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明治期以降に醸成された無根の非人差別
- 明治期以降に醸成された非人差別は事実無根ではないか疑問視される。
- 江戸時代では階級の違いは差別ではなかったが、明治期以降に平民化が進む中で非人差別が発生したと考えられる。
- 多数派が無責任な差別を放置し続けることによって、今もなお非人差別が社会に残っている。
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あの・・・ 大丈夫ですか。 差別反対とか言う人が差別発言連発してしまっては、、、、 ソクラテスが哲学を体系づけたわけですが、彼は自分は知らないということを知れということを言っていたわけです。 今回100分の1くらいはどうして起こったのかわかったと思います。 知ったつもりでも、中身がまったくなくただ反対 と言えば自分は正義感あふれる人だと尊敬されるに違いない と思ったわけですよね。 ところが中身がからっぽ。 からっぽなのに「俺は偉いんだぞー 尊敬しろー」とかふんぞりかえってしまって、、、、 それワザとですか? そこまで醜悪な人格を故意に演じる利点はなんですか? あなたは同和の出身者で、同和地区の人は税率が低く優遇されているという事実を暴露されて、被害者だと言えなくなってしまったことに腹をたてたんですか? ええ、知ってますよ。友人から聞いた話で、その地区とは知らずに転勤でそこに住居を借りたら、途端に近所から排除に出られた。 排除されてしまったそうです。 何故ならその地区の人じゃないよそ者だったから。 他には木刀とか持って待ち構えられていた人の話も直接被害にあった本人から聞いたことがあります。 同和地区の人がその地区以外の人を差別し排除している。 そのことも知っています。 だから、複雑なんですよ。 仲良くしようとしても、同和地区の人が喧嘩をふっかけてくる。危害を与えてくる。 これでは、コミュニケーションは取りたくて取れないじゃないですか。 そりゃあ 税金やらいろんな面で優遇された今の暮らしは捨てがたいでしょう。 だけどそれこそ差別じゃないですか? 同じ状況になってたまるか 楽したい 優遇された楽な暮らしがしたいから部落だとされないと困る? 精神病じゃないのに、精神病を偽って生活保護を受けて遊び呆ける人と同じじゃないですか。 詐欺。ズル。 人の汗水流して稼いだ金を奪って楽して暮らすなんて、それは自分たちは差別されているからだなんて。 あんまりじゃないですか? この事実を知ったほかの日本国民はどう思うでしょう? 援助・優遇打ち切りされたら、また市役所の前で暴動を起こして、恐喝して金をまきあげるんですか? それじゃ暴力団と同じじゃないですか。 そういうことをするから、怖がられるんですよ。 一部の人がそういうことをやっているわけで、同和地区の人みんながヤクザのようなことをやっているわけじゃないと知っています。 だけど、その一部の人のせいで、みんなが暴力団と変わりないと思われているんですよ。 もう そういう暴力行為はやめませんか。 他の同和地区の人にとってそのような行為は大迷惑です。 あなたがたが他の同和地区の人を困らせているんですよ。
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- Alkindus
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異議あり。
- 日比野 暉彦(@bragelonne)
- ベストアンサー率16% (203/1213)
こんにちは。 仏教がわるいと言える側面について 参照しうる研究を引用します。それは ★ 江戸時代の始まりに置いて、死にまつわる職種が封建的秩序に仏教的裏打ちを与えた考え方に置いて、階級の最下層に置かれるのは必然的成り行きであろう。 ☆ の《仏教的裏打ち》についてです。ただし 《江戸時代の始まりに置いて》ではなく もっと昔においてだというひとつの見方です。 ▲ (丹生谷哲一:中世前期における非人) ~~~~~~~~ 罪や病をケガレとみる観念自体は 古代以来存在していたが それは 律令体制の解体期である一〇~一一世紀において肥大化した。しかも重要なことは 同じく罪・病の穢れと言っても その意味内容は 決して同じではなかった ということである。 古代でケガレとされた罪は 主として 国家的犯罪や共同体の秩序・禁忌を破ることであり また 古代でケガレとされた病は 主として 疫病(急性伝染病)であって 戸令にあげられているような篤疾・廃疾・残疾者は その中に含まれていなかった。 ところが 中世社会においては このような有疾者こそ 最も穢れた《諸々の悪しき重病》とみなされたのであり しかもそれが 大乗誹謗の《罪報》として かかる《病が付く》と考えられたところに特徴がある。 この意味で 中世非人の中核たる癩者・不具者・乞食というのは いわば 仏教的な《罪の穢れ》およびそれと不可分のものとしての《病の穢れ》を 二重に負った存在として 厳しい疎外の対象とされたのであろう。 (にうのやてついち:『検非違使――中世のけがれと権力』増補版2008. pp.147-148) ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ ☆ 職業としての問題を抜きにして こういう情況が天から降ってくると その梅雨の季節は 長い歴史を経ても なかなか晴れ上がりません。 ○ 輪廻転生 因果応報 ☆ いまだにこういうあほうな思想がはびこっています。仏教徒がこのようなみづからの欠陥を直そうとしたことは あったでしょうか? ★ 差別をする多数派 ☆ が問題なのですが そこには 差別はいけませんと口にはとなえつつ ええ加減な歴史の見方を提出して 自分は弱き者の味方であるとうそぶいている人びとがいるのではないでしょうか? これが いちばんの問題だと思います。 わたしはわたしで 力をつくします。あなたはあなたで さらに進めてください。と ひとこと ごあいさつでした。
お礼
ありがとうございます。 頑張ってみたい処ですが、ただ一人で自作自演する多数派以外からの回答がありません。 不毛ですね。
- kigurumi
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ちとちがった。 大和朝廷に服従しなかった人達は蝦夷と呼ばれていた でした。 エタは自由民を指していた。 http://www.amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E3%81%AE%E6%AD%B4%E5%8F%B2%E3%82%92%E3%82%88%E3%81%BF%E3%81%AA%E3%81%8A%E3%81%99-%E5%85%A8-%E3%81%A1%E3%81%8F%E3%81%BE%E5%AD%A6%E8%8A%B8%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%B6%B2%E9%87%8E-%E5%96%84%E5%BD%A6/dp/4480089292/ref=pd_sim_b_5 こんなのとか結構参考になります。
- kigurumi
- ベストアンサー率35% (988/2761)
私は部落差別とか、同和教育とかが起こらなければ、ほとんどの人は知ることは無かったと思う。 風化したと思う。 ところが同和教育で親を集めて差別を無くそうとか言って「あそことあそこは部落です」と知らなかった人達に教えてしまった。 「そういうことで差別されている人がいるんですよ。やめましょうね」という会合の席で初めて、そんなことがあると情報を得るわけです。 一体部落とはどういうものか知らない人がそういわれると、畏怖の感情が芽生えるじゃないですか。 風化させないぞってことでしょうけど。。。 従軍慰安婦問題もテレビ局が騒ぎ出して、金目当てで嘘を言う人達が便乗して、ありもしないことをされたと言い出し、お隣の国は政権を取るため便乗して騒ぎが大きくなり、そこで知識人が調査に乗り出し、嘘を暴いて、政治的なことがからみ事実が捻じ曲げられ、日本人が自分たちの国はひどい国だと反省するということになったとわかった。 謝る必用が無いのに首相が謝罪しているというとんでも事件に発展し、わびた以上事実あったと認めたのだから、賠償金を払えとヤクザに脅されているような状態になった。 それと同じく同和教育が盛んに行われるようになった時代に、知識人が興味を持ち、真実を知ろうと調査しだした。 日本人の祖先の9割は農場従事者だった というのは嘘だとわかった。 いろいろな職業を兼業しており、職業で差別されるということは無かった。 ところが、中国の律令制が日本に入ってきて、土地とそこで暮らす人民は王に隷属するということを通すために、職業を固定させ職業で身分の上下があるようにしてしまった。 寺は社会の傘の役割を果たしていた。 集団から阻害された人や犯罪者として追放された人や病気の人などを受け入れ、外では暮らせない人もそこでは生きていけるという役割を担っていた。 その社会の枠から出た人達がエタと呼ばれたが、社会に枠に収まらないほどの個性を持つ自由人でもあったわけです。 特定の職業や住居を持っていないので、律令制度の中に納まらない人達。 士農工商 士が最も身分が高くて商が最も低いが、そのどれにも属さない人達が非人やエタなわけです。 非人は実際は商人のようなこともやっていたのですが、定住しなかったからなのか、大和朝廷に隷属せず気ままに商売をやっていたからなのか、商人としては登録されなかった。 エタも川原などこの世とあの世の境目に住んでいる人がいたので、4つに属さず河原者と呼ばれた。 穢れの概念が強まり武士は処刑をせず、この世とあの世の境目に住む人達に処刑させていた。 水が穢れを洗い落とすって意味もあり、ある意味神聖な領域の人だから人の命を奪っても穢れないとしたのかもしれない。 wiki。 <この官僚機構は、王土王民理念による人民統治を実現するための必要な権力装置であった。> 一極が力を高めるために作られた制度だとわかる。 それが大和朝廷系。 日本は昔はどこかが全部を統一しているというわけじゃなかった。 服従させるために制度を作り、浸透させていったわけです。 服従しない集落はエタと呼ばれ迫害されていった。 そしてかつてエタと呼ばれた人が、最後まで抵抗をしたグループをある地域に閉じ込め出れなくした。 これが今もって残る捕囚された民=部落です。 都を設置するとき、この地域が邪魔だったので、強制的に別の地域に移転させた。 シベリア抑留と同じように閉じ込められてしまったんです。 たてつかないように監視するため。 そして後に戸籍を作るときに、彼らを大和朝廷に服従しなかった子孫という烙印を押すために、戸籍に<新市民>というマークをつけて、時代が変わっても戸籍を見ればわかるようにしたんです。 自分の戸籍を見て新市民というマークがついていたら、あなたは抑留された人の子孫です。 罪人だったからじゃないです。 大和朝廷にやり方に最後まで抵抗したレジスタンスの子孫ですから誇りに思っていいんです。 そいうことを知らないで同和教育とかされちゃった人は、部落出身者の人を殺人鬼に血を引く人くらいに誤解してしまいやすい。 こういう話をちゃんとしないで「差別はやめましょう」だけでは説得力が無いです。 あなたがたが作り出した事実無根ではなく、どういう事実があって部落差別が起こったと知ることです。 といっても部落とされた地域の方がぜんぜん土地を含めた物価は安いし、道路整備は行き届いているし、学校などもお湯が出るという快適な地域ですから、現在は優遇されて暮らしやすくなっています。
お礼
差別発言です。 どんなに奇麗事を言ってもオカマはキモチワルイ。 きもち悪くて読み飛ばしました。 字ずらを眺めただけで吐き気がする。 今一度言う マスタベーションは一人でしろ。 オカマは一人で夜泣きするのがお似合いだ。
補足
ちなみに今回の御回答でお礼欄に付けた差別発言は、前置きで差別発言とお断りしている通り、差別とはいかなるものかの検証の材料として提示したたたき台の一種で、今回の質問に通じる哲学上必要な暴言です。 (おかま)の彼女とはすでに気心が知れた仲であり反証を期待した哲学バトル演劇です。 オカマはあくまでも女性として接してこそです。
- 莽翁寒岩 一笠一蓑一杖(@krya1998)
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人間、そしてその社会の(一種の)宿命的構造でしょうかね。 常に再生産されているようですね。どこでも。 私がいた大学でも、学生サークルに部落問題研究会と差別構造研究会がありました。今もあるかな? 個別の自己の認識と確認が必要だと錯覚しているとどうしても差別の契機が生まれがちですね。 その超克が人間の使命だと存じますが、宿命に対立した。
- AXIS_
- ベストアンサー率12% (9/71)
>そこで差別をする多数派に質問です。 差別をするのは少数派ではないでしょうか。 >このカテに出没する哲学の多数派は単なる恥さらしですが、社会における多数派もかように醜い。 これが事実無根の差別だと思います。おサルさんは自分のしていることが自分で解らないのだと思います。自分の身の回りに部落差別をしている人だとか、えた・非人 とかいう言葉を使う人はいません。そういった差別は都会や、若い世代はまったく感じていないと思います。なくなりつつあるものをあえて掘り返す必要はないでしょう。 尚、歯を剥いて怒るお猿さんに対して「哀れである。」と言うのは差別ではありません。事実です。
お礼
オカマ丸出し。 あんたとの痴話喧嘩はいやだ。 どこにそんな事をするいわれがあるんだ。 このような完全拒否はオカマに対する差別そのものである。
補足
差別を知るために差別の限りを尽くしたいところだが、それはやっぱり面白くないので新たさ思索のため今回は締めるよ。 それなりにありがとう。