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明治時代の書生とはどの程度の地位だったのでしょうか
明治時代に、書生っていましたよね。えらい人の家に住み込んで家の用事をすることで食わせてもらいつつ勉強するっていう。その書生って、どの程度の地位だったんでしょうか?使用人と同じくらいで、その家の主人には「旦那様」とか言ってたんでしょうか。奥様にはどんな言葉遣いをしていたのでしょうか。奥様は女だから、当時の封建社会的価値観からいうと男性より下ですよね。それでもえらい人として敬語を使って話をしていたのでしょうか。使用人のように? それと、たとえばえらい小説家の先生がいて、書生と弟子を持っていたとしますよね。書生と弟子は、立場的にどのように違うのでしょうか? 参考になる書籍、URLなど教えていただければ幸いです。
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- cotiku
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回答No.1
個人差が大きいと思います。 郷土僻地の子や、手に負えない親戚の子をあずかることもあれば、 秘書事務員として、あるいはおかかえ車引きや家庭教師など専門職員として有能な学生を求めることもあるでしょう。つまりこれは使用人です。 書生が旦那や奥方の親戚の場合は使用人は敬語をつかうのが普通でしょう。 書生から旦那様・奥様には敬語だと思います。 ただ、旧藩主のお子様を預かったような場合、当然下宿代ももらえるでしょうし、待遇は違うでしょう。 以上、常識の範囲でお答えします。
お礼
ありがとうございます。使用人待遇なんですね。 参考になりました。