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「逆マザコン」というのはなぜ心理学用語にないのか?
「マザコン」の概念は一般的になりましたが、その反意というのはどうしてないのでしょうか? なるべく母親とは違ったタイプにあこがれる←母親への嫌悪がある。もう子供時代からの関係にいやになった、新しい歴史を作りたい。。。 というような概念「逆マザコン」なるものがなぜないのか不思議です。もちろん「逆ファザコン」「逆ブラコン」「逆シスコン」でもいいわけですが、それらもありません? むしろ実態はそっちの件数のほうが多いのではないでしょうか?ないとは腑に落ちないのですが、なんでなんでしょうか? もちろん、多くはシンプルな感情ではなく、愛憎一体となったものだとは思うのですが、しかし、実例があるのですから、そういう割合が多いほう(嫌悪)を問題にしてもいいはずだと感じます。
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こんばんは。 基本的には#1様、#3様に賛成なのですが、 細かく分析すると、いろいろな名前が付けられているようですね。 興味深くこのスレッドを拝見させていただいております。 他の回答者様と重複する部分もあると思いますが、 まず「コンプレックス」というのは、 「情緒的に強く色づけされた表象の複合」と定義されていて、 抑圧されながら無意識のうちに存在し、 現実の行動に影響力を持つ体験・それに起因する心理状態のことです。 ある「もの」や「こと」や「ひと」に「こだわる」こと、「執着する」こと、 「気になって仕方がない」こと、とも言えます。 ですから、 「大好きすぎて、あるいは依存しすぎて、他のことに影響が出る」というのも、 「大嫌いすぎて、あるいは回避しすぎて、他のことに影響が出る」というのも、 どちらも「コンプレックス」と言ってよいと思います。 正反対の事象のようにも見えますが、 共通しているのは、「無関心ではない」ということです。 無関心ではないからこそ、いろいろな感情が発生します。 「愛」か「憎」か、 慢性的にどちらかの感情しか持つことができない人、というのは、 そんなにいないんじゃないかと思います。 もし、「愛」か「憎」かどちらかの感情しか認識できないのだとすると、 その人は、自分が傷ついたり混乱したりしないよう、自分を守るために、 あるいは、自分が納得できるように、 わざわざ一方の感情を認識しないようにしているのではないか、とも思います。 garconさんがおっしゃるところの「逆マザコン」に付けられている 名称についてはよく分からないのですが、 あえて大ざっぱな捉え方をすると、 「防衛機制」の中の「反動形成」に該当するのではないかと思います。 本当は、母親に愛されたくて仕方ない、 本当は、こんな風に愛されたい、 だけど、思うように愛してもらうのは、なんとなく無理な気がする。 だから、自分の「本当は愛されたい」という感情は、無かったことにしよう。 いや、それだけじゃ足りない。 自分は、この女を憎んでいる、ということにしておこう。 憎んでいる、と思い込むことに「決めた」のだから、 正反対の人を求めている、と思い込むことにしよう。 このような経緯でこのような結果になっていることが案外多いと思うのです。 「防衛機制」というのは、 自分を守るために、無意識的に行われるため、 本人も「防衛機制」が働いていることに気付かない場合が多いと思うのです。 余談ですが、この質問を拝見して 「すっぱいぶどう」 「あまいレモン」という言葉を思い浮かべました。 http://www8.plala.or.jp/psychology/topic/gourika.htm 今回のご質問のケースの場合、 求める愛情が手に入らないとき、 そしてその現実を受け入れるのが困難なとき、 「あんな愛情なんか欲しくなかったんだよね。あの女キライだし。」 というような「合理化」が行われている、とも思えます。 しかしこのような「どうしようもない人間らしさ」を眺めていると、 人間おもしろいな~健気だな~と思いませんか?
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- HIKARU 0321(@HIKARU0321)
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>学問化されないというのはやはり不思議で、こんなことは人類近代史以前から起こっていた、もっとも頻繁に起こるようになったのはここ最近何十年だと思われますが。それが一向にないようです。>>アンチマザコンは奨励されるべきだから、その普通さに対してあえて用語がないということかもしれません。 ふと気づいてみれば私も”アンチ”・ファザコンでした。笑。 物心がついた頃、無口な父は理由を言わずに彼の頭を掴んでゴミ箱に突っ込んだのを覚えています。 一言を発して吹っ飛ばされた事もありました。理解できませんでした。 父の休日である土日はいつも難しい顔してました。 父の平日は朝は6時過ぎに会社へ出勤し、夜11時ころ帰宅していました。 もちろん彼は日常的に会うことはありませんでした。 ただ幼い頃、私が強く思っていたのは”父のようになりたく無い”です。 中学時代、高校進学時に”日本の良い高校へ行き、良い大学へ行き、良い会社に入る”のはとても”馬鹿げている”と感じていました。 それはとても”ツマラナイ最悪の人生だ”と無意識に感じていたのは父に対する反抗心があったからかもしれません。 あの頃の夢は日本の高校に行かずに外国に出る事でした。 しかし、父の一言で日本の高校へ進学した私の毎日は最悪だったのを覚えています。 つまり、父に逆らう事は一切できませんでした。 あれから数年経ちました。 もちろん今では父の言っていた意味(?何も多くは言いませんが。笑。)は理解できます。 しかし、何も理由を言わなかったあの頃の父をあの時代、とても憎んでいました。理解できないので。 結果的に父は平社員からのし上がったサラリーマン社長でした。 世間一般社会からみたら立派な人でしょう。 私からみたら”一番”成りたくない人物像です。笑。 ”良い大学に入り、良い会社に入り、家庭を振り返らず仕事に命を捧げる日本サラリーマン” 現代版武士的な日本人の典型的尊重される姿かもしれません。 私は一番”最悪”な生き方と感じます。笑。 せっかく生きているんだから人生を有効に楽しみましょう。 そんな気持ちです。 父の姿を見て学びました。 答えを出します。 >学問化されないというのはやはり不思議で、こんなことは人類近代史以前から起こっていた、もっとも頻繁に起こるようになったのはここ最近何十年だと思われますが。それが一向にないようです。>>アンチマザコンは奨励されるべきだから、その普通さに対してあえて用語がないということかもしれません。 学問になってそうですけどね。 多くの人達はその”アンチ”的な気持ちを乗り越えて一人前になっているのかもしれません。 私もようやく初めて”父の反対”を押し切り、自分の意思に基づいて生活しています。 私の父も祖父に対し”アンチ”精神があったかもしれません。なぜなら祖父は戦後、”アル中”だったので。笑。 祖母の内職、営業などで父は大学を出、祖母の努力で下の妹たちを育て上げたそうです。当時は典型的戦後貧乏家族だったようです。 母いわく、祖父は父に対してより厳しかったと祖母から聞いてるそうです。 そうやって多くの日本人?は”アンチ精神”を持ち強くなっている人もいるかもしれません。
お礼
たいへんわかります。貴重な実体験ありがとうございます。 「アンチ」は常に存在しますね。
- HIKARU 0321(@HIKARU0321)
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>結局、思いやりというのは、「滅私」ではないということがあります。 >それに近いものもあるけれども、かなり遠いものが多い。 それは資本主義的考え方ですね。 ”利益ありきで労働する。” ”不利益・無償の労働はしない。” 個々人によって”思いやり”の程度・する動機は違うでしょう。 しかし、多くの人に愛情を与えられた人、”思いやり”をもってされた人は同じ事を人にします。 ある日お寺のお祭りがあるからおいでと尼さんに誘われました。 知らない町で、人に聞きながらお寺を探しました。 気づいたらその町のキリスト教会の集会所?に着いてました。 夏の暑い日、だいぶ歩き疲れて困った姿を見たキリスト教信者の夫婦が車でお寺まで送ると申し出てくれました。 その行為に感謝して甘えると別れ際にみかん一袋を「美味しいから食べな。」と笑顔でくれました。 これは本当に”滅私な思いやり”だと思います。 私が見てきた中で、プロテスタント信者と創価学会信者に多いのが純粋に良い人達です。 日本でも少しずつ”ボランティア精神”が芽生え始めてます?が、 日本の都市社会での多くは”お金・利益”という対価があってはじめて動くという精神が強く息づいてる感じがします。 >無教養でいやだ、と感じる背景は何なのか、そこに背後の愛情が足りないのかそれは十分なのか過度なのか、難しいところです。 ”無教養”という言葉の背景は? どうして”無教養が嫌なんでしょう?” つまり、”教養”とは?学歴? ならば”学歴が無いのは嫌だ”と言い換えられますか? >「愛」がすべての基準なのだろうか?それさえ疑問です。 行き過ぎた資本主義社会では”愛”=”糞”なのかもしれません。 ”お金と時間が一番”という精神が強いのかもしれません。 >無意識の操作って言うのは大きいんですよね、操られている。それに気づくのは大変なものです。よっぽどのことがないと表に出ない。生物としての人間は不思議なものです。 無意識の操作とは?具体的に?例をお願いします。 >学問化されないというのはやはり不思議で、こんなことは人類近代史以前から起こっていた、もっとも頻繁に起こるようになったのはここ最近何十年だと思われますが。 アンチマザコンであることは動物学的にも生存する為にも倫理的にもあり得難い概念だと思われます。 これは”行き過ぎた資本主義社会”が故に発生した概念でしょう。 >それが一向にないようです。>>アンチマザコンは奨励されるべきだから、その普通さに対してあえて用語がないということかもしれません。 て奨励されるべきかの理由はより進化する為? >食生活と体系は関係あり、日本人には自然な日本食の体系がよいのです。 もちろんそうです。 しかし、”資本主義社会”が求めるのは最小の労力と時間、コストで”最大の利益”です。 食品を販売する上でローコスト(人権費・時間・食材)の物はなんでしょう? ファーストフード等のアメリカ系の食事です。 韓国料理の”値段の張る”理由は”労力”をかけています。 その中で、お金を節約したい若者、家族は安い(アメリカ系)食事を選ぶでしょう。 >いずれにしても、アンチ~コンは憎悪的感情ですから、いいことなどありはしません。 それなら奨励はしないでください。笑。
- HIKARU 0321(@HIKARU0321)
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回答をまだ深く理解しきれていませんが、(ごめんなさい。時間がある時にします。) ちょっと矛盾?疑問を感じたので質問します。 >アンチマザコンは奨励されるべき >いずれにしても、アンチ~コンは憎悪的感情ですから、いいことなどありはしません。 と発言しています。 つまり、”良いことなどありもしない憎悪的感情なアンチ○○コンは奨励されるべき” とはどういう意味でしょうか。
補足
私自身推敲していないので、申し訳ありません。 アンチは、甘えが少ないから奨励されるべきところもあるが、憎悪感情もあるから基本的にはない方がよい、円満な通常コンのほうがいいだろうという2重感情があります、。
- HIKARU 0321(@HIKARU0321)
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>「愛された」「愛されなかった」というのもあるのでしょうが、「愛されてもうれしくなかった」「愛されなかったかもしれないが結構うれしかった(これはあまりないとはおもいます)」というような感情を味わった場合、それはどうなのかと思います。 本当の”(親の)愛”とはなんだろうか? それは学問的に言うと”アガッペ”と言うらしいけど(外国人の友達いわく。たぶんギリシャ語?ラテン語?)、”無償の奉仕”なんだよね。 それは”見返りを求めずに労力、時間、心、すべてをその人(子)の為にベストになるように、捧げる”ことなんだよね。 それって誰にされても誰でも全く嬉しくないかな? たとえば身近な例で言うと、素敵な異性に恋をしました。 本当に愛してるのでその人の為にその人が望む事は何でもしたいです。 「目の前から消えて」と言われたら喜んで消えます。 なぜならその人を愛してるから。その人にそれがベストだと思ったらそれで充分です。 その人に別の恋人が居ました。その人が幸せになるためなら喜んでその恋をサポートします。 最終的にその素敵な異性は恋人と結婚をしました。 それはそれでとても嬉しい事です。なぜなら本当に愛する人が幸せになるのだから。 ただ相手は自分ではなかった。ただそれだけです。 でもその愛する異性が幸せなら自分もまた満足です。 確かに”見返り”を求めてされる”愛もどき”は嫌かもしれない。 それはとてもイヤラシイし、けがわらしく感じる。 所詮、自分が一番大事。「愛してる」とは言うけど、 その見返りを求める時に”ああ、自分自信が一番愛してるんだね。ただ愛する自分自身のために利用してるだけね。”と判ります。 そんな”愛もどき”は嫌ですね。 もしかしたら世にある”ストーカー”もそうかもしれない。 若い子に多いのが「なんでこれだけ愛して、あれもしてこれもしたのに私に振り向いてくれないの!」 という言葉を聴くと冷めます。いや、それは自分がしたくてしてるんだろ? 相手の迷惑も考えずに。自分が可愛くてしてるんじゃなくて?と(酷い?)アドバイスをします。笑。 「私ってなんて素敵なんだろう?大好きな人にただ挨拶するために毎日、帰りを待ってるなんて。」 あぁ、恋してる自分に恋してるんですね。笑。とても素敵なことです。 >たとえば、生まれが卑しかった、両親が無教養だった。しかし愛情は合って人間的には隙であったが、こういう全体的な雰囲気は嫌いでどうしても文化的になりたかった(野口英世なんて好例ですよね)そういうばあい、どうしても一種の嫌悪を抱くのが普通だと思われます。だから、「やっぱり、母親と違ったタイプの女性がいい!」と希求しますね。 もちろん逆もありますね。冷たく愛情がなかった(と感じた)が非常に文化的な過程だった。だから、自分は文化的よりより愛情とか人間的な女性(男性)が欲しい。 たとえ生まれが卑しくても卑屈になるぐらい無教養でも親(またはそれに代わる人に)”本当の愛”を与えられたらとても幸せだと思います。 実際、愛と憎しみの感情は人間になんでも可能させるぐらいの力があります。”愛する人のため”、”憎む人への復讐”。相反する感情ですが、強い力があります。ある人いわく、男性はちやほや褒めてやらせる力が100%だとすると逆に否定して反発心を出させてできる力は120%、200%、無限に出るそうです。過去に私もそういった経験があるかもしれません。 野口英世の細かくまでは忘れましたが。愛する親が無教養であるばかりに苦しんでるならば、”その愛する人を助けられる教養を身につけて助けたい。”と愛に満たされた人は思うでしょう。愛してる人が求めていることを自分が供給し、愛してる人がHappyになることほど嬉しい事はありません。次の目標に繋がります。 ”人間は進化する生き物”です。そのどれだけ”愛してる人”がHappyに幸せになれるかそれを考え、努力して成長、進化すると思われます。 逆に憎しみ・反発心もまたそれを乗り越えるために進化させるのだと思われます。 基本的に人間は”居心地の良いもの。気分が良いものを好みます。” ”嫌悪感”を抱くというのはそれだけ”居心地、気分が悪かった”のだと思います。 その”居心地の良いもの。気分が良いもの”を求めるために進化・選択するのではないでしょうか。 >結局負の感情に対する保証を求めないだろうか、しかもその保障というのが、深層心理的ではなくて、自我レヴェルの社会的活動範囲文脈においてそうではないだろうか。 本当にそれで負の感情を癒せるのでしょうか? 無教養の親だから教養のある人を求める? もし無教養の親で苦労して、”同じ思いを二度とするものか”と強く思い、3%意識の自我レベルから97%無意識に刷込めば、求める環境の人と共になるでしょう。 さもないと、たとえ嫌いで軽蔑してる親でも同じような人を求め、親と同じ道程を歩みがちです。 なぜなら負の感情の原因は別にあると思います。仮に”無教養”であることがそのキッカケだったとしても、仮に”教養”のある人と共になったとしてもその真の原因と真摯に向き合わなければ同じことが起こると思います。 いかに社会的保障文脈内だとしても。 友人は、JP彼女がいながらHongKong人の彼女とお付き合いをしました。HK彼女は友人にもともとJP彼女と一緒に住んでいるのも知ってます。でも日ごとにHK彼女は友人を深く深く愛し始めました。友人はある日彼女の父親の話を聞きました。父親はMainChinaで働いています。多くのMainChinaで働くHK男性は”愛人”らしき女性がいるそうです。彼女の母親は父親に愛人がMainChinaにいると言ってたそうですが、彼女は信じませんでした。しかしなんとなく察しはじめ、別の人からも話を聞き父親に問いただしました。父親にはMainChinaに別の新しい家族がいると判り、彼女はショックを受け、父親を軽蔑しました。HKの家族全員、父親を強く軽蔑し離れました。その話を聞いて友人は判ったそうです。なぜ彼女は出会ったばかりの彼を好きになり付き合うようになったか。 97%無意識内で、たとえ強く軽蔑してようが父親は男性の雛形・シンボルなので、男性として父親と同じ境遇を女性は求めるものかもしれません。 いかに(3%自我レベルで)強く意識してそれ(97%の無意識)に反発しない限り。 >そのことに対する学問的認識が内容なのはどういうわけだろうと考えざるを得ません。 (この意見の意味が取れてるかわかりませんが) 学問とは数々の現場で起こるCaseStudyを多く集め分析、普遍化したものです。 ある意味、学問化することは”すでに遅れた”情報です。 現場で起こることが”最新”の情報であり、”真実”です。 つまり学問はいかにあらゆるCaseStudyを集め、共通性から普遍化した机上のものでしかありません。 garcon2000さんの質問自体が”行き過ぎた資本主義社会での奴隷化した結果”であり、今までにないCaseStudyなので今までの学問レベルでは対応しきれてない感があります。 だからこそ多くの大学院の授業で日本をよく例としてあげられています。 世界的に見てユニーク過ぎる、信じられない事象が多いいです。 >しかし、日本はあまり「巨乳好き」はいないような気がします?むしろ「貧乳好き」のほうが割合的に同じくらいいませんでしょうかね。つまり、ほどほど好きが1番多い、過不足なく母親愛女性的愛は足りている、といfうことなのかもしれません。 おそらく多くの男性は、(過去の友人との談笑では)”手に収まるぐらいがベスト”かもしれません。 しかし、女の子によく聞かれます。「どうしたらおっぱいは大きくなるの?」と。 つまり、マスメディアに出る女性は胸の大きい女性が多いいせいか、それがディファクト(標準スタンダード)を取っていると勘違いしてるのかもしれません。 (実際、昨今の日本女性の”巨乳”化現象も行き過ぎた資本主義社会の道程です。資本主義の基本は”お金と効率性”です。”いかに早くより利益があげられるか”が至上命題です。発育が良くなってる現象のひとつに”効率良く安く生産できる”女性ホルモン輸入牛を食べて育ったのは否定できません。特にSexy体型の女性は日本の都市部、東京周辺に見られます。地方の伝統的な日本食を食べて育った女性にSexy体型の日本女性はマレです。) >アンチマザコンは奨励されるべきだから、その普通さに対してあえて用語がない ということかもしれません。 私は逆です。アンチマザコンは奨励されるべきでは無いと考えます。 母親(もしくはそれに代わる女性)からの愛が足りない男性は女性を尊重しません。大切にしません。 母親は女性の雛形・象徴です。 意味も無しにレイプ・DVが増える恐れがあります。 でも行き過ぎた資本主義社会にはアンチマザコンは必要なのだろうか? う~ん。 その理由を知りたいです。 (とても長々と読んでくれてありがとうございます。 仕事後、寝不足のまま書いたので文章が長くなってしまってごめんなさい。読み直すと自分でF○○K OFF!を叫んで自分で突っ込んでしまいました。汗笑。 はい、ごめんなさい。文章の意味を理解していただけたら幸いです。)
お礼
結局、思いやりというのは、「滅私」ではないということがあります。それに近いものもあるけれども、かなり遠いものが多い。 無教養でいやだ、と感じる背景は何なのか、そこに背後の愛情が足りないのかそれは十分なのか過度なのか、難しいところです。 「愛」がすべての基準なのだろうか?それさえ疑問です。 無意識の操作って言うのは大きいんですよね、操られている。それに気づくのは大変なものです。よっぽどのことがないと表に出ない。生物としての人間は不思議なものです。 学問化されないというのはやはり不思議で、こんなことは人類近代史以前から起こっていた、もっとも頻繁に起こるようになったのはここ最近何十年だと思われますが。それが一向にないようです。>アンチマザコンは奨励されるべきだから、その普通さに対してあえて用語がない ということかもしれません。 食生活と体系は関係あり、日本人には自然な日本食の体系がよいのです。 いずれにしても、アンチ~コンは憎悪的感情ですから、いいことなどありはしません。
補足
お礼は後日書きます。長文ありがとうございます。 いやぁほんとにお恥ずかしいのですが、皆さんのお礼にも誤字ばかりで申し訳ありません。
- HIKARU 0321(@HIKARU0321)
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>むしろ実態はそっちの件数のほうが多いのではないでしょうか?ないとは腑に落ちないのですが、なんでなんでしょうか? ふと思ったのですが、日本の”巨乳ブーム”は”逆マザコン”と関連があるかもしれません。 正直、母親の愛情に満たされ母乳で育った男性は女性の胸の大きさは気にならないと思います。 逆に巨乳の女性は肩が凝りやすく、ブラも高いし、服も制限されるし、通勤電車で男性に当たりやすいし、男性からいやらしい目で見られガチと同情します。 私の知り合いに”巨乳大好き”という男性がいました。 「胸の大きい女性は母性がある。」と彼の持論です。 彼は母親とは仲が悪いです。 つまり、私が言いたいのは女性の胸は”母の象徴”です。 その母から満たされない思いを女性の胸に求めてるのかとも思われます。 それは大きければ大きいほど満足できでしょう。 母からの”愛”と錯覚して。 日本は資本主義社会のケーススタディとして世界各国の博士過程の授業で取り上げられます。 それは資本主義社会の悪い?良い?行く末として。そこから学べるものは大きいです。 人の考え、理念を否定するのは私は嫌いですが、果たして”逆マザコン=アンチマザコン”は社会・人間として良い傾向なのでしょうか。 日本はなるべくして成っているのでしょう。 なぜなら母親もまたいち資本主義社会で生きる人間として忙しすぎるのだから。 資本主義社会で求められるのは”愛”よりも”お金と時間”です。 いかに効率よくお金を生み出せられるか。これに掛かってます。
お礼
あるのかもしれません! 深層心理的ですね。しかし、「女性らしい」ということを、性欲を超えた次元で感じる脳があって、そこで「胸」が存在感を示してくる。もっとも胸じゃなくていいのかもしれませんが、やはり割合からして、女性の目や唇や耳や鼻や腰や太ももよりは「胸」だということになるかもしれません。 しかし、日本はあまり「巨乳好き」はいないような気がします?むしろ「貧乳好き」のほうが割合的に同じくらいいませんでしょうかね。つまり、ほどほど好きが1番多い、過不足なく母親愛女性的愛は足りている、ということなのかもしれません。 アンチマザコンは奨励されるべきだから、その普通さに対してあえて用語がないということかもしれません。
- hakobulu
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Diogenesis さん、どうもありがとうございました。 大変参考になりました。 garcon2000 さん、勝手してしまい、申し訳ありませんでした。 お陰さまで勉強させていただきました。
- Diogenesis
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#4です。 #5さんにこっそりお答えします。 私は精神分析業界の外側にいる身ですから伝聞情報でしかないのですが, 阿闍世コンプレックスの概念は広く受け容れられているとは言い難いようです。 ジクムント・フロイトに直接教えを受けた唯一の日本人である古澤平作は 阿闍世コンプレックス論の原型となった論考をフロイト本人に提出していますが, フロイトの反応は芳しいものではなかったと伝えられています。 そんな経緯もあってか,国際的には仏教や日本文化に関心を寄せる 一部の精神分析学者のあいだで散発的に論じられることがある程度で, 評価云々以前に知名度自体がいまひとつのようです。 日本の精神分析界に限っても,小此木啓吾によって光が当てられるまで 阿闍世コンプレックスは正当な評価を受けてこなかったというのが実情ではないでしょうか。 小此木が阿闍世コンプレックスを論じた一般向けの著作には次のようなものがあります。 ■日本人の阿闍世コンプレックス 中央公論新社(1982年,現在は中公文庫として出ています) ■エディプスと阿闍世 青土社(1991年) 2001年に出た下記の論集は 阿闍世コンプレックスをめぐる研究の集大成的なものです。 ■阿闍世コンプレックス 小此木啓吾,北山修(編) 創元社(2001年) 20世紀日本の精神分析研究の総決算とも言える下記の事典では 阿闍世コンプレックスの項にかなりの紙幅が割かれていたはずです。たしか。 ■精神分析事典 小此木啓吾(編集代表),北山修(編集幹事) 岩崎学術出版社(2002年) 小此木の晩年の仕事に連れ添った北山修は日本精神分析学会の現会長ですが, その昔「帰って来たヨッパライ」や「悲しくてやりきれない」を歌い 「戦争を知らない子供たち」や「あの素晴しい愛をもう一度」の作詞を手がけた 元フォーク・クルセダーズのあの人です。 こんなのでお役に立つでしょうか。 それではこっそり引き揚げるとします。 お邪魔しました。
- HIKARU 0321(@HIKARU0321)
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いち素人としてお答えします。 1.>「逆マザコン」というのはなぜ心理学用語にないのか? 2.>「マザコン」の概念は一般的になりましたが、その反意というのはどうしてないのでしょうか? 3.>もちろん「逆ファザコン」「逆ブラコン」「逆シスコン」でもいいわけですが、それらもありません? 4.>むしろ実態はそっちの件数のほうが多いのではないでしょうか?ないとは腑に落ちないのですが、なんでなんでしょうか? 1.garcon2000さんのおっしゃる「逆マザコン」、これは新しい精神構造の形態だと思います。 元来、人間は出生し、初めてみた両親を男性の象徴、女性の象徴とし、男性の理想として各あるべき姿を父親に見、女性の理想として各あるべき姿を母親に見ています。 なのでよく言われるのが男性の結婚相手の新婦さんは男性の母親に似る、女性の新郎さんは女性の父親に似ると言われています。 しかし、garcon2000さんの言う、”なるべく母親とは違ったタイプにあこがれる←母親への嫌悪がある。もう子供時代からの関係にいやになった、新しい歴史を作りたい。。。というような概念「逆マザコン」なるものがなぜないのか不思議です。もちろん「逆ファザコン」「逆ブラコン」「逆シスコン」でもいいわけですが、それらもありません?むしろ実態はそっちの件数のほうが多いのではないでしょうか?ないとは腑に落ちないのですが、なんでなんでしょうか?” とは逆に母親に愛されてこなかったが故に起こる現象だと思われます。 母親に深く愛される事によりなれるマザコンの男性は自信に満ち溢れ、女性を尊重し、深く愛します。それはイタリア人男性のように。 逆に母親からの愛も不満足な男性は女性を大切にしない恐れがあります。母親に代わる女性からの深い愛に満たされない限り、レイプ、女性蔑視などを起こす危険性があります。 かつての女子高生コンクリート事件の主犯の人達はその例の典型と思われます。 同時に父親に深く愛される事によりなれるファザコンの女性もまたいつも自信に満ち溢れとても素敵な笑顔を持ち合わせとても綺麗な可愛い女性になります。かつ男性を尊重しとても大切にします 逆に父親、兄弟が嫌いな女性は綺麗に成り得て無い、美しさの限界を低くしてる印象を受けました。かつ男性をそれほど大切にしません。 2.3.4. >むしろ実態はそっちの件数のほうが多いのではないでしょうか? そのお言葉を聞くのはとても悲しい現実ですね。 その形態は現在の日本特有と思われます。 今の日本の特に都市社会には”愛”というのが欠落し始めています。 近所づきあいから家族愛さえも。 都市社会では若者の蛮行には何も言わないで大人が通常です。 理由は資本主義社会の結果です。 今、日本の都市社会で優先されるのは”お金と時間”です。 東京のBCDエリアのビジネスマンに道を聞いても無視か、聞いた事に怒られる始末です。 なぜなら忙しいから。自分の行く道を邪魔されたくはありません。 女性ホルモン輸入牛で育った男子は精子数が減り性欲減退しているのに対し、女子はSexy体型と共に性欲が増えています。 その持て余した性欲を処理してくれるのが世のおじ様たちです。”お小遣い”と共に世話をしてくれるので願っても無いでしょう。 現在の日本都市社会は資本主義の終焉(若しくは資本主義の奴隷)が見えます。 ”お金と時間”を優先するあまり家族愛さえも失われつつあります。 かつてのアメリカでのウーマンリブはCIAよりお金が流れていたと聞きます。それはより課税を増やすため。かつ子供たちが学校にいる時間を増やす事で洗脳ができる。 同時に日本でのかつての大家族は団地化政策などにより戦後は核家族社会へと移行されて行きました。大家族と核家族の違いは大家族で育った子供は洗脳されにくいです。倫理と道徳が法律で定めなくても受け継がれていくとアルベルト・アインシュタインは日本のかつての大家族主義を褒めていました。逆に核家族では簡単にマスメディアなどにより洗脳ができます。電車の中でお化粧のできる女の子たちは核家族で育った女の子だけです。大家族の女の子は鏡さえも出す事ができませんでした。なお戦後、GHQにより無宗教化政策を行われたのも社会から”愛”がなくなり、倫理、道徳が失われて行き、より効率よく簡単にマスメディアにより洗脳できる結果となりました。 それにより、女性も男性と同じように社会に出て働く事により、母親として子供に対する愛情が失われています。 その結果が「逆マザコン」となる心理形態が生まれたと思われます。 改めて質問を見ます。 1.>「逆マザコン」というのはなぜ心理学用語にないのか? →新しい社会形態(=資本主義社会の奴隷化)だから。 2.>「マザコン」の概念は一般的になりましたが、その反意というのはどうしてないのでしょうか? →同上。 3.>もちろん「逆ファザコン」「逆ブラコン」「逆シスコン」でもいいわけですが、それらもありません? →本来、あってはならないもの。 4.>むしろ実態はそっちの件数のほうが多いのではないでしょうか?ないとは腑に落ちないのですが、なんでなんでしょうか? →そっちの件数が多いのは幸いな事に現在私の知るところは東京だけです。東京だけであって欲しいです。 現在、秋葉原事件も含め、多くの人が社会の”愛”の欠落による弊害を訴え始めています。 かつての”いじめ”による自殺過多もそうです。 一番の根本を見ずに表だけ触っては問題の解決には至りません。 もう一度自分達の社会形態を見詰め直さないと自分自身の精神形態の維持さえも危ういと思われます。 長文失礼しました。
お礼
「愛された」「愛されなかった」というのもあるのでしょうが、「愛されてもうれしくなかった」「愛されなかったかもしれないが結構うれしかった(これはあまりないとはおもいます)」というような感情を味わった場合、それはどうなのかと思います。 たとえば、生まれが卑しかった、両親が無教養だった。しかし愛情は合って人間的には隙であったが、こういう全体的な雰囲気は嫌いでどうしても文化的になりたかった(野口英世なんて好例ですよね)そういうばあい、どうしても一種の嫌悪を抱くのが普通だと思われます。だから、「やっぱり、母親と違ったタイプの女性がいい!」と希求しますね。 もちろん逆もありますね。冷たく愛情がなかった(と感じた)が非常に文化的な過程だった。だから、自分は文化的よりより愛情とか人間的な女性(男性)が欲しい。 結局負の感情に対する保証を求めないだろうか、しかもその保障というのが、深層心理的ではなくて、自我レヴェルの社会的活動範囲文脈においてそうではないだろうか。 そのことに対する学問的認識が内容なのはどういうわけだろうと考えざるを得ません。
補足
御礼のほうは後程します。 ご長文ありがとうございます。 私は高度経済成長の功罪もかなりあると思います。 労働形態(特に残業の日常化)家族形態都市形態、そういうものの転機になったし、あまりにも急激におこりましたから。
- hakobulu
- ベストアンサー率46% (1655/3578)
garcon2000さん ご質問の意図に沿う内容でもあると考えますし、ちょっと横レスしてよろしいでしょうか。 「○○&%$△>>>」 「あ、どうもありがとうございます」^^ Diogenesisさん いつもながら大変参考になりました。 興味があるので少し勉強してみたいと思います。 差し支えなければひとつだけ教えていただきたいのですが、 「阿闍世(あじゃせ)コンプレックス」という概念は、日本以外でも通用している(あるいは通用していた)ものなのでしょうか。 また、 「>小此木氏の著書か,小此木氏が執筆者に加わっている心理学事典」で「お薦めのもの」が、もしおありでしたら合わせて教えていただけないでしょうか。
- Diogenesis
- ベストアンサー率49% (859/1722)
逆マザコンというのとは少し違うかもしれませんが, 母親と息子の感情的葛藤を主題とする 「阿闍世(あじゃせ)コンプレックス」という概念があります。 阿闍世コンプレックスについては このサイトの古いQ&Aによくまとまった解説がありますので御紹介しておきます。 出来が良いのは回答#2です。 ■社会学/アジャセコンプレックスとエディプスコンプレックスの違いを詳しく教えてください。 http://okwave.jp/qa320521.html なお 「感情に色づけられた表象の複合」という意味で使われる「コンプレックス」は 心理学一般に広く流通する概念ではありません。 この用語法はユングによって精神分析に持ち込まれたと言われ, フロイトの理論においては「エディプスコンプレックス」が, アドラーの理論においては「劣等コンプレックス」が, それぞれ中核的な位置づけを与えられています。 コンプレックスの概念はこのように 深層心理学的な心のモデルと深く結びついています。 しかしながら現代の心理学はそのような心のモデルを採用していません。 したがってコンプレックスなる概念の出番もないというわけです。
お礼
どうもこの深層心理的概念は、確かに存在するのかもしれないが、日常的にはあまり大きな影響を与えないのではないか?つまり、日常性とは、深い情動が影響するほどの味わいを必要とすることがないものなのではないか、だからもっと表面的な「ああ、好きだなこの親」というような単純な感情と「ああ、こんな親やだ」という嫌悪、そういう表面的な感情が、生活には深く影響するのではないだろうかと思うしだいです。
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お礼
どうもありがとうございます。 深いところの感情問題と、表面的に現れるちょっとした苛立ちやらマイナス感情と、つながっているようで断絶しているのか、よくわかりません。「合理化」という心理学的定義は、でたらめではないと思いますが、手放しで信じるわけには行かない気がしています。それよりは、もっと表面的な満足の方が影響が大きいのではないだろうかと。