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織田信長について
基本的な質問ですみません。 信長を知る上で最も重要な史料と言われる「信長公記」は、誰が、何のために書き、本能寺の変の真相についてはどのように記載されているのでしょうか?? また、これが現代語訳されたモノ(素人でも読めるようなもの)も販売されているのでしょうか?
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>基本的な質問ですみません。 信長を知る上で最も重要な史料と言われる「信長公記」は、誰が、何のために書き、本能寺の変の真相についてはどのように記載されているのでしょうか?? また、これが現代語訳されたモノ(素人でも読めるようなもの)も販売されているのでしょうか? 信長の右筆であった太田牛一が、江戸時代の初めに書いたものです。書いた理由は追憶と顕彰のためではないでしょうか。本能寺の変については、下のURLに原文の資料がありますので。 http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/sintyokouki_16.pdf http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/kouki.html(一覧) なお、「信長公記」は、新書版を含め数種類発売されていますので、簡単に手に入れることが出来ます。現代訳もついています。 以上、参考までに。
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- dongri5656
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「信長公記」は第一級の歴史資料ではありません。 政治家の本より少しましという程度です。これは歴史家の 一致した意見。したがって書かれているすべてを信用するの は考え物です。
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ありがとうございました!
- dora501
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信長公記は確かに貴重な資料で大筋の行動には間違いがないようですが、作者は信長の家臣・書記役なので信長の自伝くらいに捉えた方が良い様ですよ。 信長生前の最後は事実上の天下人でしたが、次の天下人は子飼いの豊臣秀吉でその次は追従同盟者の徳川家康とその一族。 信長以後の彼らは天下人になる過程で先の天下人やその家族を踏み台にしてますが、彼らにとっては信長生前の関係で信長を貶める事は自分を貶める事と同じなので都合の悪い事は表に出しません。 信長・秀吉・家康~徳川家の天下人リレーでかなり自分達の都合の良いようにされているようです。 倒幕後に江戸幕府が明治政府に正史として提出した徳川実紀は、かなり都合よく記述してある事を江戸幕府じたいが認めて申告したと云いますから。
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ありがとうございました!
- Kiriyama-taicho
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加藤廣著の「信長の棺」という小説があります。松本幸四郎主演(太田牛一役)で テレビドラマにもなりました。このドラマはフィクションですが、その中では 豊臣秀吉が太田牛一に命じて書かせていますね。
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ありがとうございました!
- 川原 文月(@bungetsu)
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こんにちは。 >>「信長公記」は、誰が、何のために書き、本能寺の変の真相についてはどのように記載されているのでしょうか?? 著者は信長の家臣であった太田牛一という人物で、「信長公記」は江戸時代初期に成立しました。当然、信長の家臣でしたから、ある程度、信長を賞賛するように有利に書かれた部分も多いと思います。 太田牛一(おおた ぎゅういち、うしかずとも呼ぶ)大永7(1527)年~慶長18(1613)年3月、は戦国時代の人物。和泉守。牛一が実名か号かどうかは諸説あるが、信定(のぶさだ)、とする説もある。通称は又助(またすけ)。また、実名を資房、信長の右筆(文書の代筆掛り)であったとする説はよく見られるが実際は誤り。牛一の読みは、ぎゅういちと呼ばれているが、晩年に、本人が「ぎゅういち」から「うしかず」に名を改めたという説がある。 尾張国春日井郡山田荘安食村(現名古屋市北区)に生まれる。織田家家臣柴田勝家の下に仕えるが、弓の腕を認められ、織田信長の直臣となる。1564年、美濃斎藤氏の堂洞城攻略では弓をもって大活躍したという。その後は側近として、主に政治的手腕をもって内外の諸問題を広く治め、本能寺の変の際には近江国の代官を務めていた。変後には丹羽長秀に2000石をもって仕えたが、後に豊臣秀吉に召し出され、文禄2年(1593年)には弓大将として肥前名護屋に在陣。翌3年(1594年)、明使の接待をつとめ、慶長3年(1598年)の醍醐の花見では秀吉の愛妾三の丸殿の警護を務めた。慶長18年(1613年)3月、病死。子孫は孫の宗古が前田利常に仕え、以来加賀藩士として続いた。 文才に優れ、信長・秀吉・秀次・秀頼・家康の軍記などを著述したが、信長の一代記である『信長公記』が特に有名。晩年は、大阪天満にて隠居生活を送る。 「信長公記」の原文は、こちら・・・。 http://www.page.sannet.ne.jp/gutoku2/kouki.html 現代版はこちら・・・。 http://home.att.ne.jp/sky/kakiti/shisaku.html 本の購入はこちら・・・。 http://item.rakuten.co.jp/book/816662/
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ありがとうございました!
- heinell
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Wikipediaにかなり細かく書いてありました。
お礼
ありがとうございました!
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