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「瞬間」というものは実在しないとなぜ言えるのでしょうか?

「瞬間」というものは実在しないとなぜ言えるのでしょうか?

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回答No.14

こんばんは。難しそうな質問ですね。 ならば勉強のために回答してみようと思います。 的外れなら、鼻で笑ってスルーしてくださいね。 いやむしろ採点してほしいくらいですがヨロ。 <物質は時間的な延長を持つといえるのか?   う~ん。 「物質は時間的延長を持つ」とするなら じゃあ「いま見ているこの瞬間のこの箱はなに?」となります。 しかし物質に空間的延長しか認めないとするなら 瞬間の連続性で物質が存在し、 その連続性に物質の同一性を認めることが 出来なくなるというジレンマが生まれるように思えます。 ですが 小生は「瞬間」と言う言葉の方が気になります。 我々が時間的な意味で「瞬間を認識する」ということと メタフィジカルな意味で「瞬間は実在する。」ということは別です。 なので、 「物質に時間的な延長がある」としても 我々が、主観でその一瞬一瞬を感じ取ることに矛盾はなく 形而上「物質には瞬間というものは実存しない」と言えるのではないでしょうか。 といいたいところですが、 今度は「実在」という言葉は、小生には胡散臭く感じますね。 「実在」って存在するの?というか「実在」って実在するの?というか 「実在が実在するしない」は主観以外でどうやって判断できるのか?と・・・ 最終的には定義づけの問題だと思います。 「物質」とは何か。 「時間」とは何か。 「存在」とは何か。 「認識」とは何か。 それぞれの関係に整合性の取れる定義を生み出して この回答枠で簡潔に回答できるほど賢い人は多分いないと思います。 こんな感じでどうでしょうか。

noname#60566
質問者

補足

mogurayamaさん、ご回答いただきありがとうございます。 とにかく恐る恐るページを開いている状態なんですよ(笑)。 とりあえず補足になりますが、 >「物質は時間的延長を持つ」とするなら じゃあ「いま見ているこの瞬間のこの箱はなに?」となります。 私の云う瞬間というのは時刻点という意味ですがこの場合は明らかに意味が異なりますよね。 この箱というのは時間的な延長を持ち(つまり空間的延長として持続している)、それに対してmogurayamaさんが瞬間的な見え、という感覚を持つ、ということでしょう。 >我々が時間的な意味で「瞬間を認識する」ということと この場合も同様です。 我々が時間的な意味で「瞬間を認識する」ということと メタフィジカルな意味で「瞬間は実在する。」ということは別です。 なので、 私も同感です。 ただこの場合の瞬間は時刻点という意味ではないですよね。

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  • kigurumi
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回答No.7

No.5 今ひとつ質問が明確にわかってはいないのですが、ハイデッカーの思想を私はこう理解しています。 教室から図書館に行くという行為。 図書館に行くという目的が現れた時、既に教室にいる100%じゃない。 教室から図書館に行くルートができたかようになり、今の情況は教室にいながら図書館にいることになる。 うまく説明できまえんが、、アバウトに説明すると、教室90% 図書館10%。 比重がだんだん変化して、教室50% 図書館50%、教室10% 図書館90% と常に変化していく。 死は死んでから訪れるのではなく、誕生した瞬間死を獲得している。 これが死の内在だったような。 死を内在していないものは死なない。 こんな感じのことをハイデッカーは説明していたような気がします。 人間から観る主観であるが、私はそれを否定する理論をもってません。 誰かハイデッカーを倒せ! 笑

noname#60566
質問者

お礼

kigurumiさん、どうもありがとうございます。 存在するものの中にある限り人間はやがて消滅し無に帰する。この死の予想によって人間は自己の虚しさを知るが、それふぁかえって自己の本質たる結うの自覚となる。有は存在するものの本質であり実在であるが、如何なる存在するものでもない。有はそんざいするものとしては無である。人間が本来の自己になるためにはこのような無としての有を自覚しなくてはならない。 とハイデガーは主張する。 ということらしいですよ。

noname#60566
質問者

補足

誤字だらけになってしまって訂正します。 存在するものの中にある限り人間はやがて消滅し無に帰する。この死の予想によって人間は自己の虚しさを知るが、それがかえって自己の本質たる有の自覚となる。有は存在するものの本質であり実在であるが、如何なる存在するものでもない。有はそんざいするものとしては無である。人間が本来の自己になるためにはこのような無としての有を自覚しなくてはならない。

noname#70164
noname#70164
回答No.6

その「俊寛は存在しない」という結論は、古代ギリシャにて「瞬間は存在するか否か」との論争があり、ゼノンが「瞬間なるものが存在するとするならば、飛んでいる矢はその時止まっていることになる。それでは飛んでいる状態と止まっている状態が両立してしまうf」として、数学の背理法と同じ考え方で、「始めの設定、つまり瞬間が存在するが過ちであった」と結論づけたことによります。 以上の論は哲学上の或る答えであり、数学や物理学ではまた考え方が異なります。また、哲学でも「瞬間は存在する」という結論を出した人もいます。 御参考になりましたでしょうか。

  • kigurumi
  • ベストアンサー率35% (988/2761)
回答No.5

常に過去から未来に移動しているからじゃないでしょうか。 わかりやすい説明としては、夜空をみあげて「あの星は綺麗だな」と言ったところで、もしかしたら、その星はもうずっと前に、無くなっているかもしれない。 我々は常に過去を観ているわけです。 だから「今この瞬間」と思った段階で、もう過去になっているので、今を時間0で体験することはできないんじゃないか と。 今日とか、1時間内とかじゃなくて 瞬間ですよね。 光の速度で移動したとしても、光も星が太陽に当たっているのを、何年もかけて運んでくるわけですから、光がいっくら早くても、届いたところで、もう過去の映像を観ていることになる。

noname#60566
質問者

お礼

質問しても胃が痛くなるだけで何の益もなかったですね。 そろそろ退場します。 ポイントは付けますのでご安心ください。

noname#60566
質問者

補足

kigurumiさん、ご回答ありがとうございます。 ただ皆さんの仰るのは直観のうちのお話なんですよね。 私の言う実在とは現象の対概念ですので、人間や犬の主観とはまったく無関係な話なんですよ。 もっとかんたんに云うとなぜ物質は時間的な延長を持つといえるのかをご説明いただけますかという質問なんですよ。 どうぞ宜しくお願いいたします。

回答No.4

一番です、意味不明の中傷はおやめください。 私の回答のどこに存在と書いていますか。 私の論点は「言える」を「発音する能力がある」の意味で 使っています。その意味では日本語を読み話す能力がある人 全てが「「瞬間」というものは実在しない」と言えますよ! 貴方は言えないのですか?お気の毒です。

noname#60566
質問者

お礼

だったらわざわざ書き込まないでくださいよ。

noname#60566
質問者

補足

質問の趣旨がそんなところにないのはご存知でしょう。 なぜそんな嫌がらせをするんですか? 質問者からすれば本当にガックリしますよ。

  • goodn1ght
  • ベストアンサー率8% (215/2619)
回答No.3

「瞬間」というものは実在する。

noname#60566
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

noname#60566
質問者

補足

実在するでもかまわないのですが、それでは逆になぜ実在すると言えるのかご説明をお願いいたします。

  • SAYKA
  • ベストアンサー率34% (944/2776)
回答No.2

件の「時間」が常に過去形だからじゃない? 自分が捕らえられない物は「無い」のと同義

noname#60566
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

noname#60566
質問者

補足

一番さんもカン違いされていますが「存在」ではなく「実在」ですので。 >自分が捕らえられない物は「無い」のと同義 これは認識主観の内のお話ですね。

回答No.1

親からもらった「生意気なことを言う口」とそれを制御する脳 が機能しているから。 いぬでは「「瞬間」というものは実在しない」とはいえません。 頭大丈夫ですか?しっかり勉強してください。

noname#60566
質問者

お礼

ご回答ありがとうございました。

noname#60566
質問者

補足

失礼ですが「存在」と「実在」の違いや定義ぐらいは勉強されては如何でしょう(笑)。

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