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利家は世渡り上手で「今で言うすりすりサラリーマン?」

当然主役なので悪く表現しないことは解りますが、NHKを見ていますと、あまりにも「利家」を良く見せているように思います。逆に秀吉はバカ秀吉となっています。NHKでは「男気」があるということになっていますが、何より捻じ曲げていると思うことは「織田」に仕えそして「秀吉」に使え、挙句の果ては「徳川」に仕える男です。(徳川に仕える時には「利家」はすでに死んでいるのですが)まあ、「男気」を表現しながら、「世渡り上手」も描いているのですが、そこには相反するものがあり、私には少々無理やりのこじつけが感じられます。(お家のため、家臣を思うために、世渡り上手に徹したという考え方もあるかとは思いますが)まあ、私は歴史は詳しくないので反論する方もおられると思いますが、皆さんはいかがお思いでしょうか?

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  • gokuh_
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回答No.2

こんにちは。 まぁ「NHK利家とまつ」そのものが回をおう毎に史実からかけ離れていってしまってますから、当然の如く登場人物像も、あくまでも著者のイメージ像となってしまっているのでしょう。 あきれるのも仕方がないと思います。 同様にNHKの利家像であれこれ述べるのも無意味でしょう。 武家にとっては家が一番大事です。 これは鉄則です。 主の為に自らの命を投げ出すのも、それによって救われた主家によって遺族が守られる、引き立てられるからこそ、命をおしまず忠節に励んでいるのですから。 逆に申せば主家が滅んだら、若しくは自らの一族や(自分が死んだ場合の)遺族が守られないのなら、その時点で主従関係は終りです。 主従関係はあくまでもある種の契約ですから。 江戸時代に入り一族が滅んでも主家を守れば名が残るといったような考え方が好まれる様になった事から江戸時代以前の主従関係も江戸時代の主従関係も同列に受け取られてしまっている様な気がします。 もちろん、山中鹿ノ介の様な話(主家が滅んでも主家再興に努めた)もありますが それも「主家再興=再興後の一族の発展」といった側面もありますでしょうし、 そういたエピソードすらも当時では稀なものであったからこそ、感銘をうけ 江戸・明治期に入りさらにもてはやされたのでしょう。 忠義とは自己の名・名誉の為でなく子々孫々の為。 (相対して自己の名・名誉の為を重んじる事がカブキ者の境地だと思っています。) 江戸時代に大名・高家として家を残した有名な大名達も多くは【結果的】には「織田(若しくは当時の有力大名)」に仕え、そして「秀吉(若しくは当時の有力大名)」に使え、挙句の果ては「徳川」に仕えた家ばかりです。 (もちろん織田・秀吉時代に独立勢力で徳川に屈した家、徳川譜代の家もありますが) 世渡り上手と呼ばれた大名は何人もおりますが、そんな彼等も含め、平安な世ではなく戦乱の時代に於いて世渡りだけでは決して生き延びれない・・・世渡り+世渡り以上の才能が必要と感じています。 そのあたりの切磋琢磨が「利家とまつ」では描かれていないように感じています。 私は前田利家の行動・判断は評価しておりますが、現代の忠義忠誠のイメージ、善悪感と対比すると当然、相反する事が沢山出てきます。 それを「利家とまつ」は現代人の目から見ても正しい忠義忠誠のイメージで描こうとしていますので、どうしても不自然さが表面にどんどん出てきてしまう。 NHKは従来の大河戦国ドラマではなく戦国ホームドラマにしたい等と申していましたが、その表現において失敗したのでしょうね。。。 個人的には利家は武勇の人でも・政略謀略家でもなく・世渡り上手でもなく 「律儀の人」と判断しています。

epson01
質問者

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  • aminouchi
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回答No.3

私はそもそもTVを見ませんので、NHKでどのように前田利家たちを表現しているのか知りません。 しかし、前田利家が >「織田」に仕えそして「秀吉」に使え、挙句の 果ては「徳川」に仕える男です。 というのは誤りです。確かに「織田信長」の家臣でしたから、織田に仕えたというのは正しいです。しかし、後の二人に「仕えた」=家来となったと考えるのは違うでしょうね。 これは封建時代の制度をどう考えるかという問題ですが、前田家を初めとする外様大名たちが徳川の家臣となったと言えるのは譲っても徳川三代将軍家光の時からでしょう。それ以前は服従はしていても家臣ではありません。しかも、長州の毛利家、薩摩の島津家などは徳川家と対等であると思っていたことは、幕末維新の時にはっきり示されます(徳川幕府の代わりに島津幕府・毛利幕府を作ろうとしているのではないかと疑った諸大名が多い)。 また、豊臣政権末期から徳川幕府成立期にかけての前田家は「簡単にはつぶせない大きな勢力」でありました。本人がその気になって旗をあげれば一方の雄となって天下取りに参加できるだけの実力がありました。 さて、「世渡り上手」とか「すりすりサラリーマン」という表現は「実力もない癖におべっかやごますりがうまくて、状況に応じてうまく立ち回る奴」というような意味に解釈されますが、以上に述べたようにそのような見方はまったく誤っております。もしNHKの番組の内容によってそのように思えてしまうとすれば、そのように表現したかったということでしょうね。まあ、所詮、娯楽番組ですからどうだって良いことだと私には思えます。

epson01
質問者

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  • kijineko3
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回答No.1

>「織田」に仕えそして「秀吉」に使え、挙句の果ては「徳川」に仕える男です。 逆に言えば、その時々の権力者が躊躇する程の律義者ゆえ、誰も手を出せなかったのではと思う。 もし、利家があと3年長く生きて睨みを効かせていれば、関が原の戦いも無かったかもしれないし、徳川の天下も無かったかもしれない。晩年はそれだけ存在感のある人間だったと思う。 天下を睥睨して従わせるだけの重みがあったと思う。ただ天下人の器であったかどうかは不明である。 思えば、秀吉の第一子、鶴松が育っていれば・・・。実弟の秀長が長命であったならば・・・。関白秀次が失脚しなかったならば・・・。 歴史にもしもはタブーと承知していながら、どのようになっていたのだろうかと 思う事が多々あります。 しかし利家であれば、秀吉以降、どのような権力者があらわれたとしても一目もニ目もおかれる存在であり続けたに違いないと思います。 こんなところでいかがでしょうか?

epson01
質問者

お礼

ありがとうございます。

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