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大戦後のドイツの政策について

ドイツはなぜ第一次大戦後に侵略的で膨張的な政策を追求したのでしょうか ヴェルサイユ条約、賠償問題、ヒトラー、チェンバレン、ミュンヘン協定、独ソ不可侵条約、秘密議定書のワードを交えな がら教えていただけると幸いです

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回答No.2

はじめに,ワードについてですが, 「ヴェルサイユ条約」,「賠償問題」,「ヒトラー」は,「なぜ侵略的で膨張的な政策を追求したのか」という問いの答えに使用できますが, 「チェンバレン」以下の語は,政策の理由でなく,侵略・膨張を実際に進めていく過程を説明するためのものという感じですね。 さて,理由について,3つの側面に分けて説明してみます。実際は,これらが複合的に絡み合っていると考えられます。 (1)ヴェルサイユ体制への不満 第一次世界大戦での敗戦の結果結んだ「ヴェルサイユ条約」は,領土割譲,軍備制限,莫大な賠償金などの過酷な制裁を課すものだった。 このため,ドイツ国民は,ヴェルサイユ体制や,それを主導するフランスとイギリスに対して不満・恨みを持ち,この不満は,ヴェルサイユ体制の打破や対外膨張政策を唱える「ヒトラー」の支持につながった。 (2)経済危機 ドイツは「ヴェルサイユ条約」によって莫大な賠償金を課され,この「賠償金問題」は一度はアメリカのドーズ案やヤング案などもあって状況が好転したものの,世界恐慌によってふたたび行き詰まり,ドイツは深刻な経済危機に陥った。 不況,つまりモノが売れない状況を改善するにはモノを売るための市場が求められるが,ドイツは「ヴェルサイユ条約」の結果,植民地を失っている。そこで,新たな市場獲得のため対外進出が促された。 また,「ヒトラー」は不況対策として軍需産業を振興したが,この軍需産業の拡大も対外進出を促した。 (3)国民の統合 「ヒトラー」は,国家の危機のなかで,それを乗り越えるために国民の統合と一体化をはかった。国内の一体化をはかる際,対外的な威信を示すことが有効であることから,対外的積極策をとった。 おまけとして,残りの言葉を使用するなら, ・ヒトラーの対外進出政策に対して,イギリスの「チェンバレン」首相やフランスのダラディエ首相は,「ミュンヘン会談」で譲歩するなど,宥和政策をとった。 ・しかしヒトラーは対外進出を止めず,1939年8月にはソ連と,ポーランドを分割する秘密条項(「秘密議定書」?)の付いた「独ソ不可侵条約」を締結し,翌9月にはポーランド侵入を開始し,これに英仏が宣戦布告して第二次世界大戦が始まった。 という具合でしょうか。 ドイツの膨張政策の理由は,ヒトラー一人の性格や野心だけで説明しきれるものではなく,国際政治や経済が絡んだ問題であり,深く検討するのに値するテーマです。 今回の説明は,歴史学の世界での議論を踏まえて主な理由がカバーできるように書いたつもりですが,これが絶対的な答えだというわけではありません。質問者さん自身の考えも加えて検討してみてくださいね。

  • FEX2053
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回答No.1

連発で質問が出ているので、夏休みのレポートでは? だとすると、自分で書かないと。 ざっくりいうと「賠償金の支払いで国の経済が回らなくなったから」 が原因です。第一次大戦後のドイツのスーパーインフレは探せば 驚くべき写真がヒットするはず。インフレを回避するには、賠償金を 踏み倒すことと、国の経済を外から強制的に回すことが必要に なったために、いろいろな事象が発生したんです。 その辺をキーに調べていくといいと思いますよ。