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神聖ローマ帝国って…?
世界史の質問なのですが、フランスの王権伸長について勉強していたところ、ふと神聖ローマ帝国についてわからなくなってしまいました(汗 「イタリア戦争」ですが、これはイタリアが戦争に加わっているわけではなくて、イタリアの領土をめぐった戦争ですよね? 戦争しているのはフランスと神聖ローマだと塾で言われた気がするのですが、復習の段階で「ローマはイタリアじゃなかったっけ?」と思い、調べてみたところ、神聖ローマ帝国はドイツ、ローマはイタリアと出てきたので訳がわからなくなってしまい…。 神聖ローマ帝国とローマとは全く別なのでしょうか? イタリア戦争が本格化した、ヴァロア朝のシャルル8世期、戦っていた相手国は神聖ローマ皇帝のカール5世だったと思いますが、そのカール5世について辞書をひいたところドイツ皇帝と載っていたので、やはり現在で言うドイツを指すのかなと思いました。 ただ、数日前にアナーニ事件やアヴィニョン捕囚、大シスマについて勉強していたのですが、ローマ教皇はアヴィニョンに移される前ローマにいましたよね。ローマはイタリアにあるので、つまりローマ教皇もローマ皇帝もイタリアの人物だと思っていたのですが…。教皇と皇帝の違いすらあやふやになってます;; どなたかご説明してくださると助かります。 よろしくお願い致します。
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まず神聖ローマ帝国から説明していきましょうか。 神聖ローマ帝国というのは現在のドイツの辺りにあった国家連合体の名称です。 何故ドイツなのにローマという名称が付いているのか、と言いますと、神聖ローマ帝国の初代皇帝となったオットー一世がローマ教皇ヨハネス12世から古代ローマ帝国の継承者として戴冠したことに基づいています。この戴冠により神聖ローマ帝国が始まります。これが962年のことです。ちなみに神聖ローマ帝国は1806年まで続きます。 次にイタリア戦争ですが、貴方が辞書で調べたとおり、イタリアをめぐりフランスと神聖ローマ帝国が戦った戦争です。詳しくは参考URLを見て下さい。私が説明したいことが全て載っています。 最後に教皇と皇帝の違いですが、教皇は現在のローマ法王のことでキリスト教(カトリック)の最高指導者のようなものです。それに対して皇帝は帝国のトップ。つまり教皇が宗教上の指導者であり、皇帝は政治上の指導者、と位置づけられます。ちなみにイタリア戦争時の神聖ローマ帝国であったカール五世はスペイン・ハプスブルク家の人間でスペイン国王でもあります。(スペインでの名はカルロス1世)神聖ローマ帝国の皇帝は選帝候と呼ばれる七人の領主(ベーメン、ザクセン、ケルン、トリール、マインツ、ファルツ、ブランデンブルク)によって選ばれるという仕組みです。ちなみにローマ教皇はピウス二世という人です。 こんな感じで分かりますでしょうか?
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- Tacosan
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教皇はカトリックの最高聖職者という意味の権威であり, 一方皇帝は政治・軍事を指揮する権力. 権威と権力のどちらが力を持つかは, 時代によって異っています. 「皇帝が教皇に破門されて~」の時代は, とにかく「キリスト教徒 (というかカトリック教徒) にあらざれば人にあらず」のような状況だったのでした. で, 教皇に破門されるとなると当然ながらカトリック教徒ではなくなってしまいます. これは人としての扱いをされなくなることも意味しますので, 皇帝などといっていばることもなにもできなくなります.
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なるほど…大変よくわかりました。 どうもありがとうございます。
- cac31090
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Ans1の方の回答は間違いです。 古代ローマ帝国と混同されているようですね。 他の方がおっしゃっている通り、神聖ローマ帝国とは中世ドイツにあった諸侯の連合国家を指します。
お礼
ご指摘感謝します。 どうもありがとうございました。
- kareki2006
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名前に惑わされてはいけません。 また、現在の国家から歴史を推し量るのも間違いのもとです。 「ローマ」がついていても、「神聖ローマ帝国」は基本的にドイツを土台とした国家です。 古代の「ローマ帝国」の継承国家という意味で、そういう名前がついているにすぎません。 この概念のせいで、歴代の神聖ローマ皇帝は、ローマを手中に収めようと戦争を繰り返し、 自国(ドイツ)の内政がおろそかになり、国内は分裂して無数の領邦国家の寄せ集めと化しました。 そしてこのことが、ドイツ統一の遅れ→植民地争奪戦の出遅れ→財政難→無理な戦争(世界大戦)へと繋がっていくのです。
お礼
イタリアにある「ローマ帝国」を継承したのがドイツ王であったため、神聖ローマ帝国はドイツにあるんですね。 世界大戦までの経緯がよくわかりました。 どうもありがとうございます。
- Tacosan
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ローマ教皇はローマカトリックにおける聖職者の最高位. つい先日前教皇ヨハネパウロ2世が亡くなりベネディクト16世が新たな教皇に選出されました. なお, 「ローマ法王」と呼んでいた時期もありましたが, 現在日本カトリック司教団では「ローマ教皇」と呼ぶことになっています. ローマ皇帝は「ローマ帝国」の政治の最高権力者.
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やはり皇帝は「政治の上で」最高権力者なんですね。 いつかの授業で、「あまり権威のない皇帝が教皇に破門されると、諸侯たちに見放されて政治が行えない状態になる」という説明を聞きました。確か、カノッサの屈辱あたりで…。 この説明で、教皇の権力は皇帝よりも上なのかと思ったのですが、それぞれ別分野でのトップのようですね。それとも教皇・皇帝の権力は、その時代その時代でどちらが上か変わってくるものなんでしょうか。 回答ありがとうございました。
- 6dou_rinne
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追加です。 神聖ローマ帝国の皇帝というのは、はじめのうちはイタリアのローマまで行って教皇からの戴冠を受けた場合にのみ名乗れました。 同じ領域を支配していた場合でも教皇から戴冠を受けていない場合はドイツ王にすぎませんでした。 それから今のバルカン、北アフリカ、イングランドまでを含めたヨーロッパの広い地域を支配していたのはアウグストゥスを初代とするローマ帝国であり、神聖ローマ帝国の領域は今で言うとドイツ、ベネルクス三国、スイス、オーストリア、イタリア北部でした。
お礼
戴冠してもらってはじめて皇帝になれるんですね。 追記どうもありがとうございます。
- 6dou_rinne
- ベストアンサー率25% (1361/5264)
ローマ帝国はもちろんイタリアですが、その後の東ローマ帝国はいまのギリシャであり、神聖ローマ帝国はドイツです。 そもそも神聖ローマ帝国の根源というのは、もともとローマでは教皇よりもローマ皇帝のほうが上位にありましたが、西ローマ帝国が滅び東ローマ帝国の皇帝の宗主権を認めたくない教皇がフランク王国のシャルルマニューを皇帝として戴冠したことに始まります。 その後、カロリング朝は三つの国に分かれて滅びましたが、皇帝の地位は東の王国のあとをうけたドイツの王侯がうけつぎました。 これが神聖ローマ帝国の皇帝です。 また教皇とは、もともとはローマの司教でしたが、他のちいきの大司教とキリスト教徒のトップの地位を争い、滅亡する以前のローマ皇帝にキリスト教徒のトップとしての地位を認められ、今に至っています。
お礼
シャルルマーニュ…カール一世のことでしたっけ? 言われてみるとそこらへんも授業で習った気がします。 皇帝の位をドイツ王が継いだので、ドイツに神聖ローマ帝国ができた、ってことでいいんですよね。 どうもありがとうございました。
神聖ローマ帝国とは、古代ヨーロッパのほとんどを手中に収めた超巨大帝国の名前です。 現在のローマは、「当時ローマ帝国の首都だった場所」にすぎません。 今のローマ市はイタリアにありますが、神聖ローマ帝国はイタリア半島どころか、北はグレートブリテン島南部から南はエジプト付近までと、かなり膨大な領域を支配していました。 ゆえに、混乱の元になっているのは「ローマという地名はイタリアの一部である」という思い込みです。
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迅速なご回答感謝します。 どうもありがとうございました。
お礼
962(苦労に報いるオットー戴冠)と覚えたのを思い出しました 笑。解りやすい説明ありがとうございます。 宗教上の指導者と政治上の指導者ですか…。丁度、カリフとスルタンのような位置関係になるんでしょうかね? サイトも参考にさせて頂きます。