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自己陶酔人間がつくられる環境を
★自己陶酔(ナルシシスム・ナルシズム)人間がつくられる環境をお教えください。愉快犯・模倣犯との関連もお教えください。 できれば、劣等感に沈み、あるいは、その逆転である優越感に酔う人間がつくられる環境も併せてお教えください。 ★自己陶酔人間・劣等感人間・優越感人間との接し方もお教えいただければ幸いです。
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自己愛性人格障害について、直前でも質問を立てました。私の経験からお答えします。 当初から予感があったのですが、付き合いが深まるにつれ(といっても完全な症状を露呈してきたので関係は短いものでしたが)その予感と危機感は私が思っていたとおりのタイプでした。 完全に彼はアメリカ精神医学会DSM-IVの自己愛性人格障害の基準に9割該当しました。(これについては質問と回答へのお礼述べています)。 病理でいえばやはり家庭環境です。 子供のころ、箸の持ち方が間違っている、テストでよい点数を取れないなどの些細な理由で有無をいわさず拳が飛んでくる父親にいつも怯え、それをかばい、彼を過保護に扱う母親に育てられたそうです。 彼の第一印象は太宰治のような人だと思ったのですが、実際そのとおりでした(笑)。 彼の一方的なおしゃべり(際限なく話し続け、こちらの話を許しません)で彼の価値観や世界観を知るにつれ、限りなく純粋でイノセンス、そして非常に理論的思考をもち高い知性をもっていると思われるのですが、それを払拭するように次の瞬間攻撃性と怒りを示します。中間というものがなく極端から極端に飛ぶわけです。 そして卵のような人だとも感じました。繊細で壊れやすい黄身を隠すために硬い殻で覆いそれでもって人を攻撃するのだと。(私がそれを伝えると、「卵は潰されるためにあるんだ」などと言ってましたが案外いつものような屁理屈と感じ取れず、やはり言動で示すように彼は破滅願望があるのだと思いましたが)。 つまりその殻につまったものこそ、劣等感や愛情深さ、優しさ、繊細さであり、自分が死守しなければならないものであり、それを許さない現実から逃れるため、信じられるものの何もないこの世界(特に女は最も欲して最も裏切られる)であるゆえ、残されるは自分自信でしかない。自己を対象として現実逃避をしているのではないか。 「黄身」の状態が至福の時をむさぼっていたのは母親の胎内でした。出産と同時に子宮という「殻」からひきづりだされ、今度は自立を阻む父親と母親との現実の親と闘いを強いられます。自らを守らなければならないのは自分でしかないと考える。そこで自己愛(殻)が作られたのでは?と考えます。 過保護に育てられた母親の愛情を成人した彼は実親に求めることはできない。ならば成人した女性に対して対象は移行します。かつて子供だった自分の自立心を阻む親への復讐心と、愛着の葛藤が彼の怒りとなっているのでしょう。女性は「内なる子供」の甘えの対象であり、すべてを受け入れてくれる(はずの)存在。つまり「よいところ(黄身)も悪いところ(殻)もすべてを受け入れてくれる女性」が理想となる。彼はまず挑発し、わざと怒らせそれでも真正面から向き合ってくれ、なおかつ黙って自分の(陶酔する)世界観や価値観を聞いてくれる受身と封建的な日本女性の従順さと献身を求めます。 彼がどんな扱いをしても振り向いたとき彼を追う女性は彼にとって「何よりも守るべき存在」になる。 が、それだけでは彼の知性は許せないし、現にそんな都合のよい女はいません。「俺は気が強く賢い女が好きだ」と言う彼のタイプは彼の理性の求める部分でしょう。が、彼の病気の部分はそういう女のしごくもっともな彼への反発や正論を批判ととらえ、彼は「上等」とばかり応戦するが、心理的には萎縮しているわけです。拒絶される前に自分が拒絶する。 彼の求める「お人形さん」のような女性はいるはずはないのですから、期待ばかりかけて、「変人」「ナルシスト」と一蹴された苦い経験もあったと思います。そういう学習を経てゆくにつれ、自分と同じものを持っている女性を嗅ぎ分けるのに長け、人一倍傷つくことを自覚しているのであるから、彼の言う「心がない人間」は彼の「標的」にすらならないでしょう。 >自己陶酔人間・劣等感人間・優越感人間との接し方 難しいです。彼らのような人間とまともに対峙するのは非常に難しいです。私のような結果を招きます(笑)。「故意に人を傷つければ倍に自分に返ってくる」。何度も彼に言って聞かせたのですけれどね(苦笑)。 自分をしっかりと保って、聞き役になり、彼の怒りや悲しみに自分の同じものを触発されても動じないこと。つまり相手のカウンセラーに徹すること。境界性人格障害はその治療関係の難しさゆえ、専門家もお手上げ状態だそうです。つまり自覚が最も必要なのですが「自分は自己愛性人格障害です」と自ら治療に赴くケースは稀らしいです。 遠くから見守る、というのがお互いにとって最善かと思います。 私も自分の問題を彼に転移して、泣く結果になりました。 でも彼からもらったものの方が大きいかも。 それまで抑圧してた私の喜怒哀楽が彼によって開放されたのです。人の前で泣くことを禁じられてきた私ですが、彼も私の哀しみや怒りに対し同じように泣き、怒り、時に明確な示唆をくれました。例の「共依存」ではなく、まっとうな感性としてです。 不思議なことにお互いの世界観、価値観は瓜二つでした。 そして病気持ちの彼が外の世界にアウトプットするエネルギーというのは限りなく、病気に負けず生き続けたいという彼の魂の意志の強さであると思うのです。 喧嘩するたびに口ではひどいことを言い合っても、互いの本質、存在意義の尊さというのは否定しあわなかった。今まで否定されてきたような私ですからこれは幸福な出会いといえるかもしれません。 でもお互いあまりにも似すぎているために共存できないんですね。もっとも私は彼のように自己愛のほうではないのですが、黄身の部分が似てるんです。お互い病的でなければきちんと愛し合えたかもしれないのに。哀しいです。 余談です。 彼は特殊な例ですが、芸術の世界に入って分かったのは程度の差はあれ、有名無名を問わず、精神疾患者、あるいはその気質をもった者は少なくないということです。まさしく「天才と狂気」の世界です。 これは彼のみならず、音楽仲間達を通してチャイルディッシュな部分こそが、創造性を生むという説のまさに「生きた証し」を見るようでした。
お礼
ありがとうございました。 多様な示唆を賜りました。 以前、どこかで津軽の作家の実名を挙げて、BPDの典型であるようなことを書いたら削除されてしまいました。 アナタさまの感覚ではNPDのようですね。どちらかが合併症ということで……