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戦国時代の武士は欠けたり凹んだりした刀(太刀)をどのように手入れしていたのか。
戦国時代は、戦が多く刀(太刀)を使うことも多かったと思います。 そこで、戦国時代の武士は欠けたり凹んだりした刀をどのように手入れしていたのでしょうか? 研いでしまえば、刃がすり減ってしまってだんだん使えなくなってしまうだろうし、1回の戦で相手の武士に刀をぶつける回数は数えきれるものではないと思うので必ず痛むと思います。 そこでどのように欠けたり凹んだりいた刀を手入れしていたのかを教えていただきたいです。よろしくお願いします。
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ちょっと誤解があった様なので補足します。 戦国以前でも「銘刀を家臣や息子などに遣わす」事はありましたよ。「武士の魂」と言われる様になったのは確かに江戸以降ですが、それ以前であっても「値打ち物はやっぱり値打ち物」ですから。 ただ、江戸時代になって「刀が実用品ではなくなった」事から、実態以上にブランド化されただけです。 どういえばいいんでしょう、自動車で考えれば、江戸より前は「スピード制限が無かった」様に考えてみてください。こうなると、高性能スポーツカーは飛ばし放題ですから、何百馬力が「実用的価値」を持つ訳です。何千万もするスポーツカーでも「バンバン飛ばす」訳。それでも、何千万もすると言う価値は確かにある訳です。 これが江戸時代になるとスピード制限が加わり、何百馬力に「意味が無くなる」訳です。値段は変わらないながら、スポーツカーだろうが軽自動車だろうが実用的には同じになる。 そこでスポーツカーに乗れる人は「魂」とかなんとか、実態以上にブランド志向をする。 そういう事です。 つまり、戦国以前の銘刀は「実用価値のあるもの」で、当然「形見」として与えたりする事もある訳です。尤も「よっぽどの銘刀でもなければ実戦に使ってしまう」訳ですけど。 江戸以降の銘刀はもはや「実際に斬れるかどうかは大して関係ない」。逆に「値段を考えれば勿体なくて試し斬りも出来ない」。 そういう違いです。
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- Scull
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お手入れは普通に研いだりしてお手入れしますよ。 もちろんドンドン禿びていきますから、ある程度小さくなった刀は今度は小刀などに仕立て直します。伝家の宝刀なんかも、実は結構仕立て直されていて、小刀になっていたりします。 戦国時代でも本当に大事にされた宝刀は「極一部」で、結構「ある程度の銘」であればガンガン実戦に使われました。 博物館入りしている名刀の多くは、今では「到底実戦に耐えない」ほど傷んでいるそうです(見栄えは良くても、斬ったとたんに刀身が折れたり曲がったりするほどだそうです)。 戦国時代ではほとんど「槍で戦われた」のはそのとおりですが、「刀は武士の魂」と言われる様になったのは江戸時代以降の話です。戦国時代であれば、刀も単に「数ある武器(道具)のうちの一つ」でしかありませんでした。
- oska
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>そこでどのように欠けたり凹んだりいた刀を手入れしていたのかを教えていただきたいです。 生身の動く人間は、5人以上切ると、刃こぼれが起こり、刃に脂肪油が付き、実戦には利用できなくなります。 (江戸時代のお試し切担当、山田朝衛門も死体を切るのは3太刀までです) 従って、戦場では「倒れている兵が持っている刀」を奪いとって利用する場合が多かったようです。 結局は、皆さんの回答にあるように使い捨てです。 先祖伝来の名刀とか備前長船の名刀とかいう「名刀」は、戦闘で使う事はありません。 下級武士とか戦時に借り出される雑兵は、戦闘が終わると敗者の鎧兜・刀を収集しています。 本来は「犯罪行為で、見つかると処刑もの」ですが、戦目付けは見て見ぬふりをする事が多かったようです。 収集した鎧兜は質屋で換金したらい、溶かして鍋釜や農機具になっています。 (1945年敗戦後も、隼・ゼロ戦が解体・溶解され、鍋釜になってます) 刀の場合は、再度刀鍛冶にもっていき新たな戦闘用刀に生まれかわります。
お礼
>生身の動く人間は、5人以上切ると、刃こぼれが起こり、刃に脂肪油が付き、実戦には利用できなくなります。 (江戸時代のお試し切担当、山田朝衛門も死体を切るのは3太刀までです) なるほど。もし槍が使えなくなった場合は一応刀を抜くでしょうが5人ぐらいしか切れないなら2~3振りぐらい腰につけていた武将のいたのかもしれませんね。 >下級武士とか戦時に借り出される雑兵は、戦闘が終わると敗者の鎧兜・刀を収集しています。 >先祖伝来の名刀とか備前長船の名刀とかいう「名刀」は、戦闘で使う事はありません。 先祖伝来のものは悪く言えば飾りものにすぎないということなのですね。 古い(長い歴史をもった)ものを大切にしようとする日本人の心はいいものだと思います。 盗むということでしょうか?敵の領地の民家を襲って兵糧も集めていたようですね。 ご丁寧にありがとうございました。
- Shirozaru9
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戦国時代の戦闘では、刀で斬られて死んだ人はかなり少ないと聞きました。 刀を使うのは、よほどの接近戦か、討ち取った証拠を残すために首を取る時くらいだったようです。 多くの雑兵は、長槍で戦いました。腕の立つ兵は、弓矢や鉄砲で戦いました。どちらも、遠くから敵を狙える物です。 そして、知恵のある将校クラスは、自分で戦わず、「采(さい)」という房(ふさ)を振るって兵に命令して戦っていたのです。
お礼
>戦国時代の戦闘では、刀で斬られて死んだ人はかなり少ないと聞きました。 へぇ。これは時代劇の時代考証や演出ではみられませんね。 >多くの雑兵は、長槍で戦いました。腕の立つ兵は、弓矢や鉄砲で戦いました。どちらも、遠くから敵を狙える物です。 板垣信方(武田家家臣)は馬に乗ろうとしたところを槍で突かれて討ち死にしたと聞いています。もちろんその時の状況もあったかもしれませんが、やはり遠くから敵を狙える武器であったからこそうち取れたのですね。 丁寧お答えいただきありがとうございました。
- debukuro
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戦のときは戦国刀といって反りの大きい戦闘用の刀をいくつも持っていくのです 戦闘では武士の象徴とされる高級な刀は使いません 研いで使えるものは研ぎ直しをしますがもともとは使い捨てです
お礼
なるほど。江戸時代と戦国時代の刀の価値は全く違うのですね。 高級ではない刀というのは今で言う「使い捨てカメラ」のようなものでしょうか。 ありがとうございました。
お礼
>博物館入りしている名刀の多くは、今では「到底実戦に耐えない」ほど傷んでいるそうです(見栄えは良くても、斬ったとたんに刀身が折れたり曲がったりするほどだそうです)。 へぇ。意外ですね。次博物館行くときはそのことも考えながらよく見てみたいと思います。 >「刀は武士の魂」と言われる様になったのは江戸時代以降の話です。 そうすると、「わしの形見じゃ」とか言って脇差を渡すシーンが去年のNHK大河ドラマ「風林火山」にも似たようなのがありますがあれはきっと創作と考えるべきなのでしょうね。 なるほど、詳しく教えていただきありがとうございました。