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神聖ローマ帝国がローマの雌牛状態になった理由
中世において、フランク王国が分割されてできたフランス王国とは違って神聖ローマ帝国としてのドイツ側がローマの雌牛状態に陥った理由は、ローマ教会に対する従順な姿勢をそれほどに生むほどにドイツ側が宗教的に敬虔だったからでしょうか?
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- Mumin-mama
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ローマ帝国によってヨーロッパ各地に広められたキリスト教は神聖ローマ帝国時代のマルティン・ルターによる宗教改革まで、皇帝のローマ法王による戴冠、諸国の貴族のキリスト教へのかかわりによって教会は富んで行きます。初めは北ヨーロッパからローマ等に聖地へ向かう僧などの巡礼で始まり、各要所の巡礼教会は巡礼者の落とすお金で潤うようになります。巡礼者を集めるには教会に「奇跡にまつわるお宝」を置かなければなりません。例えば、「キリストの血」とか、「東方三博士の頭の骨と冠」とか「血の涙を流すマリア像」等と言ったものです。中には、ローマに行って帰ってきた僧を殺して、その人を聖人として祀ることもありました。それらをつくるための資金として、諸国領主や領主司教は農民や市民から税を徴収したり贖宥状(しょくゆうじょう)を売り教会は豊かになり、大聖堂が建てられ、ますます権力を強めて行きます。また、それらのことは司教の地位を保つためにも必要でした。そして、それら教会の収入の多くがローマ法王に渡りました。 そのお陰で、市民や農民は貧困状態に陥り領主や司教に対する不満が募ってきます。そこに現れたのが「95ヶ条の論題」を論じたマルティン・ルターで、ケルンの大聖堂はルターの出現以降、献金が集まらず大聖堂の建設は停滞してしまいます。また、各地には市民や修道士、ユダヤ人も含めて農民戦争が起こるようになります。農民戦争は教会や領主の厳しい税の取立てに対して起こった戦争です。 また、神聖ローマ時代は身分制度がはっきりしていました。数多く居た諸国王、領主司教をまとめていたのは皇帝(自身の定城は持たず、諸国を回っていました。)ですが、皇帝の上にはローマ法王が居ました。 >神聖ローマ帝国がローマの雌牛状態になった理由 ドイツの農民や市民(雌牛)から絞り取った税(乳)はローマ法王へもたらせました。 >ローマ教会に対する従順な姿勢をそれほどに生むほどにドイツ側が宗教的に敬虔だったからでしょうか? 神聖ローマ時代において宗教は、空気や水よりも生きていることに欠かせないものでした。そこに生きていた人たちにとっては教会は絶対で、教会中心で世の中が動いていたのです。従わなければ生きて行けませんでした。
- nacam
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質問の主旨が理解できません。 もう少しかみ砕いた言い方をしてください。 「神聖ローマ帝国としてのドイツ側」というのが、いつの時代の事を言っているかが、全く不明です。 フランク王国の分裂時、神聖ローマ帝国の成立時、叙任権闘争後、大空位時代、宗教改革の前後、etc。 少なくとも、神聖ローマ帝国が、「ドイツ側が宗教的に敬虔だった」事はなかったでしょう。
補足
ありがとうございました。この間、宗教改革の年にドイツはイタリアに向けて膨張するフランスを相手にして教皇側について戦争をしていたのだということがわかりました。それぐらいに、フランス側は中央集権化/強大化していて教皇側による搾取対象になりえなかったということでしょう。