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モンゴル軍が神聖ローマ帝国へ侵攻しなかったのは。
モンゴル軍は、ポーランド王国相手に「ワールシュタットの戦い」で大勝利を収めましたが、占領せず撤退しています。 この勢いであれば神聖ローマ帝国へ侵攻できたはずですが、モンゴル軍は、なぜ神聖ローマ帝国へ攻め込まなかったのですか。 いろんな理由があると思いますが、私が思いついたのは次のような理由です。 どれか一つくらいは合っていますか。 ア.やはりカネが続かなかった。 イ.遠征の戦い続きで戦士の士気が落ちた。 ウ.ポーランド王国や神聖ローマ帝国は、魅力的な産物に乏しい寒冷地で、占領するに値しない。 エ.神聖ローマ帝国へは侵攻を試みたが手ごわい相手だった。 よろしくお願いします。
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短期的には、第二代大カーンのオゴダイが死んだからです。 モンゴルの大カーンは選挙制なので、選挙に参加するためには本拠地まで戻る必要があります。ここで後継者争いが発生。 争いの後、第四代モンケの政権が確立したときに再度遠征しなかったのは、おそらくお書きのウが近いのではないかと思います。侵攻先は南宋と、西アジアですね。ヨーロッパも含めた三方面に繰り出すまでの軍隊は無く(後継者争いに負けたオゴタイ家・チャガタイ家の弱体化)、優先度が低いところは落としたということではないでしょうか。 その後、ロシアのジョチ家は、西アジアのフラグ家と争ったりもして、ロシアから西に行く余裕が無い。
お礼
ご回答ありがとうございます。 大カーンがそのようにして選出されるとは知りませんでした。 第二代大カーンのオゴダイが死去したからと言っても、安全地帯まで一時的に退いて、戦いを中断し、再度侵攻するという選択肢もあったはずなのに、なぜ部隊を帰還させたのか、不思議に思っていました。 選挙に参加せねばならない事情があったのですね。 よく分かりました。