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西ローマ帝国滅亡後の教会

西ローマ帝国がオドアケルにより、滅ぼされたとありますが、別に、皇帝がいなくなっただけで、西ローマ帝国全域をオドアケルが支配した訳では無いですよね? そもそも、西ローマ帝国に所属していた教会は西ローマが滅びたのにどうして、存続していたのですか?また、その教会にはどうして、フランク王国カロリング朝のピピンを西ローマ帝国の皇帝にする権利があったのですか?更に、西ローマ帝国の皇帝になったからと言って、それは名称が変わっただけで、その時点では領土に変わりはなかった訳ですか? 宜しくお願い致します。

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  • nacam
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回答No.1

西ローマ帝国が滅亡寸前の時の領土は、イタリアとフランスの一部程度になっていました。 北アフリカは、バンダルに、イベリア半島は西ゴートに、プロバンス地方はブルグント、北フランスはフランク、オーストリアからクロアチアにかけては東ゴートの支配下にありました。 オドアケルが西ローマ皇帝をクーデターで倒した時、オドアケルは西ローマ皇帝を名乗る事も可能でしたが、周囲の状況がそれを許しませんでした。 東ゴートが、イタリアへの侵入を狙っていたからです。 そのため、オドアケルは、東ローマ帝国に近づき、自らを東ローマ帝国の家臣となり、東ローマの後ろ盾を得て東ゴートに対抗しようとしました。 そのため、西ローマ帝国は無くなり、西ローマ帝国の滅亡となります。 一方現在のパリを中心とした西ローマ帝国領は、独立してしばらく存在します。 (歴史地図などでは、西ローマとなっていたりシャグリウス朝となっていたりします) >西ローマ帝国に所属していた教会は西ローマが滅びたのにどうして、存続していたのですか? 教会は、帝国の組織ではなく、独立した組織ですから、西ローマ帝国の滅亡とは関係なく存続しました。 西ローマ帝国の滅亡後は、主に東ローマ帝国の後ろ盾を得て教会組織の維持を行います。 これは、当時の教会が、アタナシウス派であったのに対し、西ローマ帝国に侵入したゲルマン民族の大多数がアリウス派に属していたため、それらのゲルマン諸部族の支援を得られなかったためです。 ゲルマン民族のうち、フランクだけはアタナシウス派でしたから、カトリック教会は、フランク族を支援する一方、フランク側でも支配領域の安定化のために、カトリック教会の協力を必要としました。 その中で行われたのが、ピピンの領土寄進です。 フランクの勢力が拡大してきたころ、カトリック教会と東ローマ帝国(ビザンツ帝国)との間で偶像崇拝問題で深刻な対立が起こります。 そのため、カトリック教会は、ビザンツ帝国からの独立を企てます。 ビザンツ帝国からの独立のためには、ビザンツ帝国に代わる後ろ盾が必要でした。 時の教皇レオ3世が目をつけたのがフランク王国のカール(シャルル)でした。 レオ3世は、カールの同意なく一方的にカールを皇帝にし、西ローマ帝国の復活を宣言する事になります。 カール大帝にとって、この戴冠は、かなり迷惑な事で、その後自分の領土を割譲してビザンツ帝国にカールの皇帝就任を認めてもらっています。