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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:明治初期の海難事故救助に関して)
明治初期の海難事故救助に関する質問
このQ&Aのポイント
- 明治初期の海難事故救助において、濡れた身体を拭くための布がなかった場合、何を使用したのかについて質問します。
- 明治初期の漁業に携わる漁師らは、タオルや毛布などがない状況でも、身体を拭くためにどのような物を使用したのかを知りたいです。
- 明治初期の江差ニシン漁の漁場で海難事故が発生した場合、濡れた身体を拭くために何を使ったのか知りたいです。下着などのサラシ木綿以外に、一般的な漁師が持っていたものは何が考えられるでしょうか?
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noname#224207
回答No.1
タオルも毛布も普及していませんから、どうしたもこうしたも、あるものを使う以外に手はありません。 それでダメならそれまでです。 見殺しにしていた訳ではありません。 当時としてはできる限りのことはしました。 明治23年に和歌山県の串本沖でトルコ船が遭難した際にも、村人は持っている衣服や寝具をかき集めて運んでトルコ兵を救助しました。 日本でタオルという形状の布製品がつくらるようになったのは明治5年からです。 普及したのは大正時代以降です。 つまり、それまでは湯上りだろうと、水難事故だろうと体を拭くのは手ぬぐいでした。 毛布は明治20年以降ですが普及は遥かに遅れました。 市民の目に触れるようになったのは、寒冷地の満州での戦闘つまり日露戦争以降軍隊に装備されるようになってからです。 明治初期であればリンネルと呼ばれる吸湿性の高い布地がありました。 病院や古いホテルなどで、シーツなどの寝具を保管してある部屋をリネン室と呼ぶのはここからきています。 亜麻と呼ばれる植物の繊維です。 ただ普及が遅れていましたので、漁民レベルでは難しかったでしょう。 これに対して青苧(あおそ)からむし、などと呼ばれる麻よりも柔らかく木綿よりも丈夫な繊維が古代から使われていました。 木綿は温暖地でしか栽培できませんので、化学繊維が普及するまでは最もポピュラーな布地でした。 漁民であれば、最も身近な布地だったでしょう。 尚、水難事故などの場合には、体を温める最も簡便な方法は酒や焼酎を飲ませました。 意識がなければ、遭難者を裸にして、救助者も裸になって肌を密着させるように抱きました。 男も女もありません。命がかかっています。
お礼
ichikawaseijiさま まさに欲しかった回答でとってもうれしいです。 冒頭の3行あたまで読んだときギョッとしたのですが その後に続く説明は 詳細でわかりやすく、ことに歴史まで解き明かして下さって 大いに助かりました。 加えて水難事故にあった場合の救助方法などまで 具体的な解説を感謝しています。 本当にありがとうございました。