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ほ乳類の手足はなぜ2本ずつなのですか
ほ乳類はなぜすべて手が2本、足が2本なのでしょうか? 手が2組あれば他の生き物より優位な事もあると思いますし、ゾウの鼻が器用にモノをつかむぐらいまで進化したのなら、もっとふつうに掴める部分である”手”がゾウに生えてもきてもおかしくないと思います。
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最後とか書きましたが、前より論理的に話せそうな雰囲気なので再び。 私の本質問に関しては、そこまで深いレベルの疑問だとは受け取っていません。 シンプルに「哺乳類の手足が全て4本なのは何故か?」という質問と受け取りましたので、「哺乳類のベースモデルが四肢を持つ動物であり、進化は"小さなマイナーチェンジの繰り返し"しかできないため」と回答したわけです。私はこれで質問文に対しては正しいか質問者さんが納得できるものかはともかく、質問に対する回答(Whyに対するHowの説明による回答)にはなっていると思っています。 この回答を知って初めて、さらに一階層深い「それでは進化が小さなマイナーチェンジしかできないのは何故か」という"Why"が生じるのではないでしょうか。 ちなみにこの解答もちゃんとあるのですが。 この解答を知って初めて生じる"Why"もあるでしょう。そのWhyに対する解答を知ってまた新たなWhyが生じ・・・と延々と謎は続くわけですが。 しかし、その各階層の"Why"に対する解答は、常に"How"の解明及び説明によって得られるのではないでしょうか。 遠い昔はモノを投げると放物線を描いて地面に落ちるのはなぜ?というのが謎だったのが、古典物理学が地球の引力に引かれるからだということを解答しました。では重力という力が存在するのは何故?という疑問に現代の物理学が解答しようと努力しているところですよね。 これも常に"How"の解明によって"Why"の答えを得ているのでは?
- tatoo
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不肖、研究者のはしくれとして。 どのようにしてを説明することは分子レベルでもある程度わかっています。ここで言うHowですかね。 さらに、これからの研究成果次第で説明可能だと思います。 私も、なぜという疑問には答えることが難しい思います。 ここで言うWhyですかね。 質問者さんの質問はかなり難しいと私は思いました。その点でN05さんには同意です。結局、なぜなのかなぁと思って研究していっても、この世の仕組みが、どのようになっているかしかわからないのですから。 私は質問者さんが、ダーウィンとウォレスが解いた謎の答えのようになぜなったのか、と質問しているように思ったからです。 No3の 進化とは、「極めて小さなマイナーチェンジ」しかできないのです。 結果として、この結論が出たということで、どのようにしてゾウの鼻が手にならないことはわかりました。 では、なぜ小さなマイナーチェンジしかできないのでしょうか? 私は質問者さんが、このような質問をしていると感じられるので、No5のように、かなり難しいと思いました。 私は研究者として、HowとWhyの違いはかなりあると思います。その感覚からして、No5の書き込みよくわかります。 研究者はHowとWhyの違いを明確に認識していると思います。 間違っているということではなく、他の方はその2つが混ざっていると思いました。 NHKの番組だったでしょうか、爆笑問題が青山学院大学の福岡先生と対談していたとき、福岡先生が「生物学はHowは説明できてもWhyは説明できない」っておっしゃっていました。 そのことを思い出したので書き込んでみました。
もちろん論議をすること自体は本意ではないのでこれでやめにしましょう。 ですが、そもそもNo.5の回答の趣旨がそもそもNo.1~4の回答を否定する趣旨(これらは単にHowを類推して語っているものであり"回答"ではあり得ない)だったので、反論を試みたまでです。 科学のあり方についての立脚点が非常に異なる視点からのそれぞれの回答ということで、あとは質問者さんや他のこれを読んだ方が受け取ればいいことでしょう。 Howを解明することがWhyの答えを得ることに繋がる、という認識は、少なくとも私だけの価値観ではなくどちらかといえば科学者も一般の人も含めた大多数の科学に対する立脚点だとは思うのですけどね。 リチャード・ドーキンスの「盲目の時計職人」の前書きの冒頭にこんな文章があります。 ------------------------- われわれ自身が存在しているのはなぜか?これはかつて投げかけられたあらゆる謎のうちで最大のものであった。しかし、それはもはや謎ではない。もう解かれてしまっているからだ。この本はそういう確信のもとに書かれている。ダーウィンとウォレスがその謎を解いた。まだしばらくのあいだ、彼らの解答にいくつかの脚注がつけ続けられるであろうとしてもである。 -------------------------
- otx
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やめませんか? Jagar39様に私の質問者様に対するコメントをどうのこうの批判される筋合いはないと思いますが・・・。 >自然科学ではHowとWhyは同義です。 これはJagar39様の価値観であり、「自然科学」の一般論ではないと思います。 Whyという言葉の意味に、私は哲学的意味とか自然科学的意味とか先入観を持っていません。 なぜ人という種ができたのか? どのようにして人という種ができたのか? 後者には、いろいろ職業柄知っていることが多々あります。 しかし、前者については難しいと質問者様に申し上げたのです。 Jagar39様に申し上げたのではありません。 私の意図することが質問者様に伝わればいいのですが、Jagar39様がいちいち否定されては私が質問者様に伝えたかったことが伝わらないように思います。
この世に「どのようにして」鉄分子ができるのか、という問いには、重い星の終焉つまり超新星爆発の際に作られる過程は詳しく解明されていると思います。 この「どのようにして」の答えはそのまま「なぜ鉄分子ができるのか」に答えているでしょう。 「なぜこの世には鉄分子が存在するのですか?」という問いには、超新星爆発でできる、と回答すれば良いのでは。 哲学的な問いには自然科学は答えることができませんが(答える義理もないでしょうし)、自然科学の世界にも「なぜ」という問いと答えはあるのです。 「なぜ手足は2本ずつなのか」という問いに対しても、「どのようにしてこの世界の爬虫類以降の全ての動物は肢が4本になったのか」という問いへの答えが、そのまま"自然科学のとしての"回答になるわけでしょう。 自然科学ではHowとWhyは同義です。 哲学的なWhyには自然科学は答える筋がありませんが、本質問は普通に自然科学上の質問ですから、生物学の回答をすれば良いと思いますが。 顔から「手」が生えているような動物がもしいれば、それは生物学(比較解剖学や発生学及び分類学)にとっては驚天動地の事象であるという認識から回答の構築が始まるわけですが。
- otx
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私が申し上げたことが伝わっていないかもしれないので追記致します。 自然科学は「どのようにしてこの世は成り立っているのか?」 については答えがある程度わかっています。 Howという疑問には答えがあるのです。 しかし、Whyという疑問には答えることが出来ません。 例えば、「どのように(How)腕が2本出来るのか?」 という疑問にはある程度答えることが出来ます。 しかし、「なぜ(Why)腕が2本なのか?」 という疑問に答えることが出来ないということです。 この世に鉄分子がどのようにして出来るのかは答えがあると思います。 しかし、この世に鉄分子がなぜ出来るのかは答えがないということです。 回答に対する回答をすることはお互い控えたいものです。
学問、特に自然科学は「なぜ」に答えるためにあるのですけどね。 1つの「なぜ」に答えると新たな「なぜ」が出現して、またその「なぜ」を解明するために多くの科学者が研究を進めて、その「なぜ」が解明されればさらにまた新たな「なぜ」が出現して・・・というものでしょう、科学の世界は。 類推や推察が「答え」ではないのでしたら、論文には[考察]は必要ないことになります。将来修正されるかもしれなくても、現象に矛盾なく論理構成ができていれば、それが現時点での「答え」です。 ちなみに、 >手が2組あれば他の生き物より優位な事もあると思いますし、ゾウの鼻が器用にモノをつかむぐらいまで進化したのなら、もっとふつうに掴める部分である”手”がゾウに生えてもきてもおかしくないと思います。 おかしいんですよ。そんな動物がいれば生物学の最大の謎になります。 現にそんな動物はいないのですが、その結果と事実が"なぜ"なのかという疑問に答えるために生物学(進化論)を構築してきたわけです。
- otx
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現存する生物が「なぜ」今のような姿かたちをしているか? 生物学について、「なぜ」という質問に対しては答えることができる学者はいないと思います。 今いる生物が、「なぜ」かわからないですが、結果として今のような姿かたちをしているのです。これが言える最大限のことだと思います。 進化、淘汰、祖先がどうだとかから、類推はしますが、 「なぜ」という問いには答えはないと思います。 >手が2組あれば他の生き物より優位な事もあると思いますし、ゾウの鼻が器用にモノをつかむぐらいまで進化したのなら、もっとふつうに掴める部分である”手”がゾウに生えてもきてもおかしくないと思います。 おかしくないと思います。しかし、現在、そのような生物はいません。 それが結果であり、事実であるのです。
哺乳類の手足は魚のヒレに由来するのではないでしょうか。哺乳類の祖先はヒレで歩行していたと思います。祖先のヒレが前後二本ずつだったのだと思います。問題はどうして二本ずつだったのか、あるいは魚の祖先にどうしてヒレが二本ずつ生えてきたのかというように変えることもできると思います。しかしそこまではとても分かっていないと思いますが、原理的には現在の魚でも哺乳類でも発生学や遺伝学の方法で、なぜ二本なのかを研究することも可能だと思います。
クジラやジュゴンにもちゃんと「手足」はあります。前足はヒレになってますし後ろ足は退化していますが、ちゃんと解剖学的に手足はあります。 生物の進化は、将来的に有利になるのを見越したり目的があったりするのではなく、いきあたりばったりでその場(環境)で勝敗がついてきた結果です。このことをリチャード・ドーキンスは「盲目の時計職人」と言いました。 ですから、哺乳類の祖先が4本の足を持っていたため、哺乳類も4本なのです。魚類のヒレが爬虫類、両生類、哺乳類に受け継がれて四肢になっているわけです。 ちなみに鳥類の翼も発生学的には「前足」です。 魚類のヒレもクジラの退化した後ろ足も鳥の翼も哺乳類の四肢も、骨格標本で見れば外見からは意外に思えるほど「よく似ている」のは誰が見てもすぐ判るでしょう。 ですから鳥類でも背中から翼が生えているような鳥はいません。どれもみな肩甲骨に翼が付いていますから、「肩から翼が生えている」のです。 この4本の四肢、というシステムが遠い先祖の魚類で定着した時は、もしかしたら特に必然性はなく、単に偶然だったのかもしれません。もしかしたら骨格を増やすコストとそれによって得られるバランスが釣り合うのが「4本」だったのかもしれませんが。 同じような例は他にもあって、例えば指の本数です。 これもまた四肢類のほとんど全ての動物の指の数は5本なのです。 外見的には馬の指は1本しかないように見えますし、牛や豚は2本のように見えますが、骨格的には退化したり位置が少し移動していたりしますが、馬や牛も含めて全ての四足動物の指は本来5本であることが判っています。 これも遠い昔の四肢動物の共通祖先が"たまたま"5本指だったからでしょう。5本指に何か有利な理由があったのか、他の理由で選択された動物がたまたま5本指だったのか、といえば後者の可能性の方が高そうです。 というのも、化石で発見される太古の四肢動物には7本指や8本指の動物も多く見られているからです。彼らもその時代は繁栄していたわけですから。 5本指の動物は、哺乳類ではさらに分化して1本の指の爪だけで立つ動物(馬など)、2本の指の爪で立つ動物(牛や豚)、4本の指で立つ動物(犬や猫など)、掌を地面に付けて立つ動物(クマや人間など)とバリエーションも様々になっています。 でも、モノを掴むという指の用途を見いだしたのはサルだけでした。なのでサルの親指は他の指と対向しています。樹上生活に適応するためには、「木を掴むために親指が対向する」ことが必要だったのでしょう。ヒト以外のサルでは後肢の親指も対向しています。ヒトは直立二足歩行を得るために親指の対向を捨てたのでしょう。あ、コアラの親指も対向していたっけ。 で、他の動物はすべて、親指は他の指と並行しています。単に歩くだけならその方が都合が良く、馬や牛の例を見ても判るとおり、別に5本も指は必要ですらないわけです。 ですが、ササの葉を食べることに適応したパンダは、枝を掴む必要があったわけです。でも、クマ類の親指が付いている位置からすると、この親指を他の指に対向させるにはかなり大きな変化が必要で、それは不可能だったのでしょう。 なのでパンダはちょうどヒトで手首に相当する部位の骨に突起ができていて、それで枝を掴むことができるようになっています。 それがグールドが著作のタイトルにもしている「パンダの親指」というわけです。 このパンダの親指は、「生物が進化する」ことの強力な証拠として受け取られています。いわゆる「歴史に由来する不完全性」です。 進化とは、「極めて小さなマイナーチェンジ」しかできないのです。 ですから前モデルに縛られているわけです。前モデルとは大きく違うビッグマイナーやフルモデルチェンジはできないのです。 この小さなマイナーチェンジを無数に繰り返した結果が、40億年前に生まれた原始生命から現代のヒトや鳥やミミズや松の木その他諸々の生物、というわけです。 しかも重要なことは、その無数のマイナーチェンジの"全て"が、その時点で「適応的」でなくてはならなかった、ということです。適応的でないマイナーチェンジはその時点で滅びていて、現在に子孫を残すことができていないわけですから。 なので手をもう2本増やす、というような「フルモデルチェンジ」はできないのです。4本の足、というモデルは何億年前の設計なのですが、将来的には極めて有利になることが判っていても、今現在は不適応になってしまうため、この基本モデルは変えることができない、というわけです。 パンダにとっては前肢の親指を他の指に対向させる、というモデルチェンジすら不可能だったわけです。つまり親指を対向する位置まで移動させるためには数え切れないほどのモデルチェンジが必要ですが、その途中は「モノも掴めないし歩くにも不安定」という"不適応な親指"を経由しなくてはならず、その方向に進化を始めたパンダは淘汰されてしまうわけです。 という話は、No.2さんが紹介された「パンダの親指」(スティーブン・ジェイ・グールド)の他にも、「盲目の時計職人」(リチャード・ドーキンス)にも詳しいです。
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