし、951年の疫病流行は相当ひどかったらしく 鴨川は死体であふれかえるほどだった、といいます。 もし、病人にお茶を飲ませることができたとしても ほんの一握りの人にしか飲ませることはできなかったのではないかと想像しているのですが、どうでしょう?