- ベストアンサー
「日本は大国だと言える」の主語は何ですか?日本だと最初は思ったのですが、どうもしっくり来ないので…
「~と言える」という文章の主語が何かを考えていると、訳が分からなくなりました。この場合、「日本が」を主語にすると、述語「言える」となっておかしいなあと。子供から聞かれて困りました。よろしくお願いします。
- みんなの回答 (6)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
こんにちは。 日本語には、主語がない文が非常にたくさんあります。 「日本は大国だと言える」は、 「(私達は)日本は大国だと言える」 「(誰もが)日本は大国だと言える」 などの、かっこの中が省略された文です。
その他の回答 (5)
- MockTurtle
- ベストアンサー率26% (93/350)
君は、「ノー」と言える。 ↓ 日本は、「大国だ」と言える。 これならば「主語は日本である」と言えますが、まさか‥ ( ^^; - 以上冗談 - これは複文で、「日本は大国だ」が従属節として「言える」を修飾しています。したがって「日本」が従属節の主語であることは確かです。 また、文全体の述語は「言える」ですが、「日本が言う」では上記の冗談のようになってしまうので、これが主語でないことも疑う余地はありません。 問題は、「では、主語は何か?」になりますが、これは結構難題です。 「言う」の “動作の主体” は何か? ということであれば、この場合「人は」、「我々は」などであると説明可能です。しかし、日本語における主語は必ずしも動作の主体を表すとは限りません。 ・ この文の主語は「人は」で、それは隠された主語である。 もしこのように説明した場合、それと整合性を持たせるために、次のように言わざるを得なくなります。 ・ 「水が飲みたい」の主語は「私」だが、それは隠されている。 ところが、伝統的な日本語文法の考え方では、この文の主語は「水」であると説明します。逆にその立場に基づいた場合、「『日本は大国だと言える』の主語は省略されているのではなく、主語は“ない” のだ」と説明しなければ辻褄が合わなくなってしまうわけです(文法というものは融通が利きませんから)。 ただ、英語などを母国語とする人にこのような日本語の主語の概念を理解させるのは骨が折れるでしょう(決して理解不能ということはないと思いますが‥)。そこで彼等に日本語を教える場合には、便宜的に「動作の主体 = 主語」ということにして、主語は省略されていると説明する方が楽であることは確かですね ( ^^
- 5hun
- ベストアンサー率0% (0/4)
大前提として、前後の文脈にも因りますがこれが評価の意味合いを持つ文章と仮定した場合。 「日本は大国だと認識されている」或いは「~認識している」 問題の文章はと上記のような表現に変換出来るので、主観的文章なのか、客観的文章なのかによって違うのではないかな、と。 つまり外側からなのか内側からなのかに因って、主語が変化するのでは? 故に、主語は「日本以外」か「日本」に所属する人々を示唆しているものと思われますが。
- suunan
- ベストアンサー率14% (224/1569)
主語の無い文章はありません。 主語は日本です。 この場合の「~だと言える」は 「~であるの確実だ」と同義の慣用的用法です。
この文章には主語がありませんから「主語はありません」が正しいと思います。 「誰が」が無いのでA.1のように広く含みを持たせた解釈が可能で、一般論としてという意味も出せているのだと思います。 上の文章の「思います」の代わりに「言えます」を使えば 「『誰が』が無いのでA.1のように広く含みを持たせた解釈が可能で、一般論としてという意味も出せているのだと言えます。」 となり、これは元の文より“私は”が抜けて客観的事実であるというニュアンスになっていると思います。 つまりは「言えます」自体に一般論として、みんなが、という意味が最初から含まれている、そういう言い回しだと“言えると思います”。
- NIWAKA_0
- ベストアンサー率28% (508/1790)
それはその文を書いたひとの、いわば「主張」なので 主語はその文を書いたひとじゃないでしょうか。 でなきゃ、前後の文脈から判断。
お礼
ありがとうございます。 前後の文脈、確かにそうですね。 自分の主張ではなく、一般論として書かれているケース が「言える」とか「言われている」の文章に多いですからね。
お礼
さっそくのご回答ありがとうございます。 やはり、主語は隠れているんですね! 助かりました、間違って教えるところでした^^;