No.5の方やNo.6の方が触れられていますが、支払が非現実的なぐらい過酷な賠償金、ハイパーインフレ、フランスによるルール占領は、ヒトラー政権誕生の前に『一応は』片付いています。ドイツ経済も、大恐慌直前の1927~28年には、第一次大戦前のレベルかそれ以上まで回復していました。賠償金は、1932年には、当初の40分の1ぐらいのレベルに下げられたと思います。(それでも莫大だけど…。但し、ここはあまり自信なし。)
ベルサイユ条約が重い賠償金をドイツに負わせた事が、ヒトラー政権誕生の重要な要因の一つである事はその通りでしょう。少なくとも、ヒトラーが「ベルサイユ体制打破」を唱えた事が彼らの『人気』の理由の一つなのは、はっきりしています。
しかし、ヒトラー政権成立は、1929年のアメリカ株式暴落をきっかけとした大恐慌への、ドイツの「回答」だった、と考えた方がよいと思います。イタリアも日本も、賠償金は背負って無くても、枢軸国側になりましたし…。ワイマール体制末期は、ナチスのみならず共産党も勢力を拡大したのは、要は「景気をなんとかしろ!。仕事をくれ!」って事だったのではないでしょうか?。ナチスの正式名称は、国家社会主義ドイツ労働者党で、失業対策や福祉に関する選挙公約もあったはずです。
また、理屈の上の議論をすれば、戦争を国際法上も「基本的にはやってはいけないもの」と明確に考えるようになったのは、比較的最近の話で、特にそういう考えがはっきりとしたは、1928年のパリ不戦条約から、と理解しています。それまでは戦争自体を「悪」とは考えないし、「そもそもどっちが悪かったか」という事はさして悩まずに、負けた方が勝った方に賠償金(あるいは領土)を渡すのが通例でした。(但し、不戦条約も、「自衛戦争」は認めるという前提でできているし、英国は、植民地防衛も「自衛」に入る、という留保をつけています。また、その条約を強制力をもって実行させる機関はありませんでした。実態としては「他人の国や勢力圏に、新たに出張っていくのはいけませんね」というのをお互い確認しあった、ったぐらいの話でしょうね。)
いずれにせよ、後で「ルール」が変わってしまったわけで、「責任」論を理屈の上でやると、ドイツが勝つのはシンドイんじゃないでしょうか?。
こういう理屈の話じゃなく、今の時代から見て、「良い」「悪い」とか「理不尽だ」とかいった議論をするなら、例えば、ヨーロッパ諸国の植民地のアフリカの人から見れば、イギリスもドイツも、み~んな「悪く」て、そいつらの間の内輪もめの中で「どっちが悪いか」なんてどうでもいいや、って事にならないでしょうか?ご質問の趣旨からはずれますが、「戦争責任論」を聞くと、時折そんな事を考えてしまうもので…。
お礼
こんにちは 回答有難うございます この世界恐慌以前は列強はあからさまに弱いものイジメに徹していたように 思えます それに「戦争の是非」もとても参考になる意見有難うございます 当時のドイツは「劣等民族」というイメージから脱したいと思ってまして その為には「我々より劣る民族」の存在が必要であり それが「ユダヤ民族支配のドイツからの脱却」という方向に 向いていったのだと思います