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シェリーフェンプランで

第一次世界大戦中にシェリーフェンプランでベルギー国境を抜けるという作戦をアルデンヌの森を抜けるという作戦に切り替えたら、イギリスは参戦せず、フランス軍のみを相手にする戦いになるので、6か月でドイツ帝国側の勝利になると思うのですが、この関係にお詳しい方、宜しくお願い致します。

みんなの回答

  • eroero4649
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回答No.5

#3です。 浸透戦術は、ドイツ軍が何十万人もの死傷者と引き換えに第一次大戦中に編み出した戦法です。第一次大戦開戦当時にはそのような用兵思想がなかったので、それは使えないですね。「バトルオブブリテンでMe262があったら」って言い出すようなものです。 また日本人及び日本軍は夜襲がとにかく大好きですが、夜襲というのは部隊のコントロールができなくなる戦法なんです。だから日本軍以外はほとんど好まなかったのです。日本軍が夜襲を偏愛したのは、火力でどうしても劣るからそれをどうにかするにはもう夜襲しかないよねという理由なんですね。元々日本陸軍は運動戦志向というのはあるのですが。ただ、その運動戦志向も運動戦が好きというより火力は用意できないから運動戦にしようという消去法的な考えなんですが。 夜間浸透戦術だと、相互の部隊の連絡がまったく途絶するからその日の夜だけは敵軍を混乱させることはできますが、翌朝はこっちも「どこの部隊がどこにいるか分からなくて連絡がつかない」という大混乱状態になりますよ。実際、日本軍もそればっかりでした。ガダルカナルでも、サイパンでも沖縄でも日本軍の司令部が各部隊と連絡がとれなくなってことごとく攻撃は失敗したのです。サイパンや沖縄あたりになると米軍も対処法を覚えたので、米軍も混乱しなくなってきたのです。夜襲って基本的には小手先のテクニックなんですよ。 騎兵は、難しいですね。第一次大戦では騎兵の居場所は正直どのような運用でもなかったと思います。日露戦争で日本軍は騎兵に機関銃を与えて機関銃を攻撃的に運用することを試みましたが、成功しませんでした。騎兵というのは、投入すると必ずその騎兵部隊そのものが混乱状態になるという欠点があるのです。これは鉄砲が登場する以前からそうです。 だから騎兵というのは戦術的に決定的なところで投入されないと成功しないのですね。ワーテルローの戦いでネイ将軍は騎兵の単独突撃を行いますが、見事に失敗しています。あれが騎兵の運用の典型的な失敗例だと思います。 おそらく質問者さんが想定しているのは、騎兵を第二次大戦の戦車のように運用する電撃戦スタイルだと思いますが、それは第一次大戦の騎兵には無理ですね。理由は、騎兵には火力がありませんから。騎兵単独で陣地を突破する能力がないからです。それは戦車の登場を待たないといけないのです。

ithi
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 ああ、機関銃ですか?それでは騎兵単独では突破能力がないのですね。

  • jkpawapuro
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回答No.4

アルデンヌ侵攻はもちろんですが、シュリーフェンプランも機甲部隊なしにはできない作戦です。 シュリーフェンプランはドイツ軍右翼がフランス軍左翼を突破しさらに後ろを包囲しフランス軍主力を包囲するってものですが、そのために必要な速度が一日40km侵攻です。 歩兵が一日40kmってそれていつ戦っていつ寝るの?wってレベルですからはっきりいって不可能ですよ。まあ相手の逃げ足より早く後ろに回り込むって作戦ですからねえ、常識的に考えたらおなじ二本足の人間同士で成立する作戦じゃありません。

ithi
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 一日40km、第2次大戦当時の機甲部隊でもかなり速いスピードですね。

  • eroero4649
  • ベストアンサー率32% (11073/34515)
回答No.3

補給が続かないので、それは上手くいかないです。といってもシュリーフェンプランも補給の見地からすると「実現不可能」なんですけどね。 第一次大戦当時の主な補給手段は、鉄道です。それか馬を使うしかありませんでした。ご存知の通り、第一次大戦は膨大な大砲の弾薬を消費しますから、大砲の弾薬を運ぶ手段がないといけなかったのですが、大型の大砲の砲弾は、馬車ではそんなに大量に運べません。馬を大量に用意すると、その馬自身が膨大なかいばを必要とするのです。ガソリンさえ用意すればいい車とは訳が違うんですね。 第一次大戦に遡ること約10年前に、その前哨戦のような戦いが起きました。ご存知日露戦争です。日露戦争の二〇三高地では、機関銃陣地の前に日本軍が苦戦したという話はご存知だと思います。その後、第一次大戦になるとこの機関銃陣地はまさに無敵モードとなりました。たった2丁の機関銃に守られたドイツ軍の機関銃陣地の前に、フランス軍の1個中隊約200人が全滅させられたということも起きたのです。 アルデンヌの森は、防御に適した場所です。後の第二次大戦でも、ドイツ軍はヒュルトゲンの森の戦いでアメリカ軍に大損害を与えています。あまりにアメリカ軍にとって大きな出血だったので、天下のアメリカ軍も長いこと隠していたほどです。おそらくアルデンヌの森で機関銃陣地をもって防御したら簡単に止められたと思います。 とにかく、第一次大戦というのはある種の「防御側無敵」が完成した時代だったのです。周到に用意され、機関銃で防御された陣地は絶対に突破できなかったのです。だからあの延々たる塹壕が作られたんですね。 二〇三高地の戦いでも日本軍は可能な限りの大砲は用意しましたし、第一次大戦でもドイツイギリスフランスどこの軍もものすごい数の大砲で機関銃陣地を無効化しようと頑張ったのです。ところが大砲でそこらじゅう穴だらけにすると歩兵の前進の足がとられ、そうこうするうちに機関銃陣地が立て直されて銃撃されると打つ手がない、という状況に陥ったんですね。また歩兵の迅速かつ大量の展開には鉄道の存在が欠かせなかったのですが、鉄道ってのは自動車に比べるとあらかじめ敷かれた線路ぞいじゃないと使えないので、当然敵側も対処は楽なわけでどのみち手詰まりになるのです。

ithi
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 実は普仏戦争でプロイセン軍は補給の限界点に達したそうです。だから私は ただ、右翼ばかりに兵力を詰め込んだ本当のものではなく、小モルトケの修正案でも無理でしょうか?場合によったら、夜に紛れて得意の浸透戦術もありかなと思います。後は騎兵頼みですかね?

回答No.2

schlieffenーplan(シュリーフェンプラン) ですね。 仏を早期に叩き、反転してロシアを攻撃するというドイツ時間差 二正面作戦の、対仏攻撃プランです。 第一次世界大戦と第二次世界大戦でのフランス攻撃に用いられました。 ベルギー経由の攻撃ルートでパリに迫る作戦です。 第一次世界大戦は、ドイツ+オーストリア等と、          仏+ロ+英等 の戦争でした。 ドイツの進出を牽制した英国は仏ロにつきました。 作戦内容が変わっても英国の参戦は変わりません。 第二次世界大戦でもベルギー経由でフランスに侵入し、英仏軍を ダンケルクで一掃しました。 侵入はマンシュタインの提案でアルデンヌの森から行い裏をかいた ものです。まさか森から戦車が来るとは思わないでしょう。 前年のポーランド侵攻で英仏はドイツに宣戦布告しています。 いずれもドイツは、主に米国の参戦が契機で敗戦となりました。

ithi
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 おそらく6か月という短い間だったら、英国軍は準備段階でフランスは降伏すると思ったのです。また、東部戦線はHLコンビのタンネンベルク会戦で数か月は稼いだでしょう。

  • jkpawapuro
  • ベストアンサー率26% (816/3045)
回答No.1

まずイギリスの対応ですが、フランスがドイツに席捲されるのはイギリスにとってもマイナスです。ベルギー侵攻をしなくてもどこかの時点でイギリスは参戦するでしょう。 次に侵攻路としてのアルデンヌですが、ここは軍事的には道なき道です。 第二次大戦はフランスの無防備だけでなく一方通行の狭い道を完全に機械化(自動車化)されたドイツ軍がいっきに駆け抜けることにより奇襲を成立させています。逆にいうと第二次大戦ほどの進軍スピードがない第一次大戦時代(徒歩になります)におなじことをしようとしても、隘路を突破するまえにフランス軍が到着し狭所を閉塞されてドイツ軍が進むも引くもできず立ち往生、その間に山岳部隊に両脇をつつかれて分断されて壊滅と言う最悪の構図が想像されます。 常識的に考えれば戦術上最低で下の下です。 まあ第二次大戦だって同じことを考えられてそれでも投機的作戦が大好きなヒットラーが推し進めて大成功したので、素人がだめだと簡単にいうのは軽率かもしれません。戦術上ありえないと思うからこその奇襲ですし。

ithi
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 機甲部隊がないとできない戦術なんですね。

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