- 締切済み
フランスの陸軍について
第2次大戦でのフランスは、わずか1ヶ月程度でドイツに降伏しています。 ドイツの電撃作戦が優れていたとはいえ余りに弱すぎます。 フランスにも原因があったのでは?と考えています。 第一次大戦当時は陸軍大国だったのに弱くなってしまったフランス側の原因を教えてください。
- みんなの回答 (5)
- 専門家の回答
みんなの回答
- himurokorosuke
- ベストアンサー率38% (24/62)
おはようございます。 フランス軍が負けた理由として下記が原因だと思います。 1、フランス軍は、マジノ線と呼ばれる大要塞を作ったのですが、 ドイツ軍は、中立国から攻め込んでマジノ線の背後から攻撃してきた。 2、フランスは、要塞などの防禦に力を注ぎ込み、ドイツ軍は戦車など機動力ある 機甲師団を集中して使用した。 3、フランス軍の戦力は数では、ドイツ軍よりも多かったが、飛行機や戦車が 三流の性能でしかなかった。 4、第一次大戦での仇をとろうと、ドイツ軍の士気が高かった。
- GratefulDead
- ベストアンサー率68% (101/147)
前の方々の回答とだぶりますが。。。 アルデンヌの森のマジノ線セダン要塞が万全であると信じていた為、ベルギー国境フランス北西部に主力を配置していましたが、セダンが簡単に陥落してしまうことで主力部隊は背後をつかれ仏北西ダンケルクに包囲され身動きが取れなくなってしまったのが原因でしょう。 セダン陥落でフランスの戦争は終わってしまいました。。。 #3様。 パリの破壊を嫌ったのは独軍パリ防衛司令官のコルティッツ将軍だと思います。 連合軍にパリを包囲されると、ヒトラーからパリ破壊命令が出ていたにも関わらず、コルティッツはパリの文化財を保護するという自らの信念で、無抵抗で降伏しました。 仏政府がパリを離れる際には「無防守都市宣言」をしているのでパリ市内で戦闘が行われる心配はありませんでした。
- Eivis
- ベストアンサー率29% (1122/3749)
どなたか詳しい方に引き継いでもらいたいのですが、、、 私の記憶ではドイツ軍による【パリの破壊】を嫌い、早々と降参したという有名な話があるのです。。。 戦時中、日本の【大和魂】と文化国フランスの腰抜けぶりとを比較、揶揄した文章を書いた文化人がいたのですが思い出せません。 #2の方の書かれているフランスの厭戦気分と言うのは、第一次大戦の勝利者にもかかわらず国民の生活がよくなった訳でもなく 戦争は単に前世紀社会のシステム崩壊の引き金に終わっただけでそれ以上のものを生み出せなかったからとも云えるでしょう。
- netcatme
- ベストアンサー率20% (76/371)
第一次大戦後、反戦厭戦気分が広まり志気が下がっていたらしい。 その前にドイツが条約を破って川越えしたときにドイツを沈めていれば・・・
- cse_ri2
- ベストアンサー率25% (830/3286)
フランスが敗れた原因は「機甲部隊」がなかったことです。 戦車と(機械化されていない)歩兵を同一部隊に配置して いたため、戦車の機動性が完全に死んでいました。 それから、ドイツの作戦も完全にフランス・イギリス連合軍 のウラをかいていました。 第一次世界大戦と同様、海岸部を進撃するとフランスは予想 し、マジノ線という要塞ラインまで築いていたにも関わらず、 ドイツ軍は内陸部のアルデンヌの森から攻撃をしかけ、機甲 部隊の機動力にモノを言わせて進撃し、連合軍を包囲する ことに成功しました。 こうなってしまっては連合軍に勝ち目はなく、ダンケルクから 撤収するのが精一杯となります。 もっともドイツ側もこれだけ成功するとは思っていなかった ようで、ダンケルクに進軍直前だった部隊を数日止めてし まったために、ぎりぎりのタイミングで連合軍に撤収を許 してしまう結果となります。